米国支配層は拍手喝采 櫻井ジャーナル
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201210060000/
予想されていたことだが、中国での日本車販売台数が激減している。9月の販売台数を前年同月と比較すると、トヨタは約40%減、マツダと日産は約35%減、三菱自動車や富士重工は60%以上の減少になるようだ。自動車の販売台数は明確な数字で出てくるが、日本経済への影響は販売面だけに留まらない。企業の存続に関わる部分がダメージを受ける可能性がある。
現在、世界の経済はBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)をはじめとする国々を中心に動いている。政治や経済で欧米から自立しようとしていたアフリカではBRICSとの関係を深めてきた。その中心的な存在がリビアだった。
アメリカ、イギリス、フランスといった国々は湾岸産油国と手を組み、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を武力で倒すことには成功したが、アフガニスタンやイラクではBRICSの影響力が増している。
BRICSの一角、中国が日本との関係を深めることはアメリカの支配層にとって好ましいことではなく、この姿勢はリチャード・ニクソン政権から変化していない。中国と友好関係を築いた田中角栄の失脚を偶然だと考えるのはナイーブすぎる。
現在、中国はアメリカにとっても重要な存在になっている。債券を買ってくれるというだけでなく、中国なしに生産活動は難しくなっているのだ。例えばアメリカのコンピュータ会社アップルは、ハードの生産を台湾/中国の会社に委託している。
そうした体制を採用した最大の理由は技術力の問題。熟練した労働者やエンジニアの存在、生産の柔軟性といった面でアメリカは中国に太刀打ちできないのだという。
日本の大企業も優秀な労働者、技術者、研究者を確保することが難しくなっている。いや、そうした労働者、技術者、研究者を育成、確保してこなかったツケが回ってきたと言うべきだろう。目前のカネ儲けに現を抜かし、日本社会を破壊してきた経営者。今度は自分たちが経営する企業の存続を危うくさせているのである。

現場の声を聞くと、昔から日本の経営者は革新的な技術の開発には消極的で、既存の技術を改良、低価格で売るという方針を崩そうとしていない。2周先を回っているアメリカを追いかけていた1960年代までなら1周先の技術を教えてもらうことができたのだが、技術水準の近づいた今では無理。その結果、日本を追いかけてきた国々の会社と価格競争を強いられ、負けることになる。
しかも、最近では既存の技術を改良する力も衰えてきた。1990年代から日本では優秀な中小企業を潰し、非正規社員を増やしたことで生産現場の技術力がなくなっているのである。そうした状況へ日本を導いた主因は銀行の救済と円高。
相場操縦と時価ファイナンス(増資や転換社債など)で低コストの資金を調達する仕組みを1970年代の後半から日本は築いていたが、アメリカの反撃が1980年代の半ばに本格化する。日本にとって大きな転換点になったのが1985年9月のプラザ合意だろう。その直前は1ドル240円程度だったレートが1年後には1ドル150円台へ、そして今では80円を切る水準になっている。
1988年になると、BIS(国際決済銀行)から逆風が吹いてくる。銀行の保有する信用リスクが問題になり、8%相当の自己資本を保有することが定められたのである。日本の場合は1992年から本格的に適用されるのだが、追い打ちをかけたのが1990年に始まった株式相場の暴落。銀行は資金の回収に走り、優良な中小企業は「貸しはがし」の対象になって倒産していく。
日本を攻撃しているアメリカだが、この国の衰退も著しい。その象徴的な現象が公教育の破壊。富の集中にともなって貧富の差が拡大、貧困層が住む地域では教育が崩壊、少しでもまともな教育を子どもに受けさせるためには高級住宅街に住む必要があり、その経済的な負担に耐えられず自己破産する人も少なくない。有名私立などへ通わせることができるのは富裕層に限られる。

そのアメリカを追いかけている日本でも公教育は崩壊しつつある。1996年に第1回目の会合が開かれたCSISの「日米21世紀委員会」は98年に報告書を発表、その中で小さく権力が集中しない政府(巨大資本に権力が集中する国)、均一タイプの税金導入(累進課税を否定、消費税の依存度を高めることになる)、そして教育の全面的な規制緩和と自由化(公教育の破壊)を謳っていた。
2000年に設置された教育改革国民会議で議長を務めていた江崎玲於奈に言わせると、「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になって」いくのだそうだ。また、教育課程審議会の会長を務めた作家の三浦朱門は「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」と語っている。(斎藤貴男著『機会不平等』)いずれもナチスの優生思想を連想させる。
もっとも、ナチスが優生思想を考えついたわけではない。例えば、古代ギリシャの哲学者、プラトンもそうした考え方をしていたひとりと考えられている。彼は『国家』の中で、「最もすぐれた男たちは最もすぐれた女たちと、できるだけしばしば交わらなければならないし、最も劣った男たちと最も劣った女たちは、その逆でなければならない。」としている。
プラトンは15世紀、ルネサンスの時代に復活し、その哲学はゾロアスター教と結びつけて理解された。ちなみに、19世紀に活躍したドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェは『ツァラツストラはかく語りき』を書いているが、ゾロアスターのドイツ語風の読み方がツァラツストラである。
1970年代、ジェラルド・フォード政権の時代に台頭した新保守(ネオコン、親イスラエル派)の思想的な支柱、レオ・ストラウス[Leo Strauss]はプラトンを研究していた学者。その思想は一種の「エリート独裁主義」で、カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、彼は「ユダヤ系ナチ」だ。

