「医学」とは何か?
まず、
★阿修羅♪プロトコール
http://www.asyura2.com/data001.htm より抜粋
いかにしてプロトコールはロシアに来たか
"プロトコール"<原注1>という言葉は公的文書の最初の頁に糊付けして、開巻の決まり文句だとか参考に供するために内容の要約だとかを書いた見返しのことを意味するのが普通だった。条約の草稿は普通、署名人が署名する前に正式文書に誤りがないかどうかを検するために、こういう糊付けをしたのである。草稿そのものは会議で論じられたことをもとにしたので、この言葉は議事録のことも意味するようになったのである。『シオン長老のプロトコール』の例では、ユダヤの指導者たちによる「行動計画草案」という意味になる。
<原注1>ギリシャ語のprote(最初)+kolla(にかわ、接着剤)。
ディアスポラ[バビロン捕囚後のユダヤ人離散]以来、ユダヤの歴史では異なる時期にこのような草稿が数多く存在したが、一般に流布されたものは僅かしかない。全体を通じて、その原理と道義性は、この種族と同じくらい古くから変りない。挿入図に示したのは、十五世紀にあった一例である。
一四九二年、スペインのラビの長キモールがグランド・サンヘドリンに手紙を出した。スペインの法律によって追放されそうになった彼が、コンスタンチノープルにあったサンヘドリンに助言を求めたのである。次がその返書である。<原注2>
「愛するモーゼの兄弟よ、貴下が心労と災厄を忍ばれる書簡を受理した。貴下同様われらも大いなる心痛に胸を刺さるる思いである。
大地方総督とラビの助言は次の通りである。
一、スペイン王<原注3>にキリスト教徒にならんことを強要さるる件に関して。他に途なき以上、そうされよ。
二、貴下の財産の没収命令が出さるる件に関して。貴下の子息らを商人となし、キリスト教徒より少しづつ没収せしめよ。
三、貴下の生命が脅迫さるる件に関して。貴下の子息らを医師または薬剤師となし、キリスト教徒どもの生命を奪え。
四、貴下の礼拝堂破壊の件に関して。貴下の子息らを、キリスト教教会を破壊すべく、大聖堂参事会員ならびに聖職者にせよ。
五、その他、貴下が訴願されたる心労の種諸々に関して。貴下の子息を弁護士ならびに法律家となすよう手配し、常に国事に親ませ、貴下らの支配世界実現によりキリスト教徒に軛をつなぎ存分に報復せよ。
六、貴下に送るこれらの指図を逸脱してはならない。なんとなれば、屈辱を蒙りし貴下の経験を通じ、貴下は現実の支配力に到達されるであろう。
(署名) コンスタンチノープルのユダヤ王子
<原注2>この返書は、十六世紀のスペインの書物、フリオ・イニゲス・デ・メドラーノ著『ラ・シルヴァ・クリオサ』(パリ、オリー出版社、一六〇八年)の一五六頁から一五六頁(一五七?引用注:詳細不明)にかけて掲載されている。(写真説明略)
<原注3>フェルディナンド王。
ニールスが世に出したプロトコールは、ユダヤ指導者の計画の最新版に過ぎない。いかにしてそのプロトールが広く知られるに至ったかの物語は、極めて興味深い。 一八八四年のこと、ロシアの一将軍の娘、ジュスティーヌ・グリンカ嬢が、パリで政治情報を収集する任務を帯びて勤務中のことだった。彼女はセント・ペテルブルグのオルゲフスキー将軍<原注4>と連絡をとっていた。
この任務のために、彼女はジョセフ・ショールストというユダヤ人を雇った。ある日、パリの[フリーメーソンの]ミズライム・ロッジの一員であるショールスト<原注5>が、ロシアにとって非常に重要な文書を提供するから二千五百フラン出さないかと話を持ちかけてきた。セント・ペテルブルグから到着した全額が支払われると、問題の文書はグリンカ嬢に手渡された。<原注6>
<原注4>当時の内務大臣シェレーヴィン付き秘書官。
<原注5>別名シャピロで、彼の父親はロンドンでこの二年前、偽造罪で十年の懲役宣告を受けた。
<原注6>ショルストは、エジプトに逃亡したが、フランス警察の記録では、同地で殺害された。
嬢はフランス語の原本に前書きを付け、ロシア語訳を添えてオルゲフスキーに届けた。オルゲフスキーは今度は皇帝に届くように、上官のシェレーヴィン将軍に手渡した。だが、シェレーヴィンは、裕福なユダヤ人から負債を負っていたため、握りつぶしてただ資料保管所に保存しただけに終った。<原注7>
<原注7>一八九六年、彼は死に際してプロトコールを含めた自分の回想録をニコラス二世に遺贈した。
一方、パリではロシア宮廷生活のことを書いた書物<原注8>が出版され、ロシア皇帝の不興を買った。皇帝は秘密警察に著書を見付け出してくるように命じた。このことが、恐らく意図的にねじ曲げられて<原注9>、グリンカ嬢が著者であるということにされ、彼女はロシアへの帰途、彼女の農園があるオレルに追放の身となった。
<原注8>〝ヴァシーリー伯爵〟の偽名で発行されたこの本の真の筆者はジュリエット・アダム夫人で、デミドフ・サン・ドナコ王女、ラジヴィル王女その他のロシア人の提供した資料を使って執筆した。
