原爆ホロコースト:長崎

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ジョージ・ウェラー著、アンソニー・ウェラー編『ナガサキ昭和20年夏』(二〇〇七年)を見ることにしよう。この本には「GHQが封印した幻の潜入ルポ」という副題がついている。ジョージ・ウェラーが残した記録を息子のアンソニー・ウェラーが六十年を経て編集し、出版したものである。

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ウェラーは、一九四五年九月六日から十日まで長崎に滞在した。彼の報告書は「シカゴ・デイリー・ニュース」に送られ、広くアメリカの読者に届くはずであった。しかし、その記事は東京のマッカーサー司令部の検閲官により破棄された。ウェラーは自身で原稿の写しを残していた。彼は一九四五年九月十日から二十日まで、大牟田の捕虜収容所を訪問している。その中で原爆との関係を語る兵士たちの声を採録している。

H・ディン戦車操縦士(ウォルバーハンプトン出身)
「この新しい爆弾のおかげで戦争が終った」
ジョージ・フラー戦車操縦士(スコットランド、ダンディー出身)
「原子爆弾万歳。干しぶどうの入ったプディングがもうすぐ食べられる」
ジョージ・アレン兵卒(ダービー出身)
「無慈悲な未開の野蛮人の手にかかった悪夢だった」
H・ジョーンズ伍長(ダービーシャー、チェスターフィール出身)
「原子爆弾が文明に吹き戻してくれた。三年半の地獄がついに終った」
T・ジャクソン兵卒(トーキー出身)
「人間をあんなにひどく扱えるものとは知らなかった。日本人は人間ではない」

ウェラーの「日本・長崎発。一九四五年九月七日(金曜日)午前零時」と書かれた記録がある。
その最初の部分を記す。

長崎港にある二つの連合軍兵士捕虜収容所にはおよそ一〇〇〇人が収容されているが、みんな知りたいことはただ一つ、「原子爆弾はどういう仕組みになっているのか」ということだった。彼らはその威力は目にした。 日本軍は収容所の一つを三菱の巨大な兵器製造所の真ん中に設置し、もう一つを長崎港の入り口に設置した。上陸部隊が進攻する際には、砲撃を避けられない場所である。

原子爆弾で、捕虜の指揮官をしていたキック・アールダー中尉(ジャワ、バンドン出身)を含む七人のオランダ人とイギリス人一人が死んだ。記者〔ウェラー〕は六日午後、彼らの収容所を訪れた。外部の人間が訪れるのは数年ぶりのことだ。アメリカ人、イギリス人、オランダ人、オーストラリア人の国ごとに最大の関心事がそれぞれ違う。

読者はこの文章を読んで不思議に思わなかったであろうか。長崎港に一〇〇〇人いた捕虜のうちで死亡したのは、たったの八人であった。しかもアメリカ兵は一人も死んでいない。

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(長崎駅近辺・長崎港でもこう↑なった。この東の諏訪神社のあたりは、山に遮られて無事だったようだが。とにかく、なにか特別なことがなければ、捕虜は三菱の工場で働かされていたはずの時刻でもある)

「日本軍は収容所の一つを三菱の巨大な兵器製造所の真ん中に設置」していたのである。ウェラーは「長崎の医療センターは、三菱の魚雷、ディーゼルエンジン製造工場や、造船所をなぎ払った同じ爆風で、ほとんどの職員もろとも根こそぎ破壊されてしまった」と書いている。また、彼は「二万一〇〇〇人が死亡したが、これは原子爆弾の放射線が致死的であるのではなく、上空を飛ぶアメリカ機がはっきりと見えているのに、市民が出されていた警報を無視して防空壕に入らなかったのが原因と言える。三菱の工場で死んだ人たちも、工場群のまっただ中に収容所があった連合国軍人の捕虜たちを含めて、上空に敵機がいるにもかかわらず三菱が仕事を続けるよう命じたがために死んだ」と記している。

幾度も引用したゴードン・トマスとマックス・モーガンHウィッツの『エノラ・ゲイ』の中に、長崎の捕虜収容所について書かれた文章がある。

一九四五年七月三一日--ワシントンDC
その二三名の捕虜から七〇〇〇マイルの距離のところにグローブズがいた。それは七〇〇〇光年の距離にたとえてもよかったであろう。彼はグアム島のスパーツからの緊急電報の写しをじっと読んでいた。それには日本にいる別のアメリカ人捕虜についての質問で、次のような電文であった。

「八月五日以後に予定される『センターボード』長崎攻撃に関する件。捕虜より得たる情報によれば、写真による実証なきも、長崎市中央より一マイル北に連合軍捕虜収容所ある由。この事実は『センターボード』の最初の作戦目標選定に影響するや?至急返待つ

