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チェルノブイリ小児病棟〜5年目の報告 1~3

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http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65740110.html
2011年06月03日09:30
チェルノブイリ小児病棟〜5年目の報告〜原発関連ドキュメンタリ(文字おこし)

受診小児100人中、甲状腺疾患62人…ドキュメンタリ「チェルノブイリ小児病棟〜5年目の報告〜【動画&文字おこし1】

http://www.youtube.com/watch?v=G8oJ9IG_JUg&feature=player_embedded


チェルノブイリ事故の5年後を記したドキュメンタリー「チェルノブイリ小児病棟~5年目の報告~」を文字に起こしていく。第1回目は、白ロシアの子どもの状態。広島大学原爆放射能医学研究所の佐藤幸男氏ら3人の医者が現地を訪れ調査と診察に当たる様子を伝えています。急性白血病をはじめ、血液疾患や甲状腺疾患など、受診に来た子供たちの中には、複数の病気を持つ子どもが少なくありませんでした。


急性白血病の疑いがある一人の男の子が小児病棟に運び込まれました。

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「いい?これからマスクをつけるの。こわくはないわ」

(男の子が頷く。)

「泣かないでね、男の子でしょ?」

この子は6歳、放射能汚染地帯に住んでいます。

半月ほど前から微熱が続き、関節の痛みを訴えていました。

村の診療所で血液検査を受け、白血球が異常に多いことがわかりました。

入院したその日、ただちに骨髄液を採取、がん細胞がないか調べました。

検査の結果急性白血病とわかりました。治療は一刻をあらそいます。

抗がん剤による治療が始まりました。

放射能汚染地帯では今、身体の異常を訴える子供達が増えています。

母「苦しくない?がまんしようね」

「こどもには罪はないのにどうしてこんなに苦しむの・・・」

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「この子は私の全てなんです。」

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【白ロシア共和国】

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ソビエト白ロシア共和国、チェルノブイリ原子力発電所の事故で放出された放射能は広島型原爆の500発分にあたります。

その70%が白ロシアの大地に降り注ぎました。事故から5年、今もなお放射能は消えていません。

これは今年4月、ソビエト政府が発表した放射能汚染地図です。白ロシアのおよそ4分の1が日本の安全基準では人が住めない強い放射能に汚染されています。

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しかし白ロシア共和国政府が住民の避難計画をすすめているのは、ピンクと赤で示された、特に汚染がひどい地域に住む20万人だけです。汚染地帯全体では今も220万の人たちが暮らしています。

【ミンスク空港】6月上旬、世界初の被爆地広島から3人の医師が白ロシアを訪れました。広島大学原爆放射能医学研究所の医師達です。

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【広島大学原爆放射能医学研究所 佐藤幸男教授】

佐藤教授は、母親が放射能を浴びた場合どのような遺伝的影響があるかを研究してきました。

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【木村昭郎講師】木村講師は大学病院で被爆者の治療にあたっています。

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【小熊信夫助教授】

小熊助教授は血液学が専門です。戦後被爆者の間で増加した白血病と放射能の関係を研究してきました。

3人は広島での経験を生かし、汚染地帯の子供達に何が起きているのかを調査することになりました。

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【白ロシア共和国 ブラーギン】

3人がまず訪れたのはチェルノブイリ原発からおよそ北へ60キロ、ブラーギンの町です。

日本の安全基準の20倍から30倍の、高濃度の汚染地帯の中にあります。(引用注:ここでは約100万Bq/平方m前後の汚染のことを言っていると思う) ブラーギンでは事故直後から住民の避難が続いています。4万人だった人口は、今では2万3千人になりました。計画によれば、2年後には住民の全てが避難し、町は地図から消えることになっています。

