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日本征服計画 ijn9266

ijn9266のブログ
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/ より

世界支配者層は19世紀以降、大多数の被支配民を家畜として飼い慣らす文明の総仕上げにかかっている。最終ステージ、それは日本と日本人、その文明・文化の徹底的破壊と征服。大多数の日本人がその現実に全く目覚めぬまま、日本という国と日本民族はこの地球上から姿を消すのだろうか?

金融(通貨発行権)、食糧、エネルギーを独占して大衆を家畜化。情報(宗教・教育・メディア)を操って洗脳。洗脳の完成した家畜達はこの事実を「陰謀論」として自らを堅牢な鎖に繋ぐ。この扱いやすい愚かな家畜達の所有権、世界の覇権を巡って世界の支配者達が激突!世界最終戦争は既に始まっている!


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日本征服計画① 先兵隊イエズス会宣教師派遣
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/3475233.html

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日本の中央銀行日銀は既に彼等国際金融資本家達の手に落ちた。景気を良くして豚を太らせるのも、恐慌を起こして屠殺場へ送り解体して食するのも、今や意のま まだ。日本人は彼等の所有する家畜となった。彼等の視点から見れば『思えば長い道のりだった。ようやく我々の努力が報われ500年来の悲願が達成された。 ご先祖様もさぞかしお慶びであろう』ということになる。

日本征服計画は16世紀のイエズス会宣教師派遣にまで遡る。まず宣教師を送って洗脳し、信者を使って時の為政者に反乱を起こさせ、後で軍隊を送って占領する、というおきまりのシナリオだ。

「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉 の朝鮮出兵従軍記者の見聞録が載っている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し 込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。

ザヴィエル[Francisco de Xavier, 1506-52]は日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダ ヤ人)のアルメイダ[Luís de Almeida, 1525?-85]は、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタ ン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとに派遣された。その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明される。『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万人という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』 と。

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秀吉は九州統一の直後、博多で耶蘇会のリーダーであったガスパール・コエリョ[Gaspar Coelho、1530-1590]に対し、「何故ポルトガル人はこんなにも熱心にキリスト教の布教に躍起になり、 そして日本人を買って奴隷として船に連行するのか」と詰問している。

秀吉の言動を伝える『九州御動座記』には当時の日本人奴隷の境遇が記録され 「バテレンどもは、諸宗を我邪宗に引き入れ、日本人を数百男女によらず黒舟へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて舟底へ追い入れ、地獄の呵責にもすくれ(地獄の苦しみ以上に)、生きながらに皮をはぎ、只今世より畜生道有様」 と記述。こうした南蛮人の蛮行をまね、日本人が子を売り、親を売り、妻子を売る状況が、『九州御動座記』に書かれ、秀吉はその状況が日本を「外道の法」に陥れることを心から案じた

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宣教師が諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代となった。徳川家康は、火薬の流入が日本に戦乱を引き起こしたことを承知しており、鎖国の狙いはキリシタンと絶縁することにより火薬の流入を防ぐことであった。

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1582 年、日本に3年ほど滞在したイエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ[Alessandro Valignano、1539年-1606]は、フィリッピン総督のフランシスコ・デ・サンデ[Francisco de Sande, 1575-1580]に下記のような手紙 を出している。

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「私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言することができます。なぜな ら、国民は非常に高貴かつ有能にして、理性によく従うからです。もっとも、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きでしょう。なぜなら、日本 は、私がこれまで見てきた中で、最も国土が不毛かつ貧しい故に、求めるべきものは何もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるの で、征服が可能な国土ではないからです。しかしながら、支那において陛下が行いたいと思っていることのために、日本は時とともに、非常に益することになる でしょう。それゆえ日本の地を極めて重視する必要があります。

この「支那において陛下が行いたいと思っていること」とは、スペインによ る中国の植民地化のこと。つまり「日本には資源が少なく、国民は強いので、植民地にするには向いていないが、その軍事力は支那の征服に利用できるから、日本へのキリスト教の布教を重視する必要がある」ということ。このような見方は、以降、一貫して西洋からみた日本の“位置づけ”となり、後の明治時代、日本は彼等の思惑通り、日清日露戦争を戦わされることになる。

彼等邪教集団は、今は日本征服にエネルギーを割くよりも、ヨーロッパの支配が先決と考え、ヨーロッパ諸侯から金融詐欺によりその財産を奪い取る活動に専念して行く。フランス革命によるルイ王朝打倒、ナポレオンを育てて諸国を蹂躙 等々。さて、残るはロシアのロマノフ王朝と中国の清王朝となった。日本を開国させ軍事国家として育て上げ、中国とロシアを征服せねばならない。

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(引用注:ペリー提督は、アメリカにおけるロスチャイルド代理人、オーガスト・ベルモンのト義理の父だった。 オーガスト:ベルモントは、ロスチャイルド家イタリア・ナポリ支店のカール・マイヤー・ロスチャイルド男爵の非嫡出子だった。 オーガスト・ベルモントはキャロライン・ペリーと1849年11月7日結婚した。


