「帝国主義論」はユダヤ民族主義者レーニンの煽戦理論 by モルデカイ・モーゼ
次に、レーニン主義について述べよう。
日本の皆様をまた驚かすことになるかも知れないが、レーニンはユダヤ人であり熱烈なユダヤ民族主義者であった。この点はマルクスに劣らないだろう。血統的には父系が蒙古族のカルムイック人であり、母系がユダヤ人である。クループスカヤ[Krupskaya]夫人は純粋のユダヤ人であった。
教科書的マルクス主義では、レーニン主義とはマルクス主義を資本主義の最高段階、帝国主義の時代に適用、発展させたものということになっている。建前論からいえばそうともいえるだろう。しかし本質論はそんなことでは到底理解できないだろう。
レーニンというと、革命家と誰もが考えるだろう。しかし実際は、煽戦家というべきであろう。レーニンといえば「帝国主義論」である。あの「帝国主義論」というのは、本人も認めている如く、ホブソンの「帝国主義」の盗作とでもいうべきものであると思われている。
しかし問題はそんなところにあるのではない。全文の中のただ一行、「帝国主義諸国間の戦争は不可避である」という点に注目しさえすればよい。 レーニンが「帝国主義論」を書いた目的はただこの一点にあるのである。
その目的は、戦争というものがユダヤ民族の解放事業に最も有効な手段であるということにつきる。
十九世紀のマルクスの持ち出した内部抗争による国家の顛覆という手段よりも、ずっと手っ取り早い手段が戦争なのである。 戦争で国家が疲弊したどさくさが一番の変革、解放事業のチャンスであるということである。日本の戦後改革もこのパターンである。
さてここで、レーニンが熱烈なユダヤ民族主義者であるということの証左として次をご覧頂きたい。普通マルクス主義者諸君は注目していないものばかりだが、ユダヤ問題を論じる時のレーニンの口調は想像以上に激しいものがある。
一九一三年八月十八日付の「セーベルナヤ・プラウダ」紙上でレーニンは、ロシアではユダヤ人学校の民族別化を推進しようとしているとして、これに非難を加えている。大意つぎの如くである。
「ロシアにおけるロシア民族は全体の四三%を占めるにすぎないのに、自分等ロシア民族にあらゆる特権を与えようと努力している。そしてロシア在住の他民族、いわゆるタタール人に対してますます彼等の権利をきりつめ、分離政策をおしすすめ、相互に反目させるような政策をとりつつある。その最も極端な現われが、ユダヤ人学校の民族別化政策である。この内容は、私立、官立をとわず、すべての学校でユダヤ人に門戸を完全にとざそうとしており、そのためユダヤ人中学生の数を百分率で制限しようとしている。ヨーロッパでは中世にだけ存在したこのような差別政策を今頃から始めようとしている」
普通、非ユダヤ人が、ユダヤ人の差別をこのように熱心に反対、批判することは例がない。ユダヤ人でなければできるものではない。
(引用注:次に、)「イスクラ」の一九〇三年二月十五日号の中で、ユダヤ人労働者総同盟、通称「ブンド」を非難する主張で、「ユダヤ人プロレタリアートに独自の政党が必要か」と題して論じられているものがあるが。
この論文の中でレーニンは、シオニズムを猛烈に攻撃しているのである。シオニズムとはハンガリー生まれのジャーナリスト、テオドル・ヘルツル博士がドレフュス事件を見るにつけユダヤ人は結局自分のナショナルホームを建設しなければならないと決心し、「祖先の地」(「」は引用者)、シオンの丘、パレスチナヘ帰ろうとする運動である。つまり現在のイスラエルがこのシオニズム運動の結晶であるのはいうまでもない。
ではユダヤ人レーニンは何故、この理想的なシオニズム運動を攻撃するのか。ユダヤ人の運動にはもう一つあったのである。それはマルクスの唱える革命、レーニン自身の唱える戦争、この二本を組み合わせて両建て主義というのだが、この線からのユダヤ人の理想の実現という線があったのである。今流にいえば、前者をハト派、後者をタカ派というべきか。レーニン自身は勿論、レーニン主義という如く後者のタカ派路線の要である。ヘルツル博士の唱えるナショナルホーム建設運動の如きは白昼夢にすぎないだろう。
