ジョン J. マクロイを理解する by Clifford Shack
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マクロイの抜け目のない母親は、彼女の息子に機会を提供する決意をした。
彼女は、夏の休暇期間中のスーパーリッチ達のヘアドレッサーだった。
彼女の"頭"の1つはクーン・ローブのジェイコブ・シッフ[1847-1920]の妻だった。
シッフの家族はフランクフルトでロスチャイルド家と隣あわせに住んでいた。
ジョン・マクロイは、ティーンエージャーとして、J.D.ロックフェラーJr.の5人の息子達にセーリング・レッスンをしただろう。彼は彼らの特別なトラブル・シューターになった。
マクロイ、大学新入の若者時代。
マクロイの母親は倹約して貯蓄して、彼女にできる最高の教育を彼に提供した。
投資銀行クーン・ローブ商会からの2人のマクロイの顧客 -オットー H. カーン[1867-1934](左)とベンジャミン(右)、 -1930年代に、上院で証言しているところ。
上院の調査委員会は、1920年代と30年代の様々な鉄道の破産に対する取り扱いにおけるマクロイの役割を批判した。
マクロイは投資家を法律的な無意味さに埋もれさせて混乱させた。そうでなければ簡単な説明書を彼らが読み違えるように。
マックス・ローウェンタールによると、マクロイが関与していた<投資家の報酬(投資家は儲かる)>とよばれるケースのうちの1つについて、のちに小さな本を書いた上院調査官の一人は、もし普通の投資家が「(マクロイにより立案された)その文書の探検を試みた場合、彼は無神経な言葉のジャングルの中で死ぬだろう」 ことを観察している。
「この文書は目次や索引がまったくなかった(妙にウォーレン委員会報告書に似ている)。
その言語は不可解以外なにものでもない。一文が2250語にもわたっている。
提案された財産管財人による管理の文書全体を通して埋設されたものは、この基本的事実である: いかなる株主も財産管理に参加するためには、彼は無条件の委任状を銀行家に与えねばならない...
誰もこの単純な事実をその文書のなかに見つけることができなかったので、その鉄道オークションにおいて、クーン・ローブのもの以外の入札はなかった。
関与した弁護士や銀行は、独立した鉄道投資家達につかませる欺瞞を過剰に高揚させた。
マクロイは英雄だった。
マクロイのスキルがクーン・ローブに再び求められるだろう。JFケネディの暗殺の「調査」を行う(指揮する)ために。
目次はあったが、ウォーレン報告書には索引がなかった。
ウォーレン報告書は、煙に巻き迷わすためにデザインされた。解明・啓発のためではない。
どうしてそんなことが?
もし真剣な調査が行われた場合、ウォーレン委員会のうちの2人、ジョン J. マクロイとアレン・W・ダレス[1893-1069]がケネディ暗殺に直接関与していたことが結論づけられただろう。
まず、ウォーレン委員会は、不思議な偶然の事実を調査しなかった。リー・ハーヴェイ・オズワルドのダラスの女家主、グラディス・ジョンソン、はメアリー・バンクロフトの親友だった。アレン・ダレスの愛人の・・・
1915年、マクロイはニューヨーク、プラッツバーグの"億万長者キャンプ"と称されるエリート軍キャンプに入会した。ルシタニア号の沈没によって触発され、一部バーナード・バルーク[1870-1965]に資金を提供されて。
1917までには、マクロイはプラッツバーグの3年次ベテランだった。
彼は誰もがなりたい副官になった。彼のメンターであったろう一人の男、准将ガイ・H・プレストンの。
プレストンは、荒々しい経歴の騎兵隊将校で、スー族インディアンとのダコタの戦いでの彼の戦闘話でマクロイを大いに楽しませた。(1890年12月には、少尉プレストンは、ひざの負傷で彼の"勇気と持久力"を"表彰"された。そこでは少なくとも153のスー族の男性、女性、子供たちが虐殺された) 。マクロイはプレストンにとても好意をいだくようになった;長年にわたって、将軍は一人の父親像になった。プレストンがマクロイへの彼の手紙の署名を「愛する父より」と始めだすところまで。
「お父さん」は間違いなく、彼の息子の「勇気と持久力」を誇りに思ってきただろう。マクロイが死の収容所への導く鉄道への爆撃をサインしないという「失敗(怠慢)」によって促進した、ハンガリーのユダヤ人をアウシュビッツへ輸送するというという大虐殺の間。
1916年7月に、 1000トンの弾薬がニューヨーク港のブラックトム島で爆発した。
1930年、マクロイは、責任を負う者は誰かを発見する任務を"割り当てられた"。
彼は、彼の人生の次の9年間を、英国とドイツの諜報局周囲を探偵してすごした。
彼の"捜査"中、1936年のベルリン五輪では、ナチスの高官ルドルフ・ヘスとヘルマン・ゲーリングの招待で、マクロイはアドルフ・ヒトラーのボックスに座っていた。
私に言わせていただければ、ブラックトム捜査、結局最終的には何の成果もなかったが、それはマクロイのカバーストーリー以外のなにものでもない。彼は来るべき戦争に助力したのだから。
私は彼を思い描く。ウォーバーグマンとして、多くの法的・戦術的な問題についてナチスを助けていたと。
人種的純血法から、ヨーロッパのユダヤ人の駆除まで。
結局のところ、彼の義理の父親が第一次世界大戦中、毒ガスを製造した。彼の義理の兄弟が、チクロンB製造元のアメリカンサイアニミッド社の副社長だった。彼の妻のいとこは、「ラット・シラミ・歴史」という本を書いた絶滅・駆除の世界的権威だった(訳注:Hans Zinsser [1878-1940]のこと)。
たぶん彼は、戦後のコネクションを作っていたのだ。
結局、彼の妻の親戚のひとりは、コンラート・アデナウアー[1876-1967]と結婚した。アデナウアーは偶然にも戦後西ドイツの首相になることになった。
政治で偶然に起こることは何もないと言ったのはルーズベルトだった...