19世紀半ば、いよいよ機は熟し、日本征服計画が全力で決行されることになる。彼等の息のかかったペリー提督が先兵を務める。商人として21歳の若き日のグラバーも海を渡る。日本征服の使命を帯びて。かくして、西洋人が絶賛した美しい江戸文化は終焉を迎える。(その2に続く)


日本征服計画② 尊皇攘夷の象徴孝明天皇暗殺 
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/3475251.html

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日本の幕末から明治にかけての時代も、今と同様、日本人はルシフェリアン、闇の世界権力者ロスチャイルド財閥について余りにも無知であった。かつては尊王攘夷派であった伊藤博文も、赤子の手をひねるようにロンドン留学中完全に洗脳され、ロスチャイルドの手先に堕した。日本人の魂を抜かれた博文は岩倉具視と共謀して、尊皇攘夷の象徴孝明天皇と息子の睦仁親王を相次いで暗殺する。坂本龍馬など異常なほど若い志士たちが活躍する幕末から明治の激動期。しかし彼等若 き志士達を陰で操ったのは、英国フリーメーソンのジャーディ・マセソン商会の長崎駐在員グラバー(写真下、来日当時若干21才)であり、彼に日本征服の密命を下したのはロスチャイルド財閥だった。

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慶応2年(1866)12月某日夜半過ぎ、孝明天皇(写真下)はずっと病んでいた天然痘が快方に向かったため、愛妾だった岩倉具視妹の堀川紀子邸(下京区岩滝町)に夜這いに行く。天皇が用をたそうと厠に入った際、厠の下に隠れていた何者かが彼を槍で刺し殺す。実行犯は伊藤博文である。

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彼を刺客として送ったのはグラバー。彼は薩長勢力に軍艦・最新式武器スペンサー銃やゲベール銃を供給させて倒幕勢力を育てる一方、慶応2年12月25日、攘夷佐幕で凝り固まって手を焼いていた孝明天皇を暗殺する為、大阪湾停泊の英国駆逐艦から、若き伊藤博文(写真は若き日の伊藤)を放った。

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著名な歴史作家の南原幹雄の曽祖父は御殿医だったが、当日深夜突然呼び出され、致命傷を負って息絶え絶えの孝明天皇を診察。その事実を詳細に記録した日記が 残されている。孝明天皇の息子の睦仁親王も翌年1月の天皇即位から半年後に暗殺される。遺体は布でぐるぐる巻きに巻かれ、実家の中山家に送り返された。

その後数か月間天皇位は空位が続いたが、鳥羽伏見の戦いで官軍が勝利した直後、奇兵隊隊士(第2奇兵隊と呼ばれた伊藤博文隊長の力士隊隊士)当時16歳の大室寅之祐が睦仁天皇に成り代わり、密かに明治天皇となった。これが偽らざる真実の明治維新史である。ちなみに、大室寅之祐の出身地、山口県熊毛郡田布施町の古老達は、今でも明治天皇のことを「奇兵隊天皇」と呼ぶ。

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熊毛郡田布施町はいわゆる「被差別部落」。英国外交官兼通訳士アーネスト・サトウ(写真上)から日本に被差別民が存在することを聞いたロスチャイルドは、被差別民を日本の最高位につけることを命じる。

棚からぼた餅式に、最下位の身分から最高位の身分に駆け上がった成り上がり者は、常人よりも権力に執着するで あろうし、そのスキャンダルを脅迫のネタに使えると考えたのだ。(田布施地区は後醍醐天皇以来代々南朝の子孫が住み、血縁を守るためわざと被差別部落になったという見方もある)元内閣総理大臣、故橋本龍太郎(写真下)は祖母が田布施町出身で大室家の出(引用注:でも、ちょっと彼らに逆らうと暗殺されてしまいます)、

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同じく元内閣総理大臣安倍晋三も、元は田布施町の出身で大室家とはご近所である(引用注:現在、再度任命されて、必死です)。

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元奇兵隊の力士隊隊長、伊藤博文は自らの天皇殺しの犯罪を糊塗するために明治憲法を制定し、不敬罪によって真実の追求と批判を固く禁じたかくして孝明天皇暗殺事件は日本の歴史上最も大きなタブーの一つとなる。 (引用注:「尊皇攘夷」とは正反対だった(呆))

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関連

日本を侵略から守れ!豊臣秀吉 VS スペイン大帝国
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/08/vs-a562.html


 1596年、貨物を満載したサン・フェリーペ号という船が、逆風を受けて土佐の浦戸に漂着するという事件が起きており、このときにスペイン大帝国が宣教師を送り込んで侵略を行う手口が秀吉に報告されています。

サン・フェリーペ号の水先案内人が秀「吉の五奉行の一人増田長盛に世界地図を見せて、「スペイン国王は、まず宣教師を派遣し、キリシタンが増えると、次は軍隊を送り、信者に内応させて、その伝道地の国土を征服するから、世界中にわたって領土を占領できたのだ」と述べています。




