世界新秩序は緒につくのか by ジェームス・パーロフ 2 「新しい憲法」
CCSメンバーは、ただ修正についてのみではなく、全く新しい憲法の実現に頭を絞っているのである。"Reforming American Government"にこう書かれている。
「憲法の変更は大手術を必要としよう。大胆で決定的な新機軸に到達するまでは止められない。そのうえ指導原理は、ある意味ではかなりな自由余地を認める新憲法を書くことでなければならない」(4)(傍点は著者)
「近代的」憲法の思想はそれ自身新しいものではない--事実、すでに書かれている! フォード財団の資金援助で設立された民主主義制度研究センターによって、一九七〇年にそれが出版された。この憲法案はF・D・ルーズベルトの「ブレーン・トラスト」の古いメンバー、レクスフォード・ガイ・タグウェル[Rexford Guy Tugwell, 1891-1979]が主として起草したものである。


その諸条項が要求する極端な変更のなかには、上院が選挙される組織からもっぱら大統領によって指名される組織に転換すること、その構成員(そのうちの一部は私的グループ出身であるが)は生涯その役を務めること、各州の権限を連邦政府に移すこと、通信産業の国営化、陪審裁判を受ける権利の条件付廃止があった(5)。
一七八七年に開かれた最初の会議以来、憲法会議は開かれていない。しかし二回目の会議は決して開かれることはないともしもお考えなら、今一度よく検討してもらいたい。そうした憲法会議開催行為は、もし全州議会の三分の二が要求すれば現実に発生するのである。一九八八年初め現在で、必要とされる三十四州のうち三十二州が要求した。それらの州は、憲法会議が均衡の取れた連邦予算案を要求する手段だと宣伝されていた--ちょうど都合よく、ロナルド・レーガン政権下の狂気じみた赤字支出によってその環境が整っていた--ので同意を与えたのである。明確に述べられている憲法変更のための過激な協議事項について承知している者は、州会議貝たちのなかには少ししかいなかった。そのような会議が一度開始されると、どう展開するかわかったものではない。会議が予算案を均衡させることに限定させられるかどうかは、頼るべき先例がほとんどないので議論の余地があると思われる。
"国家危機"を経て達成せよ!
もちろんCCSのようなグループが目指す苛酷な構造変化を正当化する唯一の道は、国家危機の存在である。このことは看過されてはいなかった。CCSの第一回ニューイングランド地区大会の報告は、共同議長ダグラス・ディロンが「必要とされる変更は大きな危機の時期を過ごしてはじめて達成され得ると考えている」ことを述べている。

プロジェクト1987の共同議長ジェームズ・マグレガー・バーンズ[James MacGregor Burns]が"Reforming American Government"で次のように言った。

「アメリカ人が正常な状況下にあれば、要求されるであろうような過激で『相容れない』包括的な構造変化に同意できるとは考えられない。アメリカ人は、途方もない国家危機や政治的失敗の間およびその後にしか、そのような同意はしないだろうと思う」(6)
一九八七年十月号のアトランティック・マンスリー誌の長ったらしいカバー記事で、CFR議長ピーター・G・ピーターソン[Peter George Peterson]が近い将来に経済危機--たとえ崩壊ではなくても--があることを予測した。


国際銀行家たちがアメリカの政策の転換を強いるため、災害を煽ることに歴史上全く巧みであったことをわれわれは知っている。
かなりよく知られているように、近年西側の銀行が第三世界および共産主義諸国に数千億ドルを貸し出した。これらの国々の多くにとって返済は不可能と思える。銀行は分割払いの予定を組み直し続けているが、アナリストのなかには、債務者は結局共同戦線を張って公式かつ永久に返済約束を反古にするだけだろうと予想するものもいる。こうなれば--もし過激な方策が導入されない限り--アメリカの銀行制度と経済は、おそらく崩壊するであろう。
背後に潜む究極の意図
もし万一この危機が何かの拍子で、予算を調整する憲法会議の最中に突発したとすれば、われわれの全生活方式が変わりかねない。そのときには『フォーリン・アフェアーズ』や二百年記念グループによって提議された他の幾多のジョージ・オーウェル[George Orwell, 1903-50, 本名:Eric Arthur Blair]の風刺小説的変化に加えて、

国際通貨というリチャード・クーパー[Richard N. Cooper]の夢が現れるかもしれない。

そしておそらく集め得る最上の頭脳を提供してくれるという口実で、ジョージ・ケナン[George Frost Kennan, 1904-2005]のいう「賢人評議会」(すなわちCFRのメンバーたち)が外交政策の最高裁として設けられるだろう。

