「資産」キッシンジャーのアメリカ併呑サクセス・ストーリー by ジョン・コールマン
「資産」キッシンジャーのアメリカ併呑サクセス・ストーリー
アメリカにおけるRIIA最大の資産、ヘンリー・キッシンジャーが権力の座に昇りつめるまでの道筋は、イギリス君主体制下の一機関がアメリカ合衆国という共和国に対して勝利する物語だ。それは恐るべき物語であり、ここで述べるにはあまりにも長大なものだ。しかし、何もふれないとなれば、私の怠慢になる。ほんのわずかだが、キッシンジャーが名声、富、権力へと昇りつめた、その要点だけでも述べておこう。
キッシンジャーは、アメリカ陸軍での兵役期間ののち、初めはフリッツ・クレーマー将軍[General Fritz Kraemer, 1908-2003]の運転手として、戦争により荒廃したドイツで仕事をしていた。
Henry Kissinger (left), the talent, with his scout and mentor Dr. Fritz Kraemer in 1945
それからオッペンハイマー家[Oppenheimer family]に見いだされ、選ばれてイギリスのウィルトンパーク[Wilton Park]に送られ、さらに訓練を受けた。当時は上等兵だった。
一九五二年、タヴィストック人間関係研究所に迎えられたキッシンジャーは、R・V・ディックス[R. V. Dicks]に一から仕込まれ、まったくの別人に生まれ変わった。もう、彼を押さえ付けるものは何もなかった。そしてほどなくスカウトされ、CFRニューヨーク支部のジョージ・フランクリン[George S. Franklin]とハミルトン・フィッシュ[Hamilton Fish Armstrong?, 1893-1973]のもとで働くことになった。
アメリカが採用した公式の核政策は、キッシンジャーがタヴィストックにいるころ彼のもとに届けられた文書をもとに、彼も参加した円卓会議のセミナー「核兵器と外交政策」が形を整えたものと考えられている。このセミナーでは、「相互確証破壊[Mutual assured destruction]」として知られる政策が発表された。それは、まったく合理性を欠いたもので、いかにもふさわしく、その頭文字をとって「MAD」として知られるようになった。
ウイリアム・ヤンデル・エリオット[William Yandell Elliot]のおかげと、
円卓会議の各情報部長の中でもトップランクで、アメリカでのMI6の実地活動の責任者、ジョン・ウィーラー・ベネット[John Wheeler Bennett]の後見・指導のおかげで
キッシンジャーは、エリオットがその著書『政治における実践的反抗[The Pragmatic Revolt in Politics]』で述べているとおり、エリオットの「秘蔵っ子」になった。
キッシンジャーは円卓会議の新メンバーに選出され、ハーバード大学国際ゼミナールで研究したマネタリズム政策を推し進めることになった。
キッシンジャーはエリオットの教えを貧欲に吸収し、もはやクレーマー将軍がかつて評したような「かわいい、ユダヤ坊やの運転手」の面影はなかった。キッシンジャーはベイリャル校の精神にどっぷりとつかり、退廃的なイギリス貴族の熱心な信奉者になった。キッシンジャーがその哲学を取り入れたトインビー[Arnold Toynbee, 1889-1979]は、RIIAでMI6の首席情報責任者を務めていた。
キッシンジャーは同所の文書を使って「学位論文」を書いた。
一九六〇年代の半ばまでに、キッシンジャーは自分の価値を円卓会議とRIIA、ひいてはイギリス王室に向けて証明してみせた。キッシンジャーは、報奨とそれまでに学んだことのテストを兼ねて、小グループを任された。構成メンバーはジェイムズ・シュレジンジャー[James Schlessinger, b.1929]、
アレグザンダー・ヘイグ[Alexander Haig, b.1924]、
ダニエル・エルズバーグ[Daniel Ellsberg]
の三人で、円卓会議は彼らを使って一連の実験を試みようとしていた。グループに協力したのは、政策研究所(IPS:Institute for Policy Studies)の理論的リーダー、ノーム・チョムスキー[Noam Chomsky, b.1928]だった。
ヘイグもキッシンジャーと同じく、クレーマー将軍のもとで働いた。運転手ではなかったが、二人目の弟子のために将軍は、アメリカ国防総省にさまざまな空席を多く見つけてやった。いったんキッシンジャーが国家安全保障会議顧問に就任すると、クレーマーはヘイグにその補佐の職を与えた。
エルズバーグ、ヘイグ、キッシンジャーは、ついでRIIAのウォーターゲート計画[Watergate scandal]を推進し、三〇〇人委員会の直接の指示に従わなかったニクソン[Nixon]を放逐しようとした。
ヘイグがニクソン大統領を洗脳し、混乱させる役割をリードした。そして、そうやって彼が大統領を飼い慣らしている間、ホワイトハウスを実質上運営していたのがキッシンジャーだった。私が一九八四年に指摘したように、ヘイグは「ディープスロート」と言われたホワイトハウスの仲介人であり、ホワイトハウスで起こっていることについての情報を「ワシントンポスト」のウッドワードとバーンスタイン[Woodward and Bernstein]のチームに流した張本人だった。
ジョン・コールマン 300人委員会 第4版(1997) 和訳版 1999.5 p257-9より
Kraemer: Encouraging the Secretary of Defense, Donald Rumsfeld
http://www.worldsecuritynetwork.com/dsp_proposal.cfm?proposal_id=227
by oninomae | 2009-05-13 21:31 | 政治詐欺・政治紛争