世界新秩序は緒につくのか by ジェームス・パーロフ 1 独裁のための憲法改定論
ズビグニュー・ブレジンスキー--「ブレジンスキーが1989年を憲法二百年祭と決めたのはいささか変だ。1989年は多くの理論家たちが集産主義運動の歴史的起源だと見ているフランス大革命の二百周年記念だというほうが、おそらくより当を得ているであろう」
憲法をおびやかすもの
憲法改定論者=バーガー&バーンズ
憲法が二百年続くあいだ、ある者は憲法を祝賀し、他の者は新憲法を強く主張した。一九八四年にクリスチャン・サイエンス・モニター紙が述べたところによると
「祭典ときらびやかな飾り、華麗な虚飾と儀式、そうしたものを行おうとする計画のなかに、われわれが見逃さぬよう注意せねばならない深い意味がひそんでいる。二百年祭は憲法と権利宣言[訳注:国民の基本的人権と自由の保障に関する一七九一年憲法修正一-一〇条]の原則に今一度立ち戻るために、そしてまた憲法改定をしようとする思慮について暫時慎重に考えるために、よい機会を与えてくれる」(1)(傍点は著者)
ウォーレン・バーガー[Warren E. Burger]が合衆国憲法二百年祭の公式委員会に取り組むために最高裁判所長官を辞した。
このことはそのプロジェクトが少なからざる重要性を持つことを示している。バーガーの法廷は、政治予定を促進するため憲法の解釈を誤っているとして、長く非難されてきた。しかし政治予定を成就するには憲法そのものを変更する以上に良い方法はない。バーガー判事は上記委員会の会合が非公開で開かれることを強ぐ主張した--もしも委員会の目的が祝賀だけであるとするなら、これはまことに奇妙な条件である。
バーガーはまたプロジェクト1987の名誉議長である。この二百年記念組織はその印刷物によると「この独特の文書[憲法]に対する一般の理解と評価を促進することによって、合衆国憲法の二百年記念を祝うことに専念する」ものだという(2)。(傍点は著者)
プロジェクト1987の共同議長は憲法改定提唱者のジェームズ・マグレガー・バーンズ[James MacGregor Burns]である。
バーンズは一九八四年に出した著書"The Power to Lead"に、こう書いている。
「現実を直視しよう。[憲法の]立案者たちは、われわれにとって全く意地悪すぎた。彼らは機械的結合や危なっかしい架橋や一時しのぎの修理では統一できない別々の制度を考案した。もしも『創設者たちのしたことをひっくり返そう』--彼らがばらばらに置いたものを一つにまとめよう--とするなら、われわれは彼らが造った憲法機構にまともに対決しなければならない」(3)
バーンズはさらに別の二百年記念グループ--憲法制度委員会(CCS)--の一員である。一九八七年一月現在でCCSには四十八人の理事がおり、その三分の一以上がCFRメンバーである。CCSの共同議長はダグラス・ディロン[Clarence Douglas Dillon, 1909-2003]で、
彼はCFRが「新しい国家的役割」を企画し得るように一千五百万ドルを募金した前述の評議会運動にも、デイヴィッド・ロックフェラーとともに共同議長を勤めた。
CCSの思い切った提案
憲法制度委員会(CCS)は憲法の思い切った変更を提案している。一九八五年に出版された"Reforming American Goverment: The Bicentennial Papers of the Committee on the Constitutional System"にそれらの概要が述べられている。そのいくつかを紹介しよう。
●ある提案は、ヨーロッパ議会制度に倣うことを謳う。それによれば、アメリカ有権者は個人候補者に投票することが不可能となり、代わりに全面的に党の指名候補者名簿を選ぶよう制限されよう。 これでは独立候補が排除されることになる(支配階級組織には非常に好都合であろう)。
●議会は拡大されよう。指名候補が大統領になった政党が下院全議員の六分の一と上院議員の三分の一を指名する。これによって有権者の選挙権能と行政、立法両分野間の均衡が消滅しよう。
●条約に対する上院の批准の必要条件が緩和されよう。
●CCSはまた、下院議員の任期を二年から四年に、上院議員の任期を六年から八年に延長することと、国会議員に対し議席を保持したまま行政府に勤務するのを認めることも主張している。
驚くことではないが、これらの提案は『フォーリン・アフェアーズ』の記事に明らかに由来している。それは、一九八〇年に上院が曖昧な第二次戦略兵器制限協定の批准を拒否した後、カーター大統領の法律顧問ロイド・N・カトラー[Lloyd N. Cutler](CFRメンバー)によって書かれた。
彼は憲法会議が彼の考えた憲法変更を達成できるまでのあいだ「より実際的な第一ステップは超党派的な総括委員会の任命であろう・・・」と述べて論文を締めくくった。カトラーは続いてCCSの共同議長になった。
このグループが追求した総合的方策は、表面上は政策立案過程の簡易化を図ったものである。しかしそれらは、アメリカの有権者の発言権を弱め、わが国の抑制と均衡体制を崩壊させ、最後には独裁制へと至る可能性を増大させるものである。
ジェームス・パーロフ 権力の影 外交評議会[CFR]とアメリカの衰退(原著:1988 訳書:1992.8) 第14章 世界新秩序は緒につくのか p306-309 より
第1章 外交評議会「CFR」とは、いかなる機関か
第2章 ことの起こりの背景
第3章 CFRの誕生と全体主義との初期のつながり
第4章 CFRとフランクリン・デラノ・ルーズベルト
第5章 世界的狙いを秘めた第二次大戦
第6章 トルーマン時代
第7章 二つの限定戦争の合間
第8章 支配階級組織の引き起こしたベトナム戦争
第9章 無名のニクソン
第10章 カーターと日米欧三極委員会
第11章 ロナルド・レーガンに対するもう一つの見方
第12章 報道管制
第13章 現在のCFR
第14章 世界新秩序は緒につくのか
第15章 解決策と期待
by oninomae | 2009-03-13 02:07 | NWO・番号付動物農場・警察国家