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亀井静香が明かす原爆体験

亀井静香が明かす原爆体験(1)  12月09日
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=29795


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政権交代の鍵を握る一人が亀井静香・国民新党代表代行だ。 政界の業師は何を考えているのか。本人に直撃取材した。


◆死刑廃止が私の信念です

―――(応接ソファーの横にある壁に高く掲げられたチェ=ゲバラの肖像写真を見て)キューバの革命家・チェ=ゲバラの写真が事務所内に飾られているんですね。こりゃ、すごいや。

亀井静香:私はゲバラを最も尊敬する人物として政治活動をやっています。自らを捨て、苦しむ民衆の救済に身を捧げたゲバラこそが、本当の政治家の姿だと思う。アメリカ合州国のジミー=カーター大統領(民主党)の時に副大統領を務めたウォルター=モンデール駐日大使(当時)が私の部屋に来て、ゲバラの写真が飾ってあるのを見てびっくりしましたよ(笑)。

―――亀井先生と「革命家」「チェ=ゲバラ」が並列されても不思議に思う人がほとんどでしょう。ゲバラというと御長女のアレイダ=ゲバラさんが昨年、来日されましたね。2週間かけて日本全国を回り、講演されたそうですが……。

亀井:私は御本人にお会いしましたよ。 彼女もゲバラも医者です しかし、ゲバラの面影があまりなかったな。

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―――鳩山邦夫元法相は13人を死刑執行、保岡興治前法相も退任間際に3人を死刑執行しました。

亀井 :とにかく、国家が死刑囚をベルトコンベアーに乗せて、次から次へと殺していく。国家による殺人であることは疑いないでしょ?国家による殺人が死刑執行なのだという本質から目を背けちゃいけませんよ。人の生命を守るべき国家が人を殺すという倒錯したことをやっているから、なれの果てに秋葉原連続殺傷事件のような末期的な事件が続発するんですよ。言葉は悪いですけれど、現在の世の中は、まったくもって狂っているとしかいいようがない。そして、国のてっぺんにいる政治家が一番狂っている。

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◆あの日、原爆を見た原爆体験が原点にある

―――亀井先生がずっと黙して来られたので、存じ上げませんでした。ヒロシマ原爆を体験されていたんですね。亀井先生の資料を半年かけて探した末に、発見しました。亀井先生が黙されるのは、忘れたい地獄だったからだと承知しながらも、あえて、その御話を尋ねる御無礼を御容赦ください。

亀井:いや、私自身は体験したわけじゃないですよ。
 1945年8月6日、7歳のときに、原爆の閃光を目にしました。私は小学生でした。広島県比婆郡山内北村という片田舎で、食料がなかったから、児童みんなで校庭に芋畑をつくるために、芋を植えていました。夏休みなのに、学校に行って、芋作りするために、校庭にたまたまいたんですよ。
 山の向こうからピカーっと空に鮮烈な光が見え、キノコ雲が上がって、とてつもない地響きが伝わってきました。大変なことが起きたんだ……と幼心でも感じられました。
 数日後、服も着ずに肌が焼け爛れ、逃げてこられた人が多くおられたのを現在(いま)も記憶しています。
 親戚も被曝しました。私の姉貴が爆撃地近くの三次高等女学校にいたんですね。自分も被爆したとは知らなかったのでしょう。援助のため多くの女学生と一緒に爆心地へ通い続け、第二次被曝に苦しみました
 姉貴を亡くしたのは後年です。姉のクラスメートは原爆訴訟を起こしました。
 だから、よくね、俳人で俳誌「茜」を主宰していた私の姉貴・出井知恵子(*)さんもね、私と同じようなことを語っていますよ。
 私自身は被爆したわけではありません。

*出井さんは1984年に白血病で死去した。

―――地獄絵図というか、当事者の想像を絶する体験をされたのですね。

亀井:被爆者には親戚もいましてね。私の姉は爆撃地近くの三好高等女学校におりました。距離としてね、そうだな、80 キロぐらい離れていたのかな。被爆者でありながら、被爆者を助けに、姉を含む女学生は爆心地に通いました。救助に行った女学生も第二次被曝を受け、闘いました。
 私の姉は病気に苛まれ、煩悶し続け、10年後に死にました。 姉のクラスメートが原爆訴訟を起こしたんですよ。


亀井静香が明かす原爆体験(2) 12月10日
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=29810


◆中国による核攻撃の脅威

―――原爆から亀井先生が得た教訓は何ですか?

