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国際赤十字社、もうひとつの顔 鬼塚英昭

国際赤十字社、もうひとつの顔

私はここで一つの事実を指摘しておきたい。今まで書いてきたようにジュノー博士は聖者である。これは真実ではあるが、国際赤十字社が別の面を持っていることも真実なのだ。

敗戦直前の八月八日、東郷茂徳外相は国際赤十字社との最終合意に達した。天皇の資産をスイスの銀行が最終的に受け入れたのは、この国際赤十字社の尽力によった。また、太平洋戦争中、陸軍の配下の昭和通商という会社の依頼を受けて、赤十字のマークをつけた病院船がアメリカの密貿易船と交易をしていたのである。私たちは、アメリカと日本が戦争をしていたから、アメリカと日本の貿易は完全に止まっていたと思っている。ここにも赤十字が深くからんでくるのである。

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大佐古は、ここで終戦の年にSCAP(連合軍最高司令官)の下の公衆衛生福祉局で働く、アメリカ赤十字社のセックスミス女史による日赤本社での数々の暴挙について触れているが、ここでは省略したい。大佐古はビベール氏に次のように言っている。

  「ジュノー代表の広島救援が実現しなかったのは、GHQが原爆の破壊能力をソ連に知らせまいとしたからです。彼らは、広島の被爆者が原爆症で毎日のように死んでいくのを知りながら放置していたんです。もし、救援が行われていたなら、少なくとも九月以降の死亡者十万人の生命は助かっていたでしょう」
  「そうでしょうね。これはICRCのオピニオンではありませんが、私には、GHQはICRCを通じて、国際的に救援の手が伸ばされることを嫌っていたように思われますね」
  時計は五時半を過ぎていた。ジュノー博士の広島救援に対する私の疑間は、ビベール氏の誠意のある調査と回答で、今まで分からなかった方程式に根が与えられたかのように、鮮やかに解明された。私はビベール氏に「ジュネーブで予想外の大きな収穫があり、ジュノー博士は予想以上の人だった」ことを伝えて、深甚なる謝意を述べた。



ここにも、指摘しておかなければならないことがある。大佐古がこの本を書いた一九七〇年には、「GHQが原爆の破壊能力をソ連に知らせまいとしたから」という大佐古の分析も納得できるような国際情勢だった。 だが、私は原爆に関するソ連の膨大な資料を調べているアメリカの政府高官がソ連側にウランに関する資料も、ウランさえも提供し続けた資料も持っている。アメリカとソ連は大戦中も、冷戦中も深く結ばれていたのである。ヒトラーがシェル石油の供給を受けたようにである。日本も、アメリカ船籍を持たぬアメリカの船から石油を買いつけていた。その決済はスイスの国際決済銀行(BIS)で行っていたのである。

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(引用者追加:ナチスの敗戦濃厚となってきた19944年5月のある晴れた日の朝、スイスのバーゼルにあるBIS総裁室にマッキトリックの主宰のもとに日・独・伊の枢軸国側役員とイギリス、アメリカ側役員が参集し、3億7800万ドル分の金塊を初めとした重要案件について話し合ったという。日本人役員は横浜正金銀行の北村孝次郎と日本銀行の山本米冶であった。)


この世に勃発する戦争には、複雑な裏があることを理解しなければ、広島長崎に原爆が投下された意味を理解しえないのである。ソヴィエトヘの配慮と原爆患者への薬の提供、この間に因果関係は全く存在しない

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『ドクター・ジュノーの戦い』の中で、ジュノー博士がマッカーサーと最後の会見をする場面をもう一度読んでほしい。マッカーサーとジュノー博士との間に深い友情が生まれたことが分かるのである。では、どうして、GHQがジュノー博士の申し出を拒否したのか。去りゆくジュノー博士にマッカーサーは、「世界の人々の純粋な声を、もはや武力ではなく、精神の名において結集できるのは一体誰なのか」とジュノー博士に訴えるのである。

「恐らく赤十字かも知れない・・・」

私はマッカーサーもジュノー博士も、大いなる武力に敗れたと信じている。

「誰に敗れたのか」、それはアメリカの国に巣食う、原爆を製造した元凶たちにである。

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私はマッカーサーが語った言葉の一部を省略しておいた。ここに書くためである。

  ・・・赤十字は世界の中で特異な位置を占めている。普遍的な信頼を勝ち得ている。その旗はすべての国民、すべての国家に尊重されている。今やその真価は十分に発揮されるべきである。問題の核心に迫るべきである・・・

マッカーサーとジュノー博士は協力しあい、問題の核心に迫り、そして敗れたのである
 



マッカーサーとジュノー博士の努力を裏切ったのは日本赤十字社である。この日本赤十字社の総裁は天皇裕仁の弟の高松宮であった。

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明確にしたい。天皇裕仁と高松宮がこのジュノーとマッカーサーの申し出を断わったのである。


