奴隷貿易で財を成したジョージ・ピーボディ商会 by ユースタス・マリンズ
米国金融業界でJ・P・モルガンやブラウン企業が突出した存在となった発端は、19世紀の奴隷貿易の中心地ボルチモアの発展にまでさかのぼることができる。

これらの企業はボルチモアに起源をもち、ロンドンに支店を出し、ロスチャイルドの保護を受け、そして米国にもどってニューヨークに支店を開設し、金融だけでなく、政治においても支配的勢力となった。





近年、国防長官のような重要なポストが、ブラウン・ブラザーズ・ハリマンのパートナーであるロバート・ラヴェット、

およびJ・P・モルガン商会の子会社であるドレクセル商会のパートナーのトーマス・S・ゲイツによって占められた。

現在の副大統領[レーガン大統領時代の話、のちに大統領]ジョージ・ブッシュの父は、長年にわたってコネチカット州選出の上院議員であり、


長い間重役であったコロンビア・ブロードキャスティング・システム(CBS)の金融のまとめ役であり、

ブラウン・ブラザーズ・ハリマンのパートナーでもあった

プレスコット・ブッシュである。

これらの企業がなぜ今日活動しているのか理解するためには、その起源にかんする簡単な歴史を知る必要がある。
J・P・モルガン商会がジョージ・ピーボディ商会としてスタートしたことを知っているアメリカ人は少ない。
マサチューセッツ州のサウス・ダンヴァースに生まれたジョージ・ピーボディ[1795-1869]は、1814年にジョージタウンDCでピーボディ・リグス商会として事業を開始し、衣類の卸売りとジョージタウン奴隷市場の運営を行った。1815年、供給源に近づくためにボルチモアに移り、そこで1815年から1835年までピーボディ・アンド・リグスとして営業した。

ピーボディは徐々にロンドンに源を発する業務にかかわるようになり、1835年にジョージ・ピーボディ商会をロンドンに開設した。
リバプールに設立されたもう一つのボルチモアの会社であるブラウン・ブラザーズを通じて、彼はロンドンのビジネスにうまく参入した。



アレクサンダー・ブラウン[1764-1834]は1801年にボルチモアに移り、合衆国最古の銀行としてしられ、いまも営業しているブラウン・ブラザーズ・ハリマン・オブ・ニューヨーク、ブラウン・シップレイ・アンド・カンパニー・オブ・ロンドンおよびアレックス・アンド・ブラウン・アンド・サン・オブ・ボルチモアを設立した。

この会社によって行使された権力の舞台裏は、何年にもわたってイングランド銀行の総裁[1922-40]をつとめたサー・モンタギュー・ノーマン[1871-1950]がブラウン・シップレイ・アンド・カンパニーのパートナーであったという事実が示している。


「ブラウン・シップレイの役員の一人がイングランド銀行の理事を兼務するというのが非公式の了解事項である。ノーマンは1907年に選任された」(モンタギュー・ノーマン著『最新自伝』1940年)
世界で唯一のもっとも影響力のある銀行家であるという認識のもとに、モンタギュー・ノーマンは1927年に中央銀行の総裁による[非公式会談」を開催した。そして、このことが1929年の株式市場の大暴落を直接引き起こしたのである。

ユースタス・マリンズ 「民間が所有する中央銀行」 p141-143より
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現在再び、彼らは、第三次世界大戦、世界統一政府、世界統一通貨に向けてお芝居をしているところだと思われる。
ない金を貸した人間はなんともない。ないものを売りつけられた人間がパニックとなっていく。
ないものを売りつけた人間は、ない金を貸した人間と同じ仲間である。





by oninomae | 2008-03-12 20:55 | イルミナティ