ヒトラーの耳元の英国エージェント by Henry Makow Ph.D.
「バロン・ウイリアム・ド・ロップ[Baron William Sylvester de Ropp, 1877-?]」という名前は、あまりよく知られていない。入手できる写真はないし、Wikipediaの項目もない(今はあります)。 しかし、彼は一人の英国工作員で、ヒトラーを友人として助け、そして彼のハンドラーだったかもしれない。
ヒトラーの「大胆な」外交&軍事クーデターは、世界を驚かせたが、ド・ロップによって提供される英国の意図についての高度な知識に基づいていた。

上の写真に写っているのはバロン・ド・ロップではない。それはエルンスト・(「プチ」)・ハンフスタングル[Ernst ("Putzi") Hanfstaengl]、もう一人別のヒトラーの側近の中心部にいた連合軍のエージェントである。両男性が、イルミナティが世界戦争を誘発するためにヒトラーを作り出したとの議論に信憑性を追加する。プチについての追加は後ほど。
ラディスラス・ファラゴ[Ladislas Farago]によれば、バロン・ド・ロップは、その時代の「最も神秘的かつ影響力のある秘密の操作員」だった。
1877年にリトアニア[Lithuania]で生まれ、ドイツで教育を受け、彼は英国には1910年に移った。第一次世界大戦で、英国に仕えた後、彼はベルリンに移動し、ヒトラーに彼を紹介した仲間のバルト人でナチの理論家アルフレッド・ローゼンベルク[Alfred Rosenberg, 1893-1946]に連絡をとった。
ド・ロップはナチ党外務省を率いるローゼンベルクと親密に働いた。

ナチたちは彼を彼らの英国でのエージェントであるとみなした。そこで彼は「クリブデン・セット[Cliveden Set]」として知られる英国の強力なセグメントの中でナチの主張への支持を組織した。彼は政府高官の訪問と情報の交換を組織した。
この気心のあった雰囲気の中で、ドイツ空軍は無邪気にもその秘密を英国に公開した。これは、ヒトラーに英国は彼の共産主義ロシアの征服を支持するだろうと思わせるより大きなイルミナティ計画(「宥和政策」)の一部であった。
ファラゴ: 「ある親密な個人的関係が、総統とデ・ロップ間に成長した。ヒトラーは、英国の外交についての彼の信頼できるコンサルタントとして彼を使って、自分の壮大な計画を彼に率直に概説した・・・いかなる他の外国人もこの程度までは享受しなかった信頼である。」 (狐たちのゲーム[The Game of the Foxes]p.88)

「キングポーンあるいは黒の騎士[King Pawn or Black Knight](1995年)の中で、グウィン・トーマス[Gwynne Thomas]は書いている:
「そのナチ指導者は彼をすぐに好きになった、特にド・ロップが英国社会に強力なコネクションを有しており、ロンドンで何が起こっているかについて大抵よく知っていることを、彼が発見したときに。ド・ロップは[ヒトラーの]信頼を享受しただけでなく、ヒトラーが影響を与えたいと望んだ多くの英国要人たちとの取引における彼の広報担当者となった・・・ド・ロップが、1933年末までにはナチ党が完全に確立され主導権を持つことを確実にしたナチの選挙運動のいくつかに資金提供するための、ロンドンのシティでの資金調達に役立ったという強力な証拠がある。」 (p.25)
ヒトラーは、資金供給し、助言し、そして彼を代表する一人の英国エージェントを持っている。どの時点で、ヒトラーは彼自身が「英国の」エージェントだったのか?
紙一重
イルミナティがヒトラーを権力の座に就けた後、彼らはドイツの反対派を妨害することによって彼をその地位に保った。
一九三八年五月四日、ルートヴィヒ・ベック[Ludwig Beck, 1880-144]、ドイツ一般幕僚長は、その国が大惨事向かって率いられていると警告して、ヒトラー打倒を呼びかけた。
一九三八年五月一〇日、チェンバレン[Arthur Neville Chamberlain, 1869-1940]首相は、クリブデン・ハウスで記者会見を行い、英国は、ドイツ、イタリアとの協定を求めており、そしてチェコスロバキアの分割を支持すると述べた。
この英国の同意を得た結果、ドイツ軍はそのヒトラーの戦争計画への抵抗を撤回した。
一九三九年には、ド・ロップはドイツのポーランド攻撃事件についての英国の立場を詳しく説明した。
「ローゼンベルクは、英国は防衛「戦争」を戦うだろう、つまり、ポーランドの防衛やあるいはドイツの攻撃に対する報復で行動を起こさないだろうと告げられた。特に、ドイツの領土は空爆されないだろうと、そしてドイツは、等価のものを返すこと、「偽の戦争」の期間中保持された一つの決定、に同意した。」
「このド・ロップとローゼンベルクとの間で取り決められた「取引」は、その戦争を速やかに終了させる可能性を未決のままに残していただろう。なぜなら、ド・ロップは、『英帝国もドイツも、存在しなくなった一つの国家のために、それらの未来を危険にさらすことは望まないだろう。』と言っているからである。
したがって、ポーランド人たちに二股をかけることによって、英国を本拠地にしたイルミナティは、ナチたちにスターリンと共有する境界線(国境)を与えることに成功した。それは単に時間だけの問題であった。それらの間で戦争が勃発するだろうまで。
今や課題は西への攻撃を誘発し、ヒトラーを二正面作戦の罠にかけることであった。
おそらく、ド・ロップ男爵は彼に英国とフランスは寝返るだろうと請け負った。
その戦争が始まった後、ド・ロップは彼の操作の拠点を中立のスイスへと移動させた。しかし、ラディスラス・ファラゴによると、「戦争中何回か、彼はヒトラーに会議のために召喚された。」 (89)
覚えておくことだ。ウィリアム・ド・ロップという男は英国のエージェントだった。疑問は残る。ヒトラーは意識的な英国の(つまりイルミナティの)エージェントであったのか?
私の感覚では、イルミナティは、その自然な目標がイルミナティのアジェンダに沿っている見当違いな人々を後援し、彼らを導く。しかし、ヒトラーが意識的なエージェントであったことも同様に可能である。(訳注:これは、もちろん今の日本にも当てはまる)




