ワクチンという時限爆弾 by ユースタス・マリンズ
毎年恒例の米国ガン協会ACS主催の科学記者セミナーで、ラトガース大学[ニュージャージー州にある州立大学] のロバート・W・シンプソン博士[Dr. Robert W. Simpson]は、次のように警告した。
「インフルエンザ、麻疹[はしか]、流行性耳下腺炎[おたふくかぜ]、ポリオの予防接種によって体内に植え付けられたRNA(リボ核酸)は、プロウイルス [逆転写酵素によって宿主の細胞DNAに組み込まれたレトロウイルスの遺伝子]となって全身に回り、潜在性の細胞を形成する。これらの潜在性の細胞が活性化すると、狼瘡[皮膚結核、(引用注:ループス、全身性エリテマトーデスと呼ばれる、自己免疫疾患)]、ガン(引用注:遺伝子変異した自己細胞を免疫系が排除しきれなくなってしまう)、リウマチ、関節炎のようなさまざまな疾病の原因になりうる(引用注:関節リウマチは自己免疫疾患である)」
この証言は、五〇年以上も前にロンドンのハーバート・スノー博士が発した警告の妥当性をはっきりと証明するものであった。スノー博士は、ワクチンが心臓や他の器官に長期間にわたって及ぼす影響を観察した結果、最終的に心臓に致命的な障害を与えることを発見したのであった。
ワクチンは体内で 「遅発性ウイルス感染症」として知られている時限爆弾となって体を脅かす。この病気は発病まで一〇年から三〇年かかるが、その時がくると、被害者はたいてい何の前触れもなく心臓発作かその他の病気の致命的な猛攻撃に打ちのめされてしまうのである。
ヘルス・フリーダムニュース誌(一九八六年七・八月号)は、こう述べている。
「予防接種は脳障害を引き起こす。このため三種混合ワクチンの製造業者を相手に現在一五〇件の裁判が争われ、損害賠償の請求金額は合計で一五億ドルにのぼっている」
危険で無益なワクチンの経済効果
私がヴァージニア州で一〇代の少年だったころ、毎年夏になると全国で急性灰白髄炎症、一般には小児麻痔(ポリオ)と呼ばれている病気が流行したので、心配症の親たちにとっては不安の種であった。夏のあいだずっと、私たち少年は氷で冷やしたソーダ水を何本も飲み、午後のおやつにはキャンディーを胃の中に流し込んでいたが、その行為が自分の体内にポリオウイルスを繁殖させるための準備になっているとはまったく気づかないでいた。
ポリオの犠牲者でもっとも有名なのは、ニューヨーク州知事[のち米国第三二代大統領]だったフランクリン・D・ルーズヴェルトである。

一九三一年、毎年やってくるポリオの流行期間中に、ルーズヴェルトはいわゆる「免疫血清」を正式に承認したが、これがのちに一九五〇年代のポリオワクチンの元になったものである。この法案成立を後押ししたのは、投資銀行キダー・ピーボディーの共同経営者の義理の息子にあたるリンズリー・R・ウィリアムズ[Lindsly R. Williams]博士であった。
ロックフェラー財団とカーネギー財団は、「ニューヨーク医学アカデミー」と呼ばれる新しい医療組織の設立を押し進めていた。いつものように財団自身は出資せず、その代わりに派手な宣伝活動を進めて大衆からこの組織に何百万ドルもの寄付を募った。
ウィリアムズ博士の医者としての実力など、地元ニューヨークではまったくの冗談にすぎなかったが、彼はこの団体の理事に指名された。その後博士はこの地位を利用して米国における医療社会化制度運動の先駆者となった。
医療社会化制度 Socialized Medicine は、ロックフェラー医療支配体制が熱心に追求して来た目標であったが、その後何年も経ってから「メディケアー制度」が米国に導入されたことで最終的に達成された。

