長銀の旧経営陣が無罪でも不正融資の霧は晴れない 桜井ジャーナル
http://plaza.rakuten.co.jp/31sakura/
1990年頃に発覚した不良債権や不正融資の実態は何も解明されていない。解明されないまま多くの巨大銀行は救済され、経済的弱者は奈落の底に突き落とされたのだ。厳しく責任を問われるべき大蔵省(現財務省)の官僚や大手銀行の経営者は事実上、責任を免れ、その一方で中小企業が倒産し、非正規雇用の増大で社会システムは崩壊しはじめている。
そうした実態を象徴するような判決が今月18日にあった。証券取引法違反などの容疑で起訴されていた日本長期信用銀行(長銀、現在の新生銀行)の大野木克信頭取(当時)など旧経営陣3名に対し、最高裁は無罪を言い渡したのである。
大野木が頭取に就任したのは1995年4月のことで、経営破綻の原因を作った直接の責任者とは言えない。つまり最初から検察側に無理があったことは確かだが、たとえ時効という法律的な壁があったとしても、そのいきさつを国会やマスコミ、あるいは学者は明らかにする社会的な責任があったはずである。
長銀は1952年に創設されているが、そのときの副頭取で、第2代目の頭取でもある浜口巌根は浜口雄幸元首相の息子である。

浜口政権(1929年から1931年)で大蔵大臣を務めた井上準之助はアメリカの巨大金融機関、JPモルガンのトーマス・ラモントと親しく、同政権はラモントの要求に従って「金解禁」を断行した。


その結果、農村部では娘の身売りが横行し、欠食児童が増え、小作争議も激化することになる。
1933年に「ニューディール政策」を掲げるフランクリン・ルーズベルトがアメリカ大統領に就任すると、JPモルガンを中心とするグループが「ファシズム体制」の樹立を目指すクーデターを計画した。この事実は、スメドレー・バトラー少将の議会証言で明らかになっている。浜口政権の後ろ盾は「親ファシスト派」だったということになる。(引用注:1933年のルーズベルトの大統領就任は既定路線であり、「クーデター計画」とはお芝居であったと思う)
ところで、1980年代には「規制緩和」や「民営化」というキャッチフレーズが日本社会を動かし、労働環境は急速に悪化、投機で儲けようという企業が増えて「財テク」なる用語も流行した。国鉄を解体して財閥系の企業グループに売却、財界にとって好ましくない労働者を「解雇」したのもその頃の出来事だ。
ロナルド・レーガン米大統領に呼応する形で規制緩和や民営化を叫びだした日本の首相は中曽根康弘である。

強者を助ければ弱者も救われるというような「おとぎ話」を国民に信じ込ませたのだが、その結果はアメリカにおけるS&L(一種の住宅金融)スキャンダルであり、日本の不正融資であり、貧富の差の拡大だった。
1980年代、証券界では「無担保転換社債」の発行が可能になったのだが、これを認めれば国外に貯めていた「裏金」を容易にロンダリングできるわけで、問題は大きかった。巨大企業が土地を買いたいときには「地上げ屋」と呼ばれる人々が雇われたが、資金力のない地上げ屋には巨大銀行が多額の融資をしていた。この「三角システム」が揺らいでくると不良債権が発生、暴力事件も起こっている。
富士銀行、埼玉銀行、東海銀行などの不正融資事件では、架空の預金証書が使われた。マネーロンダリングの典型的な手法である。富士銀行のケースでは、支店幹部が架空の証書を発行、ノンバンクから約2600億円を引き出していた。ほぼ同じ時期に東洋信用金庫が大阪の料亭「恵川」の経営者、尾上縫に対して額面3400億円余りの架空預金証書を発行、興銀系の金融機関から約1500億円を引き出している。住友銀行(現在の三井住友銀行)が平和相互銀行を買収する際にも怪しげな人脈が登場していた。
これ以外にも奇怪な話は少なくないが、大蔵省は勿論、警察や検察、さらにマスコミもこうした問題に触れないようにしていた。背後に広域暴力団が存在していただけでなく、戦後日本を支配してきた「闇の金脈」の問題が隠れていることを知っていたのだろう。今でも、巨大銀行の内部にメスを入れようとすると、「自殺」したり「事故死」する人が出るという「都市伝説」がある。