これこそCFRの「新しい国民的役割」とワシントンの政府内に準プラット・ハウス[訳注:プラット・ハウスはニューヨークにあるCFRの本部]を置こうとする計画の背後に潜む究極の意図であるかもしれない。そしてまた、評議会がなぜ広範な自己改造をなしつつあるのかも、それによって理解できよう。
もしもその組織が政府の一部門になるようなことだとすれば(第二次世界大戦中に小規模ながらうまく成功したように)、その組織はおそらく第一番に調査尋問や審査の対象となるだろうそこで長い間この組織に着せられてきたエリート主義、一極世界支配主義、親共産主義の疑念を裏書きすることになりかねないすべての外見を抹消する必要があった。
確かにこれは憶測である。しかし歴史には、憶測ではなく、われわれが警戒するのも当然だと思わせる支配階級組織の策動例が十二分にある。真正な憲法改定運動に照らしてみればこのことは(ことに)間違いないと言えよう。
憲法はわれわれの諸自由言論、報道、集会、宗教の自由、指導者を選ぶ権利、公正な裁判を受ける権利を保証している。人類の半数にはこれらの自由がない。これからすれば、われわれがそれらの自由を維持したいとする欲求のために警戒心を抱くのもまたもっともなのである。
最後が「九」で終る年
支配階級組織にもしその流儀があるとすれば、憲法会議はいつ開かれるのだろうか。"Between Two Ages"--ダグウエルの「新憲法」と同じ年に出版された--でズビグニュー・ブレジンスキー[Zbigniew Kazimierz Brzeziński, b.1928]がこう予測した。

「近づく独立宣言二百年祭によって、国の正式の制度構造を再点検するための国民憲法会議の開催要求が正当性を持ち得た。一九七六年か一九八九年--憲法二百年祭として--のいずれかが、現行制度の適切性、代議方法の機能、種々のヨーロッパ的地方分権化改革の模倣志向と行政機構の合理化志向などに関する国民的対話を終結させるに適切な目標期日としての役を果たし得よう。さらになお重要なことは、上記のどちらの期日であっても近代民主主義の意味を再定義する格好の機会を提出してくれるであろう・・・」(7)
その一九七六年という年が来て、去った。しかし一極世界支配主義者はこれを無視した。この特別の時期を印象づけるため、フィラデルフィア世界問題評議会が「相互依存宣言」を出した。いわく、「二百年前にわれわれの先祖が新しい国を作った。いまやわれわれは他の国々と手を結んで新しい世界秩序を作らねばならない」と。
一九七六年は憲法会議をまのあたりにすることはなかったが、提唱者たちはいまだにブレジンスキーの言ういま一つの年、すなわち一九八九年にはそれを目にするだろうとの希望を持っている。憲法は--一七八九年に施行されたけれども--一七八七年に作られて署名され、一七八八年に所要数の州によって批准されたのに、ブレジンスキーが一九八九年を憲法二百年祭と決めたのはいささか変だ。一九八九年は多くの理論家たちが集産主義運動の歴史的起源だと見ているフランス大革命の二百周年記念だというほうが、おそらくより当を得ているであろう。その年はまた社会主義インターナショナル[訳注:第ニインターナショナル]の百周年記念でもある。
いままで最後が「九」で終る年は、一極世界支配主義者や共産主義者にとっては良い年--それ以外の人にとっては悪い年--であった。一九八九年という年は次のような諸々の記念日によって特徴づけられよう。すなわち、国際連盟(およびCFRとRIIA[英国王立外交問題研究所]が創設されたパリ集会)の七十周年、株式市場恐慌の六十周年、第二次世界大戦勃発五十周年、中国崩壊の四十周年、キューバにおいてカストロが政権を奪取しはじめてソヴィエトが西半球で基地を手に入れた三十周年、わが国のベトナムよりの撤退開始二十周年、ジミー・カーター[Jimmy Carter, b.1924]の最良の年だった一九七九年--この年にイランとニカラグアが崩壊し、ソヴィエトがアフガニスタンに侵攻し、SALT(第二次戦略兵器制限協定)が調印され、わが国が公式に中共との外交関係を開始した--の十周年である。




さらにまた、今見られているその他の不吉な諸兆候は別として、ただ情緒のみで一九八九年における支配階級組織の主要運動を促進できると言っても、あながち滑稽だとはいえまい。

ジェームス・パーロフ 権力の影 外交評議会[CFR]とアメリカの衰退(原著:1988 訳書:1992.8) 第14章 世界新秩序は緒につくのか p309-314 より

参考
Hu, Carter mark 30 years of diplomatic ties
http://www.gov.cn/english/2009-01/12/content_1203172.htm


++
で、2009年は?と問うまでもないような。

2009.9.11が「絶対王冠への絶対基盤」でしょうか。

by oninomae | 2009-03-13 21:09 | NWO・番号付動物農場・警察国家