ヘンリー・モーゲンソー財務長官(右)はマクロイを<ユダヤ人迫害者>と呼んだ。なぜなら、マクロイは、次官補として、戦争努力から離れて欧州のユダヤ人の救出にいかなる軍事的資源を転ずることにも消極的でしぶっていたから。
もし彼が知ってさえいれば・・・
(訳注:ただ、モーゲンソーも「役者」だった可能性も高い。なにしろ、財務長官である)
マクロイ、戦争次官補(副長官)として、スティムソン戦争長官、パットン将軍とともに。
<写真欠落中>
マクロイとパットン将軍(暗殺されたとうわさされる前) 参考2
マクロイはHICOG(ドイツの高等弁務官)に任命された。マクロイの、占領ドイツの「最初の家族」。ミュンヘンのタウンホールで、バイエルン[Bavarianです]輸出週間を支援して大ジョッキのビールを飲み下す。
ドイツ経済の復興を励ましながら、マクロイは時に彼の「嫌悪」を抑えねばならなかった。
彼は、かつてドイツ財界人のグループに怒りをあらわにしながら講義した、 「戦争とそれに続いたあらゆる悲惨を思い出せ・・・ それはドイツの土壌に生まれて育てられた・・・あなた達のビールに涙を流すな」
なんてうそだ。
私に言わせていただければ、、ロンドンがその発祥の地だった。
より正確には、スイッチンス通り。
東ドイツ共産主義者のパレード;西ドイツ首相のコンラート・アデナウアーに命令を口述するHICOGのマクロイの戯画とともに。
アデナウアーが、マクロイの妻の親戚だとは、彼らはほとんど知らなかった。
アルフリード・クルップは、ニュルンベルクで戦争犯罪の有罪判決を受けた。
1951年に、マクロイはクルップに寛大な処置を認め、彼の私的財産を回復した。
ショックを受けたエレノア・ルーズベルトはマクロイに書いた: "なぜ我々は非常に多くのナチスを解放しているのですか?
もし彼女が知っていさえすれば・・・
マクロイと彼の反ユダヤ(反セム)主義の義理の兄弟ルー・ダグラス[1894-1074]。
マクロイがドイツを統治しているあいだ、ダグラスはロンドンでトルーマンの大使を務めていた。
戦争前にはジョセフ P. ケネディが着いていた地位。
アメリカを「銀行屋の戦争」の外側に守っておこうと最善の努力をしていたケネディはルーズベルトに解雇された。
なるほど確かに、ジョー・ケネディは彼のロンドン時代に高い地位にいる敵を作った。彼らは復讐するだろう・・・
チェース銀行の頭取として、マクロイ-デビッド・ロックフェラー[b.1915]の左側に、ジョージ・チャンピオン、およびスチュワート J. ベーカー、-は1955年、そのロックフェラーに支配された銀行を、ウォーバーグ支配下のマンハッタン銀行と合併させることで、チェースマンハッタン銀行を形成し米国第2位の銀行に変えた。
JFケネディはチェースマンハッタンに友人を持たなかったと言えば十分だろう・・・
ウォーバーグ・ロックフェラーの利益代理人として、マクロイは大統領執務室へアクセスできた。当時そこに誰が座っているかにかかわりなく。
ここでは彼はLBジョンソンと共に。
マクロイとジミー・カーター。
続く・・・ ↓(たぶんこれです)
McCloy/Zinsser Holocaust Connection
Did John J. McCloy and His Relatives Consult Hitler Jewish Extermination Program for the Benefit of the Supra-National Global Elite?
http://www.geocities.com/cliff_shack/zinsser.html
元記事は
The Rothschild/Warburg/Rockefeller Agent Who Refused to Bomb the R.R. Tracks Leading to Auschwitz.
Photo Gallery :Understanding John J. McCloy
http://www.geocities.com/cliff_shack/photogallery_mccloy.html
by oninomae | 2008-01-15 23:19 | イルミナティ