シンクタンク人脈が進めるアジアの友好破壊工作 by 広瀬隆 他

シンクタンク人脈が進めるアジアの友好破壊工作

ワシントンの軍事シンクタンク「戦略国際研究センター(Center for Strategic and International Studies)に注目してみよう。

この所長だったロバー卜・ゼーリックは、息子ブッシュ政権の通商代表となって日本に貿易圧力をかけ続け、日本の新聞で日米軍事同盟としてのガイドラインの必要性を強調してきた人物である。
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北朝鮮の脅威を強調するあまり、日本人が避難民になることや、朝鮮半島が統一されて北朝鮮の核兵器に支配される未来など、あり得ないことを喋りまくってきた。
このシンクタンクの幹部にオルブライト国務長官、
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パレスチナ和平合意を入植政策でつぶしたイスラエル首相エフド・バラク
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国際問題委員会議長のキッシンジャー[Henry Alfred Kissinger]たち、イスラエル人脈がいた。
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戦略国際研究センターのハワイ・ホノルル支部がパシフィック・フォーラム(太平洋会議)という組織で、所長をジェームズ・ケリーがつとめていた[1994-2001]。
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彼はレーガン政権の国防副次官補として東アジアと太平洋を担当し、続いてレーガン大統領特別補佐官となって、安全保障を担当した。つまりイランに武器を密輸したポインデクスターの部下であり、
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弟ジョン・ケリーが湾岸危機前のサダム・フセインと親交して悪名高い国務次官補だった。

ケリー兄弟は明らかに、兄がイランに、弟がイラクに、いずれも危険な兵器輸出ゲームを展開していたことになる。
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そして二〇〇二年十月十五日、北朝鮮に拉致されていた被害者五人が日本に帰国した翌日、ブッシュ政権の国務次官補となっていたジェームズ・ケリーが、北朝鮮の「核開発」という物語を世界的な話題としてメディアに提供し、拉致被害者五人が北朝鮮に残してきた家族と会えなくなったのである。このタイミングは偶然ではない。少し前に戻って、経過を見る必要がある。

ブッシュ政権が発足する五日前だったが、二〇〇一年一月十五日、ケリー所長率いるパシフィック・フォーラムの主催で、日本の国際交流基金国際会議場で「新日米同盟プロジェクト」と銘打ったフォーラムが開催された。そこに出席していた軍事シンクタンク「スティムソン・センター」のベンジャミン・セルフは、アメリカの日中関係第一人者というふれこみで参加していたが、台湾問題の討議では、「アメリカは中国側の武力行使に対抗するためには武力行使も辞さない。アメリカにとって中国は世界で一番大きな脅威であり、アメリカと対抗しうる存在は中国だけ」と言い切り、台湾への大量のアメリカ製武器売却の正当性を主張、ほかの参加者も交えて日中が友好関係を結ばないよう、とんでもない発言をくり返した。そのフォーラムには、戦争が起こるたびに喜び勇んでテレビで軍事技術を解説する日本の著名な軍事評論家も出席していた。

この怪しげなフォーラムを主催してほどなく、ケリーは五月一日から東アジア・太平洋担当の国務次官補に就任した。が、(引用注:「で、」のほうがぴったり)世界貿易センタービル崩壊事件が起こり、アフガン攻撃が始まって地球が騒然とする中、翌二〇〇二年、日本と北朝鮮の首脳会談の日程が決まった。アメリカは公然とその会談を阻止することはできず、九月十三日に小泉首相を迎えたブッシュは、北朝鮮が核開発をしている情報を持っていると脅してみせた。しかし九月十七日に小泉首相が北朝鮮に飛ぶと、金正日総書記と歴史的な会談に臨み、金正日が拉致の事実を認めて謝罪し、日本と北朝鮮が正常な関係を求める道を拓いた。日本ではその大事件に耳目が集中した。しかしアメリカも、海の向こうからその会談を見ていた。ケリーが北朝鮮へのアメリカ政府特使として任命されたのは、それからわずか九日後の九月二十六日であった。なぜホワイトハウスは、急いで北朝鮮特使を任命したのか。