亀井:まあ、原爆だけじゃなくてさ、東京大空襲も含めてね、或いは戦地で戦闘死した人を含めて、やはり、とにかく 戦争という一人殺そうが十万人殺そうが同じことだということは永久に放棄しなきゃいけない。国家目的の為の殺し合いは神様が命令してやらしている訳じゃない。人間同士がある面、利害の衝突の中で、起こしている。私がね、民主党と組むのは最期の奉仕として、戦争を知らない世代の彼らだと戦争をやりかねぬ一抹の危惧がぬぐい去りきれないからです。その時は俺だけでも命をかけて抵抗しようと思っている。アーミテージ長官などの米国要人と会い、できるかぎり、イラク戦争に俺なりに反対した。でも、不十分だったことは否めないね。己のか弱さを恥じている。

―――日本では北朝鮮の脅威ばかりが騒がれていますが、平和ボケかと思えてしまう。核保有する隣人は中国、ロシアですよ。中国は射程距離2500kmの核兵器を搭載した原子力潜水艦を完成させてもハワイ半島にしか届かないというから、射程距離8000kmの核兵器をつくった。原子力潜水艦が発射すれば米国本土を攻撃できる。実験段階とはいえ、宇宙から核攻撃できる体制づくりもすすめている。アメリカは「ならず者国家」に、フランスは自国にテロをしかけた国に原爆を落とすと宣言しています。中国はどんな時に核兵器をつかうか黙っている。核武装論者は日本が核保有に進んでも、中国から核兵器は飛んでこないという絶大な信頼感があるんでしょうね。

亀井:あなたといっている自主防衛は違うけど、中国が現に持っている膨大な核戦力と日本がドンパチやって勝てる体制を作れますか。軍拡を言葉だけで日本がやろうとすれば、中国側を緊張させるだけでしょう。中国の曽慶紅国家副主席と面談した時、核兵器に関する膨大な資料を持ってきて、「亀井先生、中国はね現在、軍事力を過大に強化している。」と牽制してきましたよ。 「いやあ、私は貴国のことは充分に存じ上げているから、民政安定を犠牲にしてまで軍事を強化したいなら、どんどん、おやりなさい。怖くも何ともないし、所詮ね、張り子の虎ですよ」と言った。そうしたら黙っちゃった。
「核兵器を射てるものなら、射ってみろ!」と言いたい。
核を使えば放射能汚染が中国にも広がり、日本と抱き合い心中になりますよ。それができるほどに中国は強固じゃない。国際世論もありましょう。胡錦涛・国家主席にも強く言い聞かせています。

―――ただ、報道を読む限り、中国共産党体制が崩壊しかねないように思えてしまう。統率力がとれなくなり、暴走しないかが懸念です。ところで、護憲派の社民党・共産党と違って亀井先生はバリバリの改憲派ですね。

亀井:憲法改正が信条なのは、憲法9条には23通りの解釈があり、機能不全だからだよ。9条があったって、戦争しちゃうぞ、この国は。戦争をしないためにこそ、憲法改正を提唱します。