森田実の言わねばならぬ【500】
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04453.HTML
《いまの政治体制を一言で言えば、財務省内閣制です。官僚内閣制と言っている人もいますが、官僚に支配された国であるということは明らかです。実は、戦後の日本は、大蔵省=財務省中心の国家なのです。それはなぜか、日本は、明治から富国強兵政策を中心にやってきました。その中でもとくに強兵政策が中心だった。強兵の中心は、陸軍省、海軍省、内務省、外務省で、富国政策の中心が大蔵省です。この五つの官庁が明治憲法下の天皇制権力を支えていたのです。他にもいくつか官庁はありましたが、基本はこの五本柱です。戦争に負けて陸軍省、海軍省、内務省は即解体、外務省は半壊というより事実上解体。このなかでほとんど無傷で生き残って戦後を担ってきたのが大蔵省なのです。つまり、我が日本国は明治体制の五本の柱から、一本の柱の建物に変わったわけです。
自民党は一九五五年の結党時から大蔵省とはかなり対立しました。事実、池田勇人元総理は大蔵省出身でありながら大蔵省と対立しました。政治家は、自分が主導権、決定権を持つとの立場で頑張ったのです。だから大蔵省は、国家の中心ではありましたが、そんなに目立つことはなかった。
ところがある時期からアメリカが絶対的権力になってしまった。一九七〇年代の終わりから八○年代に入る頃、アメリカはレーガン大統領の下、強くなった。レーガン大統領以後、日米協調路線(じつは従属路線)ということで、アメリカの主張を取り入れたのが中曽根元総理と橋本元総理でした。両者とも長期内閣になりました。そして、決定的だったのが、いまのブッシュ大統領に徹底的に従属した小泉元総理の登 場です。小泉元総理は、アメリカの日本に対する要求のほとんどを呑んでしまいました。
アメリカは新自由主義政策を日本でも実施しろと言う。アメリカは日本の経済情勢を分析して、日本をどう上手く使うかということを研究しています。最大の狙いは、日本人の巨額の貯蓄をアメリカのために使わせるということです。
日本は小泉構造改革政策の下で低成長になる。マイナス成長となる。成長政策はとらせない。そうなると日本にある金が余ります。その余った金でアメリカ国債を買わせる。さらに余った金をアメリカ経済に投資させる。日本国民の金をアメリカが使っていたのです。そして、これに大蔵省=財務省は乗ったのです。アメリカと小泉内閣と結合することによって大蔵省=財務省は強くなった。アメリカが要望する構造改革の下、大蔵省=財務省の財政削減策を小泉元総理は全力で実践した。
これによって安定した日本を解体してしまったのです。それがいまの状態です。地方を切り捨て、貧しい人たちを切り捨て、若者を切り捨て、高齢者を切り捨て、切りまくっていった結果、日本を二重構造社会にしてしまったのです。
『蟹工船』がベストセラーになるような社会、現代の若者が、昭和四年(一九二九年)の小林多喜二の小説『蟹工船』を読んで、今のわれわれの状況と蟹工船でいじめられている労務者とどこに変わりがあるのだろうかと思うような社会です。 誰もが悲惨な無差別殺人事件の背景に、日本の若者を痛めつけている日雇い、派遣労働という非人間的なシステムと、格差が原因であると気づいています。新聞にもそのような投書がたくさん載っています。
小泉改革は日本をこれほどにひどい社会にしてしまったのです。これは、小泉首相と財務省がやったのです。しかもこの財務省が強くなり、遠慮しなくなってきました。(引用注:日本銀行こそ記しておくべきである。そしてその黒幕についても)》(つづく)

マイヤー・ロスチャイルドの世界革命行動計画 by ユースタス・マリンズ
http://satehate.exblog.jp/8473976/
by oninomae | 2008-07-24 01:35 | 金融詐欺