映画「メトロポリス」のオカルト象徴主義とポップカルチャーにおけるその重要性 By Vigilant 2
ロットワング[Rotwang]

彼が実験中に失った右手を置き換えている機械的な右手をトレードマークとするロットワング。これは、発明者が「左利きの進路」を喜んで受け入れることを意味する象徴であろうか?
労働者たちが暴動を計画していることを知った時、ヨー・フェデルセンはロットワング、発明家にしてマッド・サイエンティストのアドバイスを求める。
彼の作品は、最新の技術を利用しているが、その映画内の多くの手がかりは、彼の発明品を作り出すために、彼はまた古代のオカルトの知識をうまく活用していることを示している。
彼は「何世紀も見過ごされてきた小さな家」に住んでいるといわれている、それは象徴的に、その科学者の古代のオカルトの伝統の系統を引いている奥義(アルカナ)を意味している;彼の家の地下室の秘密の跳上げ戸は2000年前からの悪霊墓地へつながっており、さらにロットワングの古代的そして神秘的な情報源についてほのめかしている。
さらにまた、彼の家の正面玄関は、一つの五芒星を掲げており、それはピタゴラス学派、オカルト主義、そしてフリーメーソン団を参照している。

ロットワングのドアの上の五芒星。 ピタゴラスの弟子たちは、相互認識の一つの秘密の記号として、彼らのドアに五芒星を取り付けていた。その署名とその意味は、その公の表示にも関わらず、秘密に保つことができた、なぜならただピタゴラスの幾何学の組合へ入会したものだけが、それを正確に描くことができたし、それらの組合への一つの象徴と通路としてのその深い意義の真価を認めることができたからである。
もし我々が現実と比較するならば、ヨー・フレデルセンに対するロットワングは、エリザベス一世女王に対するジョン・ディー[John Dee]がそうであったものである:科学、魔法、占星術やヘルメス哲学の世界に没頭していた一人の尊重されていた助言者。

もしフレデルセンが我々の世界の支配者を表しているならば、ロットワングは意思決定のオカルト・ペンダント、公衆からは隠されているが常に歴史的に存在した神秘的存在である。

その発明者は、誇らしげに彼の最新の発明、機械人間をフレデルセンに提示する、それは彼が「未来の人間」と見なしているものである。そのアンドロイド[人造人間]は、任意の人物の形を取ることができ、そして、ロットワング曰く、「誰も、その機械人間を、実際の人間と区別することはできないでしょう!」
トランスヒューマニストの夢は、すでに1920年代初期の昔に存在していた。
フレデルセンは、その次に、ロットワングに指示する、マリアに似た機械人間をつくるように、労働者たちの間に堕落を広めるために、彼女の信頼性とカリスマ性を使用するために。

ロットワングがそのアンドロイドに彼女の似姿を与える間、横たわっているマリア。 機械人間のちょうど頭上にある逆五芒星に注意せよ。もし直立五芒星が、癒し、数学的な完全性、そして5つの要素を表しているなら、逆五芒星は、これらの原則の堕落腐敗と黒魔術を意味している。


それで、今日のポップ・スターたちは、支配者によって、科学とオカルト主義の混合物で、プログラムされたこのアンドロイドと何を共通点として持つのか?
うーん・・・すべて。

ビヨンセ[Beyonce]

カイリー・ミノーグ[Kylie Minogue]

パパラッチ・ビデオのレディ・ガガ

メトロポリスによって強く触発された、デーヴ・ラシャペル[Dave Lachapelle]の撮影写真中のレディ・ガガ。

ラジオ・ガガでの、マリアの代わりに彼の顔をした、クイーンのフレディ・マーキュリー[Freddie Mercury]。 レディ・ガガの名前は、メトロポリスからの多量の映像を含んでいる、この歌とビデオによって霊感を受けた。

ジャネ・モネ[Janelle Monae]

メトロポリスのテーマはまた、ファッションにおいても非常に流行している。

ムービーに戻る。

そのアンドロイドは完成した、ロットワングは、それを言っている:
「私はお前に深みにいるものたちを訪問してもらいたい、その姿でお前が作り出されたその女の仕事を破壊するために!」

ロボット-マリアが応答する:片方の目が、悪魔のような笑顔とともに閉じられている。あなたはおそらく、以前の記事から、単一の目の重要性と、それを投げ掛けるポップ・アーティストたちのばかげた多さを知っている。
そのマリア・アンドロイドは、その後男性用クラブ吉原に送られ、そこで彼女はエロティックなダンスを披露する。彼女の行為の1つで、彼女は黙示録における、バビロン、その大売春婦として描かれる。

彼女は、ヨハネ黙示録、バビロンの大淫婦の役割を担っている。「そして、その女は紫と緋の色に着飾り、手に金の杯を持っていた。」 彼女は七つの大罪によって支持されている。
このシーンは、古典的な音楽ビデオを思い出させないか?