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【ブラーギン地区病院】

ブラーギン地区病院です。事故当時81人いた医師も放射能の影響を恐れて次々に避難し、今では30人たらずになりました

この病院では医薬品や注射器などの医療機器が不足しています。患者達に行き届いた治療ができないのが医師達の悩みです。

「この薬は必ずこどもたちのために役立てます。」

佐藤教授らは現地の医師達と協力して、子供達の集団検診を行いました。健診は二つの病院で3日間に渡って行われました。

被爆地広島の医師に診てもらえると聞いて、予想を上回る110人の子供達が母親に連れられてやってきました。

健診を前に日本から用意してきた問診カードが配られました。

質問は、事故当時住んでいた場所、家族構成、病歴など、15項目にのぼります。

子供1人1人についての放射能の影響を多角的に捉えようというものです。

健診は、問診カードと、病院に保管されていたカルテを照合しながら行われました。

健診をすすめていくうちに、頚のリンパ節が腫れている子供が多いことがわかりました。リンパ節の腫れは、身体の異常を示す兆候です。

「はれてますね、やっぱり、リンパ節が。両方に10個ずつくらいあるな、小さいのが。前、前からですか?ずーっともう?」

「チェルノブイリの事故・・と思います。」

この子は甲状腺が腫れていることがわかりました。肥大した甲状腺はがんになっているおそれがあります。

「このあたりが心配なんですが、どうでしょうか?」

「あのー、ま、全く安全とはいえないけども、まだあの、ほんの、ちーいさいですよ、ここ。ここ、あとここもちょっと腫れて、ここ、ちいさいですけどもね、今急にあのー、バイオプシー(生検)したりすぐ手術することはない。」

「どうか、この子を助けてください。」

彼女の子供はこの春、甲状腺がんと診断されました。しかし、どうしても信じられない、もう一度広島の医師に診て貰いたいと子供を連れてきたのです。

「組織を採ってね、どうも診断が確かでないみたいなんでね、これは標本を借りて頂いて、日本に持ち帰って専門家で正しい診断つけて、あのー、あげようということで、ちょっと話、すすめたんです。」

「病気とわかったのは2ヶ月前です。」

「でも、リンパ節は事故直後から腫れました。」

「チェルノブイリの事故のせいです。」

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これは診断を受けた子供達、110人の問診カードです。子供達の大半が、なんらかの病気を抱えていることがわかりました。

血液疾患と甲状腺疾患が目立ちます。中には1人でいくつもの病気を抱えている子供もいました。

【検診結果】

広島の医師達がまとめた検診結果です。

【受診者 110人】

受診者110人のうち、【血液疾患 27人 25%】貧血や白血球の減少など血液疾患が27人、4人に1人の割合で見つかりました。

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【甲状腺疾患 62人 56%】

更に甲状腺肥大など甲状腺に異常がある人は、半数を超える62人にものぼりました。


http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65740825.html
2011年06月09日18:43
3年後こどもの甲状腺がん増加。摘出後、一生ホルモン剤を飲む必要…「チェルノブイリ小児病棟〜5年目の報告〜【動画&文字おこし2】
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=MLNUEZCYGrE


チェルノブイリ事故の5年後を記したドキュメンタリー「チェルノブイリ小児病棟~5年目の報告~」を文字に起こしていく。第2回目は、子どもの甲状腺癌の詳細。3年後の子どもの甲状腺癌増加で、公開する医者の姿。1つの細胞に核が20個存在する事実。そして、甲状腺摘出後は、一生ホルモン剤を飲み続けなくてはいけないという悲しい現実だ。

(文字おこし、続き)

広島の医師達は、貧血や甲状腺肥大が特に著しかった6人から血液を採取し、日本に持ち帰ることにしました。

広島では被爆者治療の経験で、染色体の傷つき具合から病気との因果関係を推定することが出来ます。

子供達の病気が放射能によるものなのかどうか、因果関係を知るには染色体レベルでの精密検査が必要です。ソビエトではこれまで、こうした詳しい検査は殆ど行われていません。

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【ブラーギン地区病院 ペレウ・ワシーリ院長】

「残念なことに私たちの力では完全な治療をすることができません。ですから子供達の親の中には、私たちに不満をぶつける人が少なくありません。子供が重病であると判断したら、ミンスクの総合病院に送って治療して貰う以外に方法がないのです。」

