強制予防接種が天然痘・ポリオ・インフル工ンザの流行を招く by ユースタス・マリンズ
エドワード・ジェンナー[Edward Jenner, 1749-1823]は、天然痘という一八世紀を襲った災厄への対策として、牛痘ウイルスを人に接種する方法を「発見」した。
しかし実際には、天然痘の勢いはそのころすでに衰えていた。また専門家の中には、さまざまな要因によって天然痘はいずれにせよ一八世紀中には消滅していたはずである、と断言する者もいる。
英国では種痘接種が広まってから天然痘の流行が始まり、二万二〇八一人が死んだ。そして予防接種の普及とともに、天然痘は毎年拡大し、一八七二年には四万四四人〇人が亡くなった。
種痘は英国では現代医学の幕開けにもっとも「貢献した」ものの一つとして広く宣伝されたが、結局英国政府は一九四八年に種痘を禁止した。しかしこのような決定が下されるまで、何年間も強制種痘が実施された。この時代には危険な予防接種を受けることを拒否する者は、ただちに刑務所へ送り込まれたのであった。
日本は一八七二年に強制種痘を導入した。しかし一八九二年には一六万五七七四人の天然痘患者が発生し、二万九九七九人が亡くなった。いまだに日本では種痘を強制しているが、米国軍の駐留する国なので、現在の日本政府がロックフェラー医療独占体制に服従しているとして国民から非難されることは、おそらくないであろう。 (引用注:日本では種痘は1909年の「種痘法」によって国民に定着。天然痘の撲滅が確認された1976年以降、日本では基本的に接種は行われていない。wiki より)
ドイツも強制予防接種を採用したが、一九三九年(ナチス政権時代)にドイツではジフテリア患者の数が一五万人と天文学的に増大した。 一方、予防接種を一度も導入しなかったノルウェーでは、同じ時期に患者はわずか五〇人であった。
米国でもポリオの予防接種を義務化した州では、ポリオ患者が逆に七〇〇%も増加している。
医療問題でよく引き合いに出される評論家のモリス・ビールは、「カプセル:ニュース・ダイジェスト・フロム・キャピトルヒル」という個人情報誌を永年編集しているが、彼は一九五四年から一九六〇年のあいだ、ポリオの予防接種が殺人注射でも詐欺でもないことを証明した者には誰でも、三万ドルの賞金を出すと申し出た。しかしこの賞金を獲得できた者はいなかった。
一九一八年にインフルエンザが「大流行」したが、医学史研究家はこの流行は広範囲で実施された予防接種が唯一の原因であった、というあまり認めたくない結論に最終的に到達した。
当時は第一次大戦の真っ最中であったが、この戦争はすべての兵士が強制的に予防接種を受けた初めての戦争であった。ボストン・ヘラルド誌が報じたところによると、一ヵ月間に四七人の兵士が予防接種のために亡くなり、そのため陸軍病院は戦闘で負傷した犠牲者ではなく、予防接種の犠牲者でいっぱいになってしまった。
このインフルエンザの大流行は「スペイン風邪」と呼ばれたが、これは流行の原因を故意に隠すための誤った呼び名である。この風邪による死亡者数は二〇〇〇万人にのぼった。(引用注:少ない方の見積もりで)
生き残ったのは以前に予防接種を拒否して受けなかった者たちであった。
近年、毎年発生するインフルエンザの流行は「ロシア風邪」と呼ばれているが、どういうわけかロシア人たちはこの呼び方に対して抗議をしない。おそらくロックフェラー一族がモスクワを定期的に訪問して、ソ連共産党の政治路線を決めているためであろう。
予防接種の危険性はすでによく知られている。たとえば、プレイン・トーク誌はこう述べている。
「普仏戦争のあいだ、ドイツ軍兵士全員が予防接種を受けた。その結果、壮健な五万三二八八人の兵士が天然痘にかかり、死亡率も高かった」
ユースタス・マリンズ 医療殺戮(原著:1988、訳書:1997) 第四章 死の予防接種 p194-196 より
もう一度、ここを見てみましょう!
医療マフィアによる大量虐殺
http://blue.ap.teacup.com/97096856/913.html
1919年のインフルエンザ大流行はワクチンによって引き起こされた。 ジョン・ラッポート
ニューヨーク・ハリマン・シンポジウム(1915)と、ウェルズの「公然たる陰謀」 by ジョン・コールマン
http://satehate.exblog.jp/8783370
1917年、スペイン風邪というインフルエンザ型の伝染病が世界を襲い、米国での50万人近くを含めて、数千万人が世界中で死亡した(実験は、米国からやってきてフランス軍に編入されていたモロッコ兵を対象におこなわれたもので、ここから世界に広まった)。
by oninomae | 2008-12-02 20:23 | バイオハザード・ワクチン