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イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 7b

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky3.html#7bu より その2

第7部 ナチス・ドイツを育てた米国人たち  続き

1933: 1月4日に、ヒトラーが企業家グループによってシュレーダー銀行(Schroeder Bank)に招待された。企業家達はヒトラーに資金を与えて経済的な困難を克服させ、その代わりに労働組合の破壊を約束させた。この会議の出席者の中に2名の米国人がいた。ジョン・フォスター・ダレス、アレン・ダレス である。

 ヒトラー が権力を握る。

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 マックス・ワーバーグがプレスコット・ブッシュによってHamburg- Amerika Lineの重役会のAmerican Ship & Commerce Line公式代表に選ばれた。ワーバーグは長期間,ナチの経済長官でありthe Reichsbankの重役だったヒャルマル・シャハト(Hjalmar Schacht)の顧問だった。ワーバーグはまたモンタギュー・コレット・ノーマン の親友でもあった。

 米独間のすべての貿易を調整する合意が、ヒトラーの経済相ヒャルマル・シャハトとジョン・フォスター・ダレスとの間での交渉の後に、ベルリンで結ばれた。その結果、アヴェレルの従兄弟であるオリバー・ハリマン (Oliver Harriman)が、ドイツ・米国間のあらゆる取り引きを進めるために150社のシンジケートを作り上げた。

 North German Lloyd Co.がハンブルグでHamburg-Amerika Lineと合併した。長期間ハリマンの重役を務めたクリスチャン・ベック(Christian Beck)がこの新しく合併した会社のために北米で「普通貨物輸送任務」の責任者として据えられた。熱心なナチであるエミル・ヘルフェリッヒ (Emil Helfferich)がこのHapag-Lloydと呼ばれた新会社の会長となった。ナチの保安要員が今やこの会社のあらゆる船に乗り込んだ。

 ウイリアム・S.ファリッシュ(William S. Farish)がジョン・D.ロックフェラーによってStandard Oilの会長に指名された。ファリッシュはI.G. Farbenの会長ヘルマン・シュミッツ(Hermann Schmitz)の親友である。ファリッシュは、親I.G. Farbenと親ナチ・プロパガンダを書いて米国の新聞に載せるためにアイヴィ・リー(Ivy Lee)を雇った。彼はナチス・ドイツの船員をStandard Oilのタンカーに雇った。加えて、彼はthe Hamburg-Amerika Lineの会長エミル・ヘルフェリッヒを同時にStandard Oilのドイツ支社長として雇った。Hamburg-Amerikaの役員であるカール・リンデマン(Karl Lindemann)も同様にFarish-Standardのドイツ側最高役員となった。ファリシュとプレスコット・ブッシュのつながりがある小さなヒトラー支持グループの中で作られた。エミル・ヘルフェリッヒとカール・リンデマンの両者は、Standard Oilの特別取引会計について、ナチSSの長官ハインリッヒ・ヒムラー(Heinrich Himmler)に手形を切る権限を与えられた。この取引は、ドイツ・英国・米国をまたぐ銀行家カート・フォン・シュレーダー(Kurt von Schroeder, Schröder)によって運営された。作家アンソニー・サットン(Anthony Sutton)が調査した米国の諜報記録文書によると、ヘルフェリッヒ は、SSがStandard-I.G. Farben、つまりアウシュヴィッツやその他の強制収容所での大量虐殺を監視していた1944年に入っても、SSに対する支払いを続けていた。

 戦後にヘルフリッヒ は連合軍に対して、これらは彼の私的な仕事ではなくStandard Oil資金に対する作業であったことを語った。


1934: 米国上院Nye委員会の公聴会は、Remington Armsの会長でUBCおよびthe American Ship & Commerce Corpの創始者サミュエル・プライヤー がI.G. Farben とのカルテルの合意に参加していたことを明らかにした。同委員会はまたナチスが大部分米国製の武器で武装していることを暴露した。

  Ethyl Corporation の社長E. W. ウエッブ (Webb)は、ワシントンが「ドイツの中で四エチル鉛【ガソリンの燃焼効率を高める物質】を製造するためにI.G.と共にドイツの会社を作る」意図について知らされているという忠告を受けた。戦争省(The War Department)はこの技術移転に対して相当の批判があることを示唆した。そしてEthyl Company陸軍航空部隊から「貴殿またはEthyl Gasoline Corporationの重役会は四エチル鉛の製造に関連するあらゆる機密あるいは"ノウハウ"をドイツに対して無条件で明らかにすべきだ」と忠告を受けた。

 ヒトラーによる厳しいドイツの統制の中で、Thyssen-Flick連合からの利益は1億【ドル?】にまで膨らんだ。Union BankおよびBank voor Handel en Scheepvaartはともに資金に満ち溢れていた。プレスコット・ブッシュ はUnion Bankの経営責任者となり日々ドイツとの取引に明け暮れた。

 ジョン・フォスター・ダレスはおおっぴらにナチの哲学を支持していた。1935年に彼はthe Atlantic Monthly誌に「平和への道」と題される長文の記事を書いた。彼はドイツが秘密裏に進める再武装を自由の回復として弁護した。彼がInco【不明:企業活動のことか】とドイツの兵器産業に関連して何を行ったのかは知られており、ダレスはドイツとイタリアと日本の平和への意思を確信するようにミスリードしていたのである。1930年代の末期にダレスは親ナチ・グループAmerican Firstの組織化に力を尽した。パール・ハーバーの1ヶ月前に彼は5百ドルをグループに寄付した。後に彼はこのグループとは無関係であると主張した。ダレスはドイツがポーランドに進攻するときに至ってもナチを支持し続けた。ダレス はポーランドへの侵略をポーランドの方にその責任があるかのように弁解した。


1935: Ethyl CorporationはドイツでI.G. Farben と共同でEthyl G.m.b.H.を設立することに合意し、ファシスト・イタリアではMontecatiniと四エチル鉛の共同製造について合意した。この技術移転の時期にいたEthyl Gasoline Corporationの幹部達は、社長で責任者のE.W. ウェッブ(Webb)、C.F. ケターリング(Kettering)、R.P.ラッセル(Russell)、Standard Oil of New Jersey社員でロウズベルトのGeorgia Warm Springs Foundationの管財人である W.C. ティーグル(Teagle)、 F. A. ハワード(Howard)、Standard Oil of New Jersey社員E. M. クラーク(Clark)、A. P. スロアン・ジュニア(Sloan, Jr.)、D. ブラウン(Brown)、J. T. スミス(Smith)、そしてStandard Oil of New Jersey社員W.S. パリッシュ (Parish)である。

 ジョン・フォスター・ダレスは、ミズーリのUnion Electric Company事件で寸でのところで起訴を免れた。この会社は投資会社North America Companyの支店である。証券取引委員会(SEC)は議員を買収する資金を捜査していた。この会社はその法律家と保険会社からキックバックを受け取っていた。そしてミズーリ州全体の議員を買収していたのだ。証券取引委員会の委員長トラヴィス・レイン(Travis Lane)は、最高裁がダレス を有罪としなかったことを、それが彼の魅力なのだ、と皮肉っぽく語った。

 ドイツでニュルンベルグ法が可決されホロコーストへの道が開けた。


1936: Schroeder Bank in New York【シュレーダー(Schroeder、Schröder)は英国や米国では通常シュローダー(Schroder)と呼ばれる】はロックフェラーと合体し、Schroeder, Rockefeller & Company, Inc.が創設された。Schroeder BankのCarlton P. Fullerが社長となりアヴェリィ・ロックフェラー が副社長となった。

1937: この年の1月末までに、ダレスは自分の活動を一つの取引業務に集中させた。Brown Brothers Harriman-Schroeder Rockでの活動である。Schroederはもちろんナチの銀行であり、ダレスはその役員だった。この'Rock'というのはロックフェラーのStandard Oilである。そこはすでにナチとの取引を熱心に進めていた。プレスコット・ブッシュの要求でダレスはブッシュ=ハリマン のナチスとの取引に関与していた。

1939: ヒトラー がポーランドに侵入して欧州での戦争が開始。

 ファシストの娘マルタ(Martha)がアヴェレル・ハリマンの甥であるエドワード・ハリマン・ゲリー (Edward Harriman Gerry)と結婚。

 Consolidated Silesian Steel Corporation【参照1926年】はポーランドの町Oswiecimの近くにあった。ソヴィエトの囚人を労働力として使う計画が失敗したときに、ナチスはユダヤ人、共産主義者、ジプシーやその他の少数民族をナチが作った収用所に運んだ。これがアウシュヴィッツの始まりである。アウシュヴィッツがこの場所に作られた理由はそこに石炭の供給が豊富でありそれから航空機燃料を製造できたためだが、I.G. Farben【参照1933年】は石炭の埋蔵地が近いだけでなくアウシュヴィッツでの奴隷労働力の供給があることを利用してすぐにアウシュヴィッツの近くに工場を作った。ドイツの諜報員によると、プレスコット・ブッシュ はポーランドでの奴隷労働の一部を運営したのである。

1940: アレン・ダレスがSchroeder Bankの役員となる。ジョン・フォスター・ダレス はSchroeder Bankの法律顧問として務めた。Schroeder Bankはナチスの資金面での武器として活動した。

1941: パール・ハーバーが爆撃され宣戦布告がなされる。

1942: 米国合同資産管理局(US Alien Property Custodian)のレオ・クローリー(Leo Crowley)は、8月にHapag-Lloyd【参照1933年】の全財産を差し押さえる命令を出した。10月にはニューヨークのUnion Banking Corpの株が差し押さえられたのだが、その株主は、会長のE.ローランド・ハリマン、社長のコーネリス・リーヴェンス(Cornelis Lievense:ナチスの銀行資産管理人)、会計担当者ハロルド・D.ペニントン(Harold D. Pennington:Brown Brothers Harrimanに所属)、役員レイ・モリス(Ray Morris:Brown Brothers Harrimanに所属)、役員プレスコット・S.ブッシュ、役員H.J.コウエンホウヴェン(H.J. Kouwenhoven:German Steel Trustの海外資金担当主任)【参照1926年】、役員ヨハン・G.グレニンガー (Johann G. Groeninger:ナチ・ドイツで産業担当の高官)。

 同月、米国政府はさらに他の2社を差し押さえた。Union Bankによって運営されるSeamless Steel Equipment Corp.およびHolland-American Trading Corpである。

 11月には、Silesian-American Corpのナチ資産が差し押さえられたが、米国人のパートナーの分は仕事を続けるために残された。会社全体を差し押さえることが戦争遂行にとって有害だったのかもしれない。

 この年の5月25日に、米国司法次官サーマン・アーノルド(Thurman Arnold)は、ウイリアム・スタンプス・ファリッシュ【参照1933年】がナチスとの犯罪的陰謀の容疑に対して「返答できない」と抗弁したことを告げた。ファリッシュ はStandard OilとI.G. Farbenとの間のカルテル合意で筆頭運営者だった。このカルテルはアウシュヴィッツでの奴隷労働を利用して石炭からガソリンや合成ゴムを作る工場を建設したのである。

 Standard Oilのドイツ支部であるDeutsche-Amerikanische Petroleum A.G. (DAPAG)は、Standard Oil of New Jerseyが94%を所有していた。DAPAGの社長でありヒムラーの友愛会のメンバーであるカール・リンデマン【参照1933年】がナチズム・サークル内でStandard Oil of New Jerseyの代表を務めたのである。さらに重役で元々ケプラー・サークル(Keppler Circle)のメンバーであるエミル・ヘルフリッヒ(Emil Helfrich)もその代表格であった。カール・リンデマン のコネクションは数多くの銀行の役員として国際的な銀行業務に広がった。その中には、Dresdner Bank、Deutsche Reichsbank、そしてナチが作った民間銀行C. Melchior & Companyがある。

1945: 財務省は議会に対して、United Steelが【参照1922年】ナチスの軍需物資の中で次のパーセンテージを製造したことを明らかにした。銑鉄50.8%、パイプおよびチューブ45.5%、汎用鋼板41.4%、メッキ板38.5%、厚板36%、爆弾35%、ワイヤー22.1%。ここはプレスコット・ブッシュが銀行家として関与していた会社である。事実上、プレスコットはヒトラー の米国人銀行家であった。

 アレン・ダレスは、押収された一部のナチ文書の管理を任された若い海軍士官を探し出した。もしその文書が表ざたになっていたのなら、それはダレスが国賊であることを明らかにしていたかもしれない。文書を葬るために、ダレスはその若者が政界に一歩を踏み入れる資金を提供する約束をした。これがリチャード・ニクソン (Richard Nixon)の政治経歴の始まりである。

 ペーパークリップ作戦によって、ナチ党員が米国に運ばれ始めた。

1946: ニクソンは、ニューヨークに本部のある複数の銀行からの豊富な資金のおかげで、議会選挙でジェリー・ヴーフリス (Jerry Voohris)をやぶった。

1947: 戦争の後、オランダ王室の宝石のありかを付き止めていた当局者が、Bank voor Handel en Scheepvaart【参照1924年、1934年】の小切手の中からSilesian American Corporation【参照1942年】の取引を示す文書を発見した。その銀行の社長であるH.J.コウンホウヴェン(Kounhoven)は集中的な捜査を受けてその発見にショックを受けた。すぐにコウンホウヴェンはニューヨークを訪れそれをプレスコット・ブッシュ に告げた。2週間後、いたって健康であったにも関わらず、そのオランダ人は心臓発作で死んだ。

1950: プレスコット・ブッシュ は、米国優生学運動と結び付いた背景のために選挙に敗れた。

1951: Union Bankが倒産。ブッシュ家はUnion Bankの利益の中から150万ドルを受け取った。

1952:プレスコット・ブッシュ が上院議員に選出。
 プレスコット・ブッシュはニクソン を副大統領候補として選挙に担ぎ出す。

1953: ジョン・フォスター・ダレス が国務長官に指名される。

 アレン・ダレス がCIA長官に指名される。

 Brown Brothers and Harrimanの資金を使って、ジョージ・ブッシュ がCIAのフロント会社であるZapataを作り上げる。

1954: アレン・ダレス指揮下のCIAは、United Fruitを助けるためにガテマラのハコボ・アルベンスに対するクーデター計画を援助。シュレーダー銀行はバナナ・ビジネスでUnited Fruitの共同経営者であった。アレン・ダレスはシュレーダー銀行の終身重役だった。ジョン・フォスター・ダレスとアレン・ダレスはUnited Fruitに複数の会社から巨額の資金を投資していたのだ。それに加えて、米国国連大使がUnited Fruitの株主であり、さらにアイゼンハワー大統領の個人秘書はUnited Fruitの公共担当者の妻であった。ダレス兄弟はアイゼンハワーに、アルベンス は米国の安全保障にとって脅威であると説得してこのガテマラ大統領を取り除く計画を進めることを承認させた。

1961: C.ディロン 【参照1918年、1926年】が財務長官に指名される。

 ピッグス湾での大失敗【キューバへの介入】。2隻の船はヒューストンとバーバラと呼ばれた。ピッグス湾のCIAのコード・ネームはサパタ(Zapata)作戦であり、ジョージ・ブッシュがその作戦に関わっていた。ついでに言えば、ジョージ・ブッシュ が副大統領に選ばれる前年の1981年に、1960年から66年までのZapataに関する証券取引委員会の記録がすべて失われた。

 ジョン・F.ケネディはピッグス湾事件の後、アレン・ダレス を更迭した。

1963: ジョン・ケネディ が暗殺される

1964: ジョージ・ブッシュ は選挙運動で市民権法に反対するキャンペーンをする。彼は落選した。

1966: ジョージ・ブッシュ が議員となる。

1968: ニクソン が大統領に選ばれる。

1969: ZapataはUnited FruitをCIAと強くつながった他の会社に売却しようとする。そして改革を試みようとする中米の国々の政権転覆に関わる。

1971: ジョージ・ブッシュ が国連大使に指名される。

1972: ウォーターゲート事件がニクソン 再選キャンペーンの期間中に起こる。

 ジョージ・ブッシュが共和党の議長に指名される。ブッシュは党のethnic heritage groupsの設立を促進する。要するに、これらのグループは東欧から移住したナチにとっての天国以外のものではなかった。共和党のヘリテッジ・グループ委員会には、元ハンガリーArrow Crossのメンバーであるラズロ・パスツォール(Lazlo Paszor)、ブルガリアのファシストのラディ・スラヴォフ(Radi Slavoff)、コサック支部で元SS士官だったニコラス・ナザレンコ(Nicolas Nazarenko)、ルーマニアのIron Guardメンバーだったフロリアン・ガッドゥ(Florian Gaddu)、スロバキアのファシストのメトド・バルコ(Method Balco)がいた。アレン・ダレス とニクソンはこれらの移住者達が選挙のために役に立つと信じていた。

1975: コルビー(Colby)はCIAの秘密国内作戦に関する情報を漏らす。それはMokingbirdと Mk-Ultraである。チェイニー(Cheney)はコルビー を取り除こうとする。

1976: ジョージ・ブッシュがジェラルド・フォード大統領によってCIA長官に指名される。フォード は親ナチ・グループのAmerican Firstのメンバーであった。

 ジョージ・ブッシュはチリのピノチェット・ファシスト政権に反体制活動家オルランド・レテリエル(Orlando Letelier)を処刑させる。ブッシュ は反体制派を処刑するチリのコンドル作戦計画について十分に情報を得ていた。コンドル作戦はチリに率いられる数多くの南米諸国で、南米のファシスト軍事政権に対する反対派を世界規模で暗殺する大規模な作戦であった。

1984: ジョージ・W.ブッシュによって設立されたArbusto Energy Incが、失敗を明らかにした後で売却される。1988:Silverado Banking Savings & Loan社が規制官によって閉鎖させられたが、副大統領で次期大統領候補の息子であるニール・ブッシュ (Neil Bush)がこの会社の社長をしていた。この閉鎖と捜査は選挙後まで延ばされたものだった。

 有名なナチ協力者フレッド・マレク(Fred Malek)がブッシュの大統領選挙戦で役を果した。マレクは1992年の再選選挙でも再びブッシュに仕えることになる。数多くのブッシュ選挙活動スタッフが、元ナチの戦争犯罪人であることが判明した後で辞任を余儀なくされる。その中にはラズロ・パスツォールとヤロスラフ・ステツコ (Yaroslav Stetsko)がいた。

 ウィリアム・ドレイパー(William Draper)がブッシュ の選挙資金集めの責任者だったが、彼の祖父は優生学を促進させるPioneer Fundの創始者だった。

1989: ジョージ・ブッシュは大統領の宣誓を行う。彼の資産はウイリアム・ファリッシュ(William Farish)の管理に盲目的に一任されるが、彼はヒトラーにガスを供給したウイリアム・ファリッシュ 【参照1933年、1942年】の孫であった。

1990: 湾岸戦争の後で、バーレーンはHarken Oilに沿岸の石油採掘権を与えたが、この会社は大統領の息子であるジョージ・W.ブッシュと深いつながりがあった。ジョージ・W. は自分のHarken Oilの持分を売り、その1週間後そこの株価は暴落した。

1992: ジョージ・ブッシュ はイラン・コントラ事件での主要な人物達を赦免する。

1996: ジョージ・ブッシュは麻薬密売人の文鮮明 (Sun Myung Moon)をブエノスアイレスで祝福。文の組織は元ナチに溢れており、同様に元ナチに満ちていた世界勝共連合と密接につながっていた。

2000: ジョージ・W.ブッシュ が最高裁の5対4の採決で大統領に。

2001: 愛国法(Patriotic Act)が通過し、ジョージ・W.ブッシュ の要請で我々に憲法に保障された自由が制限される。 *******

 よくぞここまでしつこくブッシュ家を追いかけたものだと感心するが、しかしこの年表で大きく欠落している点は、最初に述べたナチスとシオニストやユダヤ系資本家との関係だけではなく、レーガン政権(実質的にブッシュ父政権)の時から築き上げられていった後に「ネオコン」と呼ばれるようになる集団とその人脈の存在である。彼らはまさに戦争利権屋集団でありカネと力と偽情報で世界を支配しようとする、ナチス・ドイツ(一部にイタリア・ファシズム)直系の権力集団に他ならない。特に驚くべきことでもあるまい。前回も申し上げたとおり、ナチス・ドイツは米国とイスラエルに引き継がれたのだ。

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 次回は再びこの『年表』を元にして、その行間に見え隠れする「ブラックホール」を追及してその空隙を埋めていく作業を行ってみたいと思っている。


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++
やれやれ、この懸念通りになってしまった・・・


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by oninomae | 2014-03-11 20:06 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 7a

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky3.html#7bu より

第7部 ナチス・ドイツを育てた米国人たち   (2007年6月)
     

 前回までに私は、イスラエル国家建設に対して、スターリンのソヴィエト連邦、米国やカナダなどにいるシオニスト勢力と英国国家、そしてヒトラーのナチス・ドイツを取り上げた。特にナチス・ドイツの役割は決定的と言って過言ではない。前回申し上げたように、イスラエル国家はナチス・ドイツを「砂型」として鋳造されたのである。そこで問題となるのはこのナチス・ドイツそのものであろう。したがって今回と次回の2回にわたって、ドイツと他の欧州各国および米国に目を移してみたい。そこからイスラエル建国の真相に迫って見たいと思う。