長州の天皇征伐: 日本の“悲劇”はすべてここから始まった 太田龍

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幕末は慶応二年十二月から翌三年夏にかけて、長州、岩倉の一味によって強行された、孝明天皇父子弑逆事件とその徹底的な隠蔽、そして長州による大室寅之祐明治天皇スリ替え事件。明治維新という未曾有の大改革によって誕生した大日本帝国なるものは、それらの大謀略を経て築かれた偽政体であった。このような大異変は、日本民族のそれまでの歴史の流れから、絶対に生まれるはずのない性質のものである。それは何故なのか?なぜ、起きたのか?そしてその本質は何なのか?今や、この問題に答えを出さなければならない秋は来た。本書はこの平成の御代まで連綿と続く、西洋かぶれ売国奴政治屋の悪辣悪行をあぶり出し、家畜・羊の群れと堕した現代日本人に強い覚醒を促す書である。

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元宮内大臣田中光顕氏、明治天皇陛下すり替え告白 最終更新:niwaka368niwaka368 2009年06月30日(火) 16:54:18 (引用注:元ページのコメントは略)
http://wiki.livedoor.jp/niwaka368/d/%B8%B5%B5%DC%C6%E2%C2%E7%BF%C3%C5%C4%C3%E6%B8%F7%B8%B2%BB%E1%A1%A2%CC%C0%BC%A3%C5%B7%B9%C4%CA%C5%B2%BC%A4%B9%A4%EA%C2%D8%A4%A8%B9%F0%C7%F2

元宮内大臣田中光顕氏、明治天皇陛下すり替え告白
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糾す』から)

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 斯様申し上げた時に、田中光顕伯爵は顔色蒼然となられ、暫く無言のままであられましたが、やがて、「私は60年来曾って一度も何人にも語らなかったことを、今あなたにお話し申し上げましょう。現在此の事を知っている者は、私の外には、西園寺公望公爵只御一人が生存していられるのみで、皆故人となりました」
と前置きされて、

 「実は明治天皇は孝明天皇の皇子ではない。孝明天皇はいよいよ大政奉還、明治維新と云う時に急に崩御になり、明治天皇は孝明天皇の皇子であらせられ、御母は中山大納言の娘中山慶子様で、御生れになって以来、中山大納言邸でお育ちになっていたと云う事にして天下に公表し、御名を睦仁親王と申し上げ、孝明天皇崩御と同時に直ちに大統をお継ぎ遊ばされたとなっているが、実は明治天皇は、後醍醐天皇第十一番目の皇子満良親王の御王孫で、毛利家の御先祖、即ち大江氏がこれを匿って、大内氏を頼って長州へ落ち、やがて大内氏が滅びて、大江氏の子孫毛利氏が長州を領し、代々長州の萩に於て、この御王孫を御守護申し上げて来た。これが即ち吉田松陰以下、長州の王政復古維新を志した勤皇の運動である。

 吉田松陰亡き後、此の勤皇の志士を統率したのが明治維新の元老木戸孝允即ち桂小五郎である。元来長州藩と薩摩藩とは犬猿の間柄であったが、此の桂小五郎と西郷南洲とを引合せて遂に薩長を連合せしめたのは、吾が先輩の土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎である。薩長連合に導いた根本の原因は、桂小五郎から西郷南洲とを引合せて遂に薩長を連合せしめたのは、吾が先輩の土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎である。

 薩長連合に導いた根本の原因は、桂小五郎から西郷南洲に、『我々はこの南朝の御正系をお立てして王政復古するのだ』と云う事を打ち明けた時に、西郷南洲は南朝の大忠臣菊池氏の子孫だったから、衷心より深く感銘して之に賛同し、遂に薩摩藩を尊皇討幕に一致せしめ、薩長連合が成功した。 之が大政奉還、明治維新の原動力となった。

 明治天皇には明治維新になると同時に、『後醍醐天皇の皇子征東将軍宗良親王のお宮を建立してお祀りせよ』と仰せになり、遠州の井伊谷宮の如きは、明治二年本宮を造営せられ、同五年に御鎮座あらせられ、同六年には官幣中社に列せられた。

 而して御聖徳に依り、着々として明治新政は進展し、日清、日露の両役にも世界各国が夢想だにもしなかった大勝を博し、日本国民は挙って欽定憲法の通り、即ち明治天皇の御皇孫が永遠に萬世一系の天皇として此の大日本帝国を統治遊ばされると大確信するに至り、然も明治44年南北正閏論が沸騰して桂内閣が倒れるに至った時に於ても、明治天皇は自ら南朝が正統である事を御聖断あらせられ、往来の歴史を訂正されたのである。と王政復古明治維新の真相を語り、尚此の外に、岩倉具視卿の活躍や、三條以下七卿落ちの真相や、中山忠光卿の長州落ち等々、詳細に渉ってお話し下さいました。

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「南朝話」は、おそらく後でとり繕った



おまけ

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下村博文 不正選挙偽文部科学大臣が、公立学校の民営化発言。「自民党内で8割反対だけど、一任を受けて実現します」 ― 2013/11/05 19:30
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/05/7040955

教育再生実行会議の出した提言では、思想、信条、情実などで恣意的に合格者を選べるように
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201311020001/

by oninomae | 2013-11-05 20:15  

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