ロスチャイルドは「赤い交響曲」を指揮する。by Henry Makow Ph.D.
ロスチャイルドは「赤い交響曲(レッド・シンフォニー)」を指揮する。by Henry Makow Ph.D. November 9, 2003
途方もなく、また奇怪に響くかもしれないが、人類は本当に極悪非道の陰謀の犠牲者である。
前世紀の戦争、不況、そして大量虐殺は、偶然的でも不可避でもなく、邪悪なデザインの結果だった。
衝撃的な証拠は、1938年のスターリン時代の警察(NKVD)による、共産主義インターナショナルの創始者、クリスチャン・G・ラコフスキー、65、の尋問である。 彼は、スターリン政権転覆を謀ったかどにより死刑執行に直面していた。
彼の尋問の50ページの転記物は、「赤い交響曲」とあだ名されたが、公になることを意図したものではなかった。
それは、ロスチャイルド-イルミナティが、超金持ちの世界独裁政権を確立するために共産主義を使うことを謀ったことを確認する。
これはおそらく近現代史の中で最も論争を起こす政治的な文書である。
それは、なぜイルミナティがヒトラーを作り出し、そして次に彼(訳注:「彼」よりも「一般のドイツ人」がいいとは思いますが)を破壊することを求めたのか、そしてなぜスターリンは1939年にヒトラーとの協定を結んだのかを明らかにする。
クリスチャン・ラコフスキーは老練な共産党インサイダーだった。
Chaim Rakeoverに1873年に生まれ、彼はフランスで、革命家になる前に医学を学んだ。 彼は、政府関係者を襲撃したテログループの指導者だった。
1919年には、レーニンは、彼をソ連のウクライナ政府担当として置いた。 彼は市民戦争中、成功裏にボルシェビキのためにその地域を保った。
スターリンは、1925年に彼をパリのロシア大使に任命した。
ラコフスキーは、ロスチャイルドからの注文を受けていた強力なトロツキー派の派閥に所属していた。 このグループの多くは、スターリンの1937年の共産党パージで銃殺された。
真夜中の尋問
1938年1月26日の真夜中の尋問の状況は非常に劇的だった。 ラコフスキーは彼の命を救うために一体何を言うことができるか?
ラコフスキーは、「真実によって欺く」の戦術を使用するようにみえる。 彼は真実を明らかにして信頼を得るが、そこから何らかのものを除いておく。
彼は彼の尋問者に印象づけようと努める。彼とトロツキーは、彼が「資本家-共産主義者の国際金融」と呼ぶ無敵の権力を代表していると。
彼は、「革命運動」は人類の道徳的かつ集団的な理想に仕えると装うことによって支持を得るために設計されたものであると確認する。
しかし真の目的は、社会を分断し従来の当局の土台を壊し、銀行家たちに全体的世界権力を与えることである。
「革命」は実際には、 「西洋文明を覆す」ことを意味する。
「キリスト教が我々の唯一の真の敵である。なぜならブルジョアのすべての政治的、経済的現象は単にその結果であるからだ。」、とラコフスキーは言っている。 (グリフィン、p. 264)
平和は「反革命的」である。革命への道を整えるのは戦争だからである。
ラコフスキーは、ワインに軽く酔って彼の舌はゆるんでいたが、イルミナティに対しては「彼ら」あるいは「彼らに」として言及している。
彼は、一人のメンバーだった。インナー・サークルの部分ではなかったけれども。
彼は説明している。「イルミナティ」は共産主義に献身的な一つのフリーメーソンの秘密結社であると。
意味深いことに、その創設者、アダム・ヴァイスハウプトはその名前を「その時代の二番目の反キリスト陰謀、グノーシス主義」からとっている。 (249)
いかにしてこの興味を引く説明が表に出たのか
その尋問者はスターリンの最も賢いエージェントの一人、「ガブリエル」として知られるガブリイル・クジミンであった。彼とそして一人の隠れた音声技師を別として、ホセ・ランドフスキー医師が臨席していた唯一の他の人物であった。
NKVDによって「抑留者の舌を緩める」ために徴集されて、ランドフスキー博士は、彼が目撃した多くの拷問に辟易していた。 ラコフスキーの尋問は、しかしながら、誠心誠意だった。
ランドフスキー博士は、ラコフスキーの飲み物に入れた軽度の陶酔物が多くの効果を有していたかどうかを疑わしいと思っている。