 第1次世界大戦でボロボロにされたドイツの中にどうしてあのような怪物が誕生し成長したのか。教科書的な理解でなら、ドイツ国民に鬱積するヴェルサイユ条約のドイツに対する扱いへの不満がヒトラーの過激な人種主義と軍国主義の主張に吸収されたから、ということになるだろう。私はどうもこのような観念的な議論が苦手だ。このような歴史観は、どうやら歴史というものを人間の意志と哲学だけが作り上げたかのように、人々に印象付けたがっているような気がしてならない。そこにポッカリと空白が、いや底なしのブラックホールが開いているのである。

 どれほどヒトラーがゲルマン種族の優越の観念に凝り固まっていようが、どれほど彼の意思が強かろうが、どれほどドイツ国民の不満が大きかろうが、現実にカネとモノが動かなければ国家など1分たりとも運営できない。

 今回は、少々長くなるのだが、英文で書かれたある文章の翻訳をご覧いただきたい。これはサミュエル、プレスコット、ジョージ・W.H.そしてジョージ・W.と続くブッシュ・ファミリーがいかにナチス・ドイツを作り育て、それを通して米国内での地位を作り上げていったのかを中心にまとめあげた『年表』である。

 原文:Timeline of Treason: The Bush Family Connections to the Nazis
 原文Url:http://www.spiritone.com/~gdy52150/timeline.html

 この『年表』に書かれてあるブッシュ家とナチスとの関係は、2003年になって暴露された米国国立公文書館と議会図書館の資料によっても明らかに確認できる事実である。さらにこの『年表』には、ロックフェラー、ハリマン家、ダレス兄弟など米国支配層のドイツ利権を巡る大活躍が実にわかりやすくまとめられており、20世紀の米国と欧州の関係を知るためには非常に便利な資料となるであろう。

 ただいくつか注意しておかなければならない点がある。この年表ではユダヤ資本およびシオニストとナチス・ドイツとの関係が完全に抜け落ちているのだ。1933年8月に作られたハアヴァラ協定 に伴ってナチス・ドイツが行ったイスラエル建国支援の財源がどこから来たものなのか明白なのだが、この「年表」ではそれが全く問題にされていない。また、ブラウン・ブラザーズやシュレーダー(Schröder、Schroeder:英米ではシュローダーSchroder)といったロンドン・シティの重要メンバーがドイツ利権あさりとナチス・ドイツへの投資に中心的な役割を果しているのに、それとイスラエル建国のスポンサーであったロスチャイルド家の関わりが全然なかったとはまことに考えにくいのだが、この点も無視されている。

 もちろんこういった『年表』をまとめあげる際に「反ユダヤ主義」「陰謀論」といったレッテルを貼られることを避けた事情は理解できないでもないが、少々偏った編集と言わざるを得ない。

 しかし逆に言うと、2001年以来、イスラエルに忠誠を誓うネオコン、つまりジャボチンスキーの後輩達に担がれて「対テロ戦争」の立役者になっているG.W.ブッシュを考えるなら、逆にこの点だけが真っ白に開いているほうが「あぶり出し」が明白であり解りやすいかもしれない。 この『年表』は、作成者の狙いはさておいても、「何年に何があったのか」という事実関係を冷徹に調べていくための参考資料として極めて有益であろうと思われる。そのうえでこの『年表』にある空白(と言うよりはブラックホール)を探り当てていく作業が重要になるだろう。

 人物名は( )の中に原文にあった綴りを添えた。人名の強調は私からである。企業名は原則として英語の原文のまま記載した。また【 】内は私からの注釈である。

*****

裏切りの年表:ブッシュ家とナチスのコネクション

1833: イェール大学にスカル・アンド・ボーンズ結社が作られる

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1897: Union Pacific Railroad(UPR)倒産

1898: Union Pacific Railroadエドワード・ヘンリー・ハリマン(Edward Henry Harriman)とその同僚の判事ロバート・スコット・ロヴェット(Robert Scott Lovett)に売られる。この取引はクーン・ローブ(Kuhn Loeb)の仲介業に取り仕切られたが、フェリックス・ワーバーグ (Felix Warburg)がそのパートナーだった。

1902: ポール(Paul)とフェリックス・ワーバーグ が合衆国に移住。

1904: ドイツ人アルフレッド・プレーツ(Alfred Ploetz)が、人種および社会生物学資料に出資。これはドイツ優生学つまり人種優越主義運動の主要な雑誌となる。エルンスト・ヘッケル (Ernst Haeckel)がドイツでの優生学を一般化する。

 ジョン・D・ロックフェラー (John D. Rockefeller)が"Occasional Letter No.1"を書き著し、「人間の本性を完成させるために」、人々を型にはめて国民の知性を最低の共通分母にまで低め、親の影響と伝統と習慣を破壊して、科学と実学を限定する計画の詳細を述べる。

 ロング・アイランドのコールド・スプリングズ・ハーバーに優生学研究所がチャールズ・B.ダヴェンポート(Charles B. Davenport)によって作られる。コールド・スプリングズ・ハーバーは同時にダレス兄弟所有の土地でもあった。ハリマン家とロックフェラー家 によってコールド・スプリングズ施設に1千百万ドルを超える資金が投入される。

1907: サミュエル・ブッシュ(Samuel Bush)がオハイオ州コロンバスにあるBuckeye Steel Castings会社の社長に選出される。その経歴を通して、サミュエル・ブッシュはウォール・ストリートの鉄道株に餌を撒き続けた。ブッシュはフーバー大統領の親密な補佐官となり、全国工業会(NAM)の初代会長となった。NAMはファシズムを支えた歴史を持ち、1950年代後期に、NAMのメンバーたちはロバート・ウエルチ (Robert Welch)に率いられてジョン・バーチ協会を形成した。

 インディアナ州が最初の優生学法を通過させる。

1909: ロックフェラー基金が創設された。ロックフェラー家 は優生学の運動を推進させたが、その中にはドイツのカイザー・ウイリアム研究所も含まれる。

1911: ジョン・フォスター・ダレス (John Foster Dulles)が法律事務所Sullivan and Cromwellに加わる。

1913: 連邦準備銀行(Federal Reserve Bank)の創設。ポール・ワーバーグが第1次世界大戦の間、総裁を務める。同時に、彼の兄弟マックス (Max)はドイツのシークレット・サービスの責任者であった。

1914: 戦争が間近に迫り、パーシー(Percy)・ロックフェラーは兵器会社Remington Armsを支配下に置き、CEOとしてサミュエル・F.プライアー (Samuel F. Pryor)を指名した。

1915: ダレス兄弟の伯父、ロバート・ランシング(Robert Lansing)が国務長官に指名された。ランシングは彼の甥を企業の仕事という名目でニカラグア、コスタリカ、パナマに派遣したが、実際には米国の戦争政策補助のためにラテン・アメリカを探る目的であった。コスタリカは激しい独裁者フェデリコ・ティノコ(Federico Tinoco)が支配していた。ダレスはワシントンにこの独裁者を支援するように忠告した。彼が反ドイツだったからである。ダレスはまたニカラグアの独裁者エミリアーノ・チャモロ(Emiliano Chamorro:大統領1917-20, 1926)をそそのかしてドイツとの外交関係停止を宣言させた。パナマでダレス は、パナマがドイツに宣戦布告を行う限りにおいて年間の運河通行料金に対する課税を放棄することができると提案した。

1917: プレスコット・ブッシュ(Prescott Bush)がスカル・アンド・ボーンズに加わる。彼の息子と孫であるジョージとジョージ・Wも同様にこのメンバーである。1930年代のBrown Brothers & Harriman【参照
1931年】には極めて数多くの会員がいた。

1918: ロバート・スコット・ロヴェットがユニオン・パシフィック鉄道の会長に。サミュエル・ブッシュは米国戦争産業委員会の施設部門に指名されるが、この委員会の議長はバーナード・バルック(Bernard Baruch)でありクラーレンス・ディロン (Clarence Dillon)がそれを補佐した。

1919: ジョージ・ハーバート・ウォーカー(George Herbert Walker)はW.A.ハリマン株式会社(W.A. Harriman & Co)を設立。ウォーカーがその会長でありCEOである。エドワード・ハリマンの息子アヴェレル(Averell)・ハリマンが議長。アヴェレルは後に駐ソ連米国大使(1943-1946)、そして米国商務長官(1946-1948)を務めることになる。 ダレス兄弟 は戦後の条約交渉に加わる。

1920: アヴェレル・ハリマンとジョージ・ウォーカーはGerman Hamburg-Amerika Lineの支配権を手に入れる。その交渉はGerman Hamburg-Amerikaの最高幹部であるウイリアム・クーノ(William Cuno)、およびその郵船会社の銀行 M.M. Warburgのマックス・ワーバーグによって設定された。社名はAmerican Ship & Commerce Corpと変更された。Remington Armsのサミュエル・F.プライアーがこの取引に加わっており、新たな会社の役員となった。クーノ は後にナチ党の創設で重要な貢献者となった。

1922: アヴェレル・ハリマンはW.A. Harrimanのベルリン支社を開いた。1942年の日付のあるAlien Property Custodianのオフィスでの幹部会に対する米国政府覚書は、1924年に先立つある時期にハリマンが欧州におりティッセン(Thyssen)と会合したことを示唆する。彼らはニューヨークにティッセンのための銀行を設立することに合意した。加えてこの覚書は、ティッセンの代理人、H. J. コウエンホウヴェン (Kouwenhoven)について述べている。彼はこの件に関連して1924年以前にユーヨークを訪れた。

 優生学的断種モデル法(The Model Eugenic Sterilization Law)がハリー・ラーフリン (Harry Laughlin)によって作られた。この法は2万人以上の米国の断種につながり、ナチスに採用されたニュルンベルグ法の基本となった。

1923: フリッツ・ティッセン (Fritz Thyssen)がナチ党に支援を始める。

1924: W.A. Harriman & Coは、オランダにあるティッセン所有の銀行Bank voor Handel en Scheepvart【船舶貿易銀行?】と共同経営するユニオン・バンキング会社(Union Banking Corp)の設立に40万ドルを投資。プレスコット・ブッシュはUnion Bankを運営するためにこの会社に入る。プレスコットはジョージ・ウォーカーの義理の息子でありサミュエル・ブッシュの息子である。Union Bankは今やティッセン のUnited Steelの資金を動かす立場に立った。

 ドーズ計画と共に、これはこの項目詳しく述べることにするが、ジョン・フォスター・ダレスはクルップ(Krupp)のために巨額のローンを組んだ。このローンのためにダレスは、ある土曜日にこのニュースの報道を弱めるために、国務次官であるレランド・ハリソン(Leland Harrison)を呼んだ。ハリソンは激怒した。米国の資金が外国に向かう前に海外向けのローンを国務省が審査すると回覧していたからであった。しかしダレスは、ハリソンがローンを止める権限を持っていないことを知っていた。ダレスは、ドイツの会社が軍用の機器を製造しているかどうかと調べる国務省の詮索を避けたかったのである。ダレスのSullivan and Cromwellが、あらゆる軍事用の機器を破壊したとのクルップ の言明を保証することを受け入れたのである。

 Standard Oil とGeneral Motorsの共同によってEthyl Corporationが作られた。

1925: この年までにI.G.Farbenが共和党政権の中に強力な同盟を作り出した。当時商務長官だったハーバート・フーバー(Herbert Hoover)は彼の化学工業諮問委員会に9名のメンバーを指名した。委員会の椅子に座った者には、ウォルター・ティーグル(Walter Teagle:Standard Oil of New Jersey)、ラモー・デュ・ポン(Lammot du Pont)、フランク・ブレアー(Frank Blair:Sterlingの会長)そしてヘンリー・ハワード (Henry Howard:Grasselli副会長)がいた。この4名が持っていたI.G.との強いつながりにも関わらず、その委員会の役割は米国の化学工業がI.G.に打ち勝たつのを支援することだった。

1926: プレスコット・ブッシュはW. A. Harriman & Coの副会長に抜擢される。投資銀行Dillon Readのクラーレンス・ディロンは、ティッセンおよびその仲間フレドリック・フリック(Fredrick Flick)と共にGerman Steel Trustを設立した。その趣旨によるとDillon Readは、2名のDillon Readの代表をGerman Steel Trustの役員に据えることと引き換えにトラストの関連銀行に投資することになっていた。アルバート・ヴェーグラー(Albert Voegler)がドイツ鉄鋼トラストの代表役員であった。このヴェーグラーはヒトラーを権力の座に着かせた企業家の一人であった。彼はまた、ティッセン所有のオランダの銀行とthe Hamburg-Amerika Lineの指揮にもあたっていた。Union Bankはフリックの企業Silesian Holding Coとは協力関係にはなかった。ウォーカー・ブッシュとハリマンはフリック の持ち株会社の3分の1を所有し、彼らの持分をConsolidated Silesian Steel Corpと呼んだ。

 米国I.G.が、米国でのI.G. Farbenの資産を支配する持ち株会社として作られた。重役メンバーにはエドセル・フォード(Edsel Ford)、チャールズ・ミッチェル(Charles Mitchell:ロックフェラーのニューヨークNational City Bank会長)、ウォルト・ティーグル(Standard Oil会長)、ポール・ワーバーグ(Federal Reserve会長であり、ナチ戦争準備への出資者で米国I.G.社長であるマックス・ワーバーグの兄弟)、ハーマン・メッツ(Herman Metz:マンハッタン銀行頭取でワーバーグ兄弟 に支配されている)などがいた。米国I.G.運営委員会の他の3名は裁判にかけられドイツ戦争の犯罪人として有罪となった。

 アレン・ダレス(Allen Dulles)がSullivan and Cromwellに入社。

1927: ジョン・フォスター・ダレス がGAF Company(米国I.G.)社長に(~1934)

1929: Standard OilとI.G. Farben がカルテルの交渉を開始

 ハリマンの銀行はStandard Oilと他の会社を結び付ける石油パイプライン供給元のDresser Industriesを買収。プレスコット・ブッシュがその社長であり資金供給の帝王となり、彼のイェールの同級生であるニール・マロン (Neil Mallon)を議長にする。

1930: ダレスはチェコの富豪ペチェック(Petschek)家に対して、そのSilesian Coalの利権をジョージ・マーネイン(George Mernane)に売却するように取り計らう。マーネインは単にペチェック家の利権を【この部分意味不明】ためだけに利用された。ダレスはそれからその株を、ナチの経済相である友人のシャハト(Schacht)に売った。売却後、ダレスはConsolidated Silesian Steel Companyの社長となった。その唯一の資産はUpper Silesian Coal and Steel Companyの利益の3分の1であった。その株の残りはフレデリック・フリック が支配した。

1931: W.A Harrimanは英国の銀行Brown Brothersと合併。サッチャー・ブラウン(Thatcher Brown)、プレスコット・ブッシュ、そして二人のハリマン兄弟は新しい会社Brown Brothers and Harrimanの重役となった。ロバート・スコット・ロヴェットの息子であるロバート・ロヴェット(Robert Lovett)とその親友であるプレスコット・ブッシュが新会社でパートナーとなった。ロヴェットは後に戦時空軍補佐官、1947-1949に国務省付補佐官、1950-1951に国防次官、そして1951-1953には国防長官となった。

プレスコット・ブッシュはニューヨーク・オフィスを経営し、一方でこの新会社のロンドン・オフィスはサッチャー・ブラウンによって運営された。プレスコット・ブッシュの親友でありイングランド銀行総裁であるモンタギュー・コレット・ノーマン(Montagu Collet Norman)はニューヨークを訪問する際にブッシュ家 の世話になっていたのだが、彼はBrown Brothersの共同経営者の一人でもあった。彼は同時に有名なナチのシンパであった。彼の祖父は南北戦争の際にBrown Brothersのボスだったのだが、Brown Brothersが南部の綿花の75%を英国に輸送した直接の責任者だった。

 プレスコット・ブッシュとジョージ・ウォーカー は、第3回優生学国際大会の主催者を務めた。このイベントの目的は1千4百万人の米国人の断種を呼びかけることだった。

 国際決済銀行が設立された。



関連

第三回国際優生学会議(1932) by ジョン・コールマン
http://satehate.exblog.jp/8785181/

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by oninomae | 2014-03-11 20:01 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 6c

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky2.html#5bu より その4

[ドイツこそイスラエルの母胎!]

 テオドル・ヘルツルは、シオニズムが『ユダヤ人問題の最終解決(final solution)』を世界に与える喜ばしいものである、と書き残している。そして米国ユダヤ人会議を率いるラビ・ジョアヒム・プリンツ(Joachim Prinz, 1902-88)は1934年の著書「我々ユダヤ人(Wir Juden)」の中で、ドイツでの国家社会主義革命は『ユダヤ人のためのユダヤ(Jewry)』を意味していると書き、次のように説明した。『今やどのような逃げ口上も我々を救うことはできない。同化の代りに我々は新たなコンセプトを熱望する。ユダヤ国家(nation)とユダヤ種族(race)の認識である。』『ユダヤ人の同化を助けてきた唯一の政治的形態(リベラリズム)は叩き落されたのだ。』

 シオニストにとっての最大の敵はさまざまな国で同化して生きるユダヤ人たちであった。 ここでプリンツの言う『ユダヤ(Jewry)』は非ユダヤ人にとっては極めて理解の困難な概念で、ユダヤ人内部にある特殊な権力構造であり、国家でも民族でもないが明らかに存在するものである。これについてはイズラエル・シャミールの文章「米国:あるユダヤ国家」IV章 をご参照いただきたい。(引用注:ここに抜粋大多数のユダヤ人たちにそっぽをむかれるシオニストにとって、ナチス・ドイツの誕生がこの最大の敵を撲滅し国家社会主義ユダヤを実現させる絶好のチャンス・・・このようなシオニストの本音が手に取るように解るプリンツの言葉であろう。

 レニ・ブレンナーは興味深い事柄を我々に教えてくれている。ジャボチンスキー系統のシオニストは裕福なユダヤ人だけを移民のために選び、一方で社会主義シオニスト主流派は若く健康なユダヤ人を好んだ。アイヒマンがこれらの選別と移送の実行を助け、見返りにナチスは大量の献金を受け取った。要するにナチとシオニストがやったことはユダヤ国家設立に必要な人材を選別して送り込むことであった

 ここに、イスラエル初代大統領となるハイム・ワイツマンの驚くべき言葉がある。これは1937年にロンドンで語ったものだ。

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 『欧州600万人のユダヤ人の希望は移住に集中されています。私は、「あなたは600万人のユダヤ人をパレスチナに送りたいのですか?」と質問されました。私は答えました。「いいえ」。・・・。私はその悲劇の奥底から[パレスチナに向かうべき]若い人々を救い出したいと思います・・・。年寄りたちは消え去るでしょう。彼らはそれがどのようなものであれ自分自身の運命を背負わねばなりません。彼らは塵です。残酷な世界の中では経済的にも精神的にも塵です。・・・。若い枝だけが生き延びると決まっているのです。彼らはそれを受け入れなければなりません。』

 『600万人』という摩訶不思議な数字が登場するのだがここでは詳しく触れない。いずれにせよ『悲劇』を通してユダヤ人国家が作られるという神話的解釈がワイツマンの言葉に貫かれている。彼の言う『塵』とは旧約聖書の記述に基づくものだがその「塵の処理」をヒトラーがやってくれることが期待されていたのである。

 しかしどうやら第2次世界大戦が始まるとドイツの中にはパレスチナ以外の場所にユダヤ人を移すことで民族浄化を果そうとする動きが出ていたらしい。これはゲシュタポとパレスチナのイスラム教指導者との合意に基づくものと言われる。1941年と42年にゲシュタポはヨーロッパのユダヤ人に、ドイツと占領フランスにあるすべての資産を放棄するならば1家族につき千ドルの代償金の支給を受けた上でスペインへの移動を許すという提案をした。ただし、スペインからパレスチナに向かわずに米国または英国領に行くことが条件である。

 当然のことながらスイスにあるシオニスト組織は次のような回答をした。『(a)ただパレスチナだけが被追放者の行き先として考えられる。(b)ヨーロッパのユダヤ人たちは他の国に行くくらいなら苦しみと死を受け入れなければならない。・・・。それはこの戦争が終わるときに勝利国が「ユダヤ人の国」に同意するようにである』。語るに落ちた。いわゆる「ホロコースト」が何であるのか、もう明らかだろう。

 パレスチナに向かわないユダヤ人および選別に漏れたユダヤ人に対する人間業とは思えない彼らの冷酷な仕打ちは徹底していた。テル・アヴィヴにあったユダヤ機関救出委員会の委員長イツァーク・グリーンバウムYitzhak Greenbaum, 1879-1970)は「パレスチナにいる1頭の牛はヨーロッパ中のユダヤ人よりも値打ちがある」とすら発言したのである

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 これに関して書き出せば限りが無い。あともう少しだけご紹介しよう。ドイツからユダヤ人難民を乗せて米国の港に向かった船のうちの5隻が米国シオニストの圧力によって入港を禁止されて欧州に追い返された。1940年の2月にユダヤ要求連合(the United Jewish Appeal)の副会長であるヘンリー・モントー(Henry Montor, 1905-82)は、ドナウ川で立ち往生していた船に乗っているユダヤ難民を救おうともせずこう言った。『パレスチナは・・・年寄りどもや望まれない者たちで満たされてはならない。』

 1935年から1943年までの間に250万人のユダヤ人がナチスの魔手から逃れたと言われているが、その大多数である75%がソ連に向かい、9%未満がパレスチナに向かっただけであった。しかしその9%はイスラエル建国のために選び抜かれた精鋭部隊だったのだ。次の事実がそれをよく物語っているだろう。