どうしてか?スティムソンとの約束(「私には確約がある」の発言)が怪しくなったからである。

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天皇は自分自身の安全が脅かされだしたからである。


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(引用者追加:8月14日(午前)、昭和天皇が畑、永野(修身)、杉山、三人の元帥に「皇室の安泰について敵側もこれを確約しあり」と語ったことが、畑俊六『元帥畑俊六獄中獄外の日誌』(1992年)にある。)


大佐古の二冊の本は、大部分は一致しているが微妙に異なっている前著(一九七九年)に比較して後著は明らかに追及のトーンが落ちている。ここでは後著に欠落している部分を記す。

  ICRCを辞去した私は、東浦氏の車の中でもう一度、ビベール部長の発言の意義を考えた。
  GHQは広島の地獄図絵が世界の国々に知られることを恐れたことはほぽ間違いない。そういえば、ファーレル原爆災害調査団は東京に帰るとすぐ「原爆で死ぬべき者は死んでしまい、原子放射能で苦しんでいる者は皆無である」という公式発表を行なった。また九月十九日には、広島と長崎の被爆実態を国際社会から秘匿する目的で、"日本に与える新聞準則"を発している「報道は厳格に真実を守らねばならない」としながらも「占領軍に対して破壊的な批判を加えたり、不信や怨恨を招くような事項を掲載してはならない」と言い、連合軍の動静についても公表されぬかぎり「記述や論議してはならない」と厳命した。その結果、新聞、ラジオをはじめ出版を含む日本の言論界は原爆の報道、論評を一切タブーとしなければならなくなったのである。



この大事な文章が、二十年後の本の中ではすっぽり落ちている。何が大佐古にあったのかは分からない。この文章にも注釈が必要である。原爆投下をトルーマン大統領、バーンズ国務長官の範囲内で追求しても何も見えてこないと私は書いた。マッカーサーの面から、プレスコード(新聞等の報道規制)を見ても真実は見えてこないのである

マッカーサーは当時、アメリカ陸軍省の支配下にあったということである。マッカーサーは陸軍長官の命令に従わなければならなかったのである。

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プレスコードも、そうした規制の中でつくられたのである。従って、ジュノー博士の申し出をマッカーサーは受け入れたが、陸軍省が拒否したと考えなければならない。重要事項は陸軍省に報告され、陸軍長官からの決議を待って処理されたのである。ファレル原爆災害調査団の報告の公式発表は、マッカーサーが遵守しなければならないものとなった。敗戦国の天皇との交渉が行われた。
 それが大佐古がたびたび書いている「リエゾン・コミッテイ」(連絡委員会)である。正式には「終戦連絡事務局」である。


松本重治[1899-1989]の『昭和史への一証言』(二〇〇一年)から引用する。

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  ・・・そのころ、占領軍との交渉の窓口になったのが終戦連絡事務局ですね。松本終戦連絡事務局は、総司令部の機構に応じた日本側の受け入れ態勢ということで、連合国軍の進駐に先立って先方からの要請でつくられたのです。外務省の一角に設けられ、朝海浩一郎(駐米大使など歴任)、萩原徹(駐フランス大使など歴任)ら半分は外務省の人間でした。奥村勝蔵もそこにいました。
  日本政府としては、総司令部の民政局と交渉することが多いのですが、民政局長のホイットニー(少将)、局次長のケーディス(大佐)などがいろいろしゃべることを、マッカーサーの意向、指令ととって、そういうふうに吹聴されるのを吉田[茂]はいやがっていました。


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松本重治が神戸一中の五年生のとき白洲次郎は二年生。神戸一中の同窓生である。松本は同盟通信社で有末精三中将のアメリカ向け謀略放送の仕事に専念していた。その松本を吉田茂の依頼で終戦連絡事務局に誘ったのが白洲次郎である。二人はもっぱら民政局長ホイットニー(マッカーサー司令部のナンバー2)と交渉した。従って、あの日本赤十字社の「原爆被爆者見殺し宣言」も、彼らの交渉の結果に他ならないのである


どうして、謀略放送を流し続けた松本重治がアメリカの代理人となって、近衛元首相を自殺(?)に追い込む役割を演じたのかも、この一件の中に見えてくる。有末精三中将はウィロビーのGⅡ(GHQ参謀第二部)に入りこみ、日本人の摘発に乗り出す。

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大屋中佐は、有末の子分となり果てていく。畑元帥だけは仕方なく巣鴨プリズンに入るが命に別条はなく、シャバに舞い戻ってくる。


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大型プロジェクトである原爆産業はかくて大繁盛となっていくのである

