国民とは私たちのことではない~支配者の本音 by 苫米地英人
日本の経済は、いわゆる動脈の部分では国民に新しい血液を送り生命活動を支える役割を果たしていますが、一方の静脈の部分では、国民から搾り取った血肉をわれわれの知らない相手に捧げるようつくられています。
たとえば、防衛省の装備品調達でおよそ40億円の水増し請求が発覚し、またアメリカヘは2007年度で2173億円の思いやり予算を拠出することが決まりました。
また、社会保険庁は、自らの怠慢で招いた年金未払い問題で、年金をもらえないまま死んでいく国民に対して、「それがどうした」と開き直りました。
こうした事件で政府が驚くほど冷たい対応をとるたびに、私には、さもあろうという気持ちが生じてきます。
彼らは、国民のために働いたことなど一度もないのです。明治以来140年問にわたり、彼らは薩長勢力の一員として武家社会の頃と同じ支配者に仕え、その高邁な自己保身計画のためにだけ働き、そうすることで自分の地位と収入を維持してきたのです。彼らは薩長勢力の使用人であり、薩長とかかわりのない人間など国民として扱いません。そのような人たちに、国民の利益を第一に考えるよう求めてもまったく無理な話です。彼らが国民主権というとき、国民とは薩長勢力のことであり、私たちが考える国民ではないことを肝に銘じなくてはなりません。こうした言葉のすり替えに満ち満ちた政治と行政に、騙されてはならないのです。
支配者の本音
私はすでに、ある特定の集団と、その集団に所属することを望む新参者とが、暗黙の了解で結ばれていることについて指摘しました。薩長勢力と政商との関係がそうですし、さらに巨大外国資本と薩長勢力との関係も同じです。
ヨーロッパの名家を頂点とする外国資本の意向を受けつつ、薩長勢力は日本に、いわば彼らの王国を築いたということです。しかもその王国には、象徴天皇はいても、はっきりと目に見える王様はいません。まるでカフカの小説『城』のような世界が広がっているばかりです。
じつは、この王様の姿を隠すという仕掛けこそ、私たちを騙し、洗脳する巧妙な罠といえます。
私たちには、日本のトップである総理大臣の姿しか目に映りません。総理はいわば王様の補佐役で、本当の王様は王座に姿を見せることも、私たちの前で演説することもありません。どのようなビジョンを持っているのか、私たちに何を求め、何を与えようとしているのか、王様の考えもわかりません。
何か問題が起こると、トップの首はすげ替えられます。そのたびに、私たちは新しい風が吹くことに期待を寄せ、その期待は必ず裏切られます。トップが誰に代わろうと、薩長支配、武家社会支配がそのまま続くのですから、それはごく当然のことなのです。
その結果、まるでパチンコ通いに興じる人間のように、毎日少しずつ持ち金を減らしながら、一時の安楽を貧り、明日にわずかな希望を託しつつ、飼いならされ、人生をすり減らしていくのです。
少々ましな識者は、日本の進路選択にあたり、王様が何を考えているのか慮り、「こういうことに違いない」とマスメディアで発言します。アメリカの動向を気にする評論家などが、その代表でしょう。
しかしながら、王様の考えは単純明快です。日本人や、世界の人々が考えている平和や理想については何も考えていません。あるのは、自分の権力を守り、そのために人間を奴隷化し、お金を儲けることだけです。(引用注:大量殺戮も忘れてはいけませんね)姿を隠し、沈黙を守っているのは、そうしていれば人々が落ち着かなくなり、何か意図や思惑があるのではないかと勝手に推測し、行動を始め、ますます奴隷化の深みにはまってくれるという計算があるからです。薩長勢力はそれを知りながら、王様を受け入れ、国民の犠牲と引き換えに自分たちの権力基盤を強化してきたわけです。
その結果として、当然のことながら、静脈の世界を通して私たちが稼いだお金はどんどん海外に流出しています。明治の頃、日本の金貨がどんどん外国に流失していったときとほぼ同じ状況といえます。薩長勢力はいま、国民の懐から金をかすめとったお金をスポンサーサイドにますます流し込もうとしているのですが、この根深い問題については、第3章でじっくり考察していくことにしましょう。
苫米地英人 洗脳支配 第1章 日本人にかけられたヒルガードの洗脳 p48-51より
参考