―――死刑廃止や非戦への熱意は、国家による殺人の不条理をよく実感しておられるからなのかな?と思ってしまいます。

亀井:ずいぶんと、俺のことを評価してくれているけど、そんなに褒められた人間じゃないよ。ゲバラの垢を煎じて飲みたい。

―――たしかに警察官エリートなのに、暴行の罪で逮捕経験があるなんて、ユニークです。


◆俺はしょせん、ひ弱なリーダーだったよ

―――亀井先生といえば、建設大臣、運輸大臣、政調会長を務め、権力の中枢にいた。権力の高みにおられたわけですよね。郵政解散で自民党を追い出された。綿貫民輔さんも亀井先生も無所属で闘うほうがトクだった。国民新党は亀井久興さんを救うだけのものだったと陰口を叩く人もいます。新党をつくって、選挙後の国会で、郵政法案に反対したから、自民党から除名されましたね。変わった方ですね。郵政選挙で自民党の「怨敵」だった野田聖子さんによる自民党復党はまだしも、大臣に就くのは驚天動地でした。彼女から学べるのは、どんなことがあっても、信念は捨てて、与党にすがりつけば、最後には報われるって教訓にしか、見えないんですよね。かつての師である故・三木武夫元首相が何と思われるか。三木氏の座右の銘「信なくば、立たず」の逆を歩いていらっしゃる。

亀井:人間は目の前の欲得に誘惑されるのが普通ですよ。まあ、か弱いから普通、負けてしまいます。実体験から、そういえますよ。偉そうなことをいえた身分ではない。ただね、政治家になった以上は、あそこまでやるんなら、辞めるべきだね……。最初は郵政民営化に反対票を投じたんだけどね。

―――亀井派(志帥会)・会長として亀井先生が自派閥議員にどれだけ温かく接してきたか、面倒をみたか、重々、伝え聞いております。お金集めに熱心で、疑惑が多いダーティー政治家というのが一般のイメージでしょう。だが、郵政解散後、会長に誰1人として付いて来なかった。残党からは悪口ばかりが聞こえてきた。1人も部下がついてこなくて、ある種の失望や裏切られたという気持ちは覚えなかったのですか。

亀井:人間というのは本当に弱い存在なんですよ。弱さの中で、ギリギリ、生きている。それぞれの人間が判断をして進むんじゃないかと思います。考え抜いて末のことなら、俺は意見を押しつけちゃいかん。
しかし、リーダーは場合によって、「俺に付いて来い」「死地に赴け」というリーダーシップも発揮せにゃあいかんことだってある。
私が志帥会会長で五十名近い国会議員を率いていました。郵政問題に関して私は派閥総会で、「俺はみんなに反対しろ!とか、賛成しろ!とか言わない。君たちの信念に従って行動してくれ。俺は必ず反対する」とブチ上げ、反対の説明をその都度、説明してきましたヨ。
まあ、言い尽くしたんだから、それでも納得できない議員にさ、ついて来いとは云えなかったよ。努力が足りなかったんだ。

―――派閥って、ずいぶんと脆いものですね。

亀井:派閥会長として、俺はかよわいリーダーだったんだよ。しかたがない。ただ、初めは相当数の人が派閥を超えて、私と同じ考え方をもって郵政に反対したんだけどね。かつて反対票を投じた人が自民党にいるけど、哀しいもんだね。まあ、しょうがない。
吉田松陰が松下村塾で「幕府と戦うか、戦わないか」というと、塾生が「いやあ、勝ち目のない戦はすべきじゃない」とか「断固やる気だ」と言った。松陰はね、最後に
「諸君は功名をなせ。我は忠義をなさん」
 といったんだよ。

―――松陰のように演じたわけですね。

亀井:「とにかく俺についてこい」じゃ、小泉といっしょになっちゃう。


亀井静香が明かす原爆体験(3) 12月11日
http://www.222.co.jp/NetNews/article.aspx?asn=29812


◆終身刑導入は間違いなく実現する

―――死刑廃止の究極の目的は何ですか。

亀井:人間はどんなに偉そうな顔をしても、ホントは弱くて脆い。凶悪犯罪をやる可能性をみんな持っている。逆にさ、自分を犠牲にして、人を助けようという気持ちだってある。死刑は人間の生命論に関わる。死刑制度に賛成か反対は試金石だ。鳩山邦夫元法務相がバンバン、短い人間の命をさぁ、奪っていくのを見て思ったよ。「金の匙」「銀の匙」の音羽御殿で育った彼には自分が死刑判決を受ける想像力なんてないんだろうね。
人間は人を殺す場合はある。そういう、非常に残虐な形の殺人になる契機がないとはいいきれない。
「しかし、国家が命まで絶つことはない」
私はそういいます。
巨悪犯罪の犯人・共犯者をほっとくわけにはいかない。捕まえて罰を与え、制裁を加えることは当たり前です。しかし、命までは奪うことはない。
罪を犯した者が、仏の心・仏性に目覚めていく、己が犯した大罪に絶望し、そこから贖罪を求める努力へ向かうように国家が尽力すべきでしょう。人間は仏・悪魔・天使の側面があるんですよ。

