フォトギャラリー:メアリー・ピンチョー・マイヤー。知りすぎていた大統領の愛人 by Clifford Shack

大統領と彼の愛人

JFケネディ、メアリー( 左端 ) 、トニーとルースとともに、1963年。
.この写真を撮影した後、大統領は、メアリーとトニーの赤ん坊時の写真を彼らの母親と一緒に見に、ピンチョーの邸宅に引っ込んだ。

メアリー・ピンチョー、 1938年にニューヨークで初舞台を踏む女優として

メアリーと夫コード・マイヤー・ジュニア[1920-2001]

メアリー( 左 )と妹、トニー

メアリー( 左 )とトニー

メアリー&コード・マイヤー

グレイタワーズ。
ピンチョー地所での生活は、格式張ってもおり、また自由奔放でもあった。女性たちは裸で日光浴し、家族たちはアメリカの著名な作家、アーティストや政治的人物達を歓待した。メアリーは、ミルフォード、PAで育った。


メアリー、 1960年代初期。
メアリーの実験的な気分は、彼女を、LSD、ハーバード大学の教祖ティモシー・リアリー[1920-96]、そして抽象画へと導いた。

メアリー、 1944年の雑誌マドモアゼルのレポーターとして。

メアリー、夫が出席していたルクセンブルクでの世界連邦会議で。

メアリー、彼女のポニーと。

メアリーの父親、アモス・ピンチョー [1872-1944]

メアリーの母親、ルース・ピンチョー

ジョージタウン引き船道、1964年10月、そこでメアリーは殺害された。ウォーレン委員会(報告書)が公表された、わずか2週間後であった。
権力者達は、メアリーがその報告書は八百長だと知っていて、彼女がしゃべるだろうと危惧した。 彼女は彼女の日課の散歩中、白昼に撃たれた。
ジェームズ・アングルトンは彼が破壊することになった彼女の日記を回収しようと急いだ。

これはレイ・クラム、この哀れな男は、その場所で釣りをするためにたまたまそこにいた。当局は、その殺人を彼にこじつけようと努めた。

ジェームズ・ジーザス・アングルトン、 CIAの防諜主任、は、彼女の死後、メアリーの日記や個人的な書類の管理を担当し、彼女の日記を破壊した。
彼は後に、彼が彼女の電話に盗聴器を仕掛け、彼女の寝室を盗聴したと自慢した。
元記事は
Photo Gallery :Mary Pinchot Meyer, The Presidential Mistress Who Knew Too Much
http://www.geocities.com/cliff_shack/photogallery-mpm.html
by oninomae | 2008-05-15 20:28 | イルミナティ