グローブズはこの電報に「心配」した。それは数百名の連合軍捕虜の生命が危険にさらされるからというより、他の理由があった。

「当時スパーツと私とが利用していた諜報観測が明らかに細かい点で不正確であったからである。その諜報が正しければ、捕虜収容所は長崎湾の西側にあるはずであった。しかしどうもその反対側のほうが可能性が大きいように思われた。捕虜たちは造船所で働かされているということだったが、そちらのほうが造船所に近いからである。しかしどっちの位置が正しいにせよ、原爆爆発の時には、おそらく彼らは造船所付近で働いており、当然原爆の危険にまともにさらされるのは免れないようにみえた」〔中略〕

グローブズは長崎の捕虜が、どうみても盲目になり、おそらくは死ぬであろうということを知っていた。彼はこの時初めて、マンハッタン計画についての一切の責任を取ることを望まず、ハンディ将軍(スパーツに爆弾攻撃を許可する「書付け」を与えた将校)と相談した。ハンディ将軍は、三巨頭会談から帰ったばかりのスチムソンにこの質問の件を知らせるべきだと考えた。

グローブス将軍はスティムソン陸軍長官に会い、この質問書を見せる。スティムソンはグローブス将軍に「返電をする場合にはすみやかに見せろ」と言っている。グローブス将軍が、「しかし、どっちの位置が正しいにせよ、原爆爆発の時には、おそらく彼らは造船所付近で働いており、当然原爆の危険にまともにさらされるのは免れないようにみえた」と書いている。しかし、七月三十一日から十日後の九日に長崎に原爆が投下される。そして、長崎港の捕虜収容所にいた一〇〇〇人のうち、たった八人しか死ななかった。しかも、アメリカ人はただの一人も死ななかった。私はこの奇跡の謎を解く力を持たない。ただ、謎を解けないでは読者に申し訳ない。それで、推測をして、この章を終わることにしたい。

グローブス将軍はスティムソン陸軍長官に依頼した。
「閣下、私は重大なミスを犯しました。捕虜は一〇〇〇人以上います。長崎港の収容所だけだと思っていましたが、あの目標地に定めた三菱の中にもいます。閣下、閣下のルートでこの捕虜たちを救って下さい」
「グローブス将軍、最後の最後で難問にいたったが心配しなくてもよい。私は小倉の代わりに長崎を第一目標にしようと思っていたのだ。グルーを通じてさっそく交渉をしよう。最少限の捕虜が三菱で犠牲になるのは避けがたい。しかし、長崎港にある収容所にいるのはほとんどがアメリカ人だ。

爆弾を投下する前に、日本海軍の艦船かどこかに彼らを密かに移す。原爆が投下された後に、また彼らを収容所に戻す。この収容所には何人も外から入れてはならない。そして、捕虜たちに将来にわたって沈黙を守れと言わねばならない。帰国前に誓約書を書かせろ。さもなくば、国家反逆罪で罪に落とすとな」


ウェラーの報告書は永遠に葬られたはずであった。ウェラーは記者として一番最初に長崎に入ったが、日本から追放処分になった。しかし、彼は貴重な記録を残して死んだ。その息子がこの事実を伝えるまでに六十年の年月が流れた。私の推測以外に別の推測はないし、事実があるならば、是非、公にしてほしい。どうして一〇〇〇人の捕虜のうち八人しか死ななかったのか、を

スティムソン陸軍長官の七月三十一日(火)の日記の一部を記しておく。

九時三〇分ごろジョー・グルーが、国務省所管の問題について私と話し合うためにやって来た。気の毒に、彼は上司が不在であるため、がたがたの国務省を運営することでいささか苦労してきたのだ。そういうわけで相談することがたくさんあり、私は私の出張やS11にかかわる出来事について最新の情報を彼に提供した。日本に対する取り扱いについて私が述べた見解を彼が全面的に支持していることがわかり、嬉しかった。

このスティムソンとグルーの会話の中にグローブス将軍が加わっていたと私は考える。グルーは、全面的にスティムソンに協力すると約束をしたと思える。

『エノラ・ゲイ』の中に、「わたしはそれを情報として陸軍長官に見せるのだということを話し、さらにそれは我々の責任であって、その責任を長官にあずけるつもりはないと付け加えた。わたしは、もしその気ならば長官が変えることができるということを取り立てて言わなかったが……」とグローブス将軍は書いている。「もしその気なら」とは、どういう意味なのであろうか。スティムソンが長崎をあきらめるということなのであろうか?それとも、私が先に書いたように、ステイムソンなら、日本のある支配勢力を動かして、捕虜を無事に保護しえると思ったのではなかったか。