「今後の対応をどうしていくのか検討しているところですが、医薬品は不足しており、医療設備も不十分で、自分たちの力が及ばないことを思い知らされるばかりです。残念です。」

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【ミンスク】

白ロシア共和国の首都、ミンスクです。

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【ミンスク第一病院】

甲状腺がんの疑いがあると診断された子供は、ここ、ミンスクの第一病院に送り込まれてきます。

この病院ではこれまで25年間、甲状腺の研究に取り組んできました。

事故後増え始めた患者に対応するため、去年、甲状腺がんを専門に手術するチームを作りました。

この6歳の男の子は高濃度汚染地帯から来ました。

組織検査の結果、甲状腺がんと診断され、手術を受けることになっています。

超音波検査のモニターには、医師が外から触っただけではわからない甲状腺内部の様子が詳しく映し出されます。

この子はすでに、がん細胞がリンパ節に転移していました。

「だからここにあのー、甲状腺の××が一つあって、」

「んで、左の方のリンパ節が3つ腫れている。ま、あのー、転移となる、みられるのが3つある。」

「どうですかー、あのー、日本の病院だとこういう症例はあるんですか?」

「あ、こどもで?いや、診たことありませんね。」

「ご覧になってどう思われますか?」

「だからあのー、日本では無いからびっくりしてますよ。」

甲状腺がんは、放射性物質のヨウ素131と密接な関係があります。

ヨウ素131が体内に入った場合、甲状腺に集中します。特に成長期の子供は甲状腺の働きが活発なため、多くのヨウ素が取り込まれます。ヨウ素が出す放射線によって、周囲の正常な細胞が傷つけられ、やがて甲状腺がんになります。

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ミンスクの医師達はチェルノブイリ事故で放出されたヨウ素131によって甲状腺がんが引き起こされたとみています。

ヨウ素は、放射能の強さが半分になる半減期が8日とごく短く、

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事故から5年も経った今では、子供達がどれぐらいヨウ素を体内に取り込んだか、確かめることはできません。

7歳になるこの少女は、3日前に甲状腺がんの手術を受けたばかりです。

1年前幼稚園の健診で甲状腺の肥大が見つかりましたが、痛みもなく、そのままにしていました。

しかし、腫れが大きくなったため心配した母親が、組織検査を受けさせたところがんがわかりました。

この病院に来たときは、すでに一帯に甲状腺がんが拡がっていたのです。

「事故の影響だと思う。」

「以前はこんな小さな子供にガンはなかった。」

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【甲状腺がんの患者数(18才以下)ーミンスク第一病院ー】

チェルノブイリ事故の後、ミンスク第一病院で手術を受けた18才以下の甲状腺がんの患者数です。1989年までは年に数人でしたが、昨年28人に急増、今年は4月までで既に34人、早くも去年の患者数を上回りました

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【ミンスク第一病院 ビクトル・レベコ部長】

「私たちは放射能が人間に与える影響というものを、事故後10年から15年経って出てくるものだと考えていました。しかし実際には1988年から89年にかけて、子供達の甲状腺がんが急激に増えてきました。」

事故から2,3年しか経っていないのですから、私たちの考えは間違っていたわけです。過去にこうした経験がないのですから、しかたがないといえばそうなのですが、医師として不注意でした。どう対応していいのかわからなかったことが悔やまれてなりません。」

「子供達の甲状腺がんを予防することが大切だと思いますが、今ではもう間に合いません。子供達はもうすでに、大量の放射性ヨウ素を甲状腺に取り込んでしまっているのです。もう間に合わないのです。」