マドンナ-物欲ガール。どれだけのものが、彼女がここでバビロンの役割を果たしていたことに気づいただろう?
そのプログラムされたマリアは、あるどん欲な一般人たちの前で魅了的な踊りを上演し、それは、男性たちを、戦わせ、渇望させ、嫉妬深くさせ、そして残りの大罪を犯させる。
彼女は彼女の同僚労働者とともにいる時、マリアは、男性労働者たちを暴動へと扇動し、ヨー・フレデルセンが彼らに対して武力を行使する理由を与える一人の「挑発工作員」として行動(機能)している。
彼女は根本的には、公衆の最善の利益には反して、エリートの利益のために活動している。

彼らの監督の助けを借りて(なぜなら彼らは自分自身で本当には考えることができない)、その労働者たちは、最終的に彼らはそのアンドロイドによって欺かれてきたことを悟る。彼女はウィッチ(魔女)だと信じ、彼らはロボット・マリアを発見し、そして彼女を火あぶりにする。
一連のものごとがその後起こるが、しかし私はあなたのために結末を台無しにしたくない(ただし、あなたは本当に、83歳の映画の結末を損なうことに、誰かに怒りをぶつけることができるだろうか?)。
映画はこの字幕を付けて終了する:

この「その物語の教訓」は、基本的にエリートへの一つのメッセージ、大衆を王手をかけられた状態に維持するための一つのヒント:抑圧された満足を保持するためには、彼らのハートを捕らえねばならない、である。 それが、メディアが達成するものである。
それは、この音楽ビデオのエンディングを連想させる種類のものである:

マドンナの『Express Yourself』ビデオは、そのイメージを大きくメトロポリスから借りた。順繰りに、クリスティーナ・アギレラ[Christina Aguilera]の『Not Myself Tonight』は、『Express Yourself』から。
物話の教訓
メトロポリスの物語の教訓は、「すべての不平等を廃止し、そして皆が平等な一つの世界を建設しよう」ではなく、そしてそれは確実に、「民主的であれ、そして我々が支配者として望むものへ投票しよう」ではない。それはむしろ、 「労働者たちを彼らがそこに属する深みに送り返そう、ただし一人の媒介者付きで、かれが労働者と思想家との間の連結人となるだろう」 である。

それで、いつすべては言われそしてなされるのか、その映画は、本質的に「エリート主義者」である、それはまだ、ほとんどの資源を保持しそして労働者階級を管理する一つのエリート集団の存在を要求しているのだから。
最終的には、労働者たち-とフレーダー-は、彼らの条件がチェンジされるだろうと信じて、騙された。

実際、体制は生き残り、そしてヨーは、その深みで起こっていることをなんでも報告し、結果としてより厳しい監視とコントロールをもたらしながら、エリートに友好的なイメージを与えるナイーブな彼の息子を得さえした。
今日の労働者階級のフレーダーは誰か?
メディア。メディアは媒介者である。それがその機能である。

フレーダー、「頭と手」、労働者と思想家の連結者。この役割は、今日メディアによって演じられている。
マスメディアは、彼らの抑圧を愛するように彼らを騙し、日常的に大衆の「考えや感情」を操作する。大衆文化はマスメディアの娯楽部門で、ポップ音楽(大衆音楽)はエリートのメッセージを若者に伝えるためにからかう方法である。
ポップ音楽でのメトロポリスへの参照は、九分どおり、知っているものたち、入会者たちへのウィンクである、あたかも「この星は我々のために働いている(都合がいい)」と言っているかのような。


だから、先に進んで、そして無知、堕落、そして唯物人間になれ、そのビデオの中でのように・・・それが、彼らがあなたにそうあれと求めていることである。
メトロポリスと今日のポップカルチャーとの類似性
しかし、なぜメトロポリスか?なぜそれが「イルミナティ・スター」の暗号になっているのか?
もしあなたが、このサイト上の他の記事を読んでいたなら、あなたはたぶん気づいた。 その映画が、今日のイルミナティ・アジェンダ:トランスヒューマニズム、マインド・コントロール、暗いオカルト主義、道徳の退廃、警察国家、すべてを見通す政府という主題のすべてに触れていることを。
マリアのように、今日のポップ・スターたちは、労働者階級から採用され、そして文字通りプログラムされ、そして隠された支配者の代弁者になるように改造される。いかに多くのポップ・スターたちが、異なる名前や個性とともに、野蛮な変更自我を持っているかに注目すべきである。スターたちの役割の一部は、それをセクシーで魅力的にしながら、音楽やビデオを介して、エリートのアジェンダを促進することである。

おわりに
メトロポリスは明確に、「エリートによるエリートのための」映画である。それは、世界を運営するものたちの関心事に取り組み、そして体制に支障を来たさない一つの解決策を提供する。
その映画はまた、フリーメーソンの象徴主義によって充満しており、そして、適切な入会者たちによって解読されるように意図されている古代の秘儀に言及する多くの象徴を含んでいる。言い換えれば、その映画は主として支配階級向けであった。
ならばなぜ、歌手たちはそれをそれほど大好きなのか?まあ、たぶん彼らは、その場面の背後にいるもの、音楽ビジネスで権力を持っているディレクターやイメージ・メーカーたちほどにはそれを愛してはいない。彼らは、何をスターたちがし、表すべきかを決定する。
そして今日の大衆文化は、イルミナティの象徴主義に満ちたエリート主義であり、そして道徳的退廃と伝統的価値の低下を推進している。
我々のポップ・スターたちは、彼らの行為を介して、プログラムされたアンドロイド(人造人間)への道を開き、そして同じ機能を完成させる。さもなければなぜ彼らは彼女のような服装をしているのだろうか? もしアーティストたちが、常に絶対的な自由と創造性を具現化しているのなら、なぜ歌手たちはマインド・コントロールされたアンドロイドの役割を果たしているのか? なぜならそれは、彼らがそうであるものだからである。
メトロポリスは確かに素晴らしい映画である。それが、そのリリース80年後になってやっと、今日的になってきているほど素晴らしい。しかし、もしエリートが彼らの思いどおりにやってのけるならば、来るべき数年により今日的な意味を帯びてきさえするであろう。
了 (和訳その2)
元記事は
The Occult Symbolism of Movie “Metropolis” and its Importance in Pop Culture By Vigilant October 19th, 2010
http://vigilantcitizen.com/?p=5208



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