ポール・クラヴァス by Clifford Shack
マクロイがハンフスタングルに会った時、彼は、ポール・クラヴァス[1861–1940]の法律事務所で働く弁護士だった。
ポール・クラヴァスについては、彼の事務所の若い仲間いわく、「ウォール街でよく見かけられた二人の畏怖の念を起こさせる人影があった: JPモルガンとポール・D・クラヴァス、そしてかれらの山高帽だった。われわれのものとは違って、きれいに丸く、てっぺんは平らだった。彼らの存在そのものが、権力を発散し、畏怖の念を植え付けた。」
クラヴァスは、テディ・ルーズベルトの「信頼破壊者達」のあいだ、強盗男爵の守護者として 全国的に知られるようになった。 (訳注:テディさんは、マッキンレー大統領暗殺の後、大統領に昇格しました)
クラヴァスの顧客は、モルガン家、ジョン・D・ロックフェラー及びイングランド銀行を含んでいた。
「彼の経歴の初期の段階で、クラヴァスは実業家の精神をもった弁護士としての評判を確立した。彼は、ジョージ・ウエスチングハウスとジェイコブ・シフのようなビジネス界のリーダーたちを育て、まもなく、ウエスチングハウス・エレクトリックとクーン・ローブ商会が、彼の顧客となった。」
ここで以下のことを記しておくことは興味深い。
マクロイが、「強盗男爵の守護者」のために働いていた一方で、アレン・ダレスは彼の兄フォスターとともに、「強盗男爵にいかにして強盗するか教えていた」法律事務所-サリヴァン&クロムウェルのために働いていた。
クラヴァスは考えた。「富と権力を有する人々は、コミュニティに対して特別の義務を有している...」
クラヴァスの場合は、彼は自分自身のことを、国の外交政策の執事として考え始めた。
1921年に外交問題評議会(CFR)が組織化された時、クラヴァスはディレクター兼副会長になった。
彼はその評議会の出版物ハミルトン・フィッシュ・アームストロング編集の「フォーリン・アフェアーズ」に対する資金供給に貢献した。
(ところで、私はハミルトン・フィッシュ[1888-1991]による「FD・ルーズベルト-そのコインの裏側」を推薦する。フィッシュはアレクサンダー・ハミルトンの祖先[訳注:「子孫」といいたかったのかも知れない?]の一人である。私は彼の祖父「レクシー」を知る恩恵に浴していた。)
元記事は
19.Paul Cravath
http://www.geocities.com/cliff_shack/mary/mary19.html
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ところで、少年Aの検事調書によると、11年前の今日は、土師淳の遺体の首を、少年Aが糸ノコ(だか金ノコだか?)によって、切断したそうです。第二頸椎のところで、すぱっと。(苦笑)
すぱっと。それもcervical spineの上から2番目の下側である。
こんなものがまかり通るわけだから、1994-5年の松本・地下鉄サリン事件や、阪神淡路大震災の奇妙さとも相まって、世の中がわかるようになってしまったのでした。いや、エイズも書いとかないといけないが。
おかげさまで、911の嘘はすぐにわかりました。
おまけ
by oninomae | 2008-05-25 10:24 | イルミナティ