建前論のマルクス・レーニン主義を論ずるのであれば、なにもシオニズム運動の如きユダヤ人だけの運動に論及する必要は毛頭ないはずである。思わず本音が出たというところであろうが、これもユダヤ人でなければ絶対に出てこない点であろう。
このブンド攻撃の論文を通じていえることは、明らかに内輪のケンカといった感じがプンプンしていることである。(引用注:ブンド*はトロツキーのほんとうの「党」**ですしね)これが建前論としてのマルクス主義を論じるレーニンと同一人物かと思わせるほどの同族意識まるだしの口調が貫いているということである。
日本人の知らないロシア革命の実像
次に、ロシア革命をブロレタリア革命と健前論に終始するものは、今日(1979)では日本共産党以外ほとんどなくなったが、ロシア革命の本質について簡単にふれておくことにする。
日本ではほとんど知られていないが、当時欧米の新聞論調はロシア革命とはいわず、ロシアクーデターと呼んでいるのである。つまり、クーデターは革命とちがって首がすげかえられただけのものである。ユダヤ権力がツアー権力にとって代わったものという意味である。それはフランス革命に次ぐユダヤ人の反撃ブログラムの第二弾だったのだ。
このロシア革命は予言されていたといえよう。一九一三年十月、ウイーンで発行されていたユダヤ機関誌「ハンマー」第二七四号に次のような記事がある。
「ツアーはキエフにおいてユダヤ人に対する徹底的な撲滅政策を決議した。運命はこの大闘争の結果にかかっている。ただしそれはユダヤ人の運命ではない。何故ならユダヤ人は負けることがないからである。それはただツアーの運命にすぎないというだけのことである。ツアーの勝利はその終焉の発端にすぎない。逃れる道はないことを知るべきである。このことをよくのみ込んでおけ。われわれはキエフにおいて、全世界に向ってわれらに侮辱をあたえるものを容赦しないことを示そう。もしユダヤ人が今までにロシアに革命を起す事実をかくす政策をとっていたのならキエフ事件におけるツアーの態度が判った今日、その政策は捨てるべきである。この事件の結果がどうであろうと、ツアーに対しては容赦しない。それがわれわれユダヤ人の決心である」
これは自信にあふれた予言である。
このような状勢に対しては警戒論も勿論出ている。その一例として、駐露オランダ公使ウーデンディクは英国外相バルフォアに対して次の如き報告を送っている。
「ボルシェヴィキに対してはすみやかに弾圧を加えねばならない。このままだと全世界にその毒牙はひろがるだろう。ボルシェヴィキは国家をもたないユダヤ人に鼓吹されている。その目的はユダヤ人の利益のために現状の変革を狙っているのである。この危険を救うのは列強の共同行動のみである」
これに対して親ユダヤ主義者、英国首相ロイド・ジョージとアメリカ大統領ウッドロー・ウイルソンが強固に反対したことはいうまでもない。
一九二〇年ニューヨークのロシア人の亡命団体である「ユニティ・オブ・ロシア」はソ連の支配者達の人名録を出版しているが、それによると当時のソ連政府の各委員会に占めるユダヤ人の数及びパーセンテージは次の如くである。
(総数) (ユダヤ人数) (%)
人民委員会 二三 一七 七七・二
軍事委員会 四三 三三 七六・七
外務委員会 一六 一三 八一・二
財務委員会 三〇 二四 八〇・〇
司法委員会 二一 二〇 九五・〇
教育委員会 五五 四二 七九・二
社会委員会 六 六 一〇〇
労働委員会 八 七 八七・五
赤十字委員会 八 八 一〇〇
地方委員会 二三 二一 九一・〇
新聞記者 四一 四一 一〇〇
次に英紙「モーニング・ポスト」の発表したソ連の高級委員の中のユダヤ人についての偽名:ロシア名と(本名)のリストを示す。 (引用注:文を分かり易くちょっと変えました)
レーニン(ウリヤーノフ)、メシュコフスキー(ゴールドバーグ)、トロツキー(ブロンシュタイン)、ステクロフ(ナハムケス)、マルトフ(ゼデルバウム)、ジノビエフ(アプヘルバウム)、ダーセフ(ドラプキン)、力ーメネフ(ローゼンフェルト)、スハノフ(ギンメル)、ラジェヌキイ(クラッシュマン)、ボグダノフ(シルバースタイン)、ゴーレフ(ゴールドマン)、ラデック(ゾーベルソン)、リトヴィノフ(フィンケルスタイン)