この少女は2日前、350キロ離れた汚染地帯から入院してきました。

今年11歳。甲状腺がんの手術を翌日にひかえていました。

母親は仕事の都合で付き添えないため、少女は1人で手術を受けます。

「ちょっと注射をするだけだからね。」

「手術はこわくないよ。」

「元気になれるよ」

手術の朝です。少女には前の晩睡眠薬が与えられました。

しかし、不安と緊張の余り一睡も出来ず朝をむかえました。

手術は少女の気持ちが落ち着くのを待って、午前9時に始まりました。

子供の場合がんの進行がはやく、肺や脳への転移を防ぐためには一刻も早く摘出しなければなりません。

がんは大人の親指大までに大きくなっていました。

このため少女の甲状腺はすべて摘出することになりました。

「腫瘍はすべて取り除いた。もう大丈夫だ。」

「核は数えたら20ありますね」

佐藤教授は手術で取り出された甲状腺の組織を調べました。

中央にみえる黒い点ががん細胞の数です。

正常の細胞を押しやるようにがん細胞が拡がっています。

「あのですね、あのー、わたしもあまり診たことないんですけれど、」

「一つの細胞質の中に、今数えたら、核が20個ぐらいありますよ。」

「それで、多核細胞といってもいいし、んと、リンチチューム、合胞体。」

「要するに、一つの細胞に一つの核が、あの、普通なんだけど、」

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「こういう風に、異常細胞ですよね。」

「甲状腺で、子供の甲状腺で。私はこういうのはあのー、あの、みたことありません。あの子供の甲状腺では。木村先生、どうですか?」

「そういう、そのー、異常な細胞があるって事はどういうことなんですかね?」

「ということは、やっぱり悪性っていうことです。」

「がんですか?」

「がん、がんですね」

甲状腺を摘出すると、ホルモンの分泌がなくなってしまいます。

この少女は、これから一生ホルモン剤を飲み続けなければなりません。


http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65742567.html
2011年06月11日21:34
子どもの白血病増加は被曝1年目から。広島原爆投下と同じ傾向……チェルノブイリ小児病棟〜5年目の報告〜【動画&文字おこし3】
http://www.youtube.com/watch?v=xxbYmlcJUlI&feature=player_embedded


チェルノブイリ事故の5年後を記したドキュメンタリー「チェルノブイリ小児病棟~5年目の報告~」を文字に起こしていく。第3回目は、チェルノブイリ事故後の、1年後から増加した子どもの白血病について。1年後から白血病が増え始めたことは、広島原爆投下後と同じ経過をたどっていること。病院に勤める女性が「奇形児が増えた」と証言していること。そしてソ連は、移住先が見つからなければ自由に移住できないこと。を伝えている。

(文字おこし、続き)

【広島大学佐藤原医研 佐藤幸男教授】

「だいたい、放射線って言うのはそういうもので、目に見えなくて、放射線自身検出なかなか難しくて、あの、おこす病気も、放射線でも起こるし、そうでない原因でもおこるという、両面がありますんで、その証明って言うのは非常に難しいんですね。」

「でも、症例を積み重ねていけばそりゃわかってくるだろうと。ま、放射線の障害っていうのはそういう方法に依らざるをえない。」

「えー、たとえば結核菌を証明して、これは結核だというような発想とはまた違う発想が必要だと思うんですね。ただ、その点ですね、甲状腺のヨウド131の汚染地帯に集中的におこっていると。で、まずそれを原因として考えるのが、まあ常道だろうと。」

「で、ヨウドが甲状腺にたまってあの、そこでがんが多発する。放射性のヨウドですね。で、そう言う意味ではまあ、かなりダイレクトに結びついているという風に思いますけどね」

汚染地帯の人々が、事故当時、どれぐらいの放射性ヨウ素を取り込んだのか。それを示すデータが残っていました。

このデータはソビエト政府が、汚染地帯の住民十数万人に対して甲状腺の被曝線量を測定したものです。

この人は事故から2週間後の5月9日3000マイクロキロレントゲンが測定されました。日本で定められた許容限度の100倍以上の放射線を浴びたことになります。

その倍以上の7500マイクロレントゲンという高い値の人もいました。汚染地帯の子供達は大量の放射性ヨウ素を取り込んでいたのです。

佐藤教授と木村講師は、子供の甲状腺がんがどの地域で多発しているかを確かめることにしました。

「次ぎ、ゴメリ市が、いちにいさんしい、6つ、6つ。そこに6つ刺して。」

子供の甲状腺がんが多発しているのはゴメリ市であることがわかりました。

ゴメリはチェルノブイリ原発から北東120キロ、ミンスクに次ぐ白ロシア共和国第2の都市です

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事故から数日後、ゴメリ上空は真っ黒い雲におおわれたといいます。この雲にのって運ばれてきたヨウ素、セシウム、ストロンチウムなどの放射性物質がゴメリを汚染しました。

