リンドバーグ第二次大戦参戦記 一九四五年 廃墟の中に立つ

第八章 一九四五年 廃墟の中に立つ より
六月十一日 月曜日
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今朝は地下工場の反対側から探検する計画だったが、まず最初にキャンプ・ドラ[Mittelbau-Dora, Nordhausen-Dora]を見て回ることにした。
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ドアから人影が入ってきた-囚人服を着た男である。いや、少年なのだ。男と呼べるほどには歳をとっておらぬ。囚人服は大き過ぎてだぶつき、胴回りでたくしこんであるものの、肩からだらりとぶらさがっている感じだ。明るいところに出て来ると、顔立ちがもっとはっきり見えた。まるで歩く骸骨だ。飢餓の状態にあり、骨にはほとんど肉が付いておらぬ。腕はやせ細っているので、皮膚は骨を包むためにあるとしか思えぬ。
彼はドイツ語でウレンダール中尉に話しかけながら焼却炉を指差した。「一年半に二万五千人が焼き殺された」-われわれの質問に答えて彼は自分がポーランド人であり、十七歳になったという。彼は付いてくるようにとわれわれを促し、われわれが最初に見た部屋に入っていく。かがみこむと、少年は寝棺と並んでいた人体から覆いのカンバスを持ち上げる。捕虜仲間で、ただ少年よりもっと瘦せ細っていた。同じような囚人服を着たまま、軍用担架に身を半分に折り曲げて横たわっていた。
二人ともあまりによく似ていた。片方が生きていながら一方は死んでいるとは信じ難いほどだ。短い黒髪が直立し、飢餓のために頬が削いだようにこけ、黒い目が光っている。死者の目は見開いたままであった。二人の間に認められる驚くべき対照点といえば、死者の顔面に現れている表情だ。かかる安らぎを見かけたことがあるだろうか。あたかも地上で煉獄の苦しみを経たのち、やっと心の平和を得たかのように見える。その死に顔を眺めやっているうちに、彼の魂は死によりわれわれが住む人間地獄に打ち克ったこと、ナチスの捕虜収容所とても生と死の尊厳をことごとく奪い去れぬということを悟った。
「ひどかった。三年間も、だ」。ポーランド少年の顔は悲惨と苦悶の記憶にゆがむ。彼は遺体を指差した。「僕の友達だった。いまは楽になっているよ」-彼はカンバスで再び遺体を覆った。
われわれは外に出る。少年がわれわれをどこへ連れて行こうとするのか見当も付かなかった。われわれは建物の片隅近くで止まった。私はただ遠いところに眼をやっていた。心はまだあの焼却炉や遺体、そしてこのような事態をもたらした人々や政治体制にこだわりながら、突如、ウレンダール中尉が通訳をしているのに気づく。「一年半に二万五千人だ。あの焼却炉からすれば、多過ぎるくらいの人数だ」。少年は手で丸い形を作り、炉の大きさを示した。彼は地面を見降ろしていた。私はその視線を追った。かつて長方形の大きな穴だった場所の前に、われわれは立っていたのである。多分、全長八フィート、幅六フィートくらいの穴だったろうか。深さは六フィートくらいあったに違いない。穴は焼却炉から運んだ灰で溢れていたのである-人骨の細いかけらの山だ-それ以外の何ものでもなかった。
われわれが佇む人骨の溢れた穴の周辺には、こぼれた骨灰の跡が小径のように尾を引いていた。われわれが暖炉用の石炭殻を投げ捨てるように、骨灰はぞんぱいに投げ捨てられたのだ。その穴は、庭先の景観を無視して石炭殻の穴を掘るように掘ってあった--焼却炉からさほど遠くなく、しかも穴を掘りやすい地面に見えた。近くに長方形をなした二つの小山があり、似たような穴の跡であろうか。少年は、焼却炉から運び出されてさほど時日が経っておらぬ膝関節の部分を拾い上げ、われわれの眼の前に突き出す。
無論、このような事が行われているのを、自分は知っていた。しかし、よしんばそれが第三者の撮影した写真を見て得た知識であっても、自らその現場に立ち、この眼で見、この耳で聴き、五感で感じた場合とはわけが違う。一種、異様な困惑が襲ってきた。以前かかる困難を覚えたのはどこでだったろうか。南太平洋でか。そうとも、ビアク島の洞窟で日本兵の遺体が腐りかけるのを見掛けたときだ。爆撃跡の穴に埋まる日本兵の遺体の上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ緑色を呈する日本兵の頭蓋骨が飾り付けてあるのを見掛けたときだ。
かりそめにも人間が--文明人が、かかる次元まで堕落できるとは考えられないことのような気がする。にもかかわらず、彼らは現実にこうして堕落したのである。ここドイツのキャンプ・ドラにおいて、またかのビアク島の洞窟において。しかも、ビアク島ではわれわれアメリカ人がそれをやってのけたのである、それとは異なる価値のために立ち上がったと主張するわれわれが、だ。ドイツ人はユダヤ人の扱い方で人間性を汚したと主張するわれわれアメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのである。「やつらは本当に獣以下だ。どいつもこいつも皆殺しにすべきだ」。耳に胼胝ができるほど南太平洋のアメリカ軍将校から聞かされた台詞だ!
「何故、兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁を認めぬか」
以下略
関連
JFケネディとホロコーストの秘密 by Clifford Shack 他
http://satehate.exblog.jp/13842815/
http://satehate.exblog.jp/7922652/
Extermination camp
http://en.wikipedia.org/wiki/Extermination_camp
Auschwitz–Birkenau 1,100,000 Poland
ゴルバチョフが公表したアウシュヴィッツの「死亡リスト」──実際には7万4千人。うちユダヤ人は3万人。
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/408.html
投稿者 ジオン兵士 日時 2005 年 2 月 17 日 02:40:54
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/439.html
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/188.html
ニュルンベルク『消えざる犯罪』エルンスト・ツンデル著
私は1989年,当時のソ連指導者ゴルバチョフに対し署名運動を起こした。それは、赤軍が1945年にアウシュヴィッツ強制収容所を占領した際に、持ち去った死亡リストを公表させる署名運動だった。数か月経ち、この要求は認められた。ゴルバチョフはこの重要リストを赤十字に公表したのである。これには、アウシュヴィッツで死んだ人々の出生地・住所・死亡時刻・死亡原因などが細かく記載されていた。このリストに掲載されていたのは7万4000人であった。そのうちユダヤ人は約3万人で、ポーランド人がほぼ同数、それに他国籍の人々がいた。
リンドバーグ第二次大戦参戦記・抜粋
http://satehate.exblog.jp/17400160/
X-DAYはまた4月8日か?
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/409.html
創世記:6:7.....主は言われた。「わたしは人を創造したが,これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく,家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」と破廉恥極まりない聖書の神はいったとさ。そうですか,そうですか人間を下僕とみなし逆らう人間は容赦なく皆殺しなんですね。デミウルゴス様........これは宗教殺人!
新潟の佐渡で震度5強 柏崎刈羽原発異常なし 2012/02/09 00:01 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012020801002178.html
8日午後9時1分ごろ、新潟県の佐渡島で震度5強の地震があった。気象庁によると、震源地は佐渡近海で、震源の深さは14キロ。地震の規模はマグニチュード(M)5・7と推定される。津波は観測されなかった。佐渡島近海でM5超の地震があったのは、1966年1月のM5・3以来。
佐渡市によると、体育館のガラスが割れたり、天井の板が落ちたりする被害があった。けが人などは確認されていない。東京電力柏崎刈羽原発と上越新幹線に異常はなかった。
気象庁は、余震は活発ではないが、今後1週間程度は最大震度4~5弱前後の恐れもあり、特に積雪の多い場所では雪崩に注意と呼び掛けた。