エマニュエル・ジョーゼフスン博士が指摘するように、ウィリアムズは実際に医療社会化制度を利用して、医療業界を政治的・経済的に支配しようとしたのであった。

「免疫血清」を承認した後、ルーズヴェルトは米国大統領への立候補を表明した。しかし大統領としては肉体的に不適格であった。彼は身体の障害のために何年ものあいだ立つことも歩くこともできず、車椅子の上から部下に仕事の指示を与えていた。そのため大統領選の選挙連動を全米各地で戦えるとはとても信じられなかった。
このような疑いを払拭するために、ウィリアムズ博士は当時米国で発行部数第二位を誇っていたコリアーズ誌に投稿した。その中で彼は、ルーズヴェルト知事は肉体的にも精神的にも米国大統領にふさわしい人物であると断言した。このため巷には、新設された保健長官というポストは、やがて成立するルーズヴェルト政権でウィリアムズ博士が就任するために用意された、といううわさが流れた。
ポリオの「免疫血清」は、ルーズヴェルトがこれを承認した当時すでに危険で無益なものであることがわかっていた。 公衆衛生局PHSの管轄下にある国立衛生研究所NIHは、これ以前に同じ「血清」を使った実験をサルに対して三年間行なっていた。研究所によるとこの実験を指示したのは研究所長のサイモン・フレクスナー[Simon Flexner, 1863-1946, was a physician, administrator, and professor of pathology at the University of Pennsylvania (1899–1903). He was the first director of the Rockefeller Institute for Medical Research (1901–1935) and a trustee of the Rockefeller Foundation. He was also a friend and advisor to John D. Rockefeller, Jr.. ]であった。

実験後、「免疫血清」は一般の子供たちに接種され、多くの子供たちが亡くなったのである。
ニューヨーク州衛生局長のトーマス・パラン博士は、のちに公衆衛生局長官に任命された人物であるが、彼をルーズヴェルト知事に推薦したのは、ほかならぬウィリアムズ博士であった。けれどもバラン博士は 「免疫血清」を承認するために公聴会が開かれようとしたとき、これを拒絶した。一方ルーズヴェルトは自分の所有する「ウォーム・スプリングズ財団」からこの「慈善事業」 の報酬を吸い取りながら、ポリオの流行を祝って毎年恒例の誕生舞踏会を楽しんでいた。
一九四八年、ノースカロライナ州オティーンにある復員軍人庁病院の栄養学専門家サンドラー博士は、毎年ポリオが流行する暑い夏の期間中、子供たちが砂糖のたくさん入ったジュース類やキャンディー、その他の菓子を大量に消費することに危倶の念を懐いた。
彼は調査を行ない、その結果子供たちが口にする砂糖がポリオの大発生と直接関係があるという結論に達した。そこですぐさま子供たちの親に対して、精製された砂糖を含むあらゆる加工食品、とりわけやキャンディー、ジュース類、アイスクリームを夏の期間中、子供たちに食べさせないように警告を発した。
サンドラー博士のこの教育活動の結果、ノースカロライナ州のポリオの年間発症数は、一年間で九〇%も減少し、一九四人年の二四八九人から翌一九四九年にはわずか二二九人に激減した。
しかしジュース販売業者や菓子メーカーは、サンドラー博士の警告によって夏場の売り上げが激減したため、翌年ノースカロライナ州全土で菓子の無料サンプルを配るなどして販売拡大キャンペーンを展開した。おかげで、一九五〇年までにポリオの患者数はふたたび一九四八年の水準にまでもどってしまった。 さて、サンドラー博士はその後どうなったであろうか。ノースカロライナの出版物を調べてみても、博士や博士の教育活動についてはその後、何も書かれていない。
ハーバート・M・シェルトン[Herbert M. Shelton, 1895–1985]は一九三八年に著わした著書『人間を苦しめ搾取する』の中で、こう言っている。

「ワクチンは単なる膿であり、不活性であるか腐敗しているかの違いしかない。もし不活性ならば効き目がない。腐敗していれば感染する」
これでなぜ予防接種を受けた子供のうち何人かは二度目の接種を受けなければならないかがわかる。一回の接種は毒性が十分でなかったために感染しなかった、すなわち「効き目」がなかったからである。シェルトンは、予防接種は睡眠病、小児麻痺、血液疾患、破傷風の原因になると述べている。
公衆衛生局長官のレナード・シェイラ[Leonard Scheele, 1907-1993]は、一九五五年の米国医師会年次総会でこう指摘している。

「ワクチンの安全性は、子供に実際に接種するまでは証明できない」
国立衛生研究所のジェームズ・R・シャノン[James R. Shannon, 1904-1994]も、こう断言した。

「安全なワクチンがあるとしたら、それは唯一、実際に使用されないワクチンだけである」
一九五〇年代、ジョナス・ソーク博士の開発したポリオワクチンの出現で、米国の親たちは、ポリオの問題はこれで解決し、もう子供たちのことを心配する必要はなくなった、と確信した。