その尋問は、フランス語で実施され、深夜から朝7時まで続いた。のち、クジミンが、ランドフスキーにそのインタビューをロシア語に翻訳して2つのコピーを作成するよう指示した。
その内容はあまりにも心を圧倒するものだったので、ランドフスキーはもう一部の追加的コピーを自分自身のために作った。 「私は、このための勇気を持っていたことを後悔してはいない」と彼は書いている。 ( 279 ) (ボルシェヴィキは、1917年の革命期間中、帝政ロシアの大佐だったランドフスキーの父を撃っている。)
一人のスペイン人のファシズム信奉ボランティアが、後に第二次世界大戦中のペトログラード前面の仮兵舎(あるいは小屋)の中にあったランドフスキーの死体の上にあったその原稿を発見した。彼はそれをスペインに持ち帰り、そこでその原稿は「Sinfonia en Rojo Mayo.」として1949年出版された。その「The Red Symphony」の完全なテキスト はピーター・マイヤーズがオンライン化している。
その転記物は1968年に英語で「The Red Symphony: X-Ray of Revolution. (赤い交響曲:革命のX線検査)」として出版された。それはデス・グリフィンの「Fourth Reich of the Rich (1988)(金持ちの第四帝国:和訳はまだない)」中で見いだせる(訳注:日本では「ロックフェラー帝国の陰謀」中に掲載されている)。私は、この本とこの立派な人物が書いた全てを推薦する。
暴露
ラコフスキーは彼の尋問者に、彼のスポンサーが、世界を支配していることを証明するために、近現代史の目覚ましい内部情報を与えている。
「マネーは力の基盤だ」とラコフスキーは言う。そしてロスチャイルド一族が、銀行システムのおかげでそれを製造している。
その「革命運動」はマイヤー・ロスチャイルドとその同盟者による一つの企てであった。一つの全体主義の新世界秩序を確立することによって、この独占を保護し拡大するためにである。
ラコフスキーによると、「ロスチャイルド一族は会計係ではなく、その最初の秘密の共産主義の首長である…マルクスとその第一インターナショナルの最高位の首長たち…はライオネル・ロスチャイルド男爵[1808-1878 ]によって支配されている。
彼の革命的肖像は、英国首相ディズレーリによって描かれている。ディズレーリはまた、ライオネルの創造物で、その小説は我々に残された[ディズレーリの『コニングスビー』 ] 」(250)
ライオネルの息子ナサニエル(ナサン、ナタン、ネイサン)[1840-1915]は、キリスト教のロマノフ王朝を転覆する必要があった。
彼のエージェント、ジェイコブ・シフとウォーバーグ兄弟を通じて、彼は、日露戦争での日本側と、失敗した1905年のモスクワ暴動に融資した。
その後、彼は第一次世界大戦を扇動した(トロツキーはフェルディナンド大公の殺害の裏にいた);そして、1917年のボルシェヴィキ革命に融資した。
ラコフスキーは言っている。彼は個人的にストックホルムへの資金の移動に関与していたと。 (251-252)
ユダヤ労働運動あるいは「ブント」はロスチャイルドの道具だった。 ブントの「秘密の派閥」は、ロシアのすべての社会主義政党に潜入し、ロシア革命のためのリーダーシップを提供した。 アレクサンダー・ケレンスキー、メンシェヴィキの首相は一人の秘密メンバーだった。 (253)
レオン・トロツキーはソ連の指導者になることになっていた。
トロツキー、一人のユダヤ人は、ロスチャイルドの最も近い仲間、銀行家アブラム・ジヴォトフスキーの娘と結婚し、一族」の一部になった。
残念ながらレーニン(1/4ユダヤ人)のような「国家」共産主義者が政権を握った。 レーニンはトロツキーを却下し、ドイツと和平条約を結んだ(Treaty of Brest Litovsk, 1918.)これは、ロスチャイルドの計画ではなかった。 第一次世界大戦は、第二次世界大戦がしたやり方で終了させることになっていた。ロシアは1918年にドイツに侵略し、一つの「人民の共和国」の確立に地元の「革命派」を支援することになっていた。 (訳注:たぶん「パイクの手紙」からすると「できれば」だったのでしょう)