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ゴメリ市は1平方キロメートルあたり、1キュリーから5キュリーまでの汚染地帯です。日本の基準では一般人の立ち入りが厳しく制限される区域です。ここに現在55万人が暮らしています。 (引用注:1 Ci = 3.7×10の10乗 = 3.7×100億 Bq、平方メートルで考えるときは、100万分の1の数値にすればよい。つまり、1 Ci/平方km = 1μCi/平方m = 3.7万Bq/平方m。通常4万Bq/平方m以上になり得る場所が管理区域となっている)

【ゴメリ】

人々の放射能に対する恐怖を和らげようと、去年市の中心部に空気中の放射線量を示す表示板が取り付けられました。

「近所に住んでいるからいつも表示をみているよ。」

「でも数字は信じていない。実際はもっと高いはずさ。」

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「わたしは病院で働いていますが、奇形児が増えました。」

「こんな恐ろしい所にはとても住めません。」

「この子は血液の病気で、毎日、点滴を打たれてきた。」

「病気になったのはチェルノブイリの事故のせいだ。」

「子供たちはひどい病気にかかって苦しんでいる。」

「わたしはこの子を連れて外国に移住したい。」

ソビエトでは、移住先の住宅が確保できなければ、汚染地帯の住民であっても自由に町をはなれることはできません。

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【ゴメリ州立病院】

ゴメリでも子供達に異変がおきていました。

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ゴメリ州立病院小児血液病棟。この小さな病棟に白血病の子供が増えています。

白血病は、がんに犯された白血球が異常に増殖し、正常な白血球や赤血球が減少する病気です。

ベッド数30のこの病棟に現在定員を上回る32人が入院しています。そのうちの3人に1人が白血病です。

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【ウドドア・ユーリアちゃん(6)】

ウドドア・ユーリアちゃん、6歳、今最も目が離せない白血病の患者です。

高熱や関節の痛みに苦しんでいます。

抗がん剤の副作用で髪が抜けてしまいました。今年2月、高濃度汚染地帯から避難した直後に発病しました。

ユーリアちゃんは点滴のためのチューブを外すことができません。

この日、ユーリアちゃんの抗がん剤はドイツ製の強力なものに変えられました。

「痛くない?」

「どうしたの?大丈夫?」

母親のニーナさんは24時間つきっきりで看病しています。

「この暮らしに慣れてしまいました。この世には病院しかありません。」

「いつも、病院  病院・・・・」

「この子が良くなることだけが願いです。」

「でも、どうしたら助けられるのでしょう?」

「お医者さんも手を尽くしてくれますが、効き目がないんです。」

ユーリアちゃんの闘病生活は、5ヶ月目に入りました。

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【ゴメリ州立病院 小児白血病の患者数】

ゴメリ州立病院には事故の前白血病の子供はほとんどいませんでした。しかし、事故のあった1986年から目立ちはじめ、去年は17人と急激に増えました。今年に入って5月までにすでに11人。去年を上回るペースです。

広島では被曝後2年で白血病が増え始め、6年目でピークをむかえました。ゴメリ州立病院も広島と同じ傾向をたどっています。

【小児血液病科 シュミーヒナ・タチアナ部長】

事故後、0歳から3歳くらいまでの幼い子供たちの急性白血病が目立つようになりました。患者の年齢が下がったために、治療も難しくなりました。」

「発病と同時に内臓がどんどんと腫れていくのが特徴です。これはチェルノブイリ事故と、何らかの関係があると思います。」

「もし治療をはじめる前に患者の染色体を調べて異常があることを確認していれば、病気と放射能の関係をつきとめられたかもしれません。」

by oninomae | 2011-11-26 06:02 | 放射能・ラジオハザード  

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