イスラエル:暗黒の源流 ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 7b
第7部 ナチス・ドイツを育てた米国人たち 続き
1933: 1月4日に、ヒトラーが企業家グループによってシュレーダー銀行(Schroeder Bank)に招待された。企業家達はヒトラーに資金を与えて経済的な困難を克服させ、その代わりに労働組合の破壊を約束させた。この会議の出席者の中に2名の米国人がいた。ジョン・フォスター・ダレス、アレン・ダレス である。
ヒトラー が権力を握る。
マックス・ワーバーグがプレスコット・ブッシュによってHamburg- Amerika Lineの重役会のAmerican Ship & Commerce Line公式代表に選ばれた。ワーバーグは長期間,ナチの経済長官でありthe Reichsbankの重役だったヒャルマル・シャハト(Hjalmar Schacht)の顧問だった。ワーバーグはまたモンタギュー・コレット・ノーマン の親友でもあった。
米独間のすべての貿易を調整する合意が、ヒトラーの経済相ヒャルマル・シャハトとジョン・フォスター・ダレスとの間での交渉の後に、ベルリンで結ばれた。その結果、アヴェレルの従兄弟であるオリバー・ハリマン (Oliver Harriman)が、ドイツ・米国間のあらゆる取り引きを進めるために150社のシンジケートを作り上げた。
North German Lloyd Co.がハンブルグでHamburg-Amerika Lineと合併した。長期間ハリマンの重役を務めたクリスチャン・ベック(Christian Beck)がこの新しく合併した会社のために北米で「普通貨物輸送任務」の責任者として据えられた。熱心なナチであるエミル・ヘルフェリッヒ (Emil Helfferich)がこのHapag-Lloydと呼ばれた新会社の会長となった。ナチの保安要員が今やこの会社のあらゆる船に乗り込んだ。
ウイリアム・S.ファリッシュ(William S. Farish)がジョン・D.ロックフェラーによってStandard Oilの会長に指名された。ファリッシュはI.G. Farbenの会長ヘルマン・シュミッツ(Hermann Schmitz)の親友である。ファリッシュは、親I.G. Farbenと親ナチ・プロパガンダを書いて米国の新聞に載せるためにアイヴィ・リー(Ivy Lee)を雇った。彼はナチス・ドイツの船員をStandard Oilのタンカーに雇った。加えて、彼はthe Hamburg-Amerika Lineの会長エミル・ヘルフェリッヒを同時にStandard Oilのドイツ支社長として雇った。Hamburg-Amerikaの役員であるカール・リンデマン(Karl Lindemann)も同様にFarish-Standardのドイツ側最高役員となった。ファリシュとプレスコット・ブッシュのつながりがある小さなヒトラー支持グループの中で作られた。エミル・ヘルフェリッヒとカール・リンデマンの両者は、Standard Oilの特別取引会計について、ナチSSの長官ハインリッヒ・ヒムラー(Heinrich Himmler)に手形を切る権限を与えられた。この取引は、ドイツ・英国・米国をまたぐ銀行家カート・フォン・シュレーダー(Kurt von Schroeder, Schröder)によって運営された。作家アンソニー・サットン(Anthony Sutton)が調査した米国の諜報記録文書によると、ヘルフェリッヒ は、SSがStandard-I.G. Farben、つまりアウシュヴィッツやその他の強制収容所での大量虐殺を監視していた1944年に入っても、SSに対する支払いを続けていた。
戦後にヘルフリッヒ は連合軍に対して、これらは彼の私的な仕事ではなくStandard Oil資金に対する作業であったことを語った。
1934: 米国上院Nye委員会の公聴会は、Remington Armsの会長でUBCおよびthe American Ship & Commerce Corpの創始者サミュエル・プライヤー がI.G. Farben とのカルテルの合意に参加していたことを明らかにした。同委員会はまたナチスが大部分米国製の武器で武装していることを暴露した。
Ethyl Corporation の社長E. W. ウエッブ (Webb)は、ワシントンが「ドイツの中で四エチル鉛【ガソリンの燃焼効率を高める物質】を製造するためにI.G.と共にドイツの会社を作る」意図について知らされているという忠告を受けた。戦争省(The War Department)はこの技術移転に対して相当の批判があることを示唆した。そしてEthyl Company陸軍航空部隊から「貴殿またはEthyl Gasoline Corporationの重役会は四エチル鉛の製造に関連するあらゆる機密あるいは"ノウハウ"をドイツに対して無条件で明らかにすべきだ」と忠告を受けた。
