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ヒーローが必要なのに・・・ヒーローはどこにいる? by デーヴィッド・アイク

ヒーローが必要なのに・・・ヒーローはどこにいる?
2008-10-24 (金) 1:49  デーヴィッド・アイク、ニューズレター 2008年10月19日
http://www.davidicke.jp/blog/nl0132/#extended


ヒーローが必要なのに・・・

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ヒーローはどこにいる?

みなさん、こんにちは。

毎日イングランドの田舎、もしくは旅先で散歩しているとき、いつも歩きながら耳にするのは史上最高の女性ロック・ミュージシャンの一人、ボニー・タイラーである。彼女の歌はガンガン打ちのめすように力強い。

小型のMP3プレーヤーに入れている何曲かの中に、彼女の大ヒット曲「愛のかげり(Total Eclipse of the Heart)」がある。火花を散らしている火薬庫の中にいるという歌詞が好きだ。そんな暮らしをしている人はどれぐらいいるのだろうか?

午後に聴くボニーの曲は、「ヒーローはどこにいる?(Holding Out for a Hero)」である。サビの部分は、「私にはヒーローが必要なのよ、夜が明けるまでヒーローの登場を、手を伸ばして待っているわ」である。

素晴らしい歌であるが、私はいつもこれを聴くと、人間の自由に対する最大の脅威、「ヒーローを待望する」人々のことを思い出してしまう。そんなことをしていると、夜明けには、ドアをノックする音がして、制服を着た凶漢が身分証明書を見せてくれと言ってくる。どう見てもヒーローではない。

辞書では、ヒーローはこのように定義されている。

神話や伝説において、偉大なる勇気と強さを備え、際立った功績を称えられ、神々に愛された男。神聖な血筋であることが多い。
勇敢な功績や、崇高な目的のために注目された人。特に自己の生命を危険に晒したり、犠牲にした人のこと。
辞書ではこうなっているが、私なりに「ヒーロー」を定義してみたい。ヒーローとは、あなたである。はあ、私に何ができる?と思っている、あなたである。潜在的にはわれわれ全員である。われわれは例外なく、神聖なる血統をもっている。われわれは皆一つだからである。われわれは誰でも強さと勇気を与えられている。そして、われわれ全員が「崇高な目的」に自身を捧げることができる。実際にそうするかどうかを選択するに過ぎない。

ヒーローは他の誰かでなくてはならないはずはないでしょう?

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1989年、天安門広場で中国の戦車に一人立ち向かう男。ビデオを観る

世界中の人々が見た1989年の中国の有名な「戦車男」事件のビデオは、われわれが「もう要らない、十分だ」という勇気を持つとき、何が可能となるかを、象徴的に、そして文字通り数分間のうちに、見せてくれた。

しかし、彼は一人だった。今後も、結果がどうなるかに構わず、ただ信念に従って立ち上がる、男や女はいつも稀有な存在であろう。自由というものは結果を求めるものではないからである。結果は念頭にない。正しいことをするというだけであり、その結果どのようなことが起きるかではない。

結果を計算に入れると、常に、残念なことだが常に、自由は敗れる。「正しいことをしようと思うんだが、でも・・・」 この「でも」がわれわれを奴隷化しようとしている人々に力を与えてしまう。
もう、これ以上、「でも」と言わないで、お願いだから。

戦車男は、その行動をもって力強い主張を行った一個人である。しかし、あの時、他のみんなは何をしていたのか? もしも百万人が前に立ちはだかり、戦車によじ登ったならば、戦車はどうしただろうか?

ここに、一人のヒーローではなく、多くのヒーローが必要な理由がある。

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映画「Vフォー・ヴェンデッタ*」は、人々が団結したときの力を象徴している。しかし、この映画に描かれたような暴力は必要ない。 (引用注:*あらすじ;第三次世界大戦後、かつてのアメリカ合衆国が滅亡し、独裁者アダム・サトラーにより全体主義国家と化した英国...)
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中国の人口はおよそ15億人であるが、それに比べれば、ほんの一握りの人間によって支配されている。その理由は、恐怖であり、経済的な成功者に社会的地位を与えたことによる分割支配である。一言でいえば、15億人が一致団結していないからである。

もしもこの大勢の人々が体制に協力することを拒否し、何百万人もが仕事を放棄して政府と軍のビルを包囲し、その他いろいろなことをやったなら、少数のエリートは機能を停止し、支配するどころか、砂でできた城に津波が押し寄せたような状態になったことであろう。

しかし、そうはせず、代わりに「夜明けまでヒーローが来るのを待っている」のである。自分たちの自由の権利を主張することもせず、誰か他の人がやってくれるのを待ち望んでいるのでは、夜も悪夢も終わることなどない。

戦車男は頑張ったし、すばらしいことをしたが、専制政治は続いている。われわれに必要なのは数である。自分自身をヒーローに任命した大勢の人数である。今、他の誰かを待っているかもしれないが、その他の誰かに自分自身がなることである。