 ハンガリーのシオニスト機構副委員長であったルドルフ・カストナー[Rudolf Kastner, 1906-57]は1944年にアイヒマンと共謀してパレスチナに送り込むために1684名の(「600名」という説もある)『役に立つ』ユダヤ人を選別したのである。残りの46万人にのぼる(80万人と言う人もいる)「役に立たない」ハンガリーのユダヤ人たちにはナチスによるアウシュビッツへの連行が待ち構えていた・・・というのは当のシオニストが後になって主張していることだが、しかし真相は闇の中に放り出された。

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1957年3月、この件に関するイスラエルでの裁判の最中にカストナーが暗殺されたのである。

 このカストナーがニュルンベルク裁判の際に、この『選別』に協力したSSのクルト・ベッヒャー(Kurt Becher, 1909-95)中佐を戦争犯罪から救うために尽力したことは有名である。彼はまたポーランドでのSS高官の一人でありそこで数知れない多数のユダヤ人を殺したと言われている。その後ベッヒャーはケルン・ハンデル・ゲセルシャフト(the Cologne-Handel Gesellschaft)社を始めとするイスラエル政府との多額の取引を行ういくつかの企業の代表者となった。

 面白い後日談がある。カストナーのアイヒマンとの取引が表ざたになった際に、新聞ハアレツの中でモシェ・ケレン(Moshe Keren)が『カストナーはナチスとの協力の罪で裁判にかけられなければならない』と書いた。1955年7月14日のことである。すると夕刊紙イェディオット・アハロノット(Yediot Aharonot)紙は同年7月22日の紙面で、それが不可能なことを次のように説明したのである。『もしカストナーが裁判にかけられるなら、その裁判が明らかにすることによって、政府全体が国民の目の前で崩壊するかもしれない。』

 どうやらこの取引はシオニストとナチスの関係を全面開示する要素を含んでいたようである。彼が殺されるのは無理もない。もちろんだが、この件の交渉相手であると同時に当時のシオニストとナチとの関係に誰よりも通じており、さらにアウシュビッツを最もよく知っていたアイヒマンも、ほとんど何の発言も許されないままカストナーに遅れること5年でこの世から消されることとなった。 ただしカストナーは死後にイスラエル最高裁によって「この件に関しては無罪」とされたのだが。

 しかしいずれにせよナチス・ドイツのユダヤ人国家創設に果した役割は明らかである。ユダヤ人国家創設のためには国家社会主義ドイツがどうしても必要だったのだ。ドイツはシオニストに国家社会主義の社会と民族浄化・アパルトヘイトのあり方の手本を示し、人間を選別し訓練して送り込み、経済基盤を作りインフラを整えた。そして最後に、シオニスト最大の敵である同化ユダヤ人の駆逐と「役立たず」の処分を兼ねてだろうが、国家の誕生を保障する神話的な生贄の儀式である「ホロコースト」の舞台を作った。ユダヤ人国家創設のためにはそれがどうしても必要だったのだ。

 結論を言おう。 

 ナチス・ドイツこそ、イスラエル、つまり国家社会主義ユダヤの誕生を準備した母胎である。「シオニストとナチスがたまたま共通の利害を抱えていたためである」とか「あの状況でイスラエル建国を果すためにはナチスと交渉しそれを巧みに利用するしか無かった」などというもっともらしい言い訳は、このシオニスト国家とナチス・ドイツが、ちょうど雌型と雄型がそっくり同じであるような関係である事実によって打ち破られるであろう。まして一部の「反シオニスト」ユダヤ人が盛んに繰り返す道徳的非難など何の意味も無いばかりか事の本質を覆い隠す犯罪的な行為なのだ。

 いや、雌型と雄型というよりも砂型と鋳物の関係といった方がより正確かもしれない。鋳物の鋳鉄が固まった後にそれを包んでいた砂型が取り崩されるようにしてナチス・ドイツは取り崩された。しかしその主要な人材は大半がバチカンと米国諜報部の手によってアメリカ大陸に渡り、欧州に残った者達と共に米国の世界戦略にとって重要な働きを続けて今日に至っている。


 そしてドイツには、下級兵士と一般の民衆に対する「報復」としての大量虐殺と、苦痛と悲惨さと屈辱だけが残された。彼らこそ、非シオニストのユダヤ人、ロマ人(ジプシー)、ロシア人などと、そして何よりもパレスチナ・アラブ人と並ぶ、国家社会主義による最大の被害者なのだ

 ナチスは滅んだのではない。それは米国イスラエルに引き継がれた。 現在、ナチを育てた大資本(ブッシュ家を含む)によって運営される米国や英国がナチ(国家社会主義)の本性をむき出しにしつつあるのは当然である。事実によって次の事実が作られるのである。何一つ陰謀も不思議も皮肉も存在しないのだ。

  国家社会主義による世界革命は現在も進行中である。


【以上、参照資料】
http://www.barossa-region.org/Australia/October-2000-Januray-2005-Coming-to-you-soon-in-the-USA.html
http://www.ihr.org/jhr/v13/v13n4p29_Weber.html
http://abbc.net/islam/english/books/garaudy/zionmythgar2.htm
http://www.marxists.de/middleast/schoenman/ch06.htm
http://www.jewsagainstzionism.com/antisemitism/holocaust/gedalyaliebermann.cfm
http://www.jewsagainstzionism.com/news/Newsletters/pressrelease070904.htm
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd300.html#01


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石油とホロコースト by Clifford Shack 1
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石油とホロコースト by Clifford Shack 3
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石油とホロコースト by Clifford Shack 4
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「9.11を予告しワシントン在住シオニストの王者ザヘイム[引用注:Dov Zakheim のこと]とは何者か?」/アラブの声 2005-03-16 21:58:49
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/5ba5fd1c5c187ce8f24887282cdffae6

・・・父親...ラビのヤコブ・I・ザヘイムは1910年に生誕。父親はシオニストの暗殺者と爆破犯人の温床であるポーランドに生まれ育った。彼はイツァーク・シャミールと同じく、ポーランドの町ビアリストク出身である。一家はメナヘム・ベギンとモシェ・アレンズを友人と見なしていた。 ドヴの父親はベタールの積極的なメンバーだった。・・・

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おまけ

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麻生太郎外務大臣は、平成19(2007)年8月13日(月曜日)から8月16日(木曜日)まで
、ヨルダン、イスラエル及びパレスチナ自治区を訪問した。

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【311東日本大震災陰謀情報】2008(平成20)年に福島第1原発3号機の事故訓練をし、2008年に311被災地で津波訓練をし、2008年に福島原発に10メートル以上の津波が襲うことを試算し、2008年に東北で巨大地震が発生したりと、どう考えても2008年に人工地震(津波)・原発破壊計画が最終段階に入っていたと思う。 2013年06月20日
http://kinnikuking.blog81.fc2.com/blog-entry-1093.html

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++
隣にいるのは誰だろう? 阪神淡路大震災でも、ブループリントがあったしネ


**
うるさい!アンネの日記をプレゼントすると言ってるだろうが!


これもな!
http://www.rui.jp/docs/link/zukai140228.jpg
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(「功績」が大きいんだネ)

2014/03/07 都知事選挙不正選挙訴訟
http://archive.mag2.com/0000154606/20140307090517000.html



「ナチスの手口に学べば」=麻生氏、改憲めぐり発言
http://satehate.exblog.jp/20570794/

世界支配に向かう、21世紀の、世界規模でのナチス(引用注:もちろん「ユダヤ」・全体主義)の動き 2013年08月05日
http://alternativereport1.seesaa.net/article/371144298.html

麻生副総理 CSISで 「水道を全て民営化します」と発言!
http://satehate.exblog.jp/19887311/

奴隷貿易商人の末裔=麻生太郎首相の系譜 by オルタ 他
http://satehate.exblog.jp/9879942/

福島原子力発電所・事故を、「推進」する、闇のネットワーク 2011年08月03日
http://alternativereport1.seesaa.net/article/218148384.html

黒人リンチ組織KKK=麻生太郎首相の人脈 2008年12月07日
http://alternativereport1.seesaa.net/article/110826973.html

関東地方住民の80%は3年後に死亡することになっている 2014年02月27日17:32
http://blog.livedoor.jp/sky7777777777/archives/52063252.html

悪魔主義銀行家の陰謀 by Henry Makow Ph.D.
http://satehate.exblog.jp/11701619

「魔術」はイルミナティの最も強力な武器である By Henry Makow Ph.D.
http://satehate.exblog.jp/17035395/

イルミナティ離脱者が広範な陰謀の詳細を語る by Henry Makow Ph.D.
http://beingtt.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

ヨーロッパに基盤をおいて、それは「世界秩序」を計画している。 それはその初期の試みであるナチズムや共産主義をピクニックのように見えるようにするだろう。


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by oninomae | 2014-03-09 20:28 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 6b

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky2.html#5bu より その3

[ヒトラーが「育てた」シオニズム]

(内容)
(1)パレスチナへのユダヤ人移民に対するナチの全面協力
(2)経済と産業に対するナチの全面協力
(3)ナチとシオニストの人間的関係
(4)ニュルンベルク法に対するシオニストの反応
(5)シオニストによるナチスとの軍事同盟提案

 先ほどのモーゼス・ヘス[Moses Hess]は「選ばれた種族」とそのための国家という概念を強く押し出し「ユダヤ種族の純粋性」を擁護した。その60年後、ヒトラーがそっくりそのままをマイン・カンプの中で主張することとなる。ただしユダヤ種族とゲルマン種族を取り替えてではあるが。

 イスラエルの高名な詩人であるハイム・ナフマン・ビアリク(Chaim Nachman Bialik, 1873-1934)は1934年に次のように書いた。『ヒトラーと同様にだが、私は血の思想の力を信じている』。もちろんゲルマンとユダヤでは血が異なるため味方同士とはなりえないにせよ、両者の『純血性』にこだわる発想は雌型と雄型のように同一のものであろう。先ほど述べたイスラエルの状態は単なる差別政策と言うよりも、ナチ同様に民族浄化、つまり「国家の純血化」に違いあるまい。

 シオニストとナチスとの間にあった相互の親近感と信頼関係については驚くほど多くの資料が残されている。ただそれを知らせる努力が為されていないだけだ。

(1)パレスチナへのユダヤ人移民に対するナチの全面協力

 1930年代を通してシオニスト団体はドイツ国内に40ものユダヤ人開拓者訓練キャンプのネットワークを作りパレスチナへの移住に備えさせたのだが、これはドイツ当局の全面協力を仰いだものだった。これが後のキブツの原形となったのだが、それらのキャンプには白地にブルーの六芒星の旗がひらめいていた。

 ヒトラー政権が誕生したのは1933年1月30日だったが、すぐさま世界ユダヤ人経済会議は「ドイツ商品ボイコット」という宣戦布告を行った。しかしその直後に世界シオニスト機構(WZO)はヒトラーへの反対運動を240対43の圧倒的大差で否決したのだ。 ヒトラー政権は同年8月にシオニストとハアヴァラ(Ha'avara)と呼ばれる移送協定を結んでユダヤ人のパレスチナ移住に対する全面協力を開始した。これによってシオニストはドイツ在住の「ユダヤ人の祖国」建設の意欲に溢れそのための訓練を受けたユダヤ人たちを大量にパレスチナに移住させることに成功した

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 ここでパレスチナのユダヤ人人口の変遷を見てみよう。第1次大戦後の1922年では、委任統治を開始した英国の調査によると、パレスチナ人67万人、ベドウィン7万人に対してユダヤ人は6万人であった。そしてヒトラー政権の誕生以降に移民のラッシュが始まる。1933年に3万人、34年に4万2千人、35年には6万1千人の入植者が新たにやって来たのである。そして第2次世界大戦が開始する1939年にはパレスチナのユダヤ人人口は44万5千に膨らんだ。イスラエル建国の1948年のユダヤ人人口がほぼ65万人であるので、この時期の移民がいかに重要なものだったのか容易に察しがつく。

 次のような話がある。1935年の初期に一隻の客船がドイツの港からハイファに向けて出航した。その船尾にはヘブライ語で「テルアビブ」と書かれマストに鍵十字の旗がひらめいていた。船はシオニストの所有になるものだったが船長はナチス党員であった。これはその当時のナチスとシオニストの関係を象徴的に示すエピソードだろう。

 1930年代のパレスチナへのユダヤ移民を「ヒトラーによる弾圧を恐れたため」であるとする大嘘が世界中でいまだにまかり通っているのだが、実際にはヒトラーの全面協力の下で起こった人口増加なのだ。

 ドイツからパレスチナへの大規模な移住は1939年9月の第2次世界大戦勃発によって終わったが、ドイツ当局は1940~41年の間、間接的な形でユダヤ人の移住を促進し続けた。1942年の3月になってすらパレスチナ移住のためのユダヤ人訓練キャンプがドイツの中に存在していたのである。

(2)経済と産業に対するナチの全面協力

 移送協定の実行と共に、1933年8月から1939年末までにドイツからパレスチナに移送された資金は合計で1億4千万マルク(当時:4千万ドル超に相当)にのぼる。その中にはこの協定発効に伴ってドイツ帝国銀行から提供された3千4百万マルク(およそ1千4百万ドル)が含まれる。パレスチナにはユダヤ人のための主要産業を支える数多くの企業がドイツからの資本で作られインフラが整備されていった。これが後のイスラエル国家創設にとって必要不可欠な要素になったことは言うまでも無い。1930年代でヒトラーのドイツほどユダヤ人国家建設に貢献した国は存在しない。

 もっともドイツはドイツでシオニストを十分に利用したともいえるだろう。ユダヤ人に支援金として与えた金で農機具や建設機械、武器などの多くの工業製品を買わせ、行き詰った経済の建て直しの重要な契機としたのである。いずれにしてもヒトラー政権の間にパレスチナはドイツ製品で溢れることになる。しかしそのような活動のための資金をナチス・ドイツに与えたのは誰だろうか? これについては稿を改めたい。

  このヒトラーの政策に反対したドイツ人もいる。エルサレムのドイツ総領事だったハンス・デーレ(Hans Döhle)は、ドイツ製品がユダヤ機関の手によって独占的に取り扱われることがドイツのアラブ市場を失わせドイツの中東政策にとって大きな損失になることを懸念したのである。しかしヒトラーはハーヴァラ協定に固執し続けた。

(3)ナチとシオニストの人間的関係

 またヒトラー政権誕生の6ヵ月後、つまりハーヴァラ協定が取り決められる直前に、ドイツ・シオニスト同盟はある長文のメモをヒトラー政権に渡した。そこには次のように書かれてある。

 『我々は、ユダヤ人問題の処理に関する大胆な解決方法を通して、大部分の欧州の人々が実際に関わらなければならないだろう困難の克服に向けての決定的な一歩を踏むことができるのは、まさに新生ドイツであると確信いたしております。』 『多くの方法でドイツに対して現在行われておりますようなボイコットのプロパガンダは、基本的に非シオニストのものであります。なぜならシオニズムはボイコットを望んでおらず・・・』

 実はナチス党員の重要なポジションに複数のユダヤ人がいたのである。その最も有名な者はレオポルド・フォン・ミルデンシュタイン(Leopold von Mildenstein, 1902-68)男爵で、SSのユダヤ人局の長官を勤めていた。配下のユダヤ人のラインハート・ハイドリッヒ(Reinhardt Heydrich, 1904-42)はヒトラーに可愛がられた。ハイドリッヒはユダヤ人をシオニストと非シオニストに分類し前者をパレスチナに行く権利を持つ者だと主張したのである。なお、ミルデンシュタインの後任としてユダヤ人局の長官になったのがアドルフ・アイヒマンである。

 ミルデンシュタインは1933年のヒトラー政権誕生と同時に、ドイツ・シオニスト連盟の幹部クルト・トゥッヒュラー(Kurt Tuchler, 1894-1978)と共にパレスチナに招待されそこで6ヶ月を過ごした。パレスチナに招待されたSS幹部は彼ばかりではない。1937年にハガナーは彼の後任のアイヒマンをパレスチナにゲストとして招待した。ニュルンベルグ法が制定されて2年後のことである。

 SSだけではなく、シオニスト組織はゲシュタポとも良好な関係を保った。ドイツ・シオニスト連盟の責任者だったハンス・フリーデントハル(Hans Friedenthal)は第2次大戦後に次のように語った。

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『当時ゲシュタポは特にパレスチナへの移民を推進するためにあらゆることをやってくれました。我々が移民の準備に関して他の当局者からいろいろ言われたときによく彼らの助けを借りたものでした。』

(4)ニュルンベルク法に対するシオニストの反応

 1935年9月にニュルンベルク法が制定された数日後、シオニストのジューディッシェ・ルンドショー(Jüdische Rundschau)は次のように書いた。

 『ユダヤ人たちが少数派民族の刻印を押されたからには、ドイツ国家とユダヤ人との間の正常な関係を打ち立てることが再び可能となる。この新しい法律はドイツでの少数派であるユダヤ人に自身の文化的な生活、それ自身の民族としての生活を与えるものである。将来においてユダヤ人自身の学校、劇場、そしてスポーツ組織を作ることが可能となるだろう。つまり、それは我々自身の未来を、民族的な生活のあらゆる見地から、形作ることを可能にするものである。』

 またジャボチンスキー系列組織の指導者であったゲオルグ・カレスキ(Georg Kareski, 1878-1947)は1935年の暮にこう述べた。

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 『長年の間、私は、紛争無しに我々が共存する前提として、文化的な事柄について両民族の完全な分離を唱えてきた。・・・。このニュルンベルク法は・・・相互の尊敬に基づく分離した生活への熱望を完全に満たすものである。・・・したがって、ユダヤ人の見地から言って全面的に望ましいものなのだ。』

 そしてドイツの内務省ユダヤ問題専門家のバーンハルト・レーセナー(Bernhard Lösener, 1890-1952)は語る。

 『シオニストはニュルンベルク法で強調される精神に対する反対をほとんど示さなかった。なぜなら彼らは、この法がユダヤ人にとっても同様に唯一の正しい解決方法であることをすぐに気付くからである。』

 ニュルンベルク法ではユダヤ人がドイツの国旗を飾ることが禁止された。そしてその代わりに白地にブルーの線とダビデの星をあしらった旗を飾る権利を保証された。それがドイツ国内にあるシオニストの訓練キャンプと施設にひらめいていたのである

(5)シオニストによるナチスとの軍事同盟提案

 1941年1月、英国をユダヤ人国家建設の最大の障害物と見なすテロ集団レヒの代表者であったアヴラハム・スターン(Avraham Stern, 1907-42)は、その配下で後にイスラエル首相となるイツァーク・シャミールがリーダーを務める民族軍事機構(National Military Organization=NMO)とナチ第3帝国との間の公式な軍事協定締結を提唱したのだった。この提唱は戦後になってトルコのドイツ大使館でファイルの中から発見されアンカラ文書として知られるようになった。

 この軍事同盟は結局実現しなかったが、シャミールの集団によるイスラエル創設に障害となる勢力への攻撃はとどまらなかった。

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彼は2度英国に逮捕されたがすぐに脱獄し、大戦後に英国モイン卿やスウェーデンのベルナドッテ伯の殺害、デイル・ヤシン虐殺などを主導した。シャミールはメナヘム・ベギンやダグラス・ファイスの父親ダルック・ファイスと共に、ジャボチンスキー系列であるポーランド・ベタールに所属していたのだ。

【以上、参照資料】
http://www.jewsagainstzionism.com/antisemitism/nazisupport.cfm#_ftn3
http://www.marxists.de/middleast/schoenman/ch06.htm
http://www.rense.com/general34/ZAND.HTM
http://www.mail-archive.com/forum.zagraniczne@3w3.net/msg00545.html
http://groups.google.gp/group/aus.culture.true-blue/browse_thread/thread/a45f263a7b8e2401/29d4365f12991698?lnk=raot




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by oninomae | 2014-03-09 20:25 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 6a

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky2.html#5bu より その2

第6部 イスラエルの母胎:ナチス・ドイツ  (2007年3月)

[国家社会主義とは?]