ただ一つ考えられる理由は、北朝鮮を「悪の枢軸」呼ばわりさせたブッシュの取り巻きが、日朝国交正常化を妨害するための特使を創作しなければならなかったことである。すでに日本では拉致問題が最大の話題となっていた。その事件解決が日本と北朝鮮の友好をもたらす可能性は高く、事態が進む前に誰かが北朝鮮を訪問して、友好を破壊しなければならなかったはずだ。十月三日に急逮ケリーは北朝鮮を訪問し、北朝鮮に罠をかけた。核兵器開発についてウラン濃縮計画の"証拠"があると挑発すれば、北朝鮮が威を張ることは間違いなかった。ケリーが北朝鮮の外務次官に会って話を進めると、「ウラン計画を進める権利がある」との言葉が返ってきた。

北朝鮮が抽出できるのは、一キログラム単位のプルトニウムである。この発言は、その数千倍にあたる五トンのプルトニウムを日本がすでに東海村に保有し、核弾頭を搭載できるミサイルを保有している事実に照らして、北朝鮮軍部としては当然の主張だった。日本では、青森県六ヶ所村でさらに大きな再処理工場を運転して、毎年五トンを超える"用途不明のプルトニウム"を取り出す計画が、経済崩壊した国家で非常識にも二兆一四〇〇億円を投じて進められ、二〇〇三年からその本格テストに突入するスケジュールが組まれてきた。日本のメディアが批判してきた北朝鮮民衆の貧困と飢餓を加速した原因が、軍事予算の肥大化にあることは常識で、その根っこに、かつて実際に朝鮮半島を侵略して賠償もしない日本政府と、北朝鮮を包囲する核への危機感と対抗意識があることも、軍事的には明白だった。こうした現実についての日本人の無関心が、忌まわしい拉致事件と北朝鮮の軍部暴走を引き起こしてきたのだ。

では、アメリカが騒ぐように北朝鮮の軍事力はそれほど脅威だったのか。北朝鮮の実態は、軍部が核兵器を製造しようとしても、原子力プラント技術は粗末なもので、経済的にも軍事予算は日本の二〇分の一だった。むしろ張り子の虎の強がり発言にすぎず、全世界の軍人に共通する常套句の一つにすぎない。ところが米朝会談の内容は外部が誰も知り得ない出来事なので、アメリカがメディアに勝手な見解をリークして北朝鮮への嫌悪感を煽るだけで充分である。ホワイトハウスはその発表のタイミングを図った。

拉致被害者の帰国日程は十月九日に明らかになった。そして十五日に五人が帰国し、希望のあるニュースが日本を駆けめぐった。その翌日、アメリカ国務省が「北朝鮮は核開発を認めた」と、あたかもすでに核兵器開発に猛進しているかのように聞こえる北朝鮮危機論を煽ったのである。すでに打ち合わせ通り、イギリス政府もただちに「核開発に抗議する」として、初の北朝鮮駐在大使として予定していたデヴィッド・スリンの赴任を延期すると発表し、国際問題に高めた。十七日の日本の新聞見出しは、北朝鮮「核兵器認める」一色に染まった。「アメリカ国務省は根拠も示さずそう発表した」と書くべきところをだ。

拉致被害者は十日間ほど日本に帰国後、北朝鮮に戻って家族とその後を相談することになっていたが、北朝鮮憎しの論調を煽る日本のテレビと新聞、雑誌は被害者の家族の再会を思いやることがなかった。北朝鮮が日本とアメリカのためになめた一世紀にわたる辛苦を想像する見識も備えていなかった。こうした場合、まず北朝鮮と日本の国民が巧みに自然交流し、何よりも被害者が日本に帰国できる状況をつくらなければならないところを、メディアも政治家も自らの手で国交正常化を絶望的な状況に追いやった。ケリー発言の根拠が不明であることを翌月(十一月二十一日)に明らかにしたのは、私が知る限り朝日新聞だけで、これほど重要な記事もほとんどの日本人には意味が通じなかっただろう。