<原注9>パリのロシア秘密警察にいたユダヤ人にマニウロフがいて、この憎むべき人物はM・パレオローグの『回想録』に描かれている。
グリンカ嬢は、この地方の貴族であるアレクシス・スホーティンに、プロトコールの写しを一通渡した。スホーティンはこの文書を、ステパーノフとニールスという二人の知人に見せた。
ステパーノフは一八九七年、ひそかにこの文書を印刷し配付した。ニールスは、初めはツァルスコエ・ツェロ(ロシア)で一九〇一年に、『卑小の内なる偉大』という書名で出版した。次いで、同じ時期に、ニールスの友人G・ブトミもまた写しを一部持ち出し一九〇六年八月一〇日、大英博物館に寄託した。
その間、ロシア警察のユダヤ人たち<原注10>を通じて、一八九七年のバール[バーゼルの古名]会議<原注11>の議事録が入手され、その文書がプロトコール<原注12>の内容と酷似していることが判った。
<原注10>明らかにエノ・アゼフとエフロムである。エフロムは、以前ラビであって一九二五年に逃避先のセルビアの僧院で死没した。彼はよく修道僧に、プロトコールは世界を支配しようとするユダヤの計画のほんの一部であって、異邦人に対するユダヤの憎悪を弱々しく表現したものに過ぎないと語っていた。
<原注11>上記、第一部三四頁。
<原注12>ロシア政府は、ブナイ・ブリスが一八九三~四年にニューヨークで開いた会議で、ヤコブ・シフ(上記、六三、六四頁)がロシア革命運動委員会代表に選ばれたことを知った。
一九一七年一月、ニールスは改訂増補版を出版する準備をしていた。だが、同書が市場に出回らないうちに、一九一七年三月の革命が起こり、政権を取ったケレンスキーはニールスの本を全冊処分する命令を出した。一九二四年、ニールス教授はキエフでチェカに逮捕投獄され拷問を受けた。ニールスは首席裁判官のユダヤ人に、この処分は「プロトコールを出版することで測り知れない損害を人々に与えたこと」に相応する措置であると言われた。数ヵ月後に釈放されたニールスは、今回はモスクワで再びGPU(ゲーペーウー、チェカ)に逮捕され監禁された。一九二六年に釈放されたが、ニールスは追放先のウラジミールで亡くなった。時に一九二九年一月一三日だった。
ニールスの第二版は数冊押収を免れ、外国へ持ち出され刊行された。ドイツではゴットリート・ツム・ビーク(一九一九年)、英国ではザ・ブリトンによって(一九二〇年)、フランスではジュアン氏が『秘密社会国際評論』で、また、ウルバン・ゴイェが『ラ・ヴェーユ・フランス』、アメリカ合衆国ではスモール・メイナード会社(ボストン、一九二〇年)である。後には、イタリア語、ロシア語、アラビア語、そして日本語でも刊行された。
以上が、プロトコールがいかにロシアにやって来たかの手短かな物語であり、以来、広くこの書が読まれるようになっている。
この点に関するステパノフ氏の調書<原注13>を裏付け証拠として、ここに掲載する。
「一八九五年、トゥーラ地方の私の知人、元市長のアレクシス・スホーティンが、私に『シオン長老のプロトコール』の手書き原稿をくれました。スホーティンは、パリに居住する知り合いの女性が、その女性の名前は言いませんでしたが、ユダヤ人の友人の家で見付けたものだと言いました。パリを立つ前に、彼女はひそかに翻訳して、その一部がロシアに来て、スホーティンの手に渡ったと言いました。 初め私はこの翻訳を謄写版で印刷しましたが、読みにくいものでした。それで活字印刷することにしましたが、何時だったかどこの町の何という印刷所だったか覚えておりません。この件に関しましては、その頃、セルギウス大公の執事長だったアルカディ・イッポリットヴィッチ・ケレポフスキーに手伝ってもらいました。彼がこの文書を地方の印刷所に印刷させたのです。それは一八九七年のことでした。セルギウス・ニールスは彼の著作の中にこのプロトコールを入れ、彼自身の注釈を付けました。
(署名)フィリップ・ペトロヴィッチ・ステパーノフ 元モスクワ長老教会事務弁護士、式部官、枢密院委員、現在(一八九七年)オレル町所在モスクワ・カーク鉄道代表。一九二七年四月一七日。
証人 ディミトリ・ガリツィン王子 スタリ・フォンタク所在ロシア移民居留地代表」
<原注13>著者訳。
「シオンの議定書」の真贋考 れんだいこ
http://www.gameou.com/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_giteisyoco_shinganco.htm や
世界権力構造の秘密 ユースタス・マリンズ(Eustace Mullins) 1
http://satehate.exblog.jp/7531857
独立史家デビッド・リビングストンがカバリストの陰謀を明かす By Henry Makow Ph.D.