ヒトラーによる厳しいドイツの統制の中で、Thyssen-Flick連合からの利益は1億【ドル?】にまで膨らんだ。Union BankおよびBank voor Handel en Scheepvaartはともに資金に満ち溢れていた。プレスコット・ブッシュ はUnion Bankの経営責任者となり日々ドイツとの取引に明け暮れた。
ジョン・フォスター・ダレスはおおっぴらにナチの哲学を支持していた。1935年に彼はthe Atlantic Monthly誌に「平和への道」と題される長文の記事を書いた。彼はドイツが秘密裏に進める再武装を自由の回復として弁護した。彼がInco【不明:企業活動のことか】とドイツの兵器産業に関連して何を行ったのかは知られており、ダレスはドイツとイタリアと日本の平和への意思を確信するようにミスリードしていたのである。1930年代の末期にダレスは親ナチ・グループAmerican Firstの組織化に力を尽した。パール・ハーバーの1ヶ月前に彼は5百ドルをグループに寄付した。後に彼はこのグループとは無関係であると主張した。ダレスはドイツがポーランドに進攻するときに至ってもナチを支持し続けた。ダレス はポーランドへの侵略をポーランドの方にその責任があるかのように弁解した。
1935: Ethyl CorporationはドイツでI.G. Farben と共同でEthyl G.m.b.H.を設立することに合意し、ファシスト・イタリアではMontecatiniと四エチル鉛の共同製造について合意した。この技術移転の時期にいたEthyl Gasoline Corporationの幹部達は、社長で責任者のE.W. ウェッブ(Webb)、C.F. ケターリング(Kettering)、R.P.ラッセル(Russell)、Standard Oil of New Jersey社員でロウズベルトのGeorgia Warm Springs Foundationの管財人である W.C. ティーグル(Teagle)、 F. A. ハワード(Howard)、Standard Oil of New Jersey社員E. M. クラーク(Clark)、A. P. スロアン・ジュニア(Sloan, Jr.)、D. ブラウン(Brown)、J. T. スミス(Smith)、そしてStandard Oil of New Jersey社員W.S. パリッシュ (Parish)である。
ジョン・フォスター・ダレスは、ミズーリのUnion Electric Company事件で寸でのところで起訴を免れた。この会社は投資会社North America Companyの支店である。証券取引委員会(SEC)は議員を買収する資金を捜査していた。この会社はその法律家と保険会社からキックバックを受け取っていた。そしてミズーリ州全体の議員を買収していたのだ。証券取引委員会の委員長トラヴィス・レイン(Travis Lane)は、最高裁がダレス を有罪としなかったことを、それが彼の魅力なのだ、と皮肉っぽく語った。
ドイツでニュルンベルグ法が可決されホロコーストへの道が開けた。
1936: Schroeder Bank in New York【シュレーダー(Schroeder、Schröder)は英国や米国では通常シュローダー(Schroder)と呼ばれる】はロックフェラーと合体し、Schroeder, Rockefeller & Company, Inc.が創設された。Schroeder BankのCarlton P. Fullerが社長となりアヴェリィ・ロックフェラー が副社長となった。
1937: この年の1月末までに、ダレスは自分の活動を一つの取引業務に集中させた。Brown Brothers Harriman-Schroeder Rockでの活動である。Schroederはもちろんナチの銀行であり、ダレスはその役員だった。この'Rock'というのはロックフェラーのStandard Oilである。そこはすでにナチとの取引を熱心に進めていた。プレスコット・ブッシュの要求でダレスはブッシュ=ハリマン のナチスとの取引に関与していた。
1939: ヒトラー がポーランドに侵入して欧州での戦争が開始。