トロツキーは1918年のレーニン暗殺の試みに責任があるがレーニンは生き延びた。 レーニンが1922年に脳卒中になったとき、トロツキーはレーニンのユダヤ人医師レヴィンに彼を終了させた。
この決定的な瞬間に、不測の事態が起こった。トロツキーが病気になり、やスターリンが権力を握ることができた。(訳注:そしてスターリンはロスチャイルドだった?つまりここでも双頭作戦か)
この重大な岐路で、トロツキー主義者たちはスターリンを支持するふりをし、それを妨害するためにその体制に浸透した。 ラコフスキーはスターリンを「ボナパルト主義者」、トロツキーのような国際共産主義者に反対するような民族国家主義者、として性格づけている。 「彼は、革命の殺し屋で、彼はそれに尽くさないが、しかしそのサービスは利用する;彼は、最古のロシア帝国主義を代表する、ちょうどナポレオンが彼自身をゴールで名乗ったように…」 (257)
スターリンを包含する
スターリンを制御するために、国際金融は、ナチ党のヒトラーを構築することを強いられた。 (訳注:というか、パイクの手紙や、その後のイスラエル作製等をみても、スターリンとヒトラーの双頭作戦は最初から予定されていたように思いますがね。言うことをきかせるためには、双方に融資し、より言うことをきく方を強化ということでしょうか)
ラコフスキーは、ヒトラーはそれに気づかなかったが(訳注:完全なインサイダーではないラコフスキーが気づかなかったこともあるのか、虚偽をまぜているのか)ユダヤ人金融家がナチスを支援したことを確認している。
「その使節ウォーバーグが、偽名で自己紹介し、ヒトラーは彼の人種を推測さえしなかった…彼はまた、彼が誰の代理人であるかについても嘘をついた…我々の目的は一つの戦争を挑発することだった、そしてヒトラーは戦争だった… [ナチスは] ウォールストリートからは送られた数百万ドル、そしてドイツの金融業者からシャハトを通じて数百万マルクを受け取った;SAとSSの維持費を[提供し]、また選挙の資金を調達し…」 (259-260)
銀行家にとっては残念ながら、ヒトラーはまた、扱いにくいことが判明した。
彼は自分のお金を印刷し始めた!
「彼は、自分のために、物理的マネーだけでなくまた金融的なそれも、マネーの製造特権を乗っ取った;彼は手つかずだった偽造機械を乗っ取りそれを国家の利益のために動かした…何が起こるかあなたは想像できますか…もしそれが多くの他の国々へ感染したとすれば、そしてある専制国家[絶対的支配、銀行家たちのそれを置き換えた]の時代の創造をもたらすならば、もしあなたができるなら、その反革命的機能を想像してほしい、… (263)
ヒトラーは、マネーに干渉していなかったスターリンより大きな脅威になってきた。
ラコフスキーの当面の使命は、ヒトラーとの協定を作成するようスターリンを説得し、ヒトラー侵略を西に向けさせることだった。その目的は、ドイツと西の国々に対しお互いに消耗させること。東でもう一つの戦線が開く前に。 (訳注:日支闘争計画のヨーロッパ版でしょうか。しかし上層が実は…も同じ)
[ウォルター・クラヴィツキー、西側に亡命後1941年に暗殺されたソ連の欧州軍事諜報部の長によれば 、スターリンはヒトラーと協定を結ぶことを早ければ1934年に決心していた。] 彼は、ナチスと戦う願望を(訳注:当時は)なにも持っていなかった。 ラコフスキーと彼のスポンサーが、このことを知らなかったなどということがあり得るだろうか? Kravitsky On Stalin's Secret Service (1939)]
ラコフスキーはロシア人に「真実で欺く」戦術の使用を促した。」 ロシア人たちは、ヒトラーに平和への純粋な望みを印象づける予定だった。 ヒトラーは、彼が二正面での戦争へと設定されつつあったことを疑わない予定だった。
スターリンは選択肢を与えられていた。 もし彼がヒトラーとポーランドを分割することで合意したなら、西側は一つの侵略者だけ、つまりドイツに戦線布告するだろう。 もし彼が拒否すれば、銀行家たちはヒトラーに彼を退けることを許可するだろう。
クジミンは、いくつかの高レベルの確認を求めた。 ラコフスキーはモスクワの米国大使、ジョセフ・デイヴィースに面会するように言った。
彼は、仲間のフリーメーソンで国際共産主義者ルーズベルト政権の代表者であった。