http://satehate.exblog.jp/10528931/ も参照
次に、
『ローゼンタール文書』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20051220
では、
R 『ユダヤ人は家族的生活をする。我々の文化は高い教育水準を必要とする。我々は基準を設けて自分たちの子供が親の基準を上回るようにさせる。我々の民族は教育上の劇的な進歩を示し続けている。我々の子供の成功は全く学校だけによるものではなく、家族にもよっている。そして我々はこれらの達成を大変誇りに思っている。おまえたちは話にならない!毎年アメリカでは12000人以上の医学博士が医学部を卒業するが、その内の約10000人がユダヤ人だ。 法学部の学生のユダヤ人比率はもっと高い。 我々の支配に対するどんな抵抗も束の間で終わるほど、ユダヤ人はここアメリカの強固な基礎の上に立っている。おまえはキリストがユダヤ人だった話とか、神の選民の話とか、六百万人の話を我々があざ笑っていることを知っている。このことは我々が世界で他に類のない結束力を持っていることを物語っているはずだ。 ユダヤ人は今まで会ったこともない、ひょっとしたら、聞いたこともない他のユダヤ人とも緊密さを持っている。』
また、
イルミナティ離脱者Svali
http://satehate.exblog.jp/10518866/
によれば、
広範に浸透した存在
Svali:イルミナティは、米国内のすべての主要な大都市の中心部に存在している。イルミナティはある領域をその(配下の)以下のもので支配することを信頼している:銀行や金融機関(いかに多くが銀行の取締役会に座っているかわかる?驚くわよ)地方政府:いかに多くのものが地方都市の議会に選出されるかわかる?法律:子供たちは法律学校と医学校に行くことを奨励されている。メディア:他のものはジャーナリズム学校に行くことを奨励されており、そしてメンバーたちは地方紙に融資する。
日本人死者は24名だったそうですが。
再び、ローゼンタール文書から
テープのスイッチを切った後、私はハロルド・ローゼンタールを非難した。例えばユダヤ人が神の選民かという質問に対して、彼は私の質問に正直に答えるという約束を守らなかった。彼は反論した。
『我々は神の選民だ…、ほとんどのユダヤ人は認めたがらないが、我々の神はルシファーだ。だから俺は嘘を付いていなかった。そして我々はその選民だ。ルシファーは今も活発に生きている。』
かれらはいかに世界を支配しているか By Henry Makow Ph.D.
http://satehate.exblog.jp/8078264/
プロトコルで、その著者は、私はその著者はサバティアンのライオネル・ロスチャイルド[Lionel Nathan de Rothschild (1808.11.22–1879.6.3) ]であったと疑っているが、彼らの目標を以下のように記している: 「衝突紛争、憎悪、 不和抗争 、飢餓、疾病の接種、欠乏困窮によって、すべての者たちを疲労困憊させること。非ユダヤ人達が、われわれの金と権力にすがる以外、ほかに逃げ出す道を見いだせなくなるまで。 」 ( プロトコル10 )
[そして] 「 ...我々が、障害なしに、世界のすべての政府権力を吸収して、1つの超政府を形成することを可能にする。 」 (プロトコール5 )
「その時、いったい誰が疑うであろうか?これらの人々はみな、何世紀にも渡って何びとも推測すらしなかった政治的計画に従って、我々によって踊らされていたことを。」(プロトコール13)
by oninomae | 2009-05-01 19:35 | バイオハザード・医療