これらの状況証拠をみてもわかる通り、ロシア政変というものはユダヤ人の解放運動だったのだ。今世紀(20世紀)に入っての革命連動というものは、ユダヤ人の苦しめられていた国々で起きているのである。ロシア然り、ドイツ然りである。フランス革命の結果、ある程度の自由をユダヤ人が獲得したフランスその他西欧、ユダヤ人に寛大だったスカンジナビア諸国、ユダヤ人を経済的刺激要因などに巧みに利用する術を心得ていたアングロサクソン諸国等においては革命運動が殆ど起っていないのである。もしこれが社会の発展法則云々ということなら、均等に起って然るべきはずではないか。
モルデカイ・モーゼ(久保田政男訳) あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい[1979.12] 5 マルクス主義はユダヤ民族解放の虚構仮設 pp.150-157 より
参考
* ユダヤ人一族のなかで傑出していると思われる二つの血統はオッペンハイム家とオッペンハイマー家である。A・オッペンハイムはケルンに居を構えている。また、グンペル・オッペンハイムはブンド・デル・ゲレシュテン(正義同盟)の中心サークルのメンバーだった。その親戚ハインリッヒ・オッペンハイムは一八四八年ドイツで起きた共産党革命の首謀者であった。 共産党の公式歴史書は同盟が共産主義の前身であると認めてさえいる。つまり、ブンドは主に悪魔崇拝者のユダヤ人が運営するイルミナティの隠れ蓑の一つだった。 一部ロスチャイルドの出資を受けていたこの同盟は、悪魔崇拝者でありフリーメーソンでもあったカール・マルクスに金を支払い「資本論」を書かせている。 オッペンハイマー家はバーバリアン・イルミナティの初期のメンバーであり、ロスチャイルド家と親密なのは明らかだ。CFRのJ・ロバート・オッペンハイマーは共産主義者であることが露見している。 国際銀行家のハリー・オッペンハイマーはユダヤ系の世界的ダイヤモンド会社デ・ビアス社の会長であり、アングロ・アメリカン商会の会長でもある。 アメリカ金融界の重要な地位のあちこちにオッペンハイマーの名を見つけることができる。 ・・・フリッツ・スプリングマイヤー 『悪魔の13血流』 p402-3より (引用注:このころ彼らが「キリスト教徒」を”悪魔のように呪っていた”のは無理からぬところがあるとは思う。ただ、日本でまで実行するのはかないません)
** トロツキーがペトログラードに到着した後、レーニンは彼を公然と受け容れた。君がよく知っているとおり、二つの革命の間の中断時期には、二人の間には意見の深刻な相違があった。しかしここでは一切が忘れられ、トロツキーは、スターリンにはこれが気に入ろうといるまいと、革命の勝利の時代では自分の事業を知っているものとして、処遇される。それはなぜか?
この秘密はレーニンの妻ナジェージダ・コンスタンチノーヴナ・クループスカヤ(註、ユダヤ人女性)が持っている。彼女はトロツキーが何者であるか、よく知っていた。彼女がレーニンにトロツキーを受け容れるよう強く勧めたのである。もしレーニンがトロツキーを受け容れることを拒否したら、レーニンはスイスに止まることになったであろう。これが彼にとっては、トロツキーを受け容れた重要な理由の一つであった。そのほかレーニンは、トロツキーが資金を調達し、莫大な国際的援助を組織したことを知っていた。証拠は《封印された列車》である。
さらに鉄のような決断力を持って、小さなポリシェビキ党とすべての左翼革命陣営、社会革命党員、無政府党員を結束させたのはトロツキーであり、レーニンではない。
《政党を持たぬ》トロツキーの本当の党は、ユダヤ人プロレタリアの古い《ブンド》(註、ユダヤ人労働総同盟、正義同盟、義人同盟)であった。この《ブンド》からすべてのモスクワの革命的支流とその指導者の九〇%が生れている。もっともそれは形式上の《ブンド》でなく、”ブンドの秘密指導部”である。この指導はあらゆる社会主義政党に滲透しており、その政党のリーダーは、《ブンド》にコントロールされていた。 ・・・ラコフスキー調書より (引用蛇足:ブンドの秘密指導部は、もちろん金融同盟でしょう)
共産主義とNWO :ウォール・ストリートのユートピア詐欺 By Henry Makow Ph.D.
