コミンテルンと金融インターナショナル by ラコフスキー
G:取調官ガブリエル・ガブリロウィッチ・クジミン
R:クリスチャン・ゲオルギェウィッチ・ラコフスキー
R-それは理論だ。純理論だ。実際のところ、どこの国の経済便覧でも良い。その国の貸付金と総所得の総和を、賃金を受取る人の数で割って見ると、どんな驚くべき結果が出てくるかがわかる。これは反革命的事実なので、われわれはこれを秘密にしなければならぬのだ。つまり、ストライキを起すことで、プロレタリアの利益を守ってやるようであるが、これは資本主義的生産を破壊するための口実に過ぎないということである。したがってブルジョア制度の中で対立を組織するためには、プロレタリアの間の対立が、これに付加される。これは革命の二重の武器であるが、それは自然発生するものではない。
それにはリーダーと規律、何よりも大衆が愚昧であることが必要なのだ。
資本主義のこれらの一切の矛盾と対立は、特に金融部門では、誰かによって組織されなければならぬ。君にはこのことが理解できないだろうか? 私の結論を説明するために君に言っておくが、プロレタリア・インターナショナルの経済闘争と共に、金融インターナショナルの中でも同じ闘争が起っているということだ。双方ともインフレを惹起する。両者の間の符号がはっきりしている以上、協定もあることは予想できることだ。マルクス自身がこのことを言っている。
G-君はとんでもない馬鹿気た話をして、新しいパラドックスをつくるつもりじゃないだろうな。私はそんなことは考えたくもない。君はお互いに敵意を持っている二つのインターナショナル、資本主義インターナショナルと共産主義インターナショナルが存在していると示唆しているようだ。
R-全くそのとおりだ。私は金融(ファイナンス)インターナショナルのことを論じる時は、コミンテルンの事も一緒に考えている。しかしコミンテルンの存在を認めるからって、両者の間に敵意があるとは考えたくない。
G-私たちが虚構と空想のために時間を浪費することを君が望んでいるのなら、君は間違った時間をえらんでいると言わざるを得ない。
R-まあ、それはそうとしておいて、君は私を、つまり自分の生命を救うために夜毎空想を逞しくしていたあのアラビアン・ナイトのコールガールだとでも考えているのかネ? とんでもない。私が主題から逸脱していると君が考えるなら、それこそ間違いだ。
私たちが提起した目的を達成するためには、私が、《最高のマルクス主義》と称しているものを、君たちが知らないことを考慮に入れて、最も重要な問題を君に教えなければならないのだ。
このことはクレムリンも知らないのだ。これを承知しながら、私は黙っているわけにはいかない。話を続けてもよいかネ?
G-続けたまえ。しかしいたずらに想像力をかきたて、それで時間稼ぎをするために、こんなことを話すんなら、そんな楽しみは全く哀れなエピソードに終る事もあり得る。君に警告しておく。
R-何も聞かなかったことにして、続けるよ。
君は『資本論』を研究している。そこで君の帰納的能力をよびさましたいので、若干の奇妙な話を憶い出して貰いたい。マルクスがどんなに洞察的に、今では巨大工業にかわっている彼の時代の英国工業に対する観察から結論を出しているか、考察してほしい。彼は工業をどんなふうに分析し、批判しているか、また工場主をどんなに穢らわしい人物にに仕立てているか。大衆の想像と同じように、君の想像の中には、人間に具象された資本主義の恐ろしい光景が生れてくる。マルクスが描写しているとおりの太鼓腹をして、口に葉巻煙草を加え、傲慢に街頭に労働者の妻や娘を放り出している工場主だ。そうだろう?
ところが他方、問題が金銭に関する場合、マルクスは穏健で、ブルジョア的な正統的信仰を示している。金銭の問題では彼の有名な矛盾が出ていない。彼は金融は、それ自体重要なものとは考えていない。商業と貨幣流通は、呪わしい資本主義的生産の結果であり、資本主義的生産がこれらを支配し、その価値を規定している。
金銭の問題ではマルクスは反動家だ。
ソ連の星と同じ《五芒型の星》が全ヨーロッパに輝いているが、これは五つの光、ロスチャイルド家の五人兄弟から成立しているのを見て、君は驚くかも知れない。
ロスチャイルド家の銀行には、かつて全世界から集めた莫大な富がある。彼の時代の世間の想像を絶するこのような価値の莫大な蓄積に、一体なぜマルクスは注意していないのか? これは奇妙な事ではないか?
おそらくマルクスのこの奇妙な不注意は、あらゆる将来の社会革命の説明の中に現れている。
民衆が都市あるいは国を奪取する時、彼らは銀行や銀行家に対する何か迷信的な畏怖感に襲われている。われわれはこのことを是認している。王、将軍、司教、警察官、聖職者その他憎むべき特権階級の代表者らを殺し、宮殿、教会、科学機関をも掠奪し、焼き払う。それなのに、革命は常に社会的、経済的のものであっても、銀行家たちの生命に対しては、これを尊敬している。その結果、銀行の壮大な建物は完全に残っている。私の情報によると、私が逮捕される以前からそうだったし、今もこれは続いている。
G-それはどこの話かネ?
R-スペインだ。君はこのことを知らないのか?こんなことは皆奇妙だと思わないか? 金融(ファイナンス)インターナショナルとプロレタリア・インターナショナルの奇妙な共通性に君が注目しているかどうか知らないが、私の言いたいことは、後者は前者の影であり、プロレタリアの方が、金融(ファイナンス)のほうよりずっと後のものだということだ。
G-この双方は何も共通のものを持っていないのに、君はどの点に共通性を発見しているのか?