 Naziのドイツ語正式名称はNationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei、英語訳ではNational Socialist German Workers' Party、そしてこれが日本語になると「国家社会主義ドイツ労働者党」である。

 この名称の中にあるnationalというのは厄介な言葉である。ナチス以外にnationalを「国家の」と和訳している例はあるのだろうか。「国家主義」に対応する英単語はstatism(あるいはestatism)であり、本来なら「国家社会主義」はstate socialismの訳語のはずだ。実際にマルクスと同時代の社会主義者で同様にユダヤ系であるラッサールは国家の権力を用いて再分配の平等を目指す社会としてこのStaatssozialismusつまりState Socialismという言葉を用いている。これをマルクス主義者に言わせれば共産主義に至る過渡的な社会のあり方とでもなるのだろう。

 私は言語学者や社会学者ではないので厳密な定義は分からないのだが、nation, nationalというヨーロッパ言語は実際の使用の中で極めて幅広い現れ方をする。そしてその思想的な面であるnationalismは使用される場面や使用する主体などに応じて「民族主義」「国民主義」「国家主義」「国粋主義」などと振り分けて翻訳されるのだが、無理な和訳はやめて「ナショナリズム」をそのまま用いる場合もある。

 日本語で言う国家主義とは、国家というシステムとその権威を政治、社会、経済の単位として、そして道徳的な目標として、価値の最上位に置く思想と言うことができるだろう。確かにnationalismがそのような意味で使用されることがある。以後、「国家主義」の意味で使用される場合には「国家主義=nationalism」と表記する。

 多民族国家の内部には少数民族のnationalismがあり同時に支配民族にもnationalismがあるのだが、その様々に異なる文化的・社会的な要素を超越した強力な「国家主義=nationalism」で全体を束ねていく必要があるだろう。さらには旧ソ連やかつての中国など共産主義を掲げた多民族の国々でも、現実的な共同体の最も強力なあり方が国家である以上、そのinternationalismの主張とは裏腹に強力な「国家主義=nationalism」が貫かれざるを得ない。

 米国のような多種の民族(ethnic groups)が集っている上に多くの州(state)で構成される国ではfederalism(「連邦主義」と訳される)で全体をまとめるのだが、しかしいざとなったときに「God Save America」の一言でまとまってしまう姿を見ると、それはやはり「国家主義=nationalism」の面を強く持っているようだ。

 このnationalismでは、単に制度・権力構造としての国家(state)よりも、構成員のmoralityつまり道徳性やある種の神話めいた精神的一体感がより強調されるように思われる。だから日本やドイツのような単一民族国家に近い国では容易に神秘的な「血の思想」と一体化して「民族=国家主義」となるだろうし、それが極端に排外的になれば国粋主義と言われるものになるのではないか。

 現在の日本国家にはやはり「天皇教」が堅固に存在している。古代の天皇陵の発掘がなぜ未だにタブーであるのか、あるいは天皇家の結婚や出産がどうして巨大な反応を引き起こすのかを考えてみれば、この国家の根本に普段は意識されることの無い神話体系が存在していることが明らかだろう。当然だが中国には強力な中華思想が厳然として存在する。旧ソ連ではこの「国家主義=nationalism」が共産主義イデオロギーで支えられていたが、イデオロギーである以上それがある種の世俗化された神学としての一面を持っているに違いあるまい。

 米国の場合はどうか。英語でFederal Theology(あるいはCovenant Theology)という言葉がある。「契約神学」と訳されるが、これは「神の前での誓約共同体」をその信仰の基盤とするカルヴァン派の考えである。これがメイフラワーの誓約につながり米国の「連邦主義」の重要な基盤の一つとなったと言われる。つまり米国のfederalismは最初から神学的な様相を帯びていることになる。ユダヤ=キリスト教の神を前面に出せばfederalismは容易にnationalismと重なってしまうだろう。

 「民族主義」にせよ「国家主義」にせよこのnationalismという定義困難な用語の背後にはこういったある種の神学の世俗的な解釈という面が常に潜んでいるように思える。だからこそ時としてnationalismは狂信としての非常に危険な顔を表面化させることがありうるのだ。

 おそらく客観的な社会システムとしての国家(state)と、主観的な共同体としての面を強く持つもの(nation)との間にあるものは、実際には『紙一枚分の相違』ではないか。日本語の国家主義はやはりnationalismでありstatismの訳語は未だに存在しないようだ。したがってナチの「国家社会主義」という訳は当を得ているのだろう。

 ドイツにすでにstate socialismの用語が存在した以上、stateとnationの間にある『紙一枚分の相違』を取り外した上で、『世界に冠たるゲルマン民族』の神話(その裏にはオカルト主義が存在したようだが)を前面に押し出して「民族=国家主義」となったnationalismをsocialismと結び付けることは容易であろう。しかしこのnational socialism的なあり方がドイツだけにあてはまるものとは到底思えない。

【以上、参照資料】
http://en.wikipedia.org/wiki/State_socialism
http://www.pressiechurch.org/Theol_1/Covenant-john_owen_and_federal_theology.htm


[ユダヤ国家社会主義]

 スウェーデン籍のユダヤ人作家ラッセ・ウィルヘルムソンは『ユダヤ国家社会主義としてのシオニズム』という文章の中で、共産主義につながるべき社会主義社会の建設を標榜した者達が、statismと「民族=国家主義nationalism」との間にあった『紙一枚』を取り外して国家社会主義者の群れとなっていく姿を描いている。彼はその国家社会主義こそがシオニズムの本当の顔であると主張する。 (参考: National Association of Zionist International

 ウィルヘルムソンは、シオニズムの根幹にある精神の一つとして、1897年の第1回シオニスト会議で行ったテオドル・ヘルツルの演説の要旨を次のようにまとめる。

 反ユダヤ主義はユダヤ人が他と同化することによって除去できるものではない。
 ユダヤ人は自分自身の国家を持つ権利を有する種族である。
 パレスチナ(すなわちシオン)がユダヤ国家のあるべき場所である。
 その目標は社会主義的理想郷、一つのモデル国家なのだ。

 ここで私が「国家」と訳した単語はstateであり、「ユダヤ国家」はJewish State、「社会主義的理想郷」はa socialist Utopiaなのだが、果たして『紙一枚』は残されているのだろうか。「種族」と訳したのはraceであり、これは「民族」と訳されることが多いようだが血の流れを共有する集団という面が強い。「民族」はethnic groupと対応するのだがこちらはむしろ文化的な共有性という面が意識されるだろう。(以後も「種族」と書いてあればこのraceの意味とお考えいただきたい。)

 次にウィルヘルムソンは19世紀の半ばにカール・マルクスと共に共産主義運動を推進したモーゼス・ヘス(Moses Hess, 1812-75)について言及する。

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 モーゼス・ヘスはドイツの社会主義者でありカール・マルクスの親友だった。彼は「共産党宣言」の中にある宗教批判―大衆にとっての阿片―をまとめることに貢献した。ここで我々は、伝統的なユダヤ教が《神から遣わされたメシアを待たずに人間の意志でパレスチナの地に戻ること》を固く禁じている点に注目しなければならない。現在でもこの伝統的な宗教者の立場からシオニズムに反対するユダヤ人達が少なからずいるのだ。彼が「共産党宣言」に盛り込ませた宗教に関するメッセージがユダヤ教徒にとってどのような意味を持っていたのか明らかであろう。

 その後に彼がマルクスと仲たがいをしてユダヤ民族主義者に転身したとき、マルクスはその排他主義を忌み嫌った。当時「共産主義ラビ」と呼ばれ現在では最も初期のシオニストとして認識されているヘスは、1862年にシオニズムの大著である「ローマとエルサレム」を書き著した。そしてこれがヘルツルに決定的な影響を及ぼしたのである。ヘスはユダヤ国家(the Jewish Nation)を次のような要素を持つものと表現した。

 ユダヤ種族-優越的であり選ばれたものである。
 パレスチナ-ユダヤ人民の故国である。
 ユダヤの宗教-ユダヤの国民性を最も保証するものである。

 ここで「国民性」はnationalityである。この当時のヨーロッパで盛んに強調された血の思想がヘスの考えを貫いていた。同時に彼はその選民主義とパレスチナへの執着を支えるものとして宗教を取り上げている。ヘスが「阿片」と罵ったのは《神の許しがあるまではパレスチナに戻ってはならない》という教えのみであり、それ以外の部分は世俗化された形で現在のイスラエル国家とシオニズムに貫かれている。パレスチナは、イスラエル国民と指導者達の大多数が信じてもいない『神』によって「約束された」地であり、ユダヤ人は「反ユダヤ主義」のレッテルによって非ユダヤ人を社会的に抹殺できるほどに神聖不可侵な『選ばれた種族』なのだ。

 続いてベル・ボロチョフ(Ber Borochov, 1881-1917)だが、彼は第1回シオニスト会議の後に強力にシオニスト計画を推し進め、マルクス主義シオニスト政党である「シオン労働者(Poalei Zion)」党を創設した。

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これは1901年にブンドがシオニズムを拒否した後にロシアの各都市に広がったサークルである。彼らはロシア革命を熱心に支持したのだが、その党員の中に「イスラエル建国の祖」ダヴィッド・ベン-グリオン[David Ben-Gurion, 1886-1973]がいた

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ベン-グリオンはボルシェビキを自認し全ての国での労働者階級による独裁を叫んだが、パレスチナだけは別だった。そこはシオニズム独裁でなければならず、ユダヤの国家的な利益が階級の利益に優先すべきものであった。もはやstate socialism とnational socialismを隔てていた『紙一枚』は完全に消えている。

 シオン労働者党が分裂した後にベン-グリオンは社会民主党の指導者としてシオニズムの中心的存在となりパレスチナの植民地化を推進していく。ユダヤ国家建設にとって最大の要件はいずれパレスチナの現地人を追放するであろう軍の存在である。後のイスラエル国防軍につながるハガナーは1920年に創設された。

 ここでウィルヘルムソンは我がゼエヴ・ジャボチンスキーを登場させる。

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もちろん彼は社会主義者ではない。ウクライナの中で反ボルシェビキ活動を行うために、かつて大規模なポグロムを指揮したシモン・ペティルラと手を組もうとしたほどの人物である。彼は1922年にシオニズム運動の大黒柱とも言うべき『鉄の壁(The Iron Wall) 』を書き、翌年にハイム・ワイツマンを筆頭とするシオニスト主流派と袂を別ってrevisionist運動を起こしベタールを創設した。

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また彼はハガナー創設に最も力を尽した一人でもある。

 しかしこのrevisionistという用語は極めて興味深いものの一つである。日本語では一般的に「修正主義者、修正主義の」と翻訳されるが、元々はレーニンやスターリンが党内の反対派を封じ込めるために使用した言葉の英訳である。共産主義の内部では革命の徹底化に反対する勢力というほどの意味だろうが、要は左翼の国家社会主義者たちが反対者を悪魔化するために使用する呪文か護符以上のものではあるまい。もちろんジャボチンスキーの後輩達が自らをrevisionistと名乗ることはない。

 また当然のごとくだが、このrevisionistという用語はもっと一般的に、ニュルンベルク・トーキョー裁判判決によって正当化される歴史観(=ニュルンベルグ‐トーキョー史観 )に疑問を呈する研究者達、とりわけホロコーストに対する懐疑論者を悪魔化するためのレッテルとしても使用される。他人にこのような呪文を唱えお札を貼り付ける者達は始めから自分の正体を暴露しているのだ。

 それはともかく、ウィルヘルムソンはジャボチンスキーがその『鉄の壁』の中で述べた次の言葉に注目する。

 『我々は、シオニズムが道徳であり正義であると主張する。そしてそれが道徳であり正義であるがゆえに、正義は果されなければならないのだ。・・・。それ以外の道徳性など存在しない。』

 シオニズムはすなわち道徳であり正義である。前回までに述べたようにジャボチンスキーはファシズムに傾倒した。ファシズムは「民族=国家主義」を個々の国家構成員の道徳性と正義、内部から個人を突き動かす本能と言って良いものにまで深化させる。これが国家社会主義の中枢に座れば、もうそれは立派なナチズムであろう。表面上の反目はともかく、あの社会主義者達(ベン-グリオン、メイア、シャレットなど)とジャボチンスキー系統のファシスト達(ベギン、シャミール、シャロンなど)がガッチリと手を組んでいたことに疑いの余地は無い。この二つが共同して始めて「仏」に「魂」が入ったのである。シオニストは押しも押されもせぬ「国家社会主義ユダヤ党」、つまり「ナチス・ユダヤ」以外の何ものでもあるまい 。

【以上、参照資料】
http://www.israelshamir.net/Contributors/wilhelmson.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Poalei_Zion



[ナチス・ドイツと酷似するイスラエル]

 イスラエルのあり方を見れば見るほどナチス時代のドイツにそっくりであることに驚かされる。ドイツ人をイスラエル人に、ユダヤ人をパレスチナ人(イスラム教徒)に置き換えてみるとよい。例えば、イスラエル国内で次のような政策がとられる。

-非イスラエル人がイスラエル国籍の非ユダヤ人と結婚した場合、市民権を得ることはおろかイスラエルへの入国すら禁止される。(ユダヤ系イスラエル人との結婚であればイスラエルの市民権を得ることができる。)
-治安問題容疑の非イスラエル人(要はパレスチナ人)に対しては判事による取り調べなしで警察が96時間拘束することができる(イスラエル人なら48時間まで)。非イスラエル人を1回につき20日間拘束を延長できる(イスラエル人は最大15日)。非イスラエル人に対しては50日間弁護士との面会を拒否できる(イスラエル人は最大21日間)。
-非愛国的なイスラエル人(敵対国を訪問した、テロ行為を補助した、等とされる者:具体的にはアラブ系)から国籍を剥奪する。
-ネゲヴ砂漠に住むベドウィンの村に水を与えないこと、およびその強制移住は合法的である。

 以上はごく近年に人権団体から問題とされた事例のほんの一部だが、本気で書き出せばそれだけで何冊もの本ができるだろう。イスラエルは人種差別撤廃条約の適用を拒否しているのだ。イスラエル国内で人口の20%を占めるアラブ系住民は2%の土地に押し込められ、民法上・刑法上・教育上の様々な差別が合法とされる。国政世論への言い訳程度に彼らの選挙権と被選挙権を認めているが、イスラエルが「ユダヤ人の国家」である以上、ユダヤ人を最優先し、非ユダヤ人、特にアラブ人の人口増加と権利拡大を押さえ込むことがこの国にとっての絶対的命題である。

 さらに、東エルサレムを含む西岸地区の不法占領地ではパレスチナ人に対するユダヤ人の日常的な暴力(殴打、投石、糞尿による虐待、家への侵入と破壊、農地の破壊、など)と水資源の強奪、移動の制限と生活・教育・文化破壊が延々と続く。エルサレムの民族浄化は露骨に進められている。ガザ地区への気まぐれな攻撃と侮辱、殺人、破壊は日常化されており、占領地ではグアンタナモと同様の状態で延べ十数万人が長期間(最長の者で25年間)正式な裁判を受けることも無く拘留され虐待と拷問を受け続け、家族の面会も妨害されほとんど飢餓状態に置かれている。

 イスラエルは現代の世界の中で、ある種族だけが優先的な権利を授けられる政策を固守する唯一の国である。

 ほんの十数年前まで南アフリカが同様であった。米国でも40年程前まで悪名高いジム・クロウ法によるアパルトヘイトがあったし、ドーズ法以来アメリカ先住民に対する法的・制度的差別が続いた。しかしこれに関しては日本人も偉そうには言えない。アイヌ人に対する明らかな差別法である「北海道旧土人保護法」が撤廃されたのは実に1997年のことなのだ。

 一方で悪の代名詞のように晒し者にされ続けているのは、それら「イスラエルの友人達」ではなく、ドイツで1935年からわずか10年間ほど続いただけのニュルンベルク法なのだ。確かにこの法はかつての南アフリカに迫るくらいの状態を作り出しただろう(南アフリカで「劣等種族」とされた黒人の方が多数派だった違いはあるが)。しかしこのヒトラーの政策とシオニスト国家の政策との類似性は覆い隠すべくもあるまい。より悪いことに、イスラエルのアパルトヘイト政策と「水晶の夜」は現在もなお60年間にわたって続いているのである。

 しかしながら事の本質は、イスラエルのあり方が国家社会主義であること、つまりナチス・ドイツ国家と雌型-雄型の関係にある同じ構造を持つ基本精神が引き継がれた国である点だろう。どのようにそれが引き継がれたのだろうか。その答はやはりナチス時代のドイツの中に求めなければなるまい。

【以上、参照資料】
http://commentisfree.guardian.co.uk/daphna_baram/2006/05/apartheid_thats_what_it_is_cal.html
http://electronicintifada.net/cgi-bin/artman/exec/view.cgi/11/4258
http://hrw.org/english/docs/2006/03/15/israb13002.htm
http://www.imemc.org/article/46504
http://electronicintifada.net/v2/article5788.shtml
http://www.asyura2.com/07/war90/msg/151.html
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200609280309.htm
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200602100231.htm


関連

GERMANY 1940 ISRAEL 2009 -- ゲームの駒たち
http://glassbead.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/germany%201940%20israel%202009%E3%80%80%EF%BC%8D

容量の関係で引っ越したら、画像消えちゃいました。ぜんぜん「忍び」になっていない。

GERMANY 1940 ISRAEL 2009
http://whatreallyhappened.com/IMAGES/GazaHolo/index.html


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by oninomae | 2014-03-09 20:20 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 5

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky2.html#5bu より

第5部 シオニスト・テロリズムの国際主義  (2006年12月)

[テロのパイオニア、シオニスト《テロ・リスト》]

 英国の反シオニスト・ネット雑誌Redress Information & Analysisはシリア生まれのレバノン人であるサム・カッバニによる興味深い文章を掲載している。『テロリズムの開拓者:イスラエル建国の父たちに関する事実』と題されたこの記事は、20世紀初頭から現在までに世界中で数多く記録されるシオニスト・テロの中から、その初期の代表例を分かりやすく、言ってみれば《テロ・リスト》としてまとめている。これはそのまま翻訳してみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
テロリズムの開拓者:イスラエル建国の父たちに関する事実 サム・カッバニ著

 以下は、シオニズムと現代のテロリズムとの関係に関するほとんど語られることの無い事実の一部である。

1. 最初の飛行機乗っ取りは1954年にイスラエルによってシリアの民間航空機に対して行われた。【訳注:12月12日のことである】

2. カフェーでの手榴弾:1937年3月17日にイェルサレムで、シオニストによってパレスチナ人に対して最初に行われた。【訳注:イルグンによる】

3. 混雑した商店街での電気仕掛けの時限爆弾:1938年7月6日にハイファで、シオニストによってパレスチナ人に対して最初に使用された。【訳注:イルグンによる】

4. 民間人の旅客が乗っている船に対する爆破:1940年11月25日にハイファで、シオニストによって最初に実行された。シオニスト達はパレスチナへのユダヤ移民を渋る英国の政策に抗議するために彼らと同じ民族を爆殺することすら厭わなかった。パトリアと呼ばれるこの船は1700名のユダヤ移民を運んでいたのだ。【訳注:ハガナーによる】

5. 政府高官の暗殺:カイロでシオニストによって英国に対して最初に行われた。1944年11月6日にスターン・ギャングによってモイン卿が暗殺されたときのことである。イツァーク・シャミールは以前はイルグンのメンバー、その後スターン・ギャングの指導者、そしてイスラエルの首相になったのだが、彼がこの計画の背後にいたのだ。

6. 圧力をかける手段としての人質の使用:1946年6月18日にテルアビブで、シオニストによって英国に対して最初に使用された。

7. 政府高官たちを民間人の従業員や訪問客と共に爆殺;1946年7月22日にイェルサレムで、シオニストによって英国に対して最初に実行された。キング・デイヴィッド・ホテルで91名の英国人が死亡し46名が負傷したのだ。メナヘム・ベギンはこの攻撃を計画して実行し、後にイスラエルの首相となった。彼は、この大量殺人がハガナーのシオニスト・ギャングの協力と教示のもとに実行されたことを認めたのだ。

8. スーツケースに仕掛けられた爆弾:1946年10月13日【訳注:これは31日の誤り】にローマで、シオニストによって英国大使館に対して最初に使用された。

9. 一般市街地での自動車に仕掛けられた爆弾の使用:1946年12月5日にサラファンド(ジャッファの東)で、シオニストによって英国に対して最初に使用された。

10. 人質に対する暴行:1946年12月29日にテルアビブとネタニヤとリションで、シオニストによって英国に対して最初に行われた。

11. 政治家に送られた手紙爆弾:1947年6月4日と6日の間にイタリアからロンドンに向けて20通の手紙爆弾が郵送された際に、シオニストによって英国に対して最初に使用された。【訳注:ベギン(イルグン)とシャミール(レヒ)によって計画された】

12. 政府の行動に対する報復としての人質の殺害:1947年7月29日にネタニヤ地区で、シオニストによって英国に対して最初に使用された。

13. 小包爆弾:1947年9月3日にロンドンで、シオニストによって英国に対して最初に使用された。

14. 1953年10月14日水曜日に、イェルサレムの北西にあるキビアでの大殺戮が、アリエル・シャロンの命令の下で第101師団によって実行された。この襲撃は、悪名高いデイル・ヤシンの大虐殺以来の、シオニストによる最も残虐で最も野蛮な犯罪である。42の家屋が学校やモスクと共にその住民もろともダイナマイトで爆破された。72名の女性、男性、子供が殺されたのだ。
(以上、引用・翻訳終り)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 上のリストはユダヤ人が行ったテロ行為のごく一部に過ぎない。当然だが、名うてのテロ集団であるハガナー、イルグン(Itzl、Etzelなどとも書かれる)、スターン・ギャング(レヒLehiとも言われる)と共に、ベギンやシャミールといったウラジミール・ジャボチンスキーの弟子どもの名が見られる。そしてこれらの集団が合流して現在のイスラエル国防軍を形作るのだが、その最も凶悪な司令官がやはりジャボチンスキー直系のシャロンであった。この国防軍が2006年夏に、これもジャボチンスキー直系のエフッド・オルメルトの下で、ガザ地区とレバノンで働いた住民大量虐殺は記憶に新しい。

 こういった歴史的な事実によって、シオニスト・イスラエルの本性と同時に、今日「イスラム・テロ」として紹介される手法の多くがシオニスト起源 であることもまた、白日の下に曝されることになる

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 なお、1948年4月9日に起こった有名な「デイル・ヤシン村大虐殺」とそれに続くパレスチナ人への蛮行・殺害・破壊では、ベギン率いるイルグンやシャミール配下のレヒといった実行部隊をハガナーが全面バックアップしていたことがよく知られている。さらにキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件にしても、前回申し上げたように このテロがソ連の協力で行われたのなら、スターリニスト=ハガナーとファシスト=イルグンの協力も当然と言えよう。

 一般的には、ハガナー系統の勢力は「労働左派」、イルグンやレヒ系統の勢力は「修正主義右派」として知られているが、要するにこの右派は、当面の主人公となるべき左派が表立ってやりにくいことを引き受けて実行していただけの話なのだ。下っ端同士で殺し合いまで演じた「左右の対立」など茶番に過ぎない。