ハンフスタングル

プチ・ハンフスタングル["Putzi" Hanfstaengl, 1887-1975]は、もう一人の謎めいた人物である。彼は自分の回顧録で、自分自身を米国のエージェントと名乗っている。

彼は、あるイルミナティの素性を有しているかもしれない。おそらくユダヤ人の母親、「ハイネ[Heine]」という。
彼はハーヴァード大学で、そして後彼の父が美術商を営んでいたニューヨーク市で、ルーズヴェルト及び米国エリート層の他のメンバーと親しく交際した。
彼は1920年代にドイツに移住し、そして米国ベルリン大使館付き武官トルーマン・スミス[Truman Smith]によってヒトラーに紹介された。
スミスは彼に「ヒトラーから目を離さない」ように依頼した。

ハンフスタングルは、ヒトラーの側近の一部となり、しばしば総統を彼のピアノ演奏で慰めていた。

もっと実質的には、ハンフスタングルはナチの新聞の日刊紙への拡大に資金を提供した。彼は、ハーヴァードのフットボール賛歌に基づいてナチの行進曲を作曲した。


彼は、失敗した(ミュンヘン)ビアホール一揆の後、ヒトラーをかくまい、そして彼の美人の妻はその錯乱状態の総統が自殺をすることを防いだ。ハンフスタングルは、一九三三から一九三七年まで、ヒトラーの海外報道主任であった。

再度言うが、この男は米国のエージェントだった。
最後に、トルーマン・スミスは言及に値する。
国務省のメンバーであったけれども、彼は米国内でナチの支援を組織した。彼は、ドイツ空軍施設へのチャールズ・リンドバーグの視察旅行を組織した。後に、ワシントンで、彼は第二次世界大戦への米国の参加への、政治的・軍事的反対派を組織した。(Farago, pp.556-557)
本質的に、ハンフスタングルとスミスの役割は、バロン・ド・ロップのそれに匹敵する。
彼らは、ヒトラー(と一般的にドイツ人たち)が、彼らはロシア(ソヴィrト)に対するその無鉄砲な聖戦において、英米の支配層(つまりイルミナティ)から支援されていると信じるように励ました。

結論
ウィリアム・ド・ロップ男爵、ハンフスタングル、そしてスミスたちは、第二次世界大戦がヨーロッパの国民国家を破壊しイスラエルのために理論的根拠を提供するために、イルミナティによって企画されたというさらなる証拠である。

イルミナティという用語で、私は、ヨーロッパの貴族、ロスチャイルド一族、そしてロックフェラー一族たちから生じる悪魔的集団について言及している。
歴史は、彼ら自身の権力と富を増大させながら、人類を劣化させ奴隷化するために、これらの精神病質者たちによって脚本が書かれた演劇である。
この真実を曖昧にすることによって、ほとんどの歴史家、作家、ジャーナリストたちは、共犯者である。



(わかりやすいなー)

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公式!ベニート・ムッソリーニもかつてまた、一人の「英国の」エージェントであった。
http://www.cbsnews.com/stories/2009/10/14/world/main5383503.shtml?tag=stack
Related- "Was Hitler an Illuminati Agent?"
http://www.henrymakow.com/001399.html
http://satehate.exblog.jp/12147420
注:ウィリアム・ド・ロップの息子、ロバート・ド・ロップ[Robert de Ropp, 1913–1987]、一人の生化学者は、六〇年代の霊性と意識の拡大についての一冊の古典『マスター・ゲーム[The Master Game]』を著した。

元記事は
The British Agent at Hitler's Ear (Revised) by Henry Makow Ph.D. October 12, 2009
http://www.henrymakow.com/the_british_agent_at_hitlers_e.html


関連
Roosevelt and Hitler Unmasked at Last!!
http://www.reformation.org/roosevelt-and-hitler.html



ロスチャイルドの人種(品種)改良:ユダヤ人を育種するユダヤ人 by Clifford Shack
http://satehate.exblog.jp/7969931/
もちろん、ロスチャイルド一族は、自身はドイツ系ユダヤ人起源で、ドイツの土着ユダヤ人には満足しているが。
ロスチャイルド一族は、ウオーバーグ(ワールブルク)一族の努力を通してこれらのユダヤ人をパレスチナに移植した。
ロスチャイルド代理人のアドルフ・ヒトラーによって実施された計画的な人種の浄化から彼ら自身を保護しながら。
ウォーバーグ一族
http://satehate.exblog.jp/7966411/




(イルミネーション)
by oninomae | 2010-11-30 22:31 | 戦争詐欺・紛争