ほくそえんだ新保守主義者グループは、ほとぼりがさめないうち、十一月八日にネオコン七人組の一人ダグラス・ファイス国防次官を日本に派遣し、北朝鮮のミサイルの脅威を認識せよと迫り、日本にミサイル防衛開発に協力するよう政界に圧力をかけ、同時にイラク攻撃への協力を求めた。彼らの目的が形をとって現われた。 (引用注:当たらないミサイル「防衛」システムを買え。そのあと、戦争しろ?)
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ファイスはアメリカ・シオニスト機構に属する過激派で、国連を一切排除せよと主張する軍事行動第一主義の論客である。パールウォルフォウィッツを筆頭に、ネオコン・グループがことあるごとに国連の権威をおとしめる発言をくり返すのは、安全保障理事会がイスラエルに占領地から撤退するよう非難決議をたびたび採択してきたからである。
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パレスチナ人の建国にとって最も重要なその決議を「意味ないものだ」と主張するため、彼らは国連そのものの存在意義を否定することに力を注いできた。ファイスはレーガン政権で国防次官補パールの特別顧問をつとめたあと、イスラエルのシンクタンク「高等戦略政治問題研究所」の活動に参加した。この組織は八四年にイスラエルのエルサレムに設立された政治団体で、前述のように、ワシントン支部を通じてアメリカ議会に圧力をかける活動を展開してきた。イラクにハーシム家を復活させる政策を九六年に提唱したのがこのシンクタンクで、その文書にパールとファイスが署名したのである。
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やがて拉致被害者が日本に帰国した二〇〇二年秋から、「アメリカが日本の核武装を認めて北朝鮮をおさえるのも一つの方法だ」という危険きわまりないアジアの核ゲームを示唆する意見が、そちこちのシンクタンクから流れ出し、日本の右翼論者がそれを受けて「日本の核武装宣言」を出し始めた。これらのアジア分断工作に成功したケリーは、年が開けて二〇〇三年三月十二日の上院外交委員会公聴会で「北朝鮮が兵器級の高濃縮ウラン製造に必要なのは数ヶ月であり、数年ではない」と針小棒大な証言をして挑発し続けたため、北の張り子の虎は「俺たちはいつでも核兵器をつくれる」とますます発言をエスカレートしていった。さらにパールが二〇〇三年六月十一日、「アメリカは、イラクと同じように北朝鮮攻撃も辞さない」と、最も危険な言葉を口にしたのである。(引用注:その影で、イスラエルが北朝鮮に核技術を指南するというわけで)


広瀬隆 アメリカの保守本流 (2003.9.22) 第4章 シンクタンクがばらまく軍事思想 p211-218より

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引退した小泉元首相の後継者・小泉進次郎の正体 オルタ
http://alternativereport1.seesaa.net/article/107318894.html


1843年、アヘン戦争の結果、南京条約で上海が開港されると、米国では、麻薬専売会社ラッセル&カンパニーが中国への麻薬輸出を開始する。

この時、ラッセル社は、スコットランドの麻薬専売会社ジャーディン・マセソンと連携、その支援を受ける。

ラッセル社は、1823年、コネチカット州ミドルタウンのサミュエル・ラッセルがトルコのアヘンを米国等に輸入する目的で設立。1830年代には、ボストンの麻薬密売マフィア=トーマス・H・パーキンス・シンジケートと合体、米国最大のアヘン密売業者となる。

ラッセル社が中国への麻薬販売を開始すると、中国・広東にはルーズベルト大統領の祖父ウォーレン・デラノjrが、ラッセルの最高執行責任者として駐留し、その麻薬輸出を「仕切った」。

ルーズベルト一族の財産は、こうして形成された。

デラノは当時、アメリカ政府の副領事を兼任しており、ラッセルの麻薬販売が米国政府「公認」、米国政府自体の「事業」であった事が、ここから分かる。

ラッセル社の幹部には歴代、コロンビア大学創立者のアビール・ロウ[Abiel Abbot Low、1811–1893]一族、雑誌「フォーブス」創立者のジョン・M・フォーブス一族、中南米での黒人奴隷農園を経営するUF=ユナイテッド・フルーツ社の創立者ジョセフ・クーリッジ一族(後に一族からクーリッジ大統領を輩出する)が就任して来た。UFの黒人奴隷監視組織が後にCIAに発展する。またラッセル社の監査役には、ブッシュ大統領一族の先祖=J・プレスコット・ブッシュが就任している。