何者かがデイヴィースのところへ派遣され、彼はもしラコフスキーが恩赦を得られるなら「多くのものが得られるだろう」と確認した。
1938年3月2日、強力な無線メッセージがモスクワへロンドン大使館の暗号で送信された。 「恩赦、さもなくば、ナチの危険が増大するだろう」とそれは言った。 デイヴィースはラコフスキーの裁判に出席し、彼にフリーメーソンのあいさつをした。 同じ日、1938年3月12日に、ヒトラーはオーストリアに進軍した。
ラコフスキーの死刑判決は減刑された。あるものは、彼は偽名の下生き延びて余生を送ったと信じている。別のもう一つのソースは、彼は1941年銃殺されたとしている。
ヒトラーとの秘密交渉が開始された。 その結果は、1939年8月署名されたリッベントロップ-モロトフ協定だった。ポーランド侵攻のちょうど1週間前であった。
その尋問は、スターリンとイルミナティの間のある協定を作り出して来たように思われる。
ロシアはロスチャイルドのクラッチの中でもがいている
ヨーロッパと米国はずっと前にロスチャイルドのイルミナティ支配に見舞われた。
ロシアでは、まだいくらかの死の痙攣がある。
最近では、ウラジミール・プーチンがミハイル・コドドフスキー、ロシア最大の石油会社「ユコス」の代表にして「ロシアで最も裕福な男」を逮捕した。
プーチン大統領は、ロシアはその石油会社の彼の120億ドル相当26%の債権、15年前の共産主義の再編時に略奪された多くの国民の資産の一つ、を押収するだろうと発表した。
それから 、我々は学ぶ、その持ち分はすでに他ならぬ銀行家ジェイコブ・ロスチャイルドに移動させられていたことを。
そのような状況のために設計されていた「以前には知られていない合意」ものとに。
この二人は何年もお互いに知っていた。「彼らの芸術への相互の愛を通じて」。
ラコフスキーはクジミンに、イルミナティは政治的、財政的ポジションを取ることは決してないと語った。 彼らは「仲介者」を使用する。
「銀行家や政治家は単なるわらの人たちである…たとえ彼らが、高い地位を占めていて、実施計画の作者のように見えていたとしても…」 (248-249)
明らかに、コドドフスキーはロスチャイルドのための[仲介者]である。
だから、リチャード・パール、ヘンリー・キッシンジャー、そしてアリエル・シャロン、彼らはそれぞれプーチンの行動に反対して大声を上げる。
パール、イラク戦争の企画者は、 G-8からのロシアの追放を求めた。
シャロンは、「ユダヤ人ビジネスマンの迫害」に懸念を表明した。
コドドフスキーはユダヤ人である 彼の後継者としてサイモン・クケスがそうであるように。 そして、パールとキッシンジャー。
多くのユダヤ人はイルミナティに仕えている、そしてそれが反ユダヤ主義の原因である。
しかし、トニー・ブレアとジョージ・W・ブッシュも、それに仕えているが、彼らはユダヤ人ではない(訳注:最近の情報では、後者は隠れユダヤ人の可能性が高いです。前者も怪しい。少なくともwanabe jewでしょう)。
ビルダーバーガーズとスカルアンドボーンズのメンバーは主にユダヤ人ではない。
イルミナティは、 ロスチャイルドと世界のスーパーリッチとの間の同盟関係であり、フリーメーソン組織で統合されており、その神はルシファーである。
人類、神の壮大な実験は、転覆させられ汚されてきた。
イラクの米軍兵士から、国家債務を支払う納税者まで、我々はみな「わらの人間」である。
続く
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Henry Makow is the author of A Long Way to go for a Date. He received his Ph.D. in English Literature from the University of Toronto. He welcomes your feedback and ideas at henry@savethemales.ca.
Articles
元記事は
Rothschilds Conduct "Red Symphony"
http://www.henrymakow.com/000275.html
by oninomae | 2009-02-04 23:11 | イルミナティ