この項の最後に、マッカーサーとの会見の後に、ジュノー博士の次なる文章があるので記しておきたい。

  赤十字国際委員会は、戦時中自由に使われたジュネーヴの大ホテルに、今や常設されている。赤十字の旗が翻る元のカールトン・ホテルの中では、熱烈な活動が展開されている。アーゾンランの病院で、私が国際委員会の勧誘を初めて受け入れてから、夢にまで見た大きなビルが遂に出現したのだ。
  しかし、ある夜私が帰着したのはモワニ邸であった。



理想はいつも裏切られるものである。ジュノー博士は書いている。「すべての国、すべての社会で、自分の戦いより、第三の兵士として自らの名誉を重んじる人々が続出することを期待したい」と。彼が広島で、幾度となく都築教授の言葉を引用し続けたのは、兵士は"第三の兵士となれ!"という意味ではなかったか。

「心を開かねばならない・・・すべてを理解しなければならない・・・」


以下、高松宮宣仁(のぶひと)親王の『高松宮日記』(一九九七年)からジュノー博士に関係する記録のみを抜粋する。

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[一九四五年] 十月二十五日(木)曇、風
一八三〇 国際赤十字代表招宴(ジュノー博士。ミス・ストレーラ。ペスタロッチ、アングスト、ビルフィンガー博士、徳川社長、中川島津徳川義知芦田厚生大臣保科女官長)
[同年] 十一月十五日(木)雨
九五〇~一二〇〇 日赤社 赤十字デー、祈念式、慰霊祭、講演(ジュノー国際赤十字代表 ムーア米赤十字代表)
[同年] 十二月二十八日(金)晴
一五〇〇 島津副社長(「ジュノー」ヨリ「Ratiion」一箱持参。(*米国の軍用携行食糧)
[一九四六年] 四月九日(火)晴
ジュノー邸、コクテルパーチー(島津邸二立寄ツテユク)、一七三〇~一八三〇。
[同年] 四月十日
一五〇〇 ジュノー帰国ニツキ茶会(徳川社長夫妻、中川、島津、義知夫妻、与謝野秀、永田、鈴木、)。夕食(島津、義知)
*鈴木とは鈴木九萬。終戦連絡事務局横浜局長。



なお、東京に帰ったジュノー博士に広島で同行した医師の松永勝は四回上京し、ジュノー博士に会っている。松永勝医師は広島の窮状をジュノー博士に訴え続けたのであるしかし、原爆被爆者を日本赤十字社は裏切ったのである

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広島と長崎の被爆者に、「お前たちはくたばってしまえ」と言った人々に対して、読者よ、拳を握りしめて、天誅を加えよ。それらの人々は、この高松宮の日記の中にも、日記の外にもいるのである

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『入江相政日記(第三巻)』昭和二十一年一月二十五日の項に、ジュノーの天皇謁見の場が書かれている。入江相政は当時侍従であった。

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  一月二十五日(金)暖 六、五〇
  昨夜から今朝にかけて何と暖かいことか、今朝などは曇ってゐるがまるで春霞のやうだ。令子は元気に出かけて行く。歩いて出勤。入浴。理髪。赤十字極東代表ジユノー謁見。午后一時泰宮、盛厚王、照宮御参。
 [以下略]


この入江相政日記にはジュノーについての注解が附記されている。

ジユノー=マルセル・ジュノー。スイス人の医者。赤十字代表として日本の捕虜収容所の状況視察のためシベリア経由で終戦直前の八月九日、日本についたが、広島原爆のことを聞き九月八日広島に入り被爆状況を調べるかたわら治療に当たり、世界に救援を訴えた。のち赤十字国際委副委員長。36年没。


鬼塚英昭 原爆の秘密 国内編 第五章 見棄てられた被爆者たち p237-245より

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松本重治関連系図
http://kingendaikeizu.net/sirasuzirou.htm

ハリマン覚書~日支闘争計画~ メモ
http://satehate.exblog.jp/9459945/

太平洋問題調査会と真珠湾攻撃工作
http://satehate.exblog.jp/15625945/

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「あの戦争は俺達がやったんだ」



世界政府への道 by ゲイリー・アレン 1 世界政府の実現を画策する数々の陰謀組織
http://satehate.exblog.jp/11009006/

我々は、諸君が好むと好まざるとにかかわらず、世界政府をつくるであろう。諸君の同意が得られればそれで良し。さもなくば征服あるのみだ。 (ジェームズ・ワールブルク)

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(日本人の大半はこのために利用されてきた。他の国の人間たちの大半もだが)

アルバート・パイクの世界操作計画
http://satehate.exblog.jp/6982937/

邪悪な場所 - イスラエル最高裁判所  By Vigilant
http://satehate.exblog.jp/17426306/

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by oninomae | 2012-04-02 20:27 | ホロコースト  

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