いよいよ「2012年」が、怪しくなってきた?


東日本大震災の謎を解明→北米プレート最下部の核爆発が正断層地震を誘発
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1951.html
The Argument that Fukushima Was Sabotaged January 27, 2012
http://www.henrymakow.com/theargumentfukushimasabotage.html
まるでこの世の終わり! ロシアの発電所が爆発する瞬間が激烈に怖い!!
http://rocketnews24.com/2012/02/08/180282/
綿貫礼子女史の死 2012-02-09 05:40
http://moribin.blog114.fc2.com/blog-entry-1384.html
綿貫さんが肝臓がんで亡くなられた。彼女の研究グループは、チェルノブイリ事故後に生を享けた子供たちの健康状態について現地に入り、20年以上調査研究を重ねて来ている。

「チェルノブイリの放射線被害は小児甲状腺ガンだけ」という「専門家」の言葉とは裏腹に、さまざまな病気が汚染地域で広がり[健康でない子供たち]は増加の一途をたどっていること、またその理由について論文や著書を通じて指摘つづけてきた。
東電福島第一原発暴発以降に、日本でもベラルーシなどの現状が現地の医師や科学者などの来日によって紹介されつつあるが、綿貫グループの先鋭的かつ地道な持続的研究は、「国際原子力村」の科学者たちによる、健康被害過小評価によって、封じ込められてきたといってよいだろう。
来る3月5日(生きていれば彼女の84歳の誕生日)には「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの―「科学」を問い脱原発の思想を紡ぐ」(新評論)が刊行されるはずであるとのことである。(共著者である吉田由布子氏による)

(森敏)
by oninomae | 2012-02-08 20:08 | 戦争詐欺・紛争