しかしその後、ワクチン製造メーカーを相手に裁判が争われたことは、表にはほとんど知られていない。

このⅢ型セービンワクチン[アルバート・セービンの開発したポリオワクチン]に関する「デーヴィッド対ワイエス・ラボラトリー社の裁判では、最終的に原告デーヴイッドのを認める判決が下された。
レダリー・ラボラトリー社はオリミューンワクチンに関連して告訴を受け、裁判は一九六二年に一万ドルの損害賠償で決着がついた。
パーク・デーヴイス社製のクアドリジェンに関する二つの裁判では、この製品に欠陥があることが明らかになった。そのため一九六二年にパーク・デーヴイス社はクアドリジェンの製造を完全に中止した。
一匹狼医師ウイリアム・コッチ博士[Dr. William Koch]は、こう断言している。

「あらゆる血清やワクチンの接種だけでなく、ペニシリンの注射でさえも、ポリオの発症数を少なくとも四〇〇%増加させた」
疾病管理センターCDCは「豚インフルエンザの大流行」キャンペーンの後しばらくのあいだはおとなしくしていた。しかしその後ふたたび登場したとき、今度は別の病気についていままで以上に恐怖心を煽り立てる全国規模の宣伝プログラムを引っ提げていた。その病気はフィラデルフィアのベルビュー・ストラッド・ホテルで発生した「在郷軍人病」(レジオネラ症)と名づけられた病気である。
明らかにこの病気の原因は、大都会の老朽化したホテルの空調暖房設備で繁殖したウイルス(引用注:レジオネラ細菌)にあった。おそらく通気口がまったく清掃されていなかったためであろう。この病気に罹ったために死んだ例も二、三あったが、被害を受けた者はなぜかたいてい年配の在郷軍人会員であった。彼らの出席する会合は、このような古いホテルで行なわれていたからである。
しかし、老朽化したホテルは時代とともに新しいモダンなホテルに様変わりし、「在郷軍人病」は静かに消えていった。そのため疾病管理センターは、ロックフェラー医療独占支配のために、豚インフルエンザのときと同じように一億三五〇〇万ドルをうまく儲けることはできなかった。
ポリオの予防接種は、今では米国民にとって一生のうちで避けられないものとして受け容れられている。毎年夏の初めに行なわれる予防キャンペーンの規模が、次第に縮小していることはかなり慰めになってはいるが……。
しかし一九八八年一月二十六日付のワシントンポスト紙は、この予防接種についてわれわれに疑問を投げかけ、再考を促す記事を掲載した。
それによるとワシントンで開かれたある医学関係の全国会議で、一九七九年以降発生したポリオの患者はすべてポリオワクチンが原因であった、と発表されたというのである。次に引用すると、
「実際には、米国におけるすべてのポリオ患者の原因はワクチンにある。一九七九年以降米国においては、自然発症型あるいは野生型のポリオウイルスに起因するポリオ患者の症例は一つも見られていない」
この会議は米国公衆衛生局PHSから請け負ったある医学学会が、現在のポリオワクチンの使用を再考するためにワシントンで開いたものであったが、結果として今述べたような不愉快な事実に直面することになった。
そこで、この会議の参加者たちはポリオワクチンの中止を決議した、と読者はお思いであろう。論理的に考えればそれは当然の結論である。けれども不幸なことに、このような会議では、論理は何の役にも立たない。ワシントンポスト紙は続けてこう書いている。
「根本的な変更は期待されなかった。『現状はきわめて満足のいくものである』 とクリーヴランドのケース・ウエスタン・リザーブ大学教授で今回議長をつとめたフレデリック・ロビンズ[Frederick Chapman Robbins, 1916-2003]は述べた」

この話はわれわれの疑問に答えるどころか、かえってさらなる疑問を呼び起こす。また、医学の専門家とわれわれ素人とのあいだにある、深い隔たりを露わにしてくれる。
素人なら当然、「一九七九年以降の米国のポリオ患者すべてが、予防接種が原因であったというのであれば、これは予防接種を中止するには十分な理由ではないか」と言うだろう。
このような理屈を、高度な教育を受けすぎた医者たちはいつも「単純な考え」と呼ぶのである。やはり、国民経済のことを考えなけれはいけない。また、すでに消滅した流行病のワクチンを引き続き製造しようと意気込んでいる製薬会社のことも考えなければいけない。さらに、社員の失業や製薬トラストの株主の配当が減少することも心配しなければならない。なぜなら最終的には、製薬会社の収益の大部分は「慈善事業」に寄付されるのだから……。

もし以上のような論理がわからないなら、あなたは米国公衆衛生局で仕事に就くことはできないだろう。



ユースタス・マリンズ 医療殺戮(原著:1988、訳書:1997) 第四章 死の予防接種 p202-208 より




by oninomae | 2008-12-04 21:03 | バイオハザード・ワクチン