ファシストの娘マルタ(Martha)がアヴェレル・ハリマンの甥であるエドワード・ハリマン・ゲリー (Edward Harriman Gerry)と結婚。
Consolidated Silesian Steel Corporation【参照1926年】はポーランドの町Oswiecimの近くにあった。ソヴィエトの囚人を労働力として使う計画が失敗したときに、ナチスはユダヤ人、共産主義者、ジプシーやその他の少数民族をナチが作った収用所に運んだ。これがアウシュヴィッツの始まりである。アウシュヴィッツがこの場所に作られた理由はそこに石炭の供給が豊富でありそれから航空機燃料を製造できたためだが、I.G. Farben【参照1933年】は石炭の埋蔵地が近いだけでなくアウシュヴィッツでの奴隷労働力の供給があることを利用してすぐにアウシュヴィッツの近くに工場を作った。ドイツの諜報員によると、プレスコット・ブッシュ はポーランドでの奴隷労働の一部を運営したのである。
1940: アレン・ダレスがSchroeder Bankの役員となる。ジョン・フォスター・ダレス はSchroeder Bankの法律顧問として務めた。Schroeder Bankはナチスの資金面での武器として活動した。
1941: パール・ハーバーが爆撃され宣戦布告がなされる。
1942: 米国合同資産管理局(US Alien Property Custodian)のレオ・クローリー(Leo Crowley)は、8月にHapag-Lloyd【参照1933年】の全財産を差し押さえる命令を出した。10月にはニューヨークのUnion Banking Corpの株が差し押さえられたのだが、その株主は、会長のE.ローランド・ハリマン、社長のコーネリス・リーヴェンス(Cornelis Lievense:ナチスの銀行資産管理人)、会計担当者ハロルド・D.ペニントン(Harold D. Pennington:Brown Brothers Harrimanに所属)、役員レイ・モリス(Ray Morris:Brown Brothers Harrimanに所属)、役員プレスコット・S.ブッシュ、役員H.J.コウエンホウヴェン(H.J. Kouwenhoven:German Steel Trustの海外資金担当主任)【参照1926年】、役員ヨハン・G.グレニンガー (Johann G. Groeninger:ナチ・ドイツで産業担当の高官)。
同月、米国政府はさらに他の2社を差し押さえた。Union Bankによって運営されるSeamless Steel Equipment Corp.およびHolland-American Trading Corpである。
11月には、Silesian-American Corpのナチ資産が差し押さえられたが、米国人のパートナーの分は仕事を続けるために残された。会社全体を差し押さえることが戦争遂行にとって有害だったのかもしれない。
この年の5月25日に、米国司法次官サーマン・アーノルド(Thurman Arnold)は、ウイリアム・スタンプス・ファリッシュ【参照1933年】がナチスとの犯罪的陰謀の容疑に対して「返答できない」と抗弁したことを告げた。ファリッシュ はStandard OilとI.G. Farbenとの間のカルテル合意で筆頭運営者だった。このカルテルはアウシュヴィッツでの奴隷労働を利用して石炭からガソリンや合成ゴムを作る工場を建設したのである。
Standard Oilのドイツ支部であるDeutsche-Amerikanische Petroleum A.G. (DAPAG)は、Standard Oil of New Jerseyが94%を所有していた。DAPAGの社長でありヒムラーの友愛会のメンバーであるカール・リンデマン【参照1933年】がナチズム・サークル内でStandard Oil of New Jerseyの代表を務めたのである。さらに重役で元々ケプラー・サークル(Keppler Circle)のメンバーであるエミル・ヘルフリッヒ(Emil Helfrich)もその代表格であった。カール・リンデマン のコネクションは数多くの銀行の役員として国際的な銀行業務に広がった。その中には、Dresdner Bank、Deutsche Reichsbank、そしてナチが作った民間銀行C. Melchior & Companyがある。
1945: 財務省は議会に対して、United Steelが【参照1922年】ナチスの軍需物資の中で次のパーセンテージを製造したことを明らかにした。銑鉄50.8%、パイプおよびチューブ45.5%、汎用鋼板41.4%、メッキ板38.5%、厚板36%、爆弾35%、ワイヤー22.1%。ここはプレスコット・ブッシュが銀行家として関与していた会社である。事実上、プレスコットはヒトラー の米国人銀行家であった。
