多くの日本人は知らない by 吉田繁治
http://archive.mag2.com/0000048497/20090221181555000.html より抜粋
歴史の記憶
日本人の添乗員嬢は、留学経験から「トルコが大々々好き」と言う。「トルコは、とても親日的です」とも言う。
そう言えば、同行の60代に見える旅行者が、イスタンブールの歴代の王(スルタン)の居城だったトプカブ宮殿で、トルコ人の若い女性数人から「一緒に写真をとってくれ」と頼まれ、戸惑いながら、カメラに収まっていました。
旅行者である日本人が「一緒に写真をとって」と頼まれる国は、他にはないかもしれない。6年前の、日韓主催のワールドカップで日本がトルコに負けたせいか。トルコは南米に似て、サッカーに熱狂する国です。そうではない。
大学で日本語を勉強したという、30代後半に見えるトルコ人のガイドが、バスの中で言った。彼は、その静かな話しぶりから高校の教師風に見えました。
(注)トルコ語の文法は、日本語に語順が似ていて、彼の日本語は巧みでした。お店の店員も、ハワイや韓国以上に日本語を話します。
<トルコの教科書には、オスマン帝国のフリゲート艦(エルトゥールル号)[Ertuğrul Fırkateyni]が、和歌山県の南端、串本町の沖で難破したことが、書きて、あります。(表現のママ) 1890年(明治23年)に台風に遭(あ)って難破し、日本へのトルコ使節団587人が、暗い海に沈み、死にました。>

<陸に流れ着いた生存者はわずか69人でした。真夜中に灯台までの断崖をよじ登った。灯台守からの知らせを受けた大島村(現串本町)の村民は、救助に当たりました。海が荒れ、何日も漁に出ることができず、食べるのに事欠いていた村民は、乏しい衣類、卵、さつまいも、そして非常用の蓄えであるニワトリも出して炊き出しをし、遭難したトルコ人を助けました。>
<明治の政府はこれを知り、援助して、翌1891年10月5日には、海軍の船で、イスタンブールに生存者を送りとどけるため、出港しました。このトルコ使節団の遭難と、村の人たちの献身と犠牲は、トルコで大きく報じられ、遠い日本を、好きになるきっかけになりました。小学校の歴史の教科書には、書かれてあり(ママ)、トルコ人なら、子供でも全員、このことを知っています。>
私は知らなかった。多くの日本人は知らない。ガイド氏は続ける。歴史は、その100年以上も後の、イラン・イラク戦争。
<1985年、イラン・イラク戦争のとき、イラクのフセイン大統領は、イラン上空を飛ぶ飛行機の、無差別爆撃を宣言、ありました。イランには、日本人のビジネスマンと家族が残されて、ありました。人々は日本大使館に集まり、パニックになって、いました。>
<日本政府は、自衛隊の派遣はできず、日本航空も、危険があるとして救助のために民間機を使うことに反対、ありました。日本は、対応が遅れました。>
<困ったイラン大使館の野村大使は、トルコのビルレル大使(イラン駐在)に頼みました。『わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させます。トルコ人は、エルトゥールル号の遭難のとき、貴国の大島村の人たちから受けた恩義を、知っています。ご恩返しを、させていただきます。』>
<イラン空港に集まっていた日本人215名は、派遣されたトルコ航空機に乗って、トルコ経由で、日本に帰国しました。救援は、フセインによる、イランの爆撃開始1時間半前でした。トルコ人は、だれでも、今も、エルトゥールル号遭難のとき受けた恩義を、忘れてはいません。>
ここまで聞いたとき、後方に座っていたバスの観光客から、自然な拍手が起こった。私は不覚にも、こみあげるものを抑えることができず、窓の外の、数十軒の家が並ぶ農村の景色を見ました。子供たちが数人、庭に集まり、遊んでいました。子供がまだ多かった1970年代の日本の農村のようだった。
トルコの7000万人の国民と政府は、村民がトルコ人を助けたエルトゥールル号の恩義を、民族の記憶にしています。献身は、金額ではない。自分たちが食べるものにも事欠く村民が、食物を集め、供出した。(世界の宗教は、共通にこれを説くことではあります)
かつて日本の村落共同体には「もやい(分け与える:人を助ける)思想」があった。人は、自己を犠牲にするとき、美しい。そういえば、愛も、自分より、相手のことを優先して考えることでしょう。
持てるものは、持たざるものを助ける。村では、共同作業をする。日本の村には、一軒もカギがなかった。当時、日本に来た西欧の、キリストの愛を説く宣教師は、これらを見て驚き、日本は天国のような理想郷だと言った。
当時、ヨーロッパ世界では、略奪や強盗が普通でした。今の日本は、村を封建の思想として、村八分(村の掟に反したものを追放する)は教えますが、美しい「もやい(連帯の思想)」は教えない。
(以下略)


by oninomae | 2009-02-22 05:13 | 歴史・歴史詐欺捏造