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ザ・エスタブリッシュメント by ゲイリー・アレン 2 CFRの支配

●アメリカの政府・議会・マスコミはCFRに支配されている

ニューヨーク・タイムズとニューヨーク・マガジンの注目すべき記事以前に、マスメディアに現われたCFRに関する記事はごくわずかしかない。しかしそれら初期の記事のひとつとして、一九五八年七月に発表されたハーパーズ・マガジンの記事を見ておくことは十分に意味がある。というのは、その記事を書いた"リベラル"のコラムニスト、ジョセフ・クラフト[Joseph Kraft, 1924-86]自身がCFRのメンバーであり、彼は明らかに自分のメッセージをエスタブプリッシュメントの排他的なサークルの有能なメンバーに向けて送っていたからである。CFRの影響力について、クラフトは次のように説明している。

  それは政府の基本的な決定の中心に位置し、数え切れないほど多くの決定に影響を与え、官吏の人事移動に際しては何度も新人受付けの場として大きな役割を果たしてきた。

クラフトが彼の記事に「政治家の学校」というタイトルをつけたことは、何よりも端的に評議会の性格を物語っている。つまり評議会は、ワシントンで求められている政策の基本をそのメンバーが学びとるところなのである。

実際にCFRは、連邦政府の事実上の雇用機関としての役目を果たしている。それは、民主党政権であれ共和党政権であれ、何ら変わるところがない。 「評議会のメンバーはお互いに固い絆で結ばれており、誰でもどのようにしたら他のメンバーが出世するのを助けられるかよく知っている。アメリカの外交政策に関与したいと思うなら、評議会に属すのが最善である」とアンンニー・ルーカス[J. Anthony Lucas]が指摘するとおりである。

インサイダーたちのこのような"友愛会"は非常にうまくいったので、そのメンバーはフランクリン・デラノ・ルーズベルトの時代からホワイトハウスを支配してきた。CFRのメンバーはルーズベルト、トルーマン、アイゼンハウアー、ケネディ、ジョンンン、ニクソン、フォード政権下で重要ポストを占め、特に外交分野で主要な地位を占めてきた(訳註:その後のカーター、レーガン政権下においてもこの傾向は基本的に変わりない)。ジョセフ・クラフトは連邦政府を実質的に支配する評議会についてこう述べている-「評議会は民主党と共和党の二党間に存在するギャップを埋めるのに大きな役割を果たしており、大統領が変わった時にも、その統治期間を占う際に重要な意味をもっている」。

ジョージ・ウォーレスは、民主党と共和党の間に少しも違ったところはないというスローガンを有名にした。多くのオブザーバーは両党の候補者が違った言葉を使って一般大衆のそれぞれ異なった支持者に向かって大げさな演説をしているが、実際にはどちらが勝っても結果に大差ないように思われると述べている。その原因はなぜかというと、民衆レベルでみれば確かに民主党と共和党は政治、経済、外交その他の政策に関して大きく意見を異にしているが、政治のピラミッドを登るにつれて、両党の主張がだんだん似かよってくるからである。両党が少しも違わないのは、かつて存在した民主党と共和党のかわりに、今あるのはロックフェラー民主党とロックフェラー共和党という名ばかりの二大政党だからである。

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アメリカ人は今、四年ごとにロックフェラー共和党候補者とロックフェラー民主党候補者のどちらかを選ぶ権利をもっている。一九五二年と一九五六年の大統領選挙ではCFRのアドレイ・スティーブンソン[Adlai Ewing Stevenson II]がCFRのアイゼンハワー[Dwight David Eisenhower]に挑戦し、一九六〇年の大統領選挙ではCFRのニクソン[Richard Milhous Nixon]とCFRのケネディが戦った。

一九六四年の指名選挙でアメリカの保守派がネルソン・ロックフェラー[Nelson Aldrich Rockefeller, 1908-79]の頭越しにバリー・ゴールドウォーター[Barry Morris Goldwater, 1909-98]を大統領候補に指名したことは唯一の例外で、この異常事態に肝をつぶしたエスタブリッシュメントが指名取消しに躍起となったことはいうまでもない。この時ロックフェラーとCFR集団がバリー・ゴールドウォーターの杜会的信用を失わせるために仕掛けた宣伝攻勢はすさまじいもので、彼はアメリカの安全を脅かす右翼の過激派でハノイに原爆を落としかねない危険人物であり、ファシストの独裁者ムッソリーニの生まれ変わりであるときめつけられた。そしてロックフェラー共和党は彼を非難する告発文をばらまいて巻き返しをはかり、ロックフェラー民主党はこの告発文を共和党攻撃の格好の材料とした。こうしてゴールドウォーターは大統領候補としての適格性を疑われ、不名誉な敗退を喫したのである。しかし彼は、どうして共和党の指導者たちが同じ党員である彼を猛攻撃したのか理解できなかった。

この年のエスタブリッシュメントに対する挑戦をかろうじて乗り切ったロックフェラー・グループは、一九六八年の大統領選挙でまたもや茶番劇を再開した。この年はCFRのニクソンがCFRのハンフリー[Hubert Horatio Humphrey II, 1911-78]に勝った。一九七二年の選挙ではCFRのニクソンとCFRのマクガバン[George Stanley McGovern, b.1922]が戦った。ロックフェラー一族にとって、どちらの候補者が大統領になってもうまくいくことは間違いなかった。