R-客観的には両者は同じものだ。すでに証明したとおり、改良主義的運動はコミンテルンと類似のものをつくり出し、サンジカリズムと同様に、生産における無政府状態、インフレ、民衆の中に貧困と絶望を倍加した。金融資本も、主として金融インターナショナルであるが、意識的あるいは無意識的に、対立をつくり出しているが、それはさらに大規模なものだ。
マルクスの炯眼から隠すべくもない金融対立を、なぜマルクスが隠したのか、今となっては推察できるのである。まして金融勢力は彼の時代では、革命にとって特別の意義を持っていたのである。
G-それは単なる無意識的符号で、知性、意志、協定が要求する同盟では全くないよ。
R-まあ、いいさ、お望みなら、君の見解の上に立つことにしよう。
さて金融問題を分析し、さらにどんな種類の人々が金融に参加しているか規定しよう。金銭の持つ国際的本質は誰にも明らかである。このことから、はっきりしていることは、金銭を持っており、これを蓄積している組織は、世界主義(コスモポリタン)的性質を持っているということである。
金融(ファイナンス)とは、金銭の最高の成果であり、その重要な目的と本質である。
金融(ファイナンス)インターナショナルは民族的(ナショナル)なものは一切否定し、認めない。国家も認めない。
まるで無政府のようであるが、民族国家は否定しても、自分独自の国家は建設している。この国際的国家が金銭に権力を与える。そして金銭もまた異常な力を与える。
われわれが一世紀に亘って建設しているわれわれの共産主義的超国家は、マルクスのインターナショナルの図式に基づいて建設される。この図式を分析すれば、その本質がわかる。
インターナショナルとそのソ連の原型の図式は純粋な権力である。二つの間の構造の間にある同一性は絶対的だ。これは運命的、不可避的なものであり、これらの作者の人格は同一である。
金融資本家は、共産主義者と同ように国際的である。 両者は、異なった口実の下に、ブルジョア国家を否定し、これと戦っているのである。
マルクス主義が必要されるのは、ブルジョア国家を共産主義国家に変えるためである。したがってマルクス主義者は国際主義者とならなければならない。金融資本家はブルジョア民族国家を否定するが、その否定はブルジョア民族国家に限られてしまう。実際上は、彼は自分をインターナショナリストと言ったりはしないが、無政府主義者、世界主義者(コスモポリタン)と称している。
現段階では彼の見せかけは、この様であるが、彼が真実何者か、また何者になろうとしているのか、観察しよう。ご存知のように、共産主義者、国際主義者と金融資本家、世界主義者の間には、明らかな共通点がある。その結果、これと同じ共通性が共産主義的インターナショナルと金融(ファイナンス)インターナショナルの間に存在している。
G-それは偶然の共通性で、対立している。両者の一方が自滅すれば、最もラジカルな面だけが残る。
R-論理的関連性を保存するために、今はこれに回答しないでおく。私はただ《金銭は力なり》という根本公理を解読したいだけなのだ。今日では金銭は地球引力の中心である。同意して貰いたい。
G-続けたまえ。ラコフスキー、お願いだ。
R-金融インターナショナルはすでに今世紀以前に、徐々に人々の魔力的護符である銭の主人公になっている。 この人々は以前は神あるいは国家を持っていた。金融(ファイナンス)インターナショナルは科学的に見て、革命的戦略技術をも凌駕している。なぜならそれは技術でもあるし、革命でもあるからだ。
今説明するが、フランス革命の叫喚と華麗さに眩惑された大衆や歴史家、彼らは王や特権階級から権力を奪取したという意識で陶酔した国民は、神秘的な、用心深い、あまり知られていない少数のグループが真の王権、魔力的、神的権力を手に入れて行くのに気付かなかった。大衆はこの権力がどうして他人によって奪取され、王制時代よりも、もっと残酷な奴隷状態におかれているかに気付かなかった。 この王はその宗教的、道徳的偏見の故に、このような残酷な権力を行使することができなかった。
結局最高の王権は次のような人物の手中に帰したことになる。すなわちこの人物の道徳的、知的、コスモポリタン的性質が、この人々に権力を握る可能性を与えたのである。 この人々がキリスト教徒でなく、コスモポリタンであったことは、明らかである。
G-彼はどんな神秘的力を奪取したのか?
R-彼らは金銭を鋳造する現実の特権を握ったのである。 微笑わないで。でないと君は金銭とは何か知らないのだと思うよ。私の立場に立ってほしい。君に対する私の立場は、パスツールが現われる以前に登場した医者に対して、細菌学を説明しなければならぬ医師の助手みたいなものだ。しかし君にはそんな知識がない。だからこれは忘れることにする。われわれの言葉は事物に関して間違った思想を起させることがある。このような言葉を利用するのは、真実の、正確な観念に合致しない思想の惰力のお陰である。
私は、金銭と言っているのである。君の想像の中に本当の硬貨や紙幣の光景が現れるのは当然である。だが、私の言う金銭はそれではない。そんなものは現代的解釈による金銭ではない。つまり通貨というのは、時代遅れである。金銭が今もって存在していて、流通していたとしても、それは古代の伝統のお蔭であり、今日の純粋に想像上の機能、つまり幻想を維持するのに便宜だからである。
G-素晴しいパラドクッスだが、危険だし、詩的でさえある。
ゲイリー・アレン(高橋良典訳) 見えざる世界政府 ロックフェラー帝国の陰謀 PART-1 巻末特別資料 世界革命の元凶は《OHU(彼ら)》だった ラコフスキー調書(永淵一郎訳) p167-172より
参考
サタンに乗っ取られた米国
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda3/satanamerica.htm
by oninomae | 2009-02-24 20:34 | イルミナティ