アレン・ダレスは、押収された一部のナチ文書の管理を任された若い海軍士官を探し出した。もしその文書が表ざたになっていたのなら、それはダレスが国賊であることを明らかにしていたかもしれない。文書を葬るために、ダレスはその若者が政界に一歩を踏み入れる資金を提供する約束をした。これがリチャード・ニクソン (Richard Nixon)の政治経歴の始まりである。
ペーパークリップ作戦によって、ナチ党員が米国に運ばれ始めた。
1946: ニクソンは、ニューヨークに本部のある複数の銀行からの豊富な資金のおかげで、議会選挙でジェリー・ヴーフリス (Jerry Voohris)をやぶった。
1947: 戦争の後、オランダ王室の宝石のありかを付き止めていた当局者が、Bank voor Handel en Scheepvaart【参照1924年、1934年】の小切手の中からSilesian American Corporation【参照1942年】の取引を示す文書を発見した。その銀行の社長であるH.J.コウンホウヴェン(Kounhoven)は集中的な捜査を受けてその発見にショックを受けた。すぐにコウンホウヴェンはニューヨークを訪れそれをプレスコット・ブッシュ に告げた。2週間後、いたって健康であったにも関わらず、そのオランダ人は心臓発作で死んだ。
1950: プレスコット・ブッシュ は、米国優生学運動と結び付いた背景のために選挙に敗れた。
1951: Union Bankが倒産。ブッシュ家はUnion Bankの利益の中から150万ドルを受け取った。
1952:プレスコット・ブッシュ が上院議員に選出。
プレスコット・ブッシュはニクソン を副大統領候補として選挙に担ぎ出す。
1953: ジョン・フォスター・ダレス が国務長官に指名される。
アレン・ダレス がCIA長官に指名される。
Brown Brothers and Harrimanの資金を使って、ジョージ・ブッシュ がCIAのフロント会社であるZapataを作り上げる。
1954: アレン・ダレス指揮下のCIAは、United Fruitを助けるためにガテマラのハコボ・アルベンスに対するクーデター計画を援助。シュレーダー銀行はバナナ・ビジネスでUnited Fruitの共同経営者であった。アレン・ダレスはシュレーダー銀行の終身重役だった。ジョン・フォスター・ダレスとアレン・ダレスはUnited Fruitに複数の会社から巨額の資金を投資していたのだ。それに加えて、米国国連大使がUnited Fruitの株主であり、さらにアイゼンハワー大統領の個人秘書はUnited Fruitの公共担当者の妻であった。ダレス兄弟はアイゼンハワーに、アルベンス は米国の安全保障にとって脅威であると説得してこのガテマラ大統領を取り除く計画を進めることを承認させた。
1961: C.ディロン 【参照1918年、1926年】が財務長官に指名される。
ピッグス湾での大失敗【キューバへの介入】。2隻の船はヒューストンとバーバラと呼ばれた。ピッグス湾のCIAのコード・ネームはサパタ(Zapata)作戦であり、ジョージ・ブッシュがその作戦に関わっていた。ついでに言えば、ジョージ・ブッシュ が副大統領に選ばれる前年の1981年に、1960年から66年までのZapataに関する証券取引委員会の記録がすべて失われた。
ジョン・F.ケネディはピッグス湾事件の後、アレン・ダレス を更迭した。
1963: ジョン・ケネディ が暗殺される。
1964: ジョージ・ブッシュ は選挙運動で市民権法に反対するキャンペーンをする。彼は落選した。
1966: ジョージ・ブッシュ が議員となる。
1968: ニクソン が大統領に選ばれる。
1969: ZapataはUnited FruitをCIAと強くつながった他の会社に売却しようとする。そして改革を試みようとする中米の国々の政権転覆に関わる。
1971: ジョージ・ブッシュ が国連大使に指名される。
1972: ウォーターゲート事件がニクソン 再選キャンペーンの期間中に起こる。