ひところエスタブリッシュメントの擁護者たちは、リチャード・ニクソンがCFRの存在を無視しようとしているかのように騒いだ。その種の記事のひとつは「東部エスタブリッシュメントの死のうめき」と題され、まるでニクソンが今にもロックフェラー一族の息の根をとめてしまう立場にあることを問題にしたものだ。ところがニクソンは、彼の政権の初期に、これまでの大統領としては異例と思われるほど大量のCFRメンバーを政権の中枢に起用していた。評議会の全メンバーの一割近い一一五人を行政部門の重要な地位につけたニクソンは、ホワイトハウスの中でCFRのメンバーに包囲され、完全にロックフェラーの支配下にあったといってよい(訳註:ニクソンはネルソンに選挙によらないで大統領になる道を開くよう求められ、これを無視して失脚した-本書のパート1第5章を参照のこと)。


●共産圏の拡大強化をはかるCFR外交

ニクソン・フォード政権のもとでアメリカを動かしていたインサイダーのうち、最も重要で最も卓越した人物はヘンリー・キッシンジャー[Henry Kissinger]だった。キッシンジャーはこれまでのあらゆるCFRのメンバーの中でもおそらく最も個性的にCFRを代表した人物の一人である。ソビエト代理人として豊かな経験をもつキッシンジャーは、ネルソン・ロックフェラーの推薦でニクソン大統領の特別補佐官となり、国際政治の舞台で華々しい活躍をする足がかりをつかんだ。

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そのキッシンジャーが以前からどれだけロックフェラー一族とCFRのメンバーの世話になってきたかは一九六一年に彼が出版した『選択の必要性』という本の次の一節を見れば明らかである。

  五年前、外交問題評議会は私に外交政策上の諸問題を系統的に処理する最初のチャンスを与えてくれました。それ以来、私は評議会の皆様方と親しくおつきあいさせていただいており、皆様方に対する畏敬と感謝の念はますます大きくなるばかりであります。

考えてみればわかることだが、(中略)一九五六年当時、キッシンジャーは単なるハーバード大学の教授にすぎず、カナダ経由でこっそりとアメリカに渡ってきたドイツ国籍のユダヤ人でしかなかった。ところがその後二〇年もたたないうちに彼はめきめきと頭角をあらわし、表向きの上司の浮き沈みを尻目にずぶとく生き残ったばかりでなく、大統領や主たる閣僚たち、その他の実力者に向かって、何を語り何をなすぺきかをはっきり言ってのけるほどの実力者にのしあがった。そのめざましい権力の源はいったい何なのか。

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キッシンジャー博士は、リチャード・ニクソンが大統領に就任する前まで、ニクソンの選挙公約とはおよそ正反対の立場に立つ主張を展開してニクソンの当選を邪魔してきた。ところが選挙が終わってみると、ニクソンはキッシンジャーをCFRのナンバー・ワンとしてホワイトハウスに迎え入れた。この不可解な人事の背後には何があったのだろうか。

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これと関連して思い出されるのは、一九六二年のある事件である。この年、共和党のカリフォルニア州知事候補指名をめぐってジョー・シェルとニクソンが争った時、リチャード・ニクソンがCFRのメンバーであることが問題になった。その後ニクソンは、CFRのメンバーとして自分の名前を公表しないよう評議会と取り決めを結んだとみられる。一九五二年の評議会報告書四二ぺージにも以下のように記されているごとく、CFRはそのメンバーが脱会したようにみせかけることある。

  評議会のメンバーがホワイトハウスまたはその他の政府機関の重要ポストに任命された時には、一時的に評議会の活動に表立って参加することを控えたり、中止したりすることもある。

リチャード・ニクソンがキッシンジャー以下大勢のCFRメンバーを登用したのは、彼自身がCFRの秘密メンバーだったからではなかろうか。かつてリース委員会が。ロックフェラーの支配下にある財団を調査した時、実業家のサイラス・イートン[Cyrus Stephen Eaton,1883-1979]やウィリアム・フルブライト[James William Fulbright, 1905-95]上院議員をはじめとする大勢の名士たちがCFRの秘密会員になっている事実を発見した。リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で失脚する以前、CFRの秘密会員であったことは十分に考えられるのである。

いずれにせよ"緋文字のエース"的な存在であったニクソンが採用した外交路線はほとんどCFRが策定したものといってよい。検査なしの一方的な軍備縮小や共産主義者に対する破格の信用供与、「貿易の拡大」に名を借りた共産圏に対する技術援助、ベトナムの放棄と台湾の切り捨てを含む同盟諸国に対する裏切り、ソ連圏および共産主義中国との「緊張緩和」などはすべてCFRの政策である。

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これらの政策のどれひとつを取り上げてみても一九六八年の共和党綱領に反している。


ゲイリー・アレン ロックフェラー帝国の陰謀(原著:1976) 第5章(原著でも第5章) ザ・エスタブリッシュメント p94-100より

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by oninomae | 2009-03-17 20:56 | イルミナティ  

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