しかし、実は、ヒーローになるのではない。ヒーローでない状態をやめることなのだ。ヒーローとは何だったか?勇気によって恐怖を克服した者。あるいは、最初から恐怖を持ち合わせないために、正しいと信じたことを、不安も結果も考えることなく、行う者である。

われわれの自然な状態、無限の状態では、恐怖は存在しない。恐怖がなければ、それを克服する勇気すら必要ない。あえてヒーローという言葉を使うなら、われわれ本来の自然な状態は、すでにヒーローなのである。恐怖を感じることなく行動する、正しいことをやるヒーローである。

人間社会は、本来ならもっとヒーローを生み出すことができたし、生み出してくるべきだったのであるが、世界の人々は、恐怖によって、結果のことばかり考えて何もできない状態に閉じ込められたため、ヒーローを生み出すことができなかった。人々が、正しいことを、他の何よりも優先するならば、そして、どのような結果になるのだろうかという恐怖よりもそれを優先するならば、この世界は正しいものになる。

「私にとって何のトクになる?」が「何が正しいか?」に変わったとき、世界は正しいものになる。

他人の不幸を喜ぶ、病的で、精神障害のわずかな人間たちが、世界中を思いのままにすることは正しいだろうか? いいえ。では、じっとして彼らが好きなようにさせるのは正しいだろうか? いいえ。少なくとも何が起きているのか知っていながら、何もしないのは正しいだろうか? いいえ。

では、どんなことをするのが「正しい」のだろうか? この疑問は、自問自答して答えを導き出す必要がある。言い逃れや、認知的不協和(自分に嘘をつくこと)で自身の行動(あるいは行動しないこと)を正当化してはいけない。
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うじうじもじもじ、煮え切らない態度を取っている時間的余裕はない。銃身はピンと立って地球独裁支配の計略は急速に進行している。私が述べたように世界中央銀行を組織化する動きが進んでいて、捏造された金融破綻問題によってそれが正当であることを弁明した。世界軍、またの名を地球占領軍は、決められた位置に配備されつつあり、日ごとに自由は失われている。 

イギリスでは、独裁政治に向けて急速に動いていることが、大手マスコミの一部ジャーナリストでさえ、気付き始めるほどの段階に達している。以下は、今週のロンドンのデイリーメールより。

「政府は巨大なデータベースを構築することを検討している。そこにはイギリス国内でなされた全ての電子メール、携帯・固定を問わず電話による通信の詳細が記録されることになる。 

もしも、スミス(内務大臣)の好きなようにさせたなら、電話をかけたり、ホームページを訪問したり、電子メールを送ったりといった個人の行動が、すべてログとして巨大な政府のコンピュータに保存される。


これが十年前に提案されていれば、誰も本当だと思わないだろう。独裁主義的な政府による監視が忍び寄ってきた過去十年を経た今日ですら、信じがたいものがある。

内務大臣は、シュタージの監視下にあった共産主義東ドイツ以上のスパイ社会を心に描いており、さらにジョージ・オーウェルの小説『1984年』の悪夢のような社会以上の監視社会になりかねないものを構想している。

これが変化のスピードということについて私が言わんとすることである。われわれが大事にしていた前提は、すべて崩れている」 記事の全文

私を含めて十年以上前から分かっていたことだ。この紳士のようなジャーナリストたちは、かつて我々が言ったことを無視して嘲笑した。デイリーメールの最上級ライターであり、システムにエサを与える連中の一員であるクインティン・レッツが、私の陰謀に関する報告を「もちろん、ばかばかしいものだった」と却下したのは、つい最近の7月のことである。それ以降の数ヶ月の間に、私が彼ら記者のためにまとめてあげた陰謀のリストが次々と実行されたし、また、実行されている。

かつては懐疑的であった人々の中から、懸念する声が増えているのは、オーウェル国家が社会の日常の中に深く入り込んできていることを明確に示す証拠である。ではここで、われわれは何時まで、「夜明けまでヒーローを待ち続ける」のであろうか?

もっと支配を強化しますよと政府が次の発表をするときまでか? 年末までか? 全部終わってからか?

いったい、いつ?

今はどう?

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彼が911のときに座っていたように、座っていてはいけない。立ち上がって狂気を止めよう。

では、われわれにできることは? 何よりも必要不可欠なことは、気付くことである。多くの人は気付いていないからだ。 気付かない限り、何も始まらない人々が気付けば、今のままということはありえない。多くの人々は、「肉体意識」にとどまっており、本当の意味で気付いていないし、個人という虚妄、集団という虚妄(その殆どは自己欺瞞である)の領域を超越した、意識状態に達していない。

人生の本質や陰謀のことを一般人よりも多少知っているというだけで、目覚めた人間だと思っている人がいる。しかし、これらの人々は、むしろ「肉体意識」が強いだけで、本当に目覚めた者ではない。啓蒙思想と同じ仮面をかぶった知性に過ぎない。

それは、迷妄と、ものごとに対する態度を、以前に信じていた体系から、別の新しいものに、乗り換えるだけなのだ。その証拠に、陰謀解明論者たちの中には、世界が直面している問題について少なくともある程度は理解しているはずなのに、他の研究者のことをけなすことばかりに熱中している人が大勢いる。