 それにしても「英国とは何と弱い国か」と慨嘆する人も多いだろう。これほどのシオニスト・テロで多くの人材を失って、なおかつ黙って引っ込むしか能が無いように見える。ベギンに至っては後にノーベル《平和》賞まで受け取っているのだが、抗議の声一つ上げるでもない。MI5もMI6もシオニスト・テロリストのやりたい放題にさせているように見える。

 しかし実際には決して彼らが無能だったわけではあるまい。英国としてはこれらのテロのおかげで、「委任統治を諦めてイスラエル建国を認める」口実を作り、ついでに反シオニスト勢力を弱体化させ沈黙させることができた、ということだ。シェイクスピアを産んだこの国の名演技には年季が入っているのである。

 この英国とシオニスト・イスラエルの関係はその後数十年間に全く変化を見せた様子が無い。現在、でっち上げとしか思えない「イスラム・テロ」をネタに「断固たる姿勢」を見せてそのファシズム願望を実現させようとする英国の真実の姿もまた、このサム・カッバニによる《テロ・リスト》によって逆に浮き彫りにされるであろう。

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【以上、参照資料】
http://www.redress.btinternet.co.uk/skabbani.htm


[シオニスト・テロを支えた米国のならず者ども]

 しかし、このシオニスト・テロリストがどのような物質的基盤の上にその活動を展開できたのであろうか。軍事顧問と謀略家の派遣、そして資金や武器の一部はスターリン政権が受け持ったとしても、それだけでは決定的に不足だろう。ナチス・ドイツに国内奥深く侵攻されつつあったときはもちろん、対ナチ戦勝利の後もソ連にイスラエル建国を全面支援する余裕があったとは到底思えない。

 もちろんよく知られていることだが、米国在住の富裕なユダヤ人士による寄付は莫大なものだった。しかしそれだけではない。いまだ精々が「武装勢力」としての扱いしかされていなかったハガナーやイルグンなどに米国が国家として武器を供与することは難しい。しかし武器はザルの目をくぐる水のように米国からテルアビブに流れ込んでいた。

 ここでもう一つの文献をご紹介したい。ロバート・I.フリードマン(Robert I. Friedman)著『偽預言者:ラビ・メイア・カハネ;FBIの情報屋からイスラエル国会議員まで(The False Prophet: Rabbi Meir Kahane;From FBI Informant To Knesset Member)』である。

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このメイア・カハネは米国でテロ集団ユダヤ防衛同盟(JDL)を創設し後にイスラエルに渡ってクネセット(イスラエル国会)議員になった人物だが、イスラエルでもいくつかの凶悪なテロ組織を主催している。

 この「第3章:ベタール;好戦集団への道(pp 35-38)」の一部を翻訳してご紹介する。翻訳に使用した文章は次のインターネット・サイト"Terrorists and Organized Crime" に収められているものである。

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第3章:ベタール;好戦集団への道
(pp 35-38)
 メイア・カハネの戦闘性は必然的にベタールの中にそのはけ口を見出した。これは修正主義運動【訳注:ジャボチンスキーの影響を受けるシオニスト集団】の青年組織なのだが、彼は1946年にバール・ミツバー【訳注:思春期に達したユダヤ人の子供を祝う儀式】を済ませたすぐ後にそこに参加した。その暴力的な街頭デモ、軍事組織的な訓練キャンプ、松明行進、そして旧約聖書の神話中の英雄たちを強調することで、ベタールは後のJDLのモデルとなる。

 ゼエヴ・ジャボチンスキーは1923年にラトヴィアのリガでベタールを組織した。それは悪意に満ちた反ユダヤ的な欧州の民族主義運動広まりに対する反応だった。その二重の目的は、ユダヤ人青年を自己防衛組織として訓練することと、それをパレスチナからユダヤ国家へと変えていく火と血による闘争のために準備することだった。

 米国でのベタール青年運動は1940年6月10日にニューヨークで発足した。同年にそれは、ニューヨークのハンターに近いキャッツヒル・マウンテンズに軍事訓練用のキャンプを開いた。ジャボチンスキーは、開設されたばかりのキャンプを訪問中、ある支持者から寄付された薄汚れたホテルの中で8月3日に死去した。1940年代の初期には、ベタールはニューヨーク地区に何百人ものメンバーを抱えたが、その中には米国における初期の指導者の一人にモシェ・アレンスがいた。彼は1980年代にイスラエルの米国大使となりそしてイスラエル外相となったのである。

 ベタールの最も緊急の活動はイルグンへの武器の密輸だった。1940年代に、イルグンのリーダーであるメナヘム・ベギンは代理人を何度となく米国に派遣し武器を調達した。イルグンの海外情報部の長であるエリ・タヴィンがその作業を監督したのだが、隠れ蓑として世界シオニスト機構の教育指導者としての地位を利用していた。こうしてタヴィンは23カ国にわたる武器調達ネットワークを作り上げたのだが、同時に同数の自衛組織を作った。その中には第2次大戦中に中国に亡命したユダヤ人の収容所を保護する上海の組織もあった。

 タヴィンはまた欧州で英国に対するイルグンのテロ攻撃の計画者でもあった。例えば彼は1946年10月31日にローマの英国大使館への爆弾攻撃を工作した。 タヴィンは武器を米国で、第2次大戦から戻るユダヤ人GIからと同時にマフィアからも手に入れた。「ユダヤ人の退役軍人たちは新聞紙に包んだ包みを我々のところに持ってきてそして言うのでした。『私はイスラエルのためにこれをあなたに渡すことができると聞いた』と。」 このように言うのはシルヴィア・ズェイボンである。彼女は夫と共にイースト・ニューヨーク、当時圧倒的にユダヤ人の優勢なブルックリン地域で敷物店を営んでいたのだが、武器はそこに蓄えられた。「一箇所が武器で満杯になったら、私達は別の倉庫を探さなければなりませんでした。」 このようにズェイボンは付け加えた。彼女は米国に来る前にはポーランドでベタールのメンバーだったのである。

 イスラエルの要員達はその武器をニューヨークとニュージャージーの波止場に運んだのだが、そこは、熱烈な右派シオニストであるメイア・ランスキーと親しい仲間である暴力団のボス、チャールス・"ラッキー"・ルチアーノによって運営されていた。ランスキーは、ロスアンジェルスのミッキー・コウヘンのような他のユダヤ・ギャングたちとともに、イルグンに対して巨額の資金を提供した。これらの暴力団に支配された港湾労働者組合は米国の港からアラブ諸国などに武器を船で運ぶ修正主義者たちの破壊活動を支援していたのだ。

 チャールズ・カハネ【訳注:メイア・カハネの父親】自身も武器密輸組織に深く絡んでいたのだが、彼の息子にベタールに参加するように勧めた。「ベタールは俺のオヤジと同じ考えを持っている。そして当たり前だが俺はそれに心酔しているのだ」。このようにメイア・カハネは語った。彼はイスラエルにいるイルグンに向けて武器を箱詰めするために深夜のホボウクン・ドッグズに通った。それには危険が伴った。1947年にメイアの仲間のうち2名がマンハッタンの毛皮倉庫で、144の機関銃、203のライフル、268のピストルと共に逮捕されたが、それらの若者達は彼らの弁護士ポール・オドワイヤーのおかげで1ヵ月後に釈放された。この妨害にも関わらず、1948年の2月から5月の間だけで、タヴィンはニューヨークからテルアビブに向かう47回の船便で武器を密輸したのである。
(後略:以上、引用・翻訳終り)

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 この後の部分には次の内容のことが書かれている。もう一方の左翼テロ集団ハガナーもやはり1940年代に米国から資金と共に大量の武器を密輸していた。それを支えた者達の中には、後にラスベガス・サンの発行人となるハンク・グリーンスパン、イラン・コントラ事件に関与するイスラエルの武器商人アル・シュヴァイマーがいた。1948年の「イスラエル建国」後、米国でのベタール運動は米国の親イスラエル極右組織に成長し、多くの反アラブ・親イスラエル活動の基点となった。

 こうして、ロウズベルト=トルーマン民主党政権時の米国は、スターリンのソ連と共に「イスラエル建国運動」最大の拠点となったのである。しかも、裕福なユダヤ人たちから集めた資金と同時に、本来なら米軍の倉庫にあったはずの武器が米国内のならず者どもの手によって極めて大量にパレスチナに「密輸」されたのだ。言い訳程度の取り締まりはこの武器搬送にほとんど何の支障ももたらさなかった。

 このシリーズの第2部:現在に直結する「イスラエルの源流」 にも書いたことだが、イスラエル「建国」の年1948年に米国ユダヤ人有志による以下の告発がニューヨーク・タイムズ紙に掲載された。

 《我々の時代で最も困惑する現象の中に、新たに創設されたイスラエル国家の中での「自由党(ヘルート党)」の出現がある。これは、その組織において、方法論において、政治方針において、そして社会的なあり方において、ナチ党およびファシスト党に極めて近い政党である。これは元イルグン、つまりパレスチナにおけるテロリストで右翼の狂信的排他主義集団のメンバーと支持者によって形作られた。この党の指導者であるメナヘム・ベギンの米国に対する最近の態度は、明らかに、来るイスラエル選挙で彼の党に対する米国の支持を印象付けるように、また合衆国内のシオニスト右派分子との政治的な連携を固めるように、計算されているのだ。数多くの米国の著名人士たちが彼の訪問を歓迎するためにその名前を貸している。【以下略】》

 この中にある「合衆国内のシオニスト右派分子」が先ほどのメイア・カハネを中心とした米国ベタールとその周辺の組織であったことに間違いは無い。しかし「数多くの米国の著名人」とは誰だろうか。イスラエルを支える米国内のユダヤ人たちと共に、おそらく後のアイゼンハワー共和党政府を支えた者達が大勢混じっていたのではないかと思われるが、明らかではない。しかしすでにこのときまでに米国は左・右の親イスラエル勢力によって存分に蹂躙されていた のだ

【以上、参照資料】
http://www.telusplanet.net/public/mozuz/odynsky/lemieszewski20020729macaulay.html


[英国・米国・カナダ・ソ連の「国際連帯」によるイスラエル建設]

 次にご紹介したい資料はデイヴィッド・J.バーカスン(David J. Bercuson)による『秘密の軍隊(The Secret Army)』(1983)である。

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ここには1940年代のカナダが、ユダヤ人によるパレスチナへの武器密輸を黙認することによって、いかに左翼テロ集団ハガナーを強力にサポートし続けたのかが生々しく描かれている。カナダといえば「新世界のロスチャイルド」ことブロンフマン一家の帝国なのだが、現在の世界ユダヤ人会議議長であるエドガー・ブロンフマンは、先ほどのメイア・ランスキーと並ぶユダヤ・マフィアのボスだったサミュエル・ブロンフマンの息子である。

 この資料の引用箇所にはブロンフマンの名は出ないが、この一家が資金援助ばかりを務めていたとは到底思えない。 以下の翻訳に用いた文章は先ほどの『偽預言者:ラビ・メイア・カハネ・・・』と同じく"Terrorists and Organized Crime "に載せられている。

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(以下、翻訳)
第4章:極めて重要な事柄
(pp.44-49)
【前略】
 カナダは米国と同様に第2次世界大戦中には連合軍の主要な武器供給場であった。戦闘が終了した後、そこは巨大な量の余剰の武器が大幅に値下げされて売り飛ばされる場と変わった。ハガナーにとっては当然のごとく武器収拾活動の標的となったのである。しかし、カナダの戦争用具は容易に横流しできるものではなかった。カナダの武器輸出政策は米国や英国の政策と協調するものであり、またカナダ政府は英国と米国による中東地域への厳しい武器流出取り締まりへの協力に心を砕いていた。しかしながら、ここオタワの態度がカナダのユダヤ人たちにとってハガナーを援助する決意に対する障害となっていたにも関わらず、それを止めることはできなかった。カナダに住むハガナーの支援者達は様々なグループであった。1945年の夏にソンネボーンのオフィスでベン・グリオンと会うために集まった者達の一人であり、またパレスチナ物的援助(Materials for Palestine)のカナダ版であるパレスチナ支援(Aid to Palestine)の運営に加わったのがサミュエル・J.ザックス(Samuel J. Zacks)なのだが、彼はトロントの著名な企業家でありまたシオニストのリーダーでもあった。同様に数多くのトロントのユダヤ人たちが、ハガナーのためにカール・エクダール(Carl Ekdahl)が米国でデザインした軽機関銃の試作品の組み立てとテストの初期の試みに参加していた。武器や航空機やその他の軍装備をパレスチナに輸送するカナダでの主要な動きはthe Victory Equipment &- Supply Company Limitedを通して行われたのだが、それはモントリオールのマックギル通422にある小さな埃っぽいオフィスから伸びる一本の電話線を使って繰り広げられる際どい作戦であった。

 Victory Equipment社はカナダの多くの著名なシオニストたちによって設立されたのだが、その中にはサミュエル・シュゥイスバーグ(Samuel Schwisberg)とジョー・フランク(Joe Frank)がいる。それはパレスチナ支援(ここはカナダの非軍事物資を集めた)および統一シオニスト購入委員会(the United Zionist Purchasing Commission)と密着して活動し、モントリオールの法律家レオン・D.クレストール(Leon D. Crestohl)に率いられていた。
(後略:以上、引用・翻訳終り)

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 この後の部分には、カナダのユダヤ人組織によるハガナーとイスラエル建国を支援する具体的な行動が詳しく説明されているのだが、カナダ政府と米国政府、特に軍と諜報当局がこういった動きに気付いていなかったわけがあるまい。数え切れないほど多くの船便がパレスチナと北米大陸を往復した。その「荷物」には小銃や機関銃ばかりではなく飛行機まで含まれていたのである

 「公式現代史」は「イスラエル建国」に使用された兵器の具体的な出所と搬入経路を語らない。精々が各国の諜報当局や警備当局を無能扱いにして「密輸」を認める程度だろう。「神話」はこのようにして作られる。

 当然だが、「イスラエル建国」後に米国政府が合法的に与えた巨大な資金面・軍事面の無償援助はこういった非合法活動容認の延長に過ぎまい。要はパレスチナでの「ユダヤ人国家建設」は、英国、米国、カナダ、そしてソ連などの国々にとって他のあらゆる事柄に優先させなければならない超法規的な事項だったのだ。ハガナー、イルグン、レヒといったテロ組織の活動は、まさしくこの「インターナショナリズム」によって保証されていた のである。

 こうして1948年に「ユダヤ人の祖国」が無事に作られ、その後、十分に準備を整え待ち構えていたかのように「冷戦」が開始する。スターリンはその大役を終えて姿を消し、世界が「左・右の対立」で目をくらまされている間にイスラエルは、米国を『お抱え養育係』とし、「ユダヤ国家の名による公認テロ」「ホロコーストを用いた恐喝」と核兵器の脅威によって世界を威圧・睥睨する文字通りの「テロ国家」として成長することとなる。ソ連がイスラエルのいわば『産婆』であり、その『養育係』を務めたのが米国だが、米国と英国は同時にもう一つの極悪集団であるドイツ・ナチスの『養育係』でもあった。そしてそのナチスとまるで兄弟のように一緒に育ったのがユダヤ・シオニスト である。しかしその話は次回以後としたい。


【以上、参照資料】
http://www.telusplanet.net/public/mozuz/odynsky/lemieszewski20020729macaulay.html

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by oninomae | 2014-03-08 20:20 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 4

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky1.html#1bu より その4

第4部 メナヘム・ベギンとスターリン   (2006年8月)
     
[ソヴィエト連邦とイスラエル]

 共産主義の「教祖」カール・マルクスはユダヤ教ラビの息子であり、
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ロシア革命は「ユダヤ革命」といっても過言ではないほど数多くのユダヤ人によって指揮された政権転覆運動だった。その最高指導者は自らユダヤの血を受け継ぎユダヤ人を妻に持つレーニンであり、
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革命当初の共産党の政治局員はトロツキー
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カーメネフ、ジノヴィエフ、スヴェルドロフ、ヴォロダルスキーなど、大半がユダヤ人であった。ブハーリンはロシア人だったが妻はユダヤ人であり、ユダヤ人と無関係なロシア人はルイコフやカリーニンくらいであろう。またトロツキーを通して米国のユダヤ人資本家ヤコブ・シフがロシア革命を支援していたのは有名な話である。

 また、第1次世界大戦終了直後(1919年)にあえなく挫折したドイツ革命の指導者ローザ・ルクセンブルグもユダヤ人である。そしてドイツ革命とほぼ同時期に発足したアメリカ共産党では約7割の党員がユダヤ人だったと言われ、その後の米国での左翼運動の中心もやはりユダヤ人たちであった。

 共産主義を「ユダヤの陰謀」ととらえる見方は根強い。その当否についてここで論じるつもりはないが、以上のことはよく知られた事実であり、共産主義の敷衍と共産圏の成立に果したユダヤ人の役割の大きさを否定することは不可能である。しかしソ連とイスラエルの関係については意外に知られていないのではないか。イスラエルというとどうしても米国との関係が注目されがちなのだが、その「建国」に関してはむしろソ連の果した役割の方が大きかったのだ。

 パレスチナでのシオニスト運動に中心的な役割を果したダヴィッド・ベン・グリオン、およびゴルダ・メイアは共にロシア生まれであった。初代首相となるベン・グリオンは親ソ共産主義のマパム党を率い、その思想を体現する集団農場キブツの普及を推し進め自らその中に住んだ。後にイスラエル首相となるメイアはスターリン時代のソ連の中に太い人脈を持ち初代の駐モスクワ・イスラエル大使となった。メイアがスターリンや影の実力者であるカガノヴィッチと「イスラエルのソ連化」について秘密協定を交わしたという未確認情報 もある。その他、ロシア革命の前後からイスラエル建国時期にかけてロシア・東欧諸国からパレスチナに移住したユダヤ人たちにはマルクス主義者が多かったと言われ、その後の米国からの移住者の中にも大勢の米国共産党関係者がいた。

 さらに1947年に、アラブ人たちが受け入れるはずもない「パレスチナ分割案」を国連での多数派工作によって押し通したのがトルーマンの米国であると同時にスターリンのソ連であった。「建国」前後のイスラエルにチェコスロバキアを通して武器を送り続けたのもスターリンである。

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 教科書的にはイスラエルとソ連は冷戦の進行に連れて距離を置いていったことになっており、特に1978年に誕生したベギン・リクード政権は全面的に米国を味方につけ反共の立場を明確にした。しかし少なくとも1950年代まではイスラエルの「庇護者」はソ連であったし、その後も延々と、世界の左翼陣営はイスラエルを支持、あるいは少なくとも同情的な態度を取り続けているのだ。

【以上、参照資料】
http://www.jewwatch.com/jew-communists.html#anchor4458
http://inri.client.jp/hexagon/floorAXF/axf1410.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ共産党
http://www.jewwatch.com/jew-mindcontrol-communism-israel.html
http://www.worldnewsstand.net/history/Zionist.htm


[スターリンは反シオニストだったのか?]