http://satehate.exblog.jp/10630063/
ドッドは聞かされた。将来的には、党はしばしば政府に対してのみならず米国の労働者に対しても反対することになるだろうと。
このシナリオを描いているのは誰か?
http://blue.ap.teacup.com/97096856/
追記(コメント関連)
Mayer Amschel Rothschild [1744-1812]
蛇足:革命家Mayer Amschelは、若いときオッペンハイマー銀行で修行。
Nathan Mayer Rothschild [1777-1836]
Baron Lionel Nathan de Rothschild [1808-1879]
ところがある者は次のようにも言っている。彼らの言う理由がまさっていると私は思っている。それはロスチャイルドは会計担当者ではなくて、実は秘密の共産主義の首領だったという説である。この見解は周知の事実に基づくもので、マルクス[1818-83]と第一インターナショナルの最高指導者たちは、その中にはゲルツェン[1812-70]やハイネ[1797-1856]も加わっているが、ライオネル・ロスチャイルド男爵[1808-79]の統制下にあった。
ユダヤ人の英国首相ディスレーリ[1804-81]が描いた彼の革命的風貌は、われわれに伝わっているが、ディスレーリは彼を、”スパイ、炭焼党(註、カルボナリ党:マッツィーニ[1805-72]が、最低1831までは所属。もちろんその後もコネクションありと思われる)員、フリーメーソン、秘密のユダヤ人、ジプシー、もろもろの革命家たちを知っており、彼らを《指導》していた億万長者”として描写している。すべてこれはお伽ぎ話のように思われる。ディスレーリはロスチャイルドを《シドニイ》と呼んでいた。しかしこのシドニイはロスチャイルドの息子ナタン[1840-1915]の理想化した肖像であることが証明されている。
彼はゲルツェンの思想を支持し、皇帝に反対する運動を起し、勝利を得ている。
もしこれらの事件に照して、われわれが予想できるすべてのことが正しいとすれば、資本蓄積と無政府状態を創出するこの恐ろしい機械を誰が発明したか、金融インターナショナルとは何かを規定できると、私は考えている。
彼こそ革命的インターナショナルを作った当人だと思う。
プロレタリアにストライキをやらせ、絶望感の種を蒔き、同時に、プロレタリアを革命に巻き込むために、プロレタリアを団結させる組織を作るための最高級の武器を、資本主義の援助の下に建設するといったことは、将に天才の行動だと思う。
これは歴史に素晴しい章を書き入れることだ。否、それ以上だ。ロスチャイルドの五人の兄弟の母の言葉を記憶しているでしょう。「もし私の息子たちが望まないなら、戦争は起らない」。これは仲介者という代理人がいること、そして彼らは、皇帝ではないが、”戦争と平和の主人公”であるということである。 この宇宙的重要性を持つ事実を君は想像できるか?
戦争は今では革命的機能となっているのではないのか? 戦争はコンミューンだ。その時以来、戦争は共産主義への巨大な歩みである。
まるで何か神秘的な力がレーニンの希望を果してくれたのである。 by ラコフスキー
Leopold de Rothschild [1845-1917]
Lionel Nathan de Rothschild [1882-1942] (Evelyn Achille de Rothschild [b.1886] , Anthony Gustav de Rothschild [1887-1961])
Edmund Leopold de Rothschild[2 January 1916 – 17 January 2009]
David Lionel Rothschild [b.1955]
右側
Baronの系譜はこちら
by oninomae | 2009-01-21 20:37 | イルミナティ