ニューエイジの精神構造の中にも同じことが見出せるし、自分たちはニューエイジでないと思っているが、実はニューエイジに他ならない人々にも同じことがいえる。彼らは、世界平和だけを希求する愛と光の天使であると自認し、啓蒙されていない人々に対して優越感を抱いている。しかし、実際の行動を見ると、愛と平和以外の何ものかであり、それに目を伏せるために認知的不協和を活用している。

いずれの場合でも、中心となるのは、私、私、私、である。「私を見てよ、彼よりも優れた研究者なんだよ」「私を見てよ、なんて愛情深い、すばらしい人間なんでしょう、私は。他のすべての人が私みたいだったら良いのに」すべて虚栄心に基づいたものである。虚栄心こそが肉体意識の領域であって、目覚めた意識がもつものではない

ここの部分は極めて重要なことである。肉体意識に騙されたままの状態で、肉体意識が形作る現実を容認しているうちは、われわれは決して自由にはなれないし、まして本当に自由を守ることも、自由に生きることもできるはずがない。肉体意識こそが恐怖を感じるのであり、それがゆえに、肉体意識は結果どうなるかを心配する。そして、「他の人にどう思われるだろうか」と気にする。私を見てよ、私、私。

肉体は経験するための道具であり、私ではない。このことに気付けば、結果を恐れる気持ちは消え去る。これは、このバカバカしい状態を終わらせるためには必要不可欠なことだ。どうして正しいと思うことをやらないのかと人に聞いてみると、だいたいの人は、正しいことをやった結果起きることを恐れている。正直な人ならそう言う。認知的不協和の人は別の言い訳を考えるだろう。

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デーヴィッド・アイクと呼ばれる人格は、私が今やっていることにとって、この現実の中で存在するための乗り物であり、幻想を経験するための手段であるという以外、特段の意味を持たない。私は、本当の私は、元サッカー選手で、テレビのプレゼンターで、緑の党代表で、国民の嘲笑の的で、その男は、二度結婚したが今はひとり暮らしだ。

彼は私の経験したものであり、私の乗り物であるが、私ではない。本当の私は、肉体も形もない、ただ存在するだけの、無窮無限の意識である。私は無名の力である。それが私の全てであり、過去も未来もそうである。そして、あなたもそうである。

私はもう、イングランドのレスター出身の男を装って、自分を騙して生きることはしない。私は、あらゆるところからやって来て、あらゆるところに遍在している。そして、どこにもいない。

今日、デーヴィッド・アイクという男が私を肉体意識に引き込んだとき、私は彼のことを認識した。私は現実に対して反応する拠点が彼であることを認識した。しかし、私は彼ではない。彼は道具に過ぎず、私は彼とうまく付き合っているし、以前よりも今のほうがうまくいっている。しかし、彼は私ではない。あなたと同様、私は全てという意味では彼も私の一部かもしれないが、私ではない。

このようにして、われわれは誰なのかという観点でこの「世界」を観察すれば、われわれが正しいと知っていることをすることは、考えるまでもないことである。簡単に楽々とできることなのだ。でも、そんなことして大丈夫だろうか? 気にしない。

死ぬかも? 大変だ、早く逃げろ!

だが、落ち着こう。私は死ぬことはできない。デーヴィッド・アイクという肉体を置いていくことができるだけで、いずれにしてもいつかはそうすることになる。彼の関節炎には、本当に悩まされている。しかも他のいたるところにまで出始めている。だけど、問題ない。

みんな私のことをひどく言うかもしれないって? 困ったね、早く黙らせろ!

しかし、待てよ、だから何だ? 私は最上級の罵詈雑言を浴びてきたけれども、過去に私のことを馬鹿にして罵倒した人たちの多くが今は私に同意しつつあり、私はまだここに残っている。

どうしてそんなことが可能なのだろうか? 暴言も中傷も、その本質は無意味だとみなすことによって可能となったのだ。

それでは意味あることとは何か? 自分が正しいと知っていることをやることだ。それ以外はすべてわき道だ。

人々が目覚めて、肉体意識のソフトウェア・プログラム(私にはできない、できなかった、私には力ががない、小さな私に何ができる?)を覆すことができれば、あなたがやるべきことをするために、あなたがいなければならない場所に、あなたを連れて行ってくれる流れが開かれる。

何をすることができるのかを人から教えてもらう必要はない。何ができるかは自分で分かっているはずだ。そして、それをするのか、肉体意識がブルブル震える手でハンドルを握り続けることを許すのかの選択である。

本当に目覚めた人々は、正しいと知っていることをやるので、常に「ヒーロー」として人類に認められ続ける。しかし、彼らは実はヒーローではなく、ただ単に目覚めているだけであり、真の自己認識に到達しているだけなのである。

さて、あなたが待望するヒーローたちはどこにいるのだろうか? 鏡をみてほしい。彼・彼女はずっとそこにいる。知り合いになっておいてもよい時期だ。すべてが、まさにすべてが、そこから始まる。


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by oninomae | 2008-10-24 02:09 | 政治詐欺・政治紛争  

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