―――含蓄ある言葉ですね。麻生太郎首相が「人間性」を根本から疑われる暴言を吐き、野中広務先生を憤怒させましたね。小沢一郎さんを自著『私は闘う』で「悪魔」と罵倒し続けたのが、野中先生さんでした。人間って、ずいぶんと、変わるんですね。

亀井:そうだよ。たとえば、最近、加藤紘一まで入ったんだよ、死刑廃止議連に。

―――死刑廃止をさせないため、終身刑の導入だけを求める「量刑制度を考える超党派の会」を加藤さんはつくり会長に就き、死刑廃止派からはだいぶ警戒されていましたよね。

亀井:死刑廃止議連が終身刑をいいだしたんだよ。これが通れば、死刑制度存置の支持率は下がる。加藤紘一は終身刑の導入に本当に尽力されてこられた。実に立派だ。そして、私たちの話を聞こうとし始めた。

―――亀井先生が「死刑廃止を推進する議員連盟」の会長になられ、一気に、物事が進んでいっている気がしてなりません。会長1人に頼りすぎでは?

亀井:俺1人の力じゃないよ。保坂(展人・衆院議員)なんか、よく働いているよ。

◆総選挙で公明党も問う

―――先ほど、政治家が狂っているとおっしゃっていましたが、どの辺がそうでしょうか?

亀井: まず、人間を大事にしない。そんな当たり前のことが当たり前じゃなくなってしまった。小泉改革を考えてみてください。あれは人間を大事にしていなかったでしょ?人間を道具扱いして、人間を金儲けの手段にしてしまった。人を人として見ないのが小泉改革の本質です。 だから、世の中が刺々しく、人間関係が競争関係に堕してしまった。世の中全体がいかに他の人を利用して金儲けするか……ってことばかり考えるようになっているでしょ? 小泉改革以降の日本では、大企業の経営者っていうのは、下請けや従業員をいかに安く使って、利益を上げるかということだけに頭がいってしまうようになった。それが当たり前のこととして通っています。大企業の経営者だけじゃないですよ。日本人皆が、いかに利益を上げるかということばかりに頭がいくようになった。そうなってしまったから、お互いが助け合って共生する、皆で幸せになろうと皆が思う「良い社会」じゃなくなってしまった。 こういうギスギスとして殺伐した社会になっちゃった大きな責任は、小泉改革にあると私は断言しております。
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―――亀井先生は次期総選挙で政権交代を起こすという。赤松広隆・民主党選対委員長は民主党が過半数に達さなくても、第1党であれば、公明党は民主につくと楽天的なことをおっしゃっている。甘すぎやしませんか?元公明党委員長「矢野絢也さんより話を聞く会」を開いた時の発起人が亀井先生ですね。選挙後の情勢はどうなりますか。

亀井:赤松が民主党と国民新党との選挙協力を提案してきた。料亭の座敷で交えてね、2人で話をした。あいつはいうんだよ。
「亀井先生、富山と広島ではウチは候補者を立てないから、御協力よろしく御願いいたします」
 私はこう応えてね。
「富山と広島?どうぞ、おたくから全選挙区で、候補者を立ててみなさい。受けて立ちますよ」
といいました。
「女将さん、決して、料理が不味いから箸をつけないのではありませんから誤解しないでください。」
といって、席を去った。赤松は終始、オロオロしていたよ。
まあ、小沢一郎とは毎日のように連絡をとっています。昨日も二人で一時間ばかり会って話をしたんだけれども、とにかくね、軽い気持ちでやったら、政権はとれないという点で一致している。
「自公政権」をブッ倒すんです。自民党だけを問うているわけではないということ。国民新党にもね、公明党がすり寄ってきましたよ。よほど、焦っているのかね?(笑)。