ドクター苫米地ブログ - Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog
http://www.tomabechi.jp/
第2次世界大戦の敗北で日本は何が変わったのか? 桜井ジャーナル 2008/08/01
http://plaza.rakuten.co.jp/31sakura/diary/200808010000/
1945年年8月15日の正午、昭和天皇の「玉音放送」がラジオから流れ、日本人の多くは自分たちが敗けたことを知った。「戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦(また)我に利アラス」という情勢のため、「国体ヲ護持」する条件で戦争を止めるというわけだ。つまり、敗戦を認めていないようにも受け取れる内容だった。実際、日本では政府もマスコミも8月15日を「敗戦記念日」ではなく、「終戦記念日」と呼んでいる。
確かに、「国体」の核は護持された。戦後、連合国(アメリカ)は「東京裁判」で「戦犯」を裁いたことになっているが、起訴/判決に不可解な点があることは否定できない。戦争責任という点で、処刑された戦犯よりも責任が重い人物をアメリカ軍が保護、利用していたことも事実だ。
例えば、源田実など無謀な戦いを推進した軍の幹部は戦後も要職についているほか、河辺虎四郎陸軍中将、有末精三陸軍中将、辰巳栄一陸軍中将、大前敏一海軍大佐、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将などのように、GHQ/SCAP(総司令部/連合国軍最高司令部)の下で活動していた軍人もいた。直接、彼らを動かしていたのが情報活動を統括していたチャールズ・ウィロビー少将だ。
軍人だけでなく、戦前から戦中にかけて思想弾圧を行った検察や特高警察の幹部、そして裁判官たちも戦後、責任を問われないまま要職につくことができた。生物化学兵器の研究開発に携わった人たちも罪に問われることはなく、プロパガンダ機関として国民を戦争へと導いたマスコミの人間も事実上、戦争責任は問われていない。
敗戦前の「国家支配体制」が戦後も維持された背景には、日本軍がアジア全域で略奪した財宝の存在があった可能性が高い。筆者の情報源のひとりだった元特務機関員もそうした財宝の存在を証言していた。「児玉誉士夫のダイヤモンド」はそうした財宝のほんの一部にすぎない。戦争に敗れた日本は莫大な財宝を隠し持っていたということだ。
そうした財宝の中心的な存在がフィリピンに隠された「山下兵団の宝物」だと信じられている。ドイツ軍も大戦中にヨーロッパ各国で金塊を盗んでいる(ナチゴールド)が、そうした財宝をアメリカの一部権力者は手に入れ、破壊工作や経済政策に利用している。冷戦を戦う「原資」になったと言えるだろう。
秘密資金に関する情報は大戦が終わった直後から流れていたが、1980年代に情報量が増えてくる。フィリピンで1986年に政変が起こり、独裁者として君臨していたフェルディナンド・マルコスがアメリカ軍に国外へ連れ出されると、裁判などで日本軍による財宝略奪の実態が少しずつ明らかにされ始めたのである。
闇資金に深く関わっていた人物のひとりとして有名なブルーノ・ビターは当時、駐日ローマ法王代理を務めていた。ビター自身の証言だが、彼は靖国神社を守るために重要な役割を果たしている。当時、SCAPの多数派将校は靖国神社の焼却を主張していたが、それを彼が阻止したというのだ。
それはともかく、戦前と戦後で日本の権力構造は基本的に変化していない。日本国憲法が戦前的要素が顕在化するのを押さえてきただけだろう。戦争中、日本国民は人間と見なされず、ハガキ一枚で調達できる「駒」として殺されていった。そして現在、やはり日本人は人間と見なされず、外国で商品を売るために安く調達できる「部品」として使い捨てられつつある。要するに「消耗品」扱いされているわけで、このところ小林多喜二の『蟹工船』が注目されているのも当然だろう。
権力者の意識は当時も今も大差はなく、日本をひとつの社会、あるいは共同体と考えていない。大衆は自分たちの言いなりになる都合の良い「臣民」だと思っているのだろう。が、庶民は人間として目覚めつつある。近い将来、社会システムが大きく変わるかもしれない。
by oninomae | 2008-08-01 20:20 | 政治詐欺・政治紛争