秘密結社「円卓会議」の合衆国代表モルガン・グループ by ユースタス・マリンズ
ヨーロッパのロスチャイルド家が合衆国ではJ・P・モルガン商会の陰に隠れて匿名で操作することを選んだ理由は、ジョージ・ウィーラーの『ピアモント・モルガンと友人たち--ある伝説の解剖』(プレンティス・ホール社、ニュージャージー、1973年)という本の17ページに次のように説明されている。
「しかし、金融の沈滞から彼を引きだすためには、いまなお踏むべきステップがあった。そしてそれはピアモント・モルガン彼自身によって行われるものではなかった。準備資金を再充電する役割を彼に指令する最初の示唆は、ベルモントの雇い主であるロスチャイルド家のロンドン支店から発せられた」
ウィーラーの説明は、ヨーロッパやアメリカではロスチャイルド一族の銀行活動に焦点を当てたかなりの反ロスチャイルド運動が広がった、とつづく。
たとえ彼らは合衆国に登録された代理人オーガスト・ショーンバーグ(Schoenberg)--1837年にロスチャイルド家の代表として合衆国にきたとき名前をベルモントと変更した--がいたとしても、
ロスチャイルドの代理人として知られていないアメリカの代理人をもつことが彼らにとって非常に有利であった。
ロンドンのジュニアス・S・モルガン商会は、いぜんとしてモルガン商会の支配的支店としての地位を維持していたが、リヴィエラでの馬車の事故で1890年に初代のモルガンが亡くなったことにより、ジョン・ピアモント・モルガンが企業の頂点に立った。
1864年から1871年までロンドン企業のアメリカ代理店としての業務をダブニー・モルガン商会で行ったのち、モルガンは1871年にフィラデルフィアのアンソニー・ドレクセルを新しいパートナーとして迎え入れ、ドレクセル・モルガン商会として1895年まで業務を行った。ドレクセルはその年に亡くなり、モルガンはアメリカ支店の名前をJ・P・モルガン商会に変更した。
ラルーシュによると(前出『麻薬株式会社』)、
1891年2月5日にセシル・ローズは、
彼の銀行家のロスチャイルド卿とロスチャイルド家の姻戚であるローズベリー卿とカーゾン卿によって、ロンドンで円卓会議(ラウンド・テーブル)グループとして知られる秘密組織を結成した。
合衆国における円卓会議はモルガン・グループによって代表されていた、と彼は述べている。
キャロル・キグレー博士は『悲劇と希望』(マクミラン社、ニューヨーク)のなかで、円卓グループを「英-米秘密結社」と見なし、次のように述べている。
「この組織の主要なバックボーンは、ニューヨークのモルガン銀行から(1901年における)ラザール・ブラザーズが率いるロンドンの国際金融家グループにいたるまで連続してすでに存在していた金融共同体にそって成長した」
『ゲームの人質』(自費出版、1956年、60ページ)のなかで、ウィリアム・ガイ・カーは次のように述べている。
「1899年に、J・P・モルガンとドレクセルは国際銀行家会議に出席するために英国に行った。彼らがもどってきたとき、J・P・モルガンは合衆国におけるロスチャイルド財閥の総代理人として指名された。ロンドン会議の結果として、ニューヨークのJ・P・モルガン商会、フィラデルフィアのドレクセル商会、ロンドンのグレンフェル商会、そしてパリのモルガン・ハージェス商会、ドイツとアメリカのM・M・ウォーバーグ商会、そしてロスチャイルド家はすべて関連会社となった」
ピーボディのロスチャイルドとの関係、およびJ・P・モルガン家がロスチャイルド家とつねに関係を持っていたという事実を明らかに知らなかったため、カーは1889年にこの関係が生じたと考えたが、実際には1835年*までさかのぼる。
--
注* 1930年7月30日発行のマクファデン著『経済条件の管理の基礎』には、次のようにある。前述の小集団[国際銀行家会議]による世界のビジネス構造と人類の幸福および発展のコントロールは大衆のもっとも強い関心事である。その分析は、J・P・モルガン商会の周辺を取りまく内部グループからはじめなければならない。この当時のモルガン・グループには、金融、工業生産、信用および賃金に対してかつてないほど強力で集中的な支配力が存在していた。・・・・・モルガンによる連邦準備制度のコントロールは、ニューヨーク連邦準備銀行の経営支配をとおして行われた。
--
(以下、訳書に抜けている部分追加)
第一次世界大戦後には、円卓会議は、合衆国では外交問題評議会(CFR)として、そしてロンドンでは王立国際問題研究所(RIIA)として知られるようになった。英国においても合衆国においても、指導的な政府官僚はそのメンバーたちから選ばれた。 1960年代には、CFRの超政府的活動に関心が集中的に高まったため、同等の金融的利益を代表する三極委員会とビルダーバーガーズとして知られる補助的なグループが、活動を開始した。ロバート・ローザ[1918-93]のようなより重要な高官たちは、これらのグループすべてのメンバーであった。
ユースタス・マリンズ 「民間が所有する中央銀行」 第5章 ロスチャイルド家 p150-153より
by oninomae | 2008-03-15 20:02 | イルミナティ