ニューヨーク連邦準備銀行の大株主(続編) by ユースタス・マリンズ
1914年のニューヨーク連邦準備銀行の2番目の大株主ファースト・ナショナル・バンクは、銀行の設立者ジョージ・F・ベイカー[1840-1931、ブッシュ政権時代の国務長官・首席補佐官の祖父]が2万株、彼の息子G・F・ベイカー・ジュニアが5000株で、銀行の全株式10万株のうちの25%を占めていたが、重役会のモルガン家の代表団ゆえに、一般的には「モルガンの銀行」として知られていた。

ジョージ・F・ベイカー・シニアの娘はロンドンのジョージ・F・セント.ジョージと結婚した。セント・ジョージはのちに合衆国に住み、彼らの娘キャサリン・セント・ジョージ[1894-1983]は長年にわたって著名な女性議員となった。

E・M・ジョセフソン博士は次のように記述している(前出『フランクリン・D・ルーズヴェルトの奇妙な死』)。
「『民主主義は失敗』というのが、フランクリン・D・ルーズヴェルトの実のいとこでニューディーラーのセント・ジョージ夫人のことばであった」
ジョージ・ベイ力ー・ジュニアの娘エディス・ブレヴォート・ベイカーは、ジェイコブ・シフ

の孫であるジョン・M・シフ[1904-87]と1934年に結婚した。ジョン・M・シフは現在(引用注:1980年代のことでしょう)リーマン・ブラザーズ-クーン・ローブ商会の名誉会長である。
1914年のニューヨーク連邦準備銀行の三番目の大株主は、25万株を取得したナショナル・バンク.オブ・コマースである。
J・P・モルガンはまた、ナショナル・バンク・オブ.コマースの2万4700株をもつエクイタブル生命保険会社と1万7294株をもつミューチュアル生命保険会社の支配的株主になることによって、ナショナル・バンク・オブ・コマースの1万株を所有した。その内訳は、J・P・モルガン商会(7800株)、J・P・モルガン・ジュニア2100株)およびモルガンのパートナーであるH・P・デーヴィソン(1100株)であった。
連邦準備制度理事会の議長であるポール・ウォーバーグもまた、ナショナル・バンク・オブ・コマースの3000株を所有していた。

この銀行は、ロンドンのジュニアス・S・モルガン商会の子会社、ロンドンのN・M・ロスチャイルド商会、およびロスチャイルド家の筆頭代理店として知られるクーン・ローブ商会によって明らかにコントロールされていた。
1914年には、金融業者トーマス・フォーチュン・ライアン[1851-1928]もまたナショナル・バンク・オブ・コマースの5100株を所有していた。

彼の息子ジョン・バリー・ライアン[1874-1942]はオットー・力ーン[1867-1934]の娘と結婚した。力ーンはクーン・ローブ商会では、ウォーバーグとシフのパートナー(共同経営者)であった。

ライアンの孫娘ヴァージニア・フォーチュン・ライアン[b.1933]はエアリー(Airlie)卿[b.1926]と結婚した。エアリー卿は、ロンドンとニューヨークのJ・ヘンリー・シュローダー銀行の現在(引用注:1984-1997の間務めていたようです)の頭取である。
1914年のナショナル・バンク・オブ・コマースのもう一人の重役であるA・D・ジュラードは、A・D・ジュラード商会の会長であり、ニューヨーク生命保険会杜とギャランティ・トラストの評議員であった。

これら3社はJ・P・モルガンの完全な支配下にあった。さらにジュラードは、ノース・ブリティッシュ・アンド・マーカンタイル保険会社の重役であり、英国コネクションにつながっていた。また、ナショナル・バンク・オブ・コマースの3000株を所有し、ケミカル・バンクの重役でもあった。
マシュー・ジョセフソンの『泥棒貴族』は、1900年までにモルガンが代表となっていたニューヨーク生命保険会社、エクイタブル生命保険会社およびミューチュアル生命保険会社は、10億ドルの資産を所有し、1年に5000万ドルの投資資金を手に入れていたと述べている。
ジョセフソンは次のように書いている。
「この秘密同盟作戦で、彼(モルガン)はナショナル・バンク・オブ・コマースの直接の支配権を獲得した。それは、ファースト・ナショナル・バンクの頭取で非常に強力かつ保守的な金融業者のジョージ・F・ベイカーと同盟しながら獲得した部分的な所有権であり、こうした株式の所有権と兼任重役会という手段で、第一級の主要なその他の銀行、すなわちハノーヴァー、リバティ、チェースといった名門銀行と同盟関係を結んだ」(409ぺージ)
E・H・ハリマン[1848-1909]

の未亡人メアリー・W・ハリマンもまた、1914年にナショナル・バシク・オブ・コマースの5000株を所有した。E・H・ハリマンの鉄道帝国の資金は、クーン・ローブ商会のジェイコブ・シフによって全額融資された。

レヴィ・P・モートン[1824-1920]も1914年にはナショナル・バンク・オブ・コマースの1500株を所有していた。

彼は、合衆国第22代副大統領[1889-93]と駐フランス公使[1881-85]の経験もあり、ニューヨークのL・P・モートン商会およびロンドンのモートン-ローズ商会、モートン・チャップリン商会の会長であった。彼はまた、エクイタブル生命保険会杜、ホーム保険会社、ギャランティ・トラストおよびニューポート・トラストの重役でもあった。
ユースタス・マリンズ 「民間が所有する中央銀行」 第6章 ロンドン・コネクション p180-183より
参照
ウォーバーグ一族: (フォトギャラリー) by Clifford Shack
http://satehate.exblog.jp/7966411/

お札でわかる911と世界人間牧場
http://satehate.exblog.jp/6942545/

↑なるべくしてこうなりました。




by oninomae | 2008-05-11 18:41 | イルミナティ