ジョージ・ブッシュが共和党の議長に指名される。ブッシュは党のethnic heritage groupsの設立を促進する。要するに、これらのグループは東欧から移住したナチにとっての天国以外のものではなかった。共和党のヘリテッジ・グループ委員会には、元ハンガリーArrow Crossのメンバーであるラズロ・パスツォール(Lazlo Paszor)、ブルガリアのファシストのラディ・スラヴォフ(Radi Slavoff)、コサック支部で元SS士官だったニコラス・ナザレンコ(Nicolas Nazarenko)、ルーマニアのIron Guardメンバーだったフロリアン・ガッドゥ(Florian Gaddu)、スロバキアのファシストのメトド・バルコ(Method Balco)がいた。アレン・ダレス とニクソンはこれらの移住者達が選挙のために役に立つと信じていた。
1975: コルビー(Colby)はCIAの秘密国内作戦に関する情報を漏らす。それはMokingbirdと Mk-Ultraである。チェイニー(Cheney)はコルビー を取り除こうとする。
1976: ジョージ・ブッシュがジェラルド・フォード大統領によってCIA長官に指名される。フォード は親ナチ・グループのAmerican Firstのメンバーであった。
ジョージ・ブッシュはチリのピノチェット・ファシスト政権に反体制活動家オルランド・レテリエル(Orlando Letelier)を処刑させる。ブッシュ は反体制派を処刑するチリのコンドル作戦計画について十分に情報を得ていた。コンドル作戦はチリに率いられる数多くの南米諸国で、南米のファシスト軍事政権に対する反対派を世界規模で暗殺する大規模な作戦であった。
1984: ジョージ・W.ブッシュによって設立されたArbusto Energy Incが、失敗を明らかにした後で売却される。1988:Silverado Banking Savings & Loan社が規制官によって閉鎖させられたが、副大統領で次期大統領候補の息子であるニール・ブッシュ (Neil Bush)がこの会社の社長をしていた。この閉鎖と捜査は選挙後まで延ばされたものだった。
有名なナチ協力者フレッド・マレク(Fred Malek)がブッシュの大統領選挙戦で役を果した。マレクは1992年の再選選挙でも再びブッシュに仕えることになる。数多くのブッシュ選挙活動スタッフが、元ナチの戦争犯罪人であることが判明した後で辞任を余儀なくされる。その中にはラズロ・パスツォールとヤロスラフ・ステツコ (Yaroslav Stetsko)がいた。
ウィリアム・ドレイパー(William Draper)がブッシュ の選挙資金集めの責任者だったが、彼の祖父は優生学を促進させるPioneer Fundの創始者だった。
1989: ジョージ・ブッシュは大統領の宣誓を行う。彼の資産はウイリアム・ファリッシュ(William Farish)の管理に盲目的に一任されるが、彼はヒトラーにガスを供給したウイリアム・ファリッシュ 【参照1933年、1942年】の孫であった。
1990: 湾岸戦争の後で、バーレーンはHarken Oilに沿岸の石油採掘権を与えたが、この会社は大統領の息子であるジョージ・W.ブッシュと深いつながりがあった。ジョージ・W. は自分のHarken Oilの持分を売り、その1週間後そこの株価は暴落した。
1992: ジョージ・ブッシュ はイラン・コントラ事件での主要な人物達を赦免する。
1996: ジョージ・ブッシュは麻薬密売人の文鮮明 (Sun Myung Moon)をブエノスアイレスで祝福。文の組織は元ナチに溢れており、同様に元ナチに満ちていた世界勝共連合と密接につながっていた。
2000: ジョージ・W.ブッシュ が最高裁の5対4の採決で大統領に。
2001: 愛国法(Patriotic Act)が通過し、ジョージ・W.ブッシュ の要請で我々に憲法に保障された自由が制限される。 *******
よくぞここまでしつこくブッシュ家を追いかけたものだと感心するが、しかしこの年表で大きく欠落している点は、最初に述べたナチスとシオニストやユダヤ系資本家との関係だけではなく、レーガン政権(実質的にブッシュ父政権)の時から築き上げられていった後に「ネオコン」と呼ばれるようになる集団とその人脈の存在である。彼らはまさに戦争利権屋集団でありカネと力と偽情報で世界を支配しようとする、ナチス・ドイツ(一部にイタリア・ファシズム)直系の権力集団に他ならない。特に驚くべきことでもあるまい。前回も申し上げたとおり、ナチス・ドイツは米国とイスラエルに引き継がれたのだ。
次回は再びこの『年表』を元にして、その行間に見え隠れする「ブラックホール」を追及してその空隙を埋めていく作業を行ってみたいと思っている。
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++
やれやれ、この懸念通りになってしまった・・・
by oninomae | 2014-03-11 20:06 | 魔術=詐欺とイルミナティ