 興味深い写真がある。スターリンが死去した1953年にイスラエルのガアシ(Gaash)・キブツで撮影されたもので、この「赤いツァー」の死を悼んで遺影を飾るキブツ住民の姿が写っている。

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http://www.israelimages.com/see_image_details.php?idi=6159
Death Of Stalin Commemorated In Kibbutz Gaash In 1953

 このガアシ・キブツはベン・グリオン政権与党マパムの系統であった。「建国」当初のイスラエルで、マパムが支配するキブツではしばしばスターリンの誕生日を盛大に祝っていたのである。さらに、後のイスラエル国防軍の主体となる軍事組織ハガナーの参謀長イツァーク・サデは常に宿営のテントにスターリンの写真を飾り、その部下である士官たちも親ソ的姿勢を公然とさせていた。もちろん当時の共産主義者の多くがスターリンに忠誠を誓っていたのだが、しかしそれにしても不可思議な風景である。

 現在の歴史学者はまず間違いなく「スターリンは反ユダヤ主義者、反シオニストだった」という論に固執する。確かにスターリン時代に投獄・処刑された反対派には数多くのユダヤ人が含まれていたし、第2次大戦後にもユダヤ人芸術家や作家に対する弾圧は続いた。シオニストはもちろんだが、反シオニストの立場をとるユダヤ人学者でもこのような見解を崩さない。

 しかしスターリン最大の側近であるラーザリ・カガノヴィッチ は紛れもないユダヤ人である。大粛清の実行者であった内務人民委員会(NKVD)の中心でソ連秘密警察に他ならぬ国家保安主局(GUGB)はユダヤ人脈で固められていたといわれ、それを牛耳るラヴレンティ・ベリヤもグルジア出身のユダヤ系の人物だった。中には、真の実力者はカガノヴィッチとベリヤであってスターリンは操り人形に過ぎなかった、さらにはスターリン自身もユダヤ系であったと主張する人もいる。その真偽はともかくも、スターリンが彼の政府から決してユダヤ人を排除しなかったことは明白である。私生活でも彼は3人のユダヤ人女性と結婚しており、特に3番目の妻であるローザはカガノヴィッチの妹であった。このようなスターリンを「反ユダヤ主義者」とするのなら、その「ユダヤ」の定義に疑問を挟まざるを得まい。

 そして彼は本当に「反シオニスト」だったのか? もしそうなら、シオニストの国で支配的な立場にある人々がその「反シオニスト」を深く信奉していた、というまことに珍妙な話になる。「援助」や「人脈」だけなら冷戦が始まっていた時期のソ連が採った「現実的な中東政策」ということで落ち着くだろうが、スターリニストがイスラエル自体を設立・運営したという事実と巷の「正史」とがどのような整合性を持つというのか

【以上、参照資料】
http://www.jewwatch.com/jew-communists.html#anchor4458
http://inri.client.jp/hexagon/floorAXF/axf1410.html http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ共産党
http://www.jewwatch.com/jew-mindcontrol-communism-israel.html
http://www.worldnewsstand.net/history/Zionist.htm


[ベギンの不可思議な足取りとソ連]

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【ウラジミール・ジャボチンスキー(中央):その右側で敬礼しているのはポーランドのベタール組織を率いるベギン:1930年代】

 しかしイスラエルとソ連との不思議な関係はいわゆる「労働左派」に関してばかりではない。最も不可解なものに、ナチスの民族主義に同調した反共主義者であるメナヘム・ベギンとスターリン・ソ連との関係がある。

 ベギンの「師匠」であったウクライナ生まれのウラジミール・ジャボチンスキーは心底からの反共主義者であり、ロシア革命の最中にウクライナで反革命勢力の中心であったシモン・ペティルラと同盟を結ぶ工作をしたほどであった。このペティルラが9百回に近いポグロムを指導しおよそ3千名のユダヤ人を虐殺した張本人であったにも関わらずである。彼がその後ヒトラーやムッソリーニに共鳴しその民族排外主義と反共主義を褒め称えたことは前回までに申し上げた。

 ベギン自身も、自らが指導的地位にあったポーランドのベタール支部でナチ同様の制服を身にまとい所作もナチに倣っていた。NKVDが彼に関する情報を手に入れていなかったことはありえない。

 ベギンは大戦前夜の1939年5月にワルシャワで、パレスチナへのユダヤ人移民を制限する英国に反対してデモを行い、英国の要請を受けたポーランド当局によって逮捕され数ヶ月の刑務所生活を送った。釈放されたときにはドイツ軍がすでにワルシャワに迫っており、ベギンはパレスチナに行く道を求めてリトアニアに逃げる。しかし翌40年にはリトアニアがソ連に占領され今度はソ連当局によって逮捕されシベリアに送られた。その理由は「政治的なもの」であるといわれるが明らかではない。だが1941年の冬に思いがけなくも釈放される

 その少し前にドイツがソ連に対する侵攻を開始しており、ソ連当局はナチス・ドイツと闘わせるという名目で緊急に国内にいた(拘留者を含む)ポーランド人を集め、ウラジスラフ・アンドレス将軍率いる「新ポーランド軍」を結成させた。ベギンはそこに加えられたのである。彼が強度の近視であるにも関わらず健康診断をした医者が「銃を撃つのに支障は無いと判断した」という。そして彼の所属する部隊は1942年にイランを経てパレスチナに到着し、彼はやがてその部隊から抜けて「イスラエル建国運動」に専念することとなることになるのだが・・・、なぜ「新ポーランド軍」がパレスチナに?

 様々に不可解な要素がある。ベギンがソ連に逮捕された理由には「英国のスパイであると見なされた」という説があるが、一方で近年公開された英国MI5の資料によれば、英国諜報機関は彼を「ソ連のエージェント」と見なしてマークしていたのである。ベリヤが実質的に牛耳るNKVDが彼をパレスチナへの工作員として抜擢したのであろうか。真相は闇の中なのだが、いずれにせよ、ソ連当局は一方で共産主義者による「ユダヤ人の祖国」建設を支援しながら、もう一方で最も恐るべき反共主義者をもこの「聖なる地」に送り込んだことになる。

 今まで知られていなかったソ連とイスラエルの関係を示すMI5資料によれば、その中には二重スパイとして名高いキム・フィルビーによるものも混じるが、ベギンがパレスチナに到着して以降、NKVDは彼の足取りを常に密接に追跡していた。ベギンは英国の「賞金首のお尋ね者」として変装や整形を繰り返して地下活動を続けていたのである。また彼がソ連諜報員からの資金提供を受けていた可能性は高く、1947年に起こったベギン最大の反英テロであるキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件にソ連が関わっていることが示唆されている。

 当然のことだが、ソ連は共産主義者が主導するユダヤ軍事組織ハガナーにも資金を提供し軍事顧問を派遣していた。このスターリニストが中心のシオニスト「労働左派」はベギンらジャボチンスキー系統の「修正主義者」を常に敵視していたと言われ、実際にその末端では殺し合いまで起こっている。しかし不思議なことにその「修正主義者」の主要メンバーが「粛清」されることはなかった。彼らは「共産主義イスラエル」の内部で生き延びたばかりか、徐々にこの国の主導的な勢力にまで成長するのだ。

 ソ連が中東地域にスパイ網を確立させたのはそれよりもはるか以前のことであり、1923年にはすでにパレスチナに「常駐員」を置いてハガナーの中で活動していたといわれる。彼らは旧ロシア帝国内に住んでいたユダヤ人たちであり、中東~中央アジアの諜報システムを統括し1937年に殺害されたゲオルギィ・アガベコフによると、その時期に「シオニスト党の3人のメンバーがパレスチナからモスクワにやってきてOGPU(後のKGB)とのコネクションを確立させた」。しかし同時にソ連は1937年以来、ハガナーと袂を分かったジャボチンスキー系の武装組織であるETZEL(一般にはイルグンと呼ばれる)にもエージェントを送り込んでいた。そして、当然のごとくだが、そのイルグンは後にベギンによって指導されるようになる。

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 現在のイスラエル国防軍はハガナーを主体として、イルグン、および同じくジャボチンスキー系のイツァーク・シャミールが所属した親ナチ・テロ組織レヒが合体して誕生した。このイルグンとレヒが行った数々のテロ行為については筆を改めることにするが、彼らの殺人と破壊工作はもっぱら「イスラエル建国」に反感を示す欧州の人士に対するものであり、「建国」への障害を力づくで排除したものである。

 「反シオニスト、反ユダヤ主義者」スターリンのソ連が行使した、パレスチナへの「右」も「左」も無い影響力に関しては冷戦の「方便」として合理化する人が多いだろうが、このような事実を見る限りではむしろ「イスラエル建国」自体が最大の目的であったように思える。なおジャボチンスキーはイスラエルでは「ハガナー創設者の一人」として尊ばれている。

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ここでもやはり「右」も「左」も存在しない。そこにあるのは「ユダヤ人の祖国イスラエル」のみである。

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 20世紀は「イデオロギーの時代」と言われ、それを最も強く意識させたのが「冷戦」なのだが、このイスラエルという地に視点を移しそこから「冷戦構造」を見つめなおしてみるならば、それが単なる虚構に過ぎなかったのではないのか、という疑問が沸き起こってこざるを得ない 。

【以上、参照資料】
http://en.wikipedia.org/wiki/Menachem_Begin
http://www.betar.co.uk/betaris/begin.php
http://www.axisglobe.com/article.asp?article=770


[イデオロギーという名の虚構]

 1938年にポーランドでベタール国際会議が開かれたのだが、その席で、あくまで英国の影響力を排除して欧州のユダヤ人を早急にパレスチナに移住させることを主張した若きメナヘム・ベギンに対し、ウラジミール・"ゼエヴ"・ジャボチンスキーは次のようにたしなめたと言う。

 《ベギンさん、もし世界に良心が残っているということを信じないのなら、あなたにはヴィスツラ川の深みに身を投げる以外の選択はありません。あるいは共産主義者になるか、でしょう。》

 『あるいは共産主義者になるか・・・』、歴史家はこのジャボチンスキーの発言を血気にはやるベギンに対する皮肉を込めた戒め、と受け取るかもしれない。しかしこれを、皮肉ではなく実質的な「指示」だったと解釈したならば、どうだろうか。現にその後のベギンの足取りは、彼が共産主義者の方針に沿って動きその陰ながらの支援と庇護を受け続けたことを傍証しているのである。彼らの極右反共民族主義は、ソ連の共産主義と何らの齟齬をももたらさなかったのであろう。 

 こうしてみると「イデオロギー」こそ「方便=聖なる虚構」に過ぎぬ、という別の観点が可能となる。「イデオロギーの時代」は20世紀を特徴付けるものとして歴史の教科書で語られるが、要するにそれは『大嘘が支配する時代』 を指すに過ぎないのではないか。そのことは現在のネオコンが主張する「民主主義革命」の内実を見ても明らかになろう。思想、哲学などは要するに言葉による観念操作(マインド・コントロール)の基本コードであり、それが何らかの集団による何らかの実質的な利益を伴う行動に向けられる際に様々な幻術的色彩を施したプロパガンダが産み出されていく。

 いったんその基本コードによって観念操作を受けた人間の脳はそのプロパガンダを疑うことなく受け入れ条件反射的に行動してしまう。ナチズムと共産主義はその壮大な実験として実行された側面がある。そしてそれらが共同で成し遂げたことは何か。

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 すべてがイスラエルに集中している。どうやらこの国が近代史の鍵穴のようである。ここから次々と隠されていた扉が開かれていくのだろう。

【以上、参照資料】
http://www.marxists.de/middleast/ironwall/08-fascter.htm


関連

1946+66=2012
http://satehate.exblog.jp/13147614/

邪悪な場所 - イスラエル最高裁判所  By Vigilant
http://satehate.exblog.jp/17426306/

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国連の瞑想室
http://satehate.exblog.jp/16780026/


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by oninomae | 2014-03-07 20:12 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 3

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky1.html#1bu より その3

第3部 『鉄の壁』:イスラエルの建国哲学   (2006年6月)

[国祖ジャボチンスキー]

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 2005年3月、イスラエル議会(クネセット)は『ゼエヴ・ジャボチンスキー法案』を可決し、「シオニズムの偉大な始祖を記念するジャボチンスキーの日」の設定を決めた。同種の法案は今までに、シオニズムの開祖テオドル・ヘルツル、および2001年にPFLPによって暗殺されたレハヴァム・ゼエヴィに対して作られたものがあるのみであるが、このゼエヴィにしてもリクード党の大物幹部、ジャボチンスキー直系である。

 このウラジミール・(ゼエヴ・)ジャボチンスキーは、ヘルツル、ゴルダ・メイアなどと共にエルサレムのヘルツルの丘に埋葬されているイスラエルの「国祖」の一人である。さらにこの国にはジャボチンスキー研究所やその博物館、図書館などが設けられている。そればかりではない。

 イスラエル政府は、ユダヤ人・非ユダヤ人を問わず、イスラエルとシオニズムに貢献した人物に「ジャボチンスキー賞[Jabotinsky Medal]」を授与するのである。 ベギン首相当時の1981年に米国のクリスチャン・シオニスト指導者であるジェリー・フォールウェル[Jerry L. Falwell]、1985年に元米国国連大使でオプス・デイ関係者との噂もあるジーン・カーパトリック[Jeane Jordan Kirkpatrick, 1926-2006]が《オプス・デイに関してはこちらの記事を参照のこと》 、外国籍の人物としてこれを受賞している。

 ところが米国ではブナイブリスの代表的機関であるADLが独自の「ジャボチンスキー賞[Jabotinsky Award]」を設定しているのだ。この賞は1988年にあの「ナチ・ハンター」サイモン・ヴィゼンタールに授与された。それ以前にはメナヘム・ベギン、およびニューヨーク市長(1978-89)を務めたエド・コッチに授与されただけという、特別な意味を持つ賞である。 しかし、イスラエル首相でジャボチンスキー自身の「直弟子」であるベギンが、ADLから「ジャボチンスキー賞」を授与されるとは?

 このADLの委員長エイブラハム・フォックスマン[Abraham H. Foxman]は、ムッソリーニの熱烈な賛美者であるシルヴィオ・ベルルスコーニとは無二の親友 であり、そのムッソリーニとジャボチンスキーの深い関係は前回までに申し上げた通りである。こういった事実はユダヤ・ファシズムの本流が実際には米国にあることを示しているのかもしれない

 また米国の隣国カナダといえば「新世界のロスチャイルド」ブロンフマン家のお膝元、世界ユダヤ人会議議長エドガー・ブロンフマン[Edgar Bronfman, 1929-2013]が君臨する国なのだが、ここでもまた、ブナイブリスやベタールなどが主催する「ゼエヴ・ジャボチンスキー記念行事」が毎年華々しく開催されている。 そしてそのブロンフマン家は、元々は米国でメイア・ランスキーと並んでユダヤ・マフィアを取り仕切っていたのだが、彼らとジャボチンスキー集団との関係はいずれ検討する必要があるだろう。

 これほどにシオニストの間で別格の地位にあるジャボチンスキーなのだが、日本での扱いは「不当」としか言いようのないほど小さい。シオニズムをファシズムの一種、イスラエルをファシズム国家として、認識させまいとする圧力が働いているのか?

【以上、参照資料】(略)


[鉄の壁]

 ここでジャボチンスキー自身の声を聞こう。1923年に書かれた「鉄の壁:我々とアラブ人たち」の一部を抜粋して翻訳しお目にかけることにする。これは、パレスチナの土地をアラブ人との交渉によって手に入れようとする当時のシオニスト主流派に対する反論として書かれたものである。元資料として、レニ・ブレンナーの"The Iron Wall"に掲載されている英語訳を使用した。《注記:全文訳はこちらにある。》

・・・・・
【前略】
 読者の方々はみな、他の植民地化が行われてきた国々の初期の歴史に関するいくらかの認識をお持ちである。私はあなた方にあらゆる有名な実例を思い起こすことをお勧めする。もしあなたが、現地人との合意を得て為された植民地化の例を一つでも探そうとするなら、それは失敗に終わるだろう。住民たちは(文明化されていようが野蛮なままであろうが)常に頑強な戦いを続けてきた。さらにいえば、植民者たちがどのように行動するかは結局何の影響も与えなかった。ペルーやメキシコを征服したスペイン人たちは、あるいはヨシュア・ベン・ヌンの時代に我々自身の先祖もそうだったと言う人もいるだろうが、あたかも山賊のようにふるまった。しかし北アメリカでは、初めて真の開拓を行ったあの「偉大な開拓者」、イングランド人、スコットランド人、オランダ人たちは高い道徳性を有する人々であった。彼らは赤い人々との平和を維持したいと願ったばかりではなく蝿一匹にさえ憐みをかけることが出来た人々だった。あの処女林と広大な原野の大きな空間は白人と赤い人々が共に使うことが出来ると、あらゆる誠実さと純真さをもって信じる人々だったのだ。しかしながら原住民たちは、野蛮な植民者たちに対しても文明化された植民者たちに対しても、共通して、同じレベルの残虐さで抵抗したのである。
 もう一つの全く役に立たなかった視点は、植民者がその土地から自分たちを追い出したいと考えていると原住民たちが疑っているかどうかを問題にすることだった。米国の広大な土地には決して百万人あるいは二百万人を超えるインディアンたちが住んでいるわけではなかった。住民たちは、自分たちが追い出されるのではないかという恐れから白人の植民者と戦ったのではない。その理由は単純だ。どこであろうがいつであろうが、自分の国の中で他の植民者を受け入れるような原住民がいたためしがない、ということである。どのような原住民たちも、文明化されているか野蛮であるかに関わらず、自分の住む地域を自分たちの祖国と見なすものである。新しい主人ばかりでなく、たとえそれが新しいパートナーであったとしても、彼らが自主的にそれを受け入れるようなことは決して無いだろう。
【中略】
 シオニストの植民は、その最も控えめなものであっても、やめてしまうかあるいは原住民たち意思を無視して実行されるかのどちらかでなければならない。それゆえに、この植民は地元の住民とは無関係の権力による保護のもとにのみ続けられ発展させることが出来る。つまり原住民たちが打ち破ることの出来ない鉄の壁である。これがアラブ人に対する我々の方針の全てなのだ。他の方法でこれを成し遂げることは偽善に過ぎまい。
【中略】
 現実に生きている人間というものは、もはや何の希望も残されていないときにのみ、そのような決定的となる問題に対して大幅な譲歩を行うのである。その鉄の壁に何一つ傷を付けることが出来ない事実と向き合うときにだけ、そのような場合にのみ、過激グループがその支配力を失い主導権が穏健グループの方に移るのだ。そのような場合にのみ、これらの穏健グループが我々のところにやって来てお互いの譲歩を提案することだろう。そしてそのような場合にのみ、穏健派が、立ち退きをしないで済む保証や平等や自治権といった実践的な問題に関する約束の提案を行うことだろう。
【中略】
 しかしそのような合意に向かう唯一の道はこの鉄の壁である。それは言ってみればパレスチナでアラブ人によるあらゆる種類の影響を排除した一つの政府を強力に作り上げることであり、そしてアラブ人たちが必ずそれに対して戦うであろうものだといえる。言い換えると、我々にとって将来の合意に向けての唯一の道は、今現在において合意へ向けてのいかなる試みをも完全に拒否することである。
【中略】
 我々は、シオニズムが道徳であり正義であると主張する。そしてそれが道徳であり正義であるがゆえに、正義は果されなければならないのだ。ジョセフが、シモンが、イヴァンが、あるいはアクメットがこれを認めようとそうでなかろうと、問題ではない。 それ以外の道徳性など存在しないのだ。
【後略、訳出終り】

・・・・・・

 私はこの「鉄の壁」を読むたびに心底から吐き気を覚える。これほどに厚かましい強盗の論理があるだろうか。虚構の北米「開拓」史を捏造し、初めから他人の権利を無視しあらゆる理性的な合意を無視して、抵抗不可能な圧倒的な暴力と強権を駆使して財産を奪い取り、相手が抵抗の意思を失うまで隔離し差別し叩きのめす・・・。20世紀以降のパレスチナ史を知っている人ならば、この「鉄の壁」こそが『シオニストの道徳』『シオニストの正義』であること、つまりイスラエルが現在も堅持し続ける『建国哲学』の中心であることをご納得いただけるだろう。

参照資料


[「土地なき民に民なき土地を」の嘘デタラメ]

 私のイスラエルに対する吐き気を一層かき立てる事実がある。

 イスラエル首相(1969~74)ゴルダ・メイアは1969年に英国紙サンデー・タイムズに対してこう語った。《パレスチナ人などというものは存在しません。・・・。それ(イスラエル建国)は我々がやってきて彼らを自分たちの国から放り出した、などというようなものではないのです。彼らは存在しませんでした。》

 ジャボチンスキーは、シオニストが進める植民が『原住民たちから彼らの祖国を奪うこと』であると知っていたからこそ、「鉄の壁」を提唱したのである。彼はまだしもシオニズムの本性を正直に認めてそれを表明した。

 そのジャボチンスキーを「ウラジミール・ヒトラー」と呼んで非難したのは社会主義シオニストであるダヴィッド・ベン・グリオンであった。そしてメイアは彼とともにこの国の成立に全力を傾けたのだが、その社会主義者たちが行ったことは「鉄の壁」路線の完遂以外の何物でもない。彼らの暴力と侵略性は「ユダヤ・ファシスト」「ウラジミール・ヒトラー」と何一つ変わるものではなかった。のみならず・・・。

 ジャボチンスキーは残忍ではあるが少なくともパレスチナの状況に関して嘘は付かなかった。ベン・グリオンやメイアは残忍な上に大嘘つきである。そしてその残虐さと嘘は、ことごとく米国の庇護と「ホロコースト」、シオニストが支配する世界中のメディアによって覆い隠され正当化されたのである。

 ここでパレスチナの人口構成の変遷を見てみよう。1880年に人口は50万人でうちユダヤ人は2万5千人であり、そのほとんどはパレスチナ人と血のつながりの濃い本来の意味のユダヤ人たちだった。

 その後ロシアでのポグロムが本格化したためユダヤ人の大量流入が起こり、1882年から1917年までに約5万人がパレスチナに移住した。第1次大戦後の1922年では、委任統治を開始した英国による調査で、パレスチナ人67万人、ベドウィン7万人、そしてユダヤ人は6万人とされる。

 その後、ドイツでヒトラー政権が誕生するとユダヤ人の移入は急激に増え、1933年に3万人、34年に4万2千人、35年には6万1千人の入植者が新たにやってくることとなり、1939年にはユダヤ人人口は44万5千に膨らんだ。そして英国がパレスチナの委任統治を国際連合に委ねた1947年4月には、パレスチナ人130万人に対してユダヤ人は60万人と推定された。このように、欧州で「反ユダヤ主義」が高まるごとにユダヤ人移民が増え「建国」へと近付いていったことにも注目しておこう。

 そのうえで同年11月に国連は、米国の圧力により、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ人のものとする、パレスチナ人には到底納得できない分割案を可決したのである。その後、集団的暴力と大量虐殺、組織的な破壊活動によって「鉄の壁」が建設され、そして、メイアは涼しい顔で言った。《パレスチナ人などというものは存在しません》。

 付け加えなければならないことがある。

 イスラエルをユダヤ教の国というのは大間違いであり、この国の政府の統計でもユダヤ教を信仰している人は人口の15%に過ぎない。ところが、国民の90%がこの国を「神が与えたものである」と主張する。信じてもいない「神」が・・・。

 ヘルツル、ジャボチンスキー、ベギン、ベン・グリオン、メイア、・・・、彼らはことごとく無神論者だ。ユダヤ教への信仰心など全く無い。そのメイアがこう言う。《この国は神自身によって為された約束の実現として存在する》。ベギンも言う。《この土地は我々に約束されたものであり、我々はそれを受け取る権利を持っている》。

 嘘付きもここまでくれば立派なものだ。ジャボチンスキーが言った「シオニストの道徳」「シオニストの正義」の要件としてもう一つの項目を加える必要があろう。『平然と嘘をつくこと』。

 だかしかし、「鉄の壁」はパレスチナ人に対してだけ作られたものではない。これは何重にも強調されなければならない。第2次世界大戦以降、シオニストとイスラエルは、アラブ人に対しては実弾を使い、世界に対しては虚構を用いて、それぞれに対する「鉄の壁」を築きあげてきたのだ 。

 このイスラエル建国、すなわち『土地なき民に民なき土地を』という人類史上まれに見る大掛かりであからさまな政治・言論詐欺は、世界中の人間に向けて作られた「鉄の壁」によって始めて実現しえたものである。この「鉄の壁」はシオニスト・プロパガンダの道具である各国メディアと出版・映画など文化機関、各国教育機関、および各国政治党派、特に左翼勢力を使っての、総がかりの心理・情報戦争による戦果であり、欧米・日本などの社会で巨大な「ユダヤのタブー」としてそそり立っている。その最大の支柱が「ホロコースト」であることは言うまでもない。

 ただ、少しは相手の言い分も聞いてやらねばなるまい。2006年6月にガザ地区の子供や婦人を含む一般市民に対する虐殺を国際的に非難された際にイスラエル当局者はこう言った。「我々は戦時中なのだ」と。その通り。正しい。イスラエル国家はイスラム世界を相手に、そしてシオニストは世界を相手に、戦争の継続中なのである。19世紀末から100年以上もの間、世界は常に「戦時中」なのだ 。世界各地でその「熱い局面」と「冷たい局面」が作られてきてはいるが、世界に対するシオニストの戦争が一瞬たりともその歩行を止めたことはない。

 戦争にはプロパガンダが必要でありプロパガンダは何よりも強力な武器である。嘘を作り、嘘を広め、嘘を信じ込ませることは、敵に対する最も有効な攻撃なのだ。要は「だまされるヤツ」が馬鹿なのである。それにしても、この無神論者どもが口にする「神」とは一体何物であろうか? 誰がパレスチナの土地を「約束した」というのだろうか?