ここに名前を挙げた一族は、麻薬販売によって財産と地位を形成する。

1754年、キングズ・カレッジの名前で、英国による米国の植民地支配のための「ノウハウ・スクール、英国直結の米国監視・スパイ養成学校」として、英国国王ジョージ2世の特許状に基づき設立されたコロンビア大学は、アビール・ロウ一族の麻薬資金によって「大規模化」されてゆく。

米国が英国から「独立」するに従い、コロンビア大学は米国による「植民地支配国の管理ノウハウ・スクール」に転じる。

コロンビア大学が、米国の「植民地支配国に対する管理ノウハウの伝授スクール」である事は、第二次世界大戦中、日本語の堪能な人材が、この大学に集められ、当時、米国の敵国であった日本に対する「対日暗号解読部隊」が、この大学を舞台に結成された事でも分かる。この大学は、事実上、対日戦略情報部隊の中心地であった。

つまり「米国による日本の支配のための人材育成大学」が、この大学の正体である。

小泉元首相が自分の後継者・進次郎を、コロンビア大学・大学院に「送り込んだ」所には、「米国による日本支配のための、アヤツリ人形」であった小泉の正体が「明確に出ている」。

小泉の後継者・進次郎は、コロンビア卒業後、CSISに入っている

ワシントンのジョージタウン大学内にある、CSIS=センター・フォー・ストラテジック・アンド・インターナショナル・スタディーズは、元々、エドマンド・ウォルシュ外交学院と言う名前で創立された。ウォルシュは、ナチス・ドイツ=アドルフ・ヒトラーの戦争戦略を作り上げたナチスの地政学者カール・ハウスホーファーの弟子であり、ナチス地政学を米国に「移植」するためにCSISを創立した。ウォルシュはイエズス会の神父でもあった。
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CSISは1964年、中国共産党諜報部の喬石長官との協力の下、中国国内の麻薬製造地帯のネットワークを「整備」し、世界各国に中国産麻薬の販売網を「形成」した。

この麻薬販売の利益で兵器を購入し、CSISは1972年から、南アフリカの黒人人種差別体制を維持するための軍備として提供し、またイスラエルが中東戦争を実行するための兵器として供給してきた。

CSISは、南アのスパイ組織=国家安全局BOSSと協力し、南アの金塊・ダイヤモンド・ウランと、中国製麻薬の利益=兵器と「バーター取引」を行う、諜報・スパイ組織であった。

またCSISは、イスラエルに兵器を供給し、中東戦争によって「石油価格を高騰させる」、石油王ロックフェラーのための「石油価格コントロール」センターであった。高騰した石油の利益で中国産麻薬が購入され、麻薬の販売利益で兵器が買われ、その兵器がイスラエルに渡り、中東戦争を起こす。そして石油が高騰する。


これが、米国=中国=イスラエルによる、「現在にまで続く」戦争経済の仕組み、戦争マシーンのシステムである。

現在、CSISは、米陸軍・海軍直系の軍事戦略研究所でもあり、米軍の持つ膨大な数の生物化学兵器の管理センターともなっている。

CSISの顧問には、ヘンリー・キッシンジャー、その弟子でライス国務長官の師匠であるブレント・スコウクロフトが名前を連ね、
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ロックフェラー・ロスチャイルドの世界帝国建設のための軍事戦略を「描いた」ズビグニュー・ブレジンスキー(大統領候補バラク・オバマのブレーン)が、CSISの理事を務めている。
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小泉の「後継者」は、このスパイ組織の「対日エージェント」として「派遣されて来る」。



参考

The Order of the Skull and Bones at Yale University.
http://www.angelfire.com/mi4/polcrt/Yale.html


History of Tea : USA
http://www.gol27.com/HistoryTeaUSA.html

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by oninomae | 2008-10-19 17:55 | イルミナティ  

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