ともかく、日本では「ゆとり教育」という名目でエリート教育を始めた。共通一次やセンター試験の悪影響も指摘されているが、「ゆとり教育」も悪い結果をもたらした。その結果、大手製造会社の研究者やエンジニアは異口同音に「最近の新入社員は使えない」と言う。入試では最難関に分類されている大学の卒業生でも優秀な学生は一握りで、中国やインドでの採用を増やすという声もよく聞く。
ところが、前原某と石原親子が尖閣諸島の領土問題に火をつけ、中国との関係が極度に悪化させた。その影響は小さくない。工場を東南アジアへ移せば良いという問題ではないのだ。前原某と石原親子はどのように始末をつけるつもりなのだろうか?

自己責任、自己責任

何でもあり「復興予算」のカラクリ 投稿者:Legacy of Ashesの管理人 投稿日:2012年10月 8日(月)12時16分25秒
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs?from=bbsticker
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012100890071438.html
「何でもあり」復興予算のカラクリ「日本の再生」拡大解釈
管理人注:「日本の再生」ではなく「土建屋の再生」。
2011年3月4日に大量に仕込まれた土建株........
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/207.html
それ以前の中越地震も同じこと。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/26.html
2012年10月8日 07時14分
東日本大震災の復興予算は、なぜ被災地の復興と関係がない使われ方が目立つのか。「何でもあり」のカラクリを解く鍵は、政府の復興基本方針に仕込まれた二つの文言にある。一つ目は「日本経済の再生なくして被災地の真の復興はない」。この考え方の下「被災地に一体不可分として緊急に実施すべき施策」の実行を認めた。二つの文言を錦の御旗に、被災地と全国との関連づけを「作文」した不適切事業が次々に予算化された。 (石川智規)
「二〇一一年度からの五年で計十九兆円を震災の復興に充てる」との復興基本方針は昨年七月に決まった。その根拠は一カ月前に制定された東日本大震災復興基本法だ。
賛成多数で可決された基本法は、「単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れる」と規定。基本方針はこの理念を具体化した。
方針に盛り込まれた「日本経済の再生」の文言は政治サイドの要求で入った、とされる。震災直後は被災地に加え観光産業など全国の企業が海外からの風評被害に遭っていた。文言にはそれらも含めた日本経済を支える「狙い」があり、幅広い事業の予算化に道を開く形になった。こうして流れは整った。
「霞が関の人間は旗が立てば、わーっと群がる。頭を使い、財務省の目の届かないところでうまく事業を滑り込ませるのはわれわれの習い性だ」。ある官僚は復興予算の使い方をこう解説する。
実際、予算化に向けて事業の精査が行き届いたとは言い難い。昨年を振り返り、ある財務省幹部は「当時は復興を優先させるため、足りないより過分であった方がいいと査定をあえて甘くした」と認める。
食料の保管庫建設など、全国の防災・減災のための政策が「全国防災事業」として予算計上を認められた点も、「被災地以外に予算を使う道を開いた」との批判が多い。
ただ、全国防災事業には別の評価もある。一兆円に上る事業の財源を裏打ちするのは、復興増税に含まれた個人住民税への増税。住民税は地方税で、全国の自治体が執行する裁量を持つ。このため被災地以外の地元の防災事業に使って新たな震災に備えることは、あながち無駄とも言い切れない。
だが、復興と震災対策を名目に「予算の獲得合戦」に明け暮れる姿勢は厳に正すべきだ。「被災地の復興が最優先」という政府の方針に異論はない。問題は予算の使い方に国民の信頼が得られていない点にある。「被災地に寄り添う」との誓いを空虚にしないためにも、復興予算の精査が求められる。
(東京新聞)
注:現在津波対策といえばすぐに予算化される。下田市は貧乏な市で人口約2万7千人しかいないのに津波33メートルの新聞記事が出るや海抜55メートルの敷根というところに市庁舎を25億円かけて建設することに市議会は決定した。介護保険も金がないとのことで65%値上げしている。南伊豆の町役場などもいつもガランとしていたのに5億円で新築したり近隣もヤリ放題。全国でもそうだろう。まず福島の子供達を疎開させるとかなんとか最優先でできないのか?菅野昭松本市長もその必要性を言っているでしょ。前立腺ガンは4~5年して発病すると。全国からの義援金は赤十字が中心になっているのですが何%ピンハネしているのか(聞くところによると25%)?直接被災者個人に渡るのでなく役所経由になるわけでどのくらいの進捗状況でどのくらいまだ役所で滞っているのか..........予想通り全く報道がない。
by oninomae | 2012-10-08 19:50 | 政治詐欺・政治紛争