【以上、参照資料】(略)


[イスラエルは植民地?]

 イスラエルが石油地帯である中東を支配するために作られた米国(あるいは英国)の「植民地国家」ではないか、という議論は以前から存在する。特にジェフ・ハルパーやノーム・チョムスキーなどの左翼系のユダヤ人たちを中心にして、このような見方を採用し、あるいはそれに影響を受ける知識人が数多く存在する。

 イスラエルでパレスチナ人の家屋を破壊する政府の方針に対しての反対運動を指導しているベン・グリオン大学教授ジェフ・ハルパーは次のように語る。(出典はIsrael as an Extension of American Empire:2005年7月)

・・・・・・
【前略】
 もちろんだが、イスラエルは米国のユダヤ人社会を支える中心人物たちにとって最大の関心事であり続けている。彼らは今や、ネオ・コンの方針に、つまりそれゆえに、米国の外交政策と軍事戦略を作り上げることの中にイスラエルの問題を切れ目無く統合させるために、政治的影響力を発揮しているのである。それは、ユダヤ人たちがいかにアメリカの生活に同化してきているのか、いかに彼らがアメリカと完全に自己同一化して「中東唯一の民主国家」イスラエルをその延長と見なしているのか、を示すものである。ネオ・コンの方針を定義する「文明の衝突」のパラダイムの中で、アメリカ合衆国は十字軍の先制攻撃に着手している。それは、アメリカの価値観により即応し、そうしてアメリカの(およびその協力による)教化の下にアメリカの利益によりよく沿うように各国政府を導いていくための、「世界民主主義革命」による政権転覆を引き起こすことが目的である。真のアメリカ新世紀におけるアメリカ帝国なのだ。イスラエルは、こうして、三つの等式にピッタリと当てはまるのだ。第一に、イスラエルはアメリカが見本として掲げるこの種の強調すべき(そしてアメリカの気前よさが与えるイスラエルの利益がいかに他の政権を説得することに役に立つか、という)事を代表している。次に、イスラエルは更なるアメリカの利益のために軍事的能力と政治的行動力を持っている点である。そして第三には、イスラエルが十字軍最大の「戦場」である中東に位置している点である。そこでイスラエルはアメリカが最悪の敵と呼ぶ「イスラム過激派」と対峙しているのだ。強いイスラエルは、すなわち強いアメリカを意味するのである。
【後略】

・・・・・

 もちろんハルパーは現在のイスラエルと米国の中東戦略を強く批判している。しかしそのイスラエルに対する視点は、ご覧になって分かる通り「アメリカ帝国の延長としてのイスラエル」なのだ。ネオ・コンのユダヤ人たちはあくまでも「アメリカ人」であり、アメリカに同化し切りアメリカを代表する人間たちになっている。この観点からすると、イスラエルの建国は「中東におけるアメリカ帝国の植民地建設」となる。

 たしかに先ほどのジャボチンスキーの文章からも明らかな植民地主義が見て取れる。とりわけ200万人、資料によってはもっと多かったと言われるアメリカ先住民の大虐殺と土地・資源の略奪を平然と行ってきた者達のことを、《初めて真の開拓を行った》、《偉大な開拓者》、《高い道徳性を有する人々》、《赤い人々との平和を維持したいと願ったばかりではなく蝿一匹にさえ憐みをかけることが出来た人々》などという明白な虚構によるレトリックを用いて褒め称えるところなど、このユダヤ・ファシストとアングロサクソンとの深い関係を疑わせるものである。

 そしてアメリカ合衆国は先住民大虐殺の生き残りを、不毛な狭い土地を「居住区」として閉じ込め、徹底した差別の元に置いた。先住民たちは《打ち破ることの出来ない鉄の壁》を目の前にしてあらゆる抵抗の意思を失い、《立ち退きをしないで済む保証や平等や自治権といった実践的な問題》で譲歩せざるを得なかったのである。ジャボチンスキーの「鉄の壁」のお手本がアメリカ合衆国にあったことは明白 である。

 ジャボチンスキーは言及していないが、アングロサクソンたちの姿勢はオーストラリア先住民に対しても全く同様であったし、最良の土地と豊富な資源を奪い取り先住民を隔離した「アパルトヘイト国家」南アフリカもその同類に他ならない。これがまさしく彼らの「道徳」であり「正義」である。《それ以外の道徳性など存在しない》のだ。ジャボチンスキーの論理、すなわちイスラエルの国是はこのアングロサクソン帝国主義の直接の延長と言えないこともない。

 ただ一つ、十分に注意しなければならない点がある。我々は普段から国境線と国民国家の概念に慣らされているため、「イギリス」「フランス」「スペイン」といった宗主国の名を語る。ではイスラエルが「植民地」だとしてその宗主国はどこか。やはり米国だろうか。あるいは英国か。しかし奇妙なことがある。

 英国は確かにあのロスチャイルドに宛てたバルフォアの手紙によってイスラエル建国のきっかけを作り建国後も常にイスラエルに肩入れしてきたのだが、委任統治時代には「ユダヤ人国家」の建設を渋り、ジャボチンスキー集団のイルグンやレヒによって多数の政治家や外交官を殺害されている。

 またイスラエルが米国の総力をあげた支援がなかったならばとうに消滅していたはずの国であるにも関わらず、その米国は1967年の「6日戦争」の最中にイスラエルから調査船USSリバティーを攻撃されて 多数の死傷者を出した。さらに83年のイスラエルによるレバノン侵攻の際にも(ほぼ間違いなく)イスラエルが仕組んだ爆弾テロによって250名もの兵士を失っている。その上に、現在までイスラエルによる数多くのスパイ活動に苦しんでいるのだ。2001年の9・11事件にしてもイスラエルによる犯行を叫ぶ人もいる。

 そして両国とも、米国がジョナサン・ポランドをスパイ容疑で懲役刑に処した以外、一度たりともイスラエルに対して強い態度を表明できないでいる。そればかりか21世紀に入っても、まるでイスラエルが米国や英国の鼻面を引きずり回すようにイラク・中東戦争の泥沼に引きずり込んだような印象さえ受ける

 まさに「主客転倒」であり、これを、宗主国である英国に対して独立を宣言したアメリカ合衆国のような「植民地の反乱」の類であるとは、到底考えることができない。もはや国家を基準にした発想ではまるで理解が不可能 となってしまうのだ。

 先ほどの疑問に戻ろう。歴代イスラエル指導者の無神論者どもが口にする「神」とは一体何物か? 誰によってパレスチナの土地が《約束された》のだろうか? さらに言えば、あのやせこけた近東の土地の小片を奪う目的だけであれほどに大掛かりなキャンペーンを用いるのだろうか? この「神」の目的は一体何なのか? ここが現在の中東と世界の問題の鍵を握るポイントであろうが、しかし結論を急ぐことは敢えて避けよう。次回はジャボチンスキーの愛弟子、メナヘム・ベギンを中心に、このユダヤ・ファシズムを取り巻く意外な現代史の素顔を追及してみたい。

参照資料

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by oninomae | 2014-03-06 20:24 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 2

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky1.html#1bu より その2

第2部 現代に直結する「イスラエルの源流」  (2006年4月)

[歴史に皮肉は無い]

 2006年現在、「反テロ戦争」の名のもとに欧米各国社会で急速な全体主義化が強行されつつある。その流れを特に先鋭化させている米国と英国が、公式の歴史では、第2次世界大戦で「自由主義・民主主義陣営」の旗頭を勤め「ファシズムと戦った」とされる国々である点は実に興味深い。さらにその動きを主導するのがイスラエルに忠誠を誓い「ファシズム被害者」を標榜するユダヤ人集団なのである。

 「歴史の皮肉」と言うべきだろうか。しかし、皮肉も何も、いま現在目の前にある事実はこの通りなのだ。現在を歴史と照らし合わせてみてそれが「皮肉」と映るのなら、逆にその歴史の方を疑うべきだろう。歴史に皮肉などない。現在の事実の原因は過去にしか存在しえないのだ。 単純な話である。

 米国ブッシュ政権は「愛国法」の恒久化を、一時は議会の抵抗に遭って失敗したものの、その危険性を包み隠した「修正法案」として2006年3月に実現させてしまった。引き続いて彼らは、一旦は批判に曝された一般市民に対する令状無しの盗聴を許す法案を議会に提出している。今後は当局が「国内テロリストと判断した」人物の逮捕・拘束が自在に行われる可能性が高い。さらに、飛行機のみならず全米の大都市でバスや電車、フェリーなどの公共交通機関にまで武装警官を張り込ませる体制が作られつつあり、インターネットへの監視も国防総省の力で推し進められている。

 ここでもう一度米国内で大規模なテロが起これば(起こせば!)一気に全面的な「マーシャル法適用・軍事支配体制」を組むことが可能だろう。その「予行演習」はすでに2005年のハリケーン・カトリーナを利用して行った。そして911事件以来「愛国法」の下で米国の警察・スパイ国家化に狂奔してきたネオコン・ユダヤ人のマイケル・チャートフが、国土安全保障省長官として「有事」を待ち構えているのである。《注記:2014年現在、オバマ政権によってこの監視国家体制は着実に完成されつつある。》

 G.W.ブッシュの祖父プレスコットとその義父ジョージ・H・ウォーカーがユダヤ資本と共にナチス・ドイツを強力に支援していた ことは今や周知の事実であろう。これについてはいずれ稿を改めて論じたいが、そのG.W.ブッシュは2005年12月の「愛国法」延長の議論中に、ワイマール憲法を嫌悪したヒトラーと同様に合衆国憲法を「忌まわしい紙切れに過ぎん!」となじった。

 このような米国の変容に、元レーガン政権高官でウォールストリート・ジャーナルの記者であるポール・クレイグ・ロバーツは公然とブッシュを「ヒトラー」と呼んだ。そして911事件《注記:2001年9月11日》を、ナチス独裁のきっかけとなった「ドイツ国会議事堂放火 」と並べて、ネオコンによる内部犯行と断定したのである。

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 一方の英国では、7・7ロンドン交通機関爆破事件《注記:2005年7月7日》をきっかけとしてブレアー政権が、市民への監視と言論・表現の自由に対する大幅な規制強化の実現を目指している。IDカード導入や「テロ防止」を名目としたインターネット規制などの策謀は上院の抵抗にあって頓挫したが、主要道路で何百万台もの自動車を追跡し監視するシステムを整備することが2006年1月に議会で承認された。そしてその英国の主導で、欧州全体で携帯電話の通信記録の長期保存と監視を可能とする体制が作られている。あの7・7地下鉄・バス爆破事件が英国のReichstag Fire《注記:ドイツ国会議事堂放火》 であったことに疑念の余地は無い。

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 そしてもう一つの第2次大戦戦勝国フランスでは、イスラエルの新聞が「インティファーダ」と呼んだ2005年秋の「都市暴動」を通して、ネオコンに近いとされるニコラス・サルコジが急速にその存在感を見せ始めている。彼が2007年の選挙で次期大統領に当選すれば、間違いなく英国と米国の後を追うことになるだろう。 《注 2013年、サルコジはもちろん、後継者のオランデもまた、この予告通りになった。》

 欧米および日本では、ユダヤ資本の道具であるマスメディアがゲッベルス流人心支配の仕組みをほぼ完成しており、
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対外戦争の緊張と宗教的迷妄によって人民を隷属化させるレオ・シュトラウスの理想社会が、実現に向けて着々とその歩を進めている。「ナチ第4帝国」は「アングロサクソン・ユダヤ帝国」としてその姿を現すのだろうか。

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 これは決して表面的な現象による隠喩ではない。この動きはドイツ・ナチズム、イタリア・ファシズムとの明らかな連続性を持って、「ファシズムと戦った」側および「ファシズムの被害者」側から打ち出されているのだ。彼らこそが、過去も現在も、ファシズムの真の担い手なのである 。

【以上、参照資料】
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/04/AR2006020401373.html
http://www.thetruthseeker.co.uk/article.asp?ID=4164
http://asyura2.com/0510/war76/msg/923.html
http://www.rense.com/general69/paper.htm
http://www.arcticbeacon.com/3-Jan-2006.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/01/06/AR2006010602100.html
http://www.israelshamir.net/English/Satanic.htm
http://www.iht.com/articles/2006/02/10/news/edpfaff.php
http://www.haaretz.com/hasen/pages/ArticleNews.jhtml?itemNo=642115&contrassID=13&subContrassID=1&sbSubContrassID=0


[ベタールからネオコンへ]

 911事件後の軍事政策を担い2003年に米国をイラクに引きずり出した主役の一人に、当時の国防次官ダグラス・ファイスがいる。彼は第1期ブッシュ政権の国防副長官ポール・ウォルフォヴィッツ、国防政策委員会委員長リチャード・パールらと並ぶネオコンのユダヤ人である。
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サダム・フセインを取り除きイラクをコントロールしようとする彼らの異常なまでの執念が、米国・共和党ではなく、イスラエル・リクード党に対する忠誠心によることは今さら疑念の余地も無い。

 ファイスはレーガンの時代に、米国の国家機密文書をイスラエル大使館に流した嫌疑で国防省から外されていたがじきにパールの力で返り咲いた。そしてネタニヤフ政権の時には、パールやチャールズ・フェアバンクらとともに、イスラエルの外交政策決定のための大きな情報源の一つであった。さらに2005年5月にイスラエル・ロビーAIPACを通して米国の国家機密をイスラエルに渡していた容疑でローレンス・フランクリンがFBIに逮捕された事件では、彼を動かしていた人物として「ユニバーサル・ファシスト」マイケル・レディーンとこのファイスの名前が噂に上っている。彼らは一貫して「イスラエルのエージェント」である。

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 イラク人に対する拷問を正当化しブッシュ政権にジュネーブ協定の拘束を拒否させたこの男の飽くなき残忍さと攻撃性はどこから来ているのだろうか。

 1997年に彼は父親のダルック・ファイス[Dalck Feith]と共に、米国シオニスト機構(ZOA)から年次昼食会招待の栄誉を受けた。「特筆すべきユダヤ人の慈善家であり親イスラエル活動家である」というのがその理由だった。そしてダグラスのリクード党に対する忠誠心は当然といえる。彼の父ダルックはベタール[Betar] の「戦士」だったのである。

 現在、世界各地に支部を持ち文化・教育団体を装う民間団体ベタールは余りにも非ユダヤ人の意識に上らない集団なのだが、このベタールこそ、ユダヤ・ファシストの元祖ウラジミール・"ゼエヴ"・ジャボチンスキー自らが作り上げ、そして今もなおリクードと「ジャボチンスキー国家」イスラエルを陰で支える組織なのだ。

 1923年に、「リヴィジョニスト」として世界シオニスト機構から飛び出したジャボチンスキーは、ラトヴィアのリガでユダヤ人青年組織ベタールを結成した。彼はその以前にはパレスチナでユダヤ武装自衛組織ハガナー(イスラエル国防軍の前身)の創設にも力を尽していたのである。

 ベタールの名は1920年にパレスチナで死亡した彼の元同志のジョセフ・ツルンペルドルにちなんで付けられ、2世紀にローマ帝国に対する独立戦争を指導したバアル・コクバを思い出させるものでもあるという。結成後数年のうちにこの団体は過激なユダヤ戦闘組織として欧州各国に支部を広げ、総勢で数万人規模の勢力となった。

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 シオニズム研究家レニ・ブレンナーによると、ベタールはナチ党やファシスト党と遜色の無い狂信ファシスト集団であり、ドイツではナチと同様の茶色の制服、イタリアではファシストの青色の制服を着用し、所作もそっくり彼らに倣っていた。ジャボチンスキーはワイツマンから『ユダヤ・ファシスト』、ベン・グリオンから『ウラジミール・ヒトラー』と呼ばれたほどの人物なのだが、ベタールの青年たちは時としてそのジャボチンスキーに対してすら「ファシストではない!」「親英・親アラブ的だ!」と非難の声をあげるほどであったという。その最大勢力であるポーランド支部の中にいたのが、後にイスラエルの首相となるメナヘム・ベギン、イツァーク・シャミール、そしてダグラス・ファイスの父親ダルック・ファイスであった。

 ドイツ支部の周辺には後年ネオコンの「師匠」となるレオ・シュトラウス[Leo Strauss] がいたのだが、この支部は当然のことながらナチ党に接近し、イタリアの支部はムッソリーニからの援助を受けた。ムッソリーニは彼の黒シャツ隊に命じて、1934年以後チビタベッキアの海軍基地で正式な軍事訓練を施すまでにこのユダヤ・ファシスト集団に入れ込んでいたのである。彼はジャボチンスキーを絶賛して次のように言った。

 《シオニズムを成功させるためには、あなた方はユダヤの旗とユダヤの言語を備えたユダヤ人国家を持たなければならない。このことを本当に理解する人物はあなた方のファシスト、ジャボチンスキーである。》

 同時にジャボチンスキーもユダヤ人社会の中でムッソリーニの代弁者であった。彼は自他共に認めるファシストだった。1936年にスペインで人民戦線政府に対してフランシスコ・フランコがクーデターを起こした際に、パレスチナのベタール組織は断固としてフランコ支持を訴えたのである。

 パレスチナのメンバーはハガナーから分離したテロ組織イルグンと重なり、後にこの地に移ったベギンとシャミールもその中に身を投じた。彼らはポーランド脱出後、ソ連からイランを経由してパレスチナに渡った のである。

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そのイルグンからはナチスと手を結ぼうとする過激テロ組織レヒ(スターン・ギャング)が誕生し、シャミールはここに移る。これらの経過ついては稿を改めて詳しく論じるとしよう。

 だが知っての通りヒトラーは反ユダヤ政策を明確にし、1938年にはムッソリーニがこれに倣ってユダヤ人に対する弾圧を開始、1940年にジャボチンスキーが死亡した。通常の感覚を持った人ならば、ベタールの組織とその運動もまた自壊していったのではないか、と考えるであろう。ヒトラーやムッソリーニが世界の指弾を受けた以上は彼らと密接に関わったこの集団がユダヤ人に容認されるはずはなかろう、と。

 しかし現実に起こったことは、まさしくその逆だったのである。

【以上、参照資料】
http://aljazeerah.info/Opinion%20editorials/2003%20Opinion%20Editorials/July/4ob/The%20Neocons%20Undersecretary%20Douglas%20J%20Feith,%20Richard%20H%20Curtiss.htm
http://www.inthesetimes.com/site/main/article/1114/
http://www.chroniclesmagazine.org/Chronicles/November2004/1104Perspective.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Betar_%28youth_movement%29
http://www.marxists.de/middleast/brenner/index.htm
http://www.marxists.de/middleast/ironwall/


[現代に直結するファシスト集団]

 時間はやや飛ぶが、1948年、イスラエル「建国」の年、12月2日付の米国ニューヨーク・タイムズ紙は、同紙編集部に寄せられた米国のユダヤ人有志からの手紙を掲載した。その中にはアルバート・アインシュタインの名もあった。その手紙には次のように書かれてある。

 《我々の時代で最も困惑する現象の中に、新たに創設されたイスラエル国家の中での「自由党(ヘルート党)」の出現がある。これは、その組織において、方法論において、政治方針において、そして社会的なあり方において、ナチ党およびファシスト党に極めて近い政党である。これは元イルグン、つまりパレスチナにおけるテロリストで右翼の狂信的排他主義集団のメンバーと支持者によって形作られた。この党の指導者であるメナヘム・ベギンの米国に対する最近の態度は、明らかに、来るイスラエル選挙で彼の党に対する米国の支持を印象付けるように、また合衆国内のシオニスト右派分子との政治的な連携を固めるように、計算されているのだ。数多くの米国の著名人士たちが彼の訪問を歓迎するためにその名前を貸している。》