―――最後に一言。

亀井:国民に申し上げます。これが最後の政権交代可能な選挙です。俺も小沢、鳩山由紀夫。みんな、自民党に愛想をつかして出てきたんだよ。

―――今回、自民党に亀井先生がいればきっと、総理大臣になれたでしょうから、残念でしたね(笑)。

亀井:断末魔の叫びをあげながら、彼らは死に物狂いでくるでしょう。こちらも油断せず、いろんな秘策を考えています。2005年、福田康夫首相になって欲しくて、投票した有権者がいますか?圧勝して1年でリーダーの座をほっぽり投げ出すなんて、他の先進国ではありえない。細川内閣と同じだ。潔いのではなく、無責任なだけ。
自公が万一、勝てば、民主主義を標榜しながら、政権交代不可能な独裁制を敷きますよ。自公政権は破滅への道です。だから、絶対に防ぐ。政権交代を起こしますよ。 国民はとにかく本質を見ていて欲しい。 恥ずかしいですが、私の短歌を詠みます。

「何故に 心を魅かるる 桜花 咲くを惜しまず 散るを惜しまず」

俺と小沢はこんな心境だよ。これがいいたいことのすべてだな。

―――いろんな貴重なエピソードを拝聴でき、嬉しかったです。ありがとうございます。

亀井:マスコミもがんばってくれよ。まあ、見ていてくれ。


梶山静六&亀井静香」と非戦の誓い
http://www.pot.co.jp/oikenparis/%E3%80%8C%E6%A2%B6%E5%B1%B1%E9%9D%99%E5%85%AD%EF%BC%86%E4%BA%80%E4%BA%95%E9%9D%99%E9%A6%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E9%9D%9E%E6%88%A6%E3%81%AE%E8%AA%93%E3%81%84.html

亀井静香が報道2001で「無利子・無期限国債を発行せよ」と発言!(小野盛司) 2008年12月14日 神州の泉
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2008/12/post-3458.html



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++
亀井静香は見どころがある。これすら「ワナ」だとしたら、日本も終末。



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なぜ信じるかって?

マルクスは嫌いだが、ゲバラには人間味を感じる。


ゲバラのヒロシマ訪問

しかし、なんと言ってもゲバラが来日において最も心を動かされたものの一つは、ヒロシマ訪問だったようである。 フェルナンデスの証言によれば、ゲバラは初めからヒロシマ訪問を切望していたようであるが、日本側はどうも乗り気ではなく、ゲバラ一行は急遽予定を変更してヒロシマを訪れている。もちろん「広島」ではなく「ヒロシマ」である。

陽気でおしゃべりなラテンの人たちのなかで、ゲバラは寡黙だった——日本での証言者たちに共通する内容である。そして「眼が澄んでいた」というもの共通している。

その寡黙なゲバラが広島の原爆資料館を見ている中で声をあげた。

「『きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか』

それまで見口氏〔県の案内役——引用者注〕はもっぱら大使と話すだけで、チェやフェルナンデスとは、ほとんど口をきいていなかった。それまで無口だったチェがこのとき不意に語りかけ、原爆の惨禍の凄じさに同情と怒りをみせたのである。見口氏はいう。

『眼がじつに澄んでいる人だったことが印象的です。そのことをいわれたときも、ぎくっとしたのを覚えています。 のちに新聞でかれが工業相になったのを知ったとき、あの人物はなるべき人だったな、と思い、その後カストロと別れてボリビアで死んだと聞いたときも、なるほどと思ったことがあります わたしの気持ちとしては、ゆっくり話せば、たとえば短歌などを話題にして話せる男ではないか、といったふうな感じでした』」(p.206〜207)


ゲバラは帰国後「原爆から立ち直った日本」と題するレポートをカストロに提出していて(非公開)、そのタイトルから推察されるように、あるいは帰国後のテレビ番組で日本の印象について報告した際に原爆と工業力について触れたように、原爆の惨禍から出発しながらも統治の論理へと冷静につなげる視点も持っていた。

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by oninomae | 2008-12-20 07:17 | ホロコースト  

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