 この手紙の後半には、ベギンとイルグンの最大の犯罪、デイル・ヤシン村でのパレスチナ人集団虐殺に対する激しい告発がなされている。

 ここにあるヘルート党は後に他の右派政党を糾合して現在のリクード党に直結するものだが、代表者はベギン、もちろんシャミールも幹部であった。このユダヤ人有志は『ナチおよびファシスト党に極めて近い』と慎重な表現をしているが、まだ以前の記憶が生々しい時期である。彼らは、この集団が「ウラジミール・ヒトラー」が作り欧州ファシズムの流れを受け継ぐ「ユダヤ・ファシスト党」に他ならないことを知っていたはずだ。

 さらに注目すべき点は、米国の中ですでにこのヘルート党支持の体制が整っており『数多くの著名人士たち』がベギンの訪米を歓迎していたことだ。ヒトラーとナチを産み育ててきた米国支配層 が同時にこのユダヤ・ファシスト集団のパトロンである事実を、これもまた現代に直結するのだが、この手紙は明確に指摘している。

 ジャボチンスキーが死亡したのは1940年、ニューヨークにおいてである。ベタールの米国支部が作られそのキャンプを視察中のことであった。心臓病の発作が死因とされる。この時期に米国でジャボチンスキーの運動を支援した者の中にユダヤ教のラビであるチャールズ・カハネ[Charles Kahane]がいた。その息子メイア・カハネ[Meir Kahane]は後にユダヤ極右テロ組織JDLを結成する。

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 しかし不思議なことがある。1938年から後およそ30年間以上のベタールの活動に関する記録が見当たらないのだ。パレスチナではそのメンバーの少なくとも一部がイルグンと重なりその活動を支援したものと想像はできるが、この時期の米国や英国の支部を含めて、ほとんど何のデータも無い。各国ベタールのインターネットHPを見ても、奇妙なことに、その多くで自らの歴史に対する記述が掲載されていない。あっても1940年以前の「歴史」のみである。どこの組織でもその「輝かしい歴史」を誇示したがるものだが、ここだけは別だ。ポーランドで1938年に開かれジャボチンスキーもベギンも参加した第3回ベタール世界会議から、いきなり現在にやってくるのである。

 1945年初頭にスペインの独裁者フランコは、英国の意思に逆らって(?)(引用注:もちろん、トモダチでした)ユダヤ機関が欧州のユダヤ人を密かにパレスチナに運び込むのを手伝った
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フランコはその後もモロッコ経由でセファラディ・ユダヤたちを移送し続けたのである。そしてパレスチナにフランコ政権と親しく連絡が取れる組織があったとすればこのジャボチンスキー集団以外ではあるまい。またイスラエル「建国」と同時にヘルート党が結成された裏にパレスチナでのユダヤ人社会でベタールによる支援と根回しがあったと考えなければ筋が通るまい。しかしこれらの実体については闇の中に閉ざされている。

 現在ベタールはイスラエル本部の他に南北アメリカ大陸、英国とフランス、ロシアとリトアニア、南アフリカ、オーストラリアにその支部を持ち、主に学生をターゲットとして、ジャボチンスキーを賞賛しイスラエルへの忠誠心と排外主義シオニズムをユダヤ人青年に植え付けている。この中から次々と「ウラジミール・ヒトラーの戦士」が再生産されていく。イスラエルはジャボチンスキーを「国祖」として祀る紛れも無いユダヤ・ファシスト国家であり、ベタールは常にその中心部に存在する『ブラックホール』なのだ。

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【以上、参照資料】
http://www.socialistviewpoint.org/sept_02/sept_02_1.html
http://www.kahane.org/biography.html
http://www.cecaust.com.au/main.asp?sub=culture/jewish&id=part3.htm
http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html
http://www.betar.co.uk/history.php
http://www.betar.org/

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by oninomae | 2014-03-05 20:15 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 1

イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム
http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky1.html#1bu リバイバル

第1部 序論:イスラエルの真の開祖  (2006年1月)

[ニュルンベルグ・トーキョー裁判史観の呪縛]

 第2次世界大戦以前の日本の考古学にはある不思議な慣習があったという。発掘が1万年前の地層に届くとそこで自主的に作業をやめた。皇国史観に抵触する発掘結果が出ることを恐れたのだ。それほどにこの歴史観の束縛と暴力性は強かった。1877年の米国人生物学者エドワード・S.モースによる大森貝塚の発見が無かったとしたら、縄文文化の存在すら無視されていたかもしれない。第2次世界大戦終了後の1949年になって一人の考古学マニアの手によって旧石器時代の遺跡が日本で始めて発見された事実は、日本の歴史研究にとって国際的な恥辱に他なるまい。

 このエピソードが「御主人様のご意向」に対して極度に敏感なこの国のアカデミズムの体質を象徴している。大戦が終わると、「御主人様」は大日本帝国からGHQに、その「ご意向」は皇国史観からニュルンベルグ・トーキョー裁判史観、端的にはホロコースト史観へと変わった。そして現在に至る。

 この公式歴史観を極めて簡単にまとめると次のように言えるだろう。

 《第2次世界大戦は『全体主義(ファシズム)と民主主義との戦い』であり、ドイツ、イタリア、日本の敗北と、民主主義勢力の勝利によって、全体主義(ファシズム)が跳梁した時代は1945年に終了した。》
 《ナチス・ドイツのホロコーストによって600万人を殺されこの大戦で最大の被害者となったユダヤ人は、中近東地域で唯一の民主主義国家イスラエルを建国した。》


 日本では、イスラエルとシオニストに対する批判的な研究をする人でさえ、多くの場合、それとナチスやファシストとの関係に至ると歯切れが悪くなる。ましてユダヤ系資本を含む英米勢力がナチスを支援していたことには触れようとすらしない。この公式歴史観に抵触する可能性を敏感に察知して懸命に自主規制に努めている様子がうかがえる。この体質はまたマスコミと出版界のほとんどすべてに共通である。

 もちろん欧米でもこの歴史観に対する反逆はタブーなのだが、ホロコーストを否定してアカデミズムから追放されている研究者でなくても、レニ・ブレンナー[Lenni Brenner]やトニー・クリフなど左翼ユダヤ人を中心に、シオニストとナチスやファシストとの関係についての調査と研究が、シオニズム批判の一環として行われている。

 一般にシオニストに対する批判的な研究は多くの困難を伴う。ホロコースト否定論でなくても、「ホロコースト産業」の著者ノーマン・フィンケルシュタインのように、ADLなどのシオニスト団体による数々の妨害を被る。しかし学会の中には(ホロコーストを否定しない条件付だが)その支援活動もあり、執拗に出版妨害や脅迫を繰り返すシオニストに対する反発はユダヤ人・非ユダヤ人に関わらず強い。

 そしてシオニストの中でも特にそのあり方を決定付けたと断じてよい人物、ウラジミール・ジャボチンスキー[Ze'ev Jabotinsky]についての資料は、日本語ではほとんど得ることができないが、英語情報になら豊富に存在する。ブレンナーはジャボチンスキーに関する豊富な研究成果をインターネット上でも公開しているし、またこの男が基礎を置いたユダヤ・ファシズムに対する告発は決して無視できるほど小さなものではないのだ。


[ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム]

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 彼の名前はおそらく日本ではほとんどなじみの無いものだろう。ましてこの人物がイスラエルとシオニズムの歴史の中でどのような役割を果したのか、日本では全くといってよいほど知らされていない。そこでこのシリーズの発端として、彼の略歴と現代史の中での位置を非常に簡単にではあるが紹介しておきたい。

  ウラジミール(ゼエヴ)・ジャボチンスキー は1880年に、ウクライナのオデッサで伝統的なユダヤ人の家庭に生まれた。新聞記者として過ごした後、20世紀初頭からシオニスト運動に身を投じる。第1次世界大戦中は英国軍の一部にユダヤ人部隊を作り、当時パレスチナを領有していたオスマン・トルコと戦った。なお、一部に彼が最初から英国のスパイであったとする主張があることを記しておく。

 1921年に彼は世界シオニスト機構(WZO)委員に選出されるが、ハイム・ワイツマンら主流派とは最初から意見が対立した。主流派はパレスチナの土地をアラブ人から上手に買い取ることで平和裏にイスラエルを建国させようとしていたが、ジャボチンスキーは、アラブ人との衝突は避けられずアラブ人と戦って屈服させる以外に建国の方法は無い、と主張したのである。

 彼は強調した。『彼らは、自分が「鉄の壁」に相対していると悟った場合にのみ、シオニズムを受け入れるだろう。そのときに彼らは、ユダヤ人国家を受け入れる以外に選択の余地が無いことに気付くのだ。』 これは彼の政治方針「 鉄の壁the Iron Wall 」として有名である。彼の夢はヨルダン川をまたぐ「ユダヤ帝国」の創設であったと言われ、またその民族排外主義は際立っていた。ワイツマンは彼を「ユダヤ・ファシスト」と呼んだ。

 1923年にジャボチンスキーはWZOを離れてリヴィジョニスト・シオニスト同盟を形成、続いてラトビアのリガで青年団体ベタール[Betar] を組織した。ベタールは各国に支部が作られ多数のユダヤ人青年からなる過激な民族主義組織となり、彼の運動の推進軸となっていった。ここからメナヘム・ベギン[Menachem Begin]や
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イツァーク・シャミール[Yitzhak Shamir] など、
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後のイスラエルを支える重要人物が輩出することとなる。

 1930年代になって彼はイタリア・ファシストに接近し、彼をファシストとして高く評価したムッソリーニは喜んでベタールを迎え入れた。このイタリアの独裁者は彼の黒シャツ隊に命じて海軍基地で彼らに軍事訓練を施し、これを本格的な戦闘組織として確立させたのである。さらに1936年にスペイン内戦が始まるとパレスチナのベタールはフランコ支持を明確にした 。彼は自他共に認める本物のファシストだった。

 当然ながらジャボチンスキーとベタールはヒトラーの民族排外主義を賞賛し、ドイツのベタール組織はナチ親衛隊に倣い茶色の制服で身を包んだ。また彼らのドイツでの運動に加わった者の中に、後に米国に渡ってネオコンの種を蒔いたレオ・シュトラウス[Leo Strauss]がいた。シュトラウスはしばしばジャボチンスキーと会い、ナチ関係者とも親しく付き合っていたのである。

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 ジャボチンスキーは1920年代から何度か米国に渡り彼のユダヤ・ファシズムを根付かせたが、その流れはやがて、イスラエルを支える米国のシオニスト団体、ユダヤ系ロビーとシンクタンクの中心として成長する。またこのことは米国内で彼のファシズム運動を支援・推進した勢力があったことを示す。シュトラウスをその源泉の一つとし今日のブッシュ政権を支えるネオコンがこの流れの先端に位置している事実に注目すべきだろう。 G.W.ブッシュの祖父プレスコットは、ロックフェラーやフォード、ハリマンなどと共に、ヒトラーを支えた米国の大資本家群の一人 だったのだ。

 1938年にイタリアで反ユダヤ法が制定され1939年に第2次世界大戦が開始された後に、ジャボチンスキーは1940年にニューヨークで生涯を終えた。しかし事実として、彼の作った流れはそれ以降より強化され拡大されていくのである。

 彼が創設に力を尽したユダヤ軍事組織ハガナー[Haganah]、そこから出てベギンが指導するテロ組織イルグン[Irgun]、その分派でシャミールが所属したテロ集団レヒ[Lehi](アブラハム・スターン[Avraham Shtern]に指揮されスターン・ギャングとも呼ばれる)は、ジャボチンスキーの武闘路線を実現させていった。 レヒは大戦中にナチスとの接触に努めたことでも有名である。そしてベギンとシャミールに率いられるベタールは1948年のイスラエル建国時にヘルート(自由)党を創設、これが現在のリクード党の元となる。

 またジャボチンスキーの当初からの政治方針である「鉄の壁」は、指導部の「左派」「右派」という表面上の区別に関わらず、パレスチナにおけるシオニストの不動の方針として第2次大戦前から現在に至るまで貫かれている。イスラエル初代首相ダヴィッド・ベン・グリオン[David Ben-Gurion] の実際の所業は、自らが「ウラジミール・ヒトラー」と罵ったこの人物が主張していたものと異なることはなかった。
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いやそれ以上であったかもしれない。そしてその口実となったのが《ホロコースト》であったことは言うまでも無い。

 シオニストの牽引車はベタール直系の集団であった。ベギン率いるイルグンは1946年のキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件(英国人、アラブ人、ユダヤ人など91名が死亡)を実行し、1948年にはレヒやハガナーと共同してデイル・ヤシン大虐殺を主導した。またレヒはアラブ人のほかにパレスチナ問題の解決に努めるシオニストに都合の悪い欧州の要人たちを暗殺していったのだ。

 しかし彼らユダヤ・ファシストの行為 は実質的に何一つ咎めを受けることもブレーキをかけられることもなかった。 国際連合(正しくは連合国群、つまり《第2次大戦勝ち組連合》)は彼らのテロと虐殺を黙認したうえで、アラブ人が到底のめない「パレスチナ分割案」を示し、結果としてイスラエル建国を承認した。《ホロコースト》は実に核兵器にも勝る戦略兵器であった。その後4次の中東戦争を経て、1978年にエジプト大統領サダトは米国キャンプ・デイヴィッドで「鉄の壁」と相対していることを悟った。彼の目の前にはベギンが立っていたのである。

 その後ベギン政権の命を受けたリクードのアリエル・シャロン[Ariel Sharon] は、
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1982年にイスラエル軍を率いてレバノンにあるパレスチナ難民キャンプを砲撃し、一説に犠牲者3500人とも言われるサブラとシャティーラの大虐殺を行った。

 このジャボチンスキー直系に属するベギン、シャミール、シャロン、そしてベンジャミン・ネタニヤフはイスラエルの首相となっている
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《注記:このリストにはエフッド・オルメルトも加えるべきだが》 。
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2005年にシャロンはリクードから離れたが、しょせんは国際的な圧力をかわすための擬態に過ぎず、ユダヤ・ファシストがその国の支配者である実態に何らの変化も無い。

 現実のイスラエルは、ユダヤ選民主義とゴイ(異民族)に対する蔑視に固まり、パレスチナ人へのアパルトヘイトを強行し、200以上と言われる核兵器で身を包み、常に近隣諸国に対して戦争の脅迫と謀略的な攻撃を繰り返す「鉄の壁」国家である。

 イスラエルに尽した人物には「ジャボチンスキー賞」が授与されてきた。イスラエルにはジャボチンスキー財団、ジャボチンスキー研究所などもあり、ベタールはシオニズムを支える組織として現在もその力を誇る。ちなみに、第1次ブッシュ政権で高官を務めたネオコン、ダグラス・ファイス[Douglas J. Feith] の
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父親はベタールの闘士だった。

 もちろんイスラエルの一般国民にはジャボチンスキー集団のヒトラーやムッソリーニとの関係は一切伏せられ、彼は「偉大な愛国者」として祭られる。
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現在のシオニストたちは彼の運動とヒトラーやムッソリーニとの歴史的な関係を問われると、当時の状況ではやむを得ぬ「擬態」だった、という論法を使い、それ以上の突っ込みを受けると「反ユダヤ主義」を持ち出して相手を脅し黙らせる。

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 一方、ジャボチンスキーとナチスの取り巻きだったレオ・シュトラウス は、「ナチの再現を阻止するためにリベラルなアメリカを変革する必要がある」という詭弁を弄した。そのネオコンの弟子たちの所業についてはここで改めて申し上げるまでもあるまい現在、この者たちの敷いた路線に従って、米国と欧州は「ビッグ・ブラザー」によるファシズム体制へと向かいつつある。

 これが真相なのだ。イスラエルはその誕生前から現在に至るまで一貫して「ユダヤ・ファシズム国家」である。《シオニスト=ネオコン》は、ドイツ・ナチスとイタリア・ファシズムを受け継ぎ発展・深化させた純正ファシスト集団に他ならない。

 以上に述べた事柄については今後の連載の中で詳しくご説明することとしよう。


[ファシズムによって仕掛けられた戦争は継続中である!]

 米国では人々は極右シオニストを指して「ジャボ」と呼ぶ。もちろんジャボチンスキーから採った呼称である。この「ウラジミール・ヒトラー」がイスラエルの開祖であり、現在のイスラエルと米国がこの男の末裔、つまり「ジャボ」たちによって動かされていることは、シオニストに反対するユダヤ人なら誰でも知っていることだ。

 にもかかわらず、アカデミズムに首を突っ込む者たちは、ユダヤ人・非ユダヤ人とに関わらず、この事実をあるがままに語りたがらない。ニュルンベルグ・トーキョー裁判史観に抵触しそうな地層を発掘してはならないのである。

 この歴史観によれば、1945年以降は、「復活をたくらむ勢力」はあるものの、「実体としてのファシズムは存在しないはず」である。現に「シオニストやネオコンはナチスを批判している」ではないか。そうか! それはよかった!

 そもそも「ホロコーストを疑う者やイスラエルに反対する者」こそが「復活をたくらむ反ユダヤ主義のファシスト、ネオ・ナチである」からして、「米国やイスラエルの指導部がファシストであるはずはない」のだ!

 ところで昔ジャボチンスキーなるファシストがいて、どうやら今日の米国とイスラエルにも縁が深そうだが・・・・、実際のイスラエルの所業を見ると・・・・、「過去のユダヤ・ファシストの悪影響への反省が足りない」ということで、ちょっと苦しいけど何とかごまかせるが・・・・、米国シオニスト=ネオコンは・・・・。弱った! まあ、これには触れないで、とやかと(く)言う奴は陰謀論者かネオ・ナチにでもしておこう!

 レニ・ブレンナーなどの優れた研究者でさえ、ジャボチンスキーに関する膨大な研究をこの歴史観の範囲内に収めようと腐心している様子がありありとうかがえる。日本では秀逸なブレンナーの研究成果を一般に広める努力すら極めて少なく、欧米で悪名高いこのファシストの名前も日本ではほとんど知られない。インターネットで検索してもわずかなサイトでまともな扱いが見られる程度である。

 確かに「ファシズム時代のシオニズム」(レニ・ブレンナー著:芝健介訳:叢書ウニベルシタス)が2001年に出版されてはいるが、この本の原題はZionism in the Age of the Dictators(独裁者の時代のシオニズム)であり、the Age of the Dictatorsをわざわざ「ファシズム時代」と読み換えるところに、この研究を公式歴史観の範囲内にとどめようとする翻訳者と出版元の意図が見え透く。どうやら現在は「ファシズム時代」ではないらしい。

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 さらに、ジャボチンスキーに関するブレンナーの最も優れた研究書「The Iron Wall(鉄の壁)」は未だに和訳本が出ていないのだ。

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 実際の歴史は次のように言えるのだろう。《ファシズムによって仕掛けられた戦争は、1945年以降も途切れること無く現在まで継続している!》 と。

 戦闘が欧州や日本などから離れて中近東や中南米などの世界各地で継続され、同時にマスコミや出版などの非軍事的手段を武器とする「情報・心理戦争」が全世界で展開される、というように、戦争の局面が変わっていただけではないのか。ニュルンベルグ=トーキョー裁判史観ではそれを《戦後》と呼ぶ。その中で、あのユダヤ・ファシストが夢見た「イスラエル帝国」が、実現に向けてその歩を進めてきたのである。

 ジャボチンスキーに関する資料は出版物よりもむしろインターネットによって豊富に手に入る。もちろん複数のデータを比較して信頼度を検討しなければならないが、私はこのシリーズではもっぱらインターネットを通して入手可能な英語資料を使用する。その方が読者諸兄にその原文を確認していただくのにも便利だろう。《注記:このシリーズで取り上げるインターネットサイトにはすでに閉じられているものがあるかもしれない。》


【以上、参照資料】   
http://www.chroniclesmagazine.org/Chronicles/November2004/1104Perspective.html
http://www.larouchepac.com/pages/interviews_files/2005/051122_iran_tv_interview.htm
http://100777.com/node/1256
http://members.tripod.com/Cato1/strauss-bio.htm
http://www.washington-report.org/backissues/0798/9807048.html
http://www.marxists.de/middleast/brenner/index.htm
http://www.marxists.de/middleast/ironwall/
http://www.marxists.de/middleast/isrpalndx.htm
http://www.swans.com/library/art11/mdolin10.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Vladimir_Jabotinsky
http://en.wikipedia.org/wiki/Likud
http://en.wikipedia.org/wiki/Betar_%28youth_movement%29
http://en.wikipedia.org/wiki/Lehi_%28group%29
http://www.counterpunch.org/brenner05252005.html


関連

石油とホロコースト by Clifford Shack 4
http://satehate.exblog.jp/7946332/

グレース・パワーズのまくし立て + ハリウッドと911
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日本沈没作戦進行中 「娯楽」と311
http://satehate.exblog.jp/18226916/

ネオナチの台頭でユダヤ系住民に避難が勧告される中、イスラエル「元兵士」がネオナチと行動?  2014.03.03
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201403030001/

 ウクライナの首都、キエフでクーデターが始まったときからイスラエルの「元将校」に率いられた40名の一団がネオ・ナチのスボボダと行動を共にしていたとする情報が流れている。そのうち5名はイスラエル兵だという。・・・


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by oninomae | 2014-03-04 23:50 | 魔術=詐欺とイルミナティ