それで、スティムソンは急いでグルーを国防総省に呼びつけた。グルーはスティムソンの意向を受け入れた。それがスティムソンの「日本に対する取り扱い」であり、「私が述べた見解」をグルーが承諾し、グルーは「全面的に支持」すると述べたのではなかったか。

ここに正直に告白する。私はウェラーのことを書いて、この章の終わりとした。そして床についた。その深夜(二〇〇八年一月十六日朝近く)に、夢を見ている自分に気づいた。夢の中で、七月三十一日のスティムソンの日記について誰かに語りかけている自分に気づいた。夢の中の私は、もう一つ別のことを誰かに語り続けていた。そのことも記すことにしよう。夢の中で、スティムソンが登場してきた。そして、思いもかけないことを語りだした。

グローブス将軍よ、小倉でなく長崎に私がこだわるには二つの理由があるんだ。一つは、戦後に朝鮮で戦争を計画していることだ。ホプキンスがニカ月前にスターリンと会見した。このときに、スターリンは朝鮮半島を南北に分断することに同意した。私は駐ソ大使アヴェレル・ハリマンとポツダムで朝鮮半島問題について話し合った。マーシャル将軍も賛成していることなのだ。それは、絶対に秘密にしてくれ・・・。第二次大戦が(ヨーロッパで)終わった今でさえ、兵士たちは就職難だ。あと数日でこの太平洋戦争も終結する。戦争がつくった大事業がすべてなくなる。分かるか?私はバーンズを追っ払い、マーシャルを国務長官にするように工作しろとハリマンに言った。マーシャルなら、俺たちの言いなりだ。すでに、朝鮮半島に内乱を起こしつつあるのだ。ここを戦場にもっていけば、アメリカは救われるだろう。福岡、八幡、下関は、その戦争の後方基地となる。天皇には私たちから、そういう場合は協力してくれと申し上げている。彼は協力すると答えたのだ。福岡と八幡は特に重要だ。私は福岡県と隣接する大分県別府市に一発の爆弾も落とすなと、ルメイ少将に命じたのをお前も知っていよう。朝鮮戦争のための慰安基地として、別府ほどに理想的な土地はないのだ。いいか、これも秘密だ。
もう一つ、長崎でなければならない理由がある。ローマ・カトリックはヒトラーの残党たちを南アメリカに逃している。日本の真珠湾奇襲と同じパターンだよ。「日本のローマ」である長崎の浦上に原爆を落とし、ローマ・カトリックに意趣返しをすることになっているんだ。ローマ法王を震えあがらせ、俺たちが育てた「オプス・デイ」を内部に入れて、やがてローマ・カトリックを乗っ取るためなのだ。
さあグローブス将軍、君の名誉は守られる。君はあと十数日で、アメリカで永遠の名のつく英雄の一人となる。何も心配することはない。スパーツにすぐに返電しろ。心配するなとスパーツに言ってやれ。スパーツから具体的な内容の電報が入ってこよう。すぐに私のもとへ持ってこい。戦後、君はしばらく原爆関係の仕事をやれ。そして、モルガンの会社の重役になるよう私が手配している。
英雄・グローブス将軍よ、いよいよ最後の時がきた。何ら迷うことなく、ベストを尽くせ。--


このスティムソンとグローブス将軍の会話の後の出来事を『エノラ・ゲイ』は次のように書いている。

その間にスパーツは、もう一本の極秘電をハンディに送っていた。それはこういう電文であった。「捕虜より得たる報告によれば『センターボード』の目標五都市のうち、連合軍捕虜収容所なきは広島のみ。返待つ」
ハンディは、グローブズと簡単に電話で打ち合わせてから返電を書いた。グローブズは、陸軍長官が捕虜の件でかれこれ言わなかったのでほっとしていた。スパーツヘの返電は次のとおりであった。「もし貴官の情報が確かと信ずれば、広島を最優先せよ」
スパーツには自分の得た情報が信頼できないと考える理由はなかった。こうして広島が目標のリストのトップに置かれることになった。

この『エノラ・ゲイ』の中に、原爆投下によりもたらされるであろう被害についてマーシャル参謀総長に提出した報告書が出ている。スパーツからの至急電報の少し前のある日のことである。甚大なる被害が出ることは次第にロスアラモスの研究所長オッペンハイマー博士によって報告されていた。間違いなく、オッペンハイマーの報告書であろう。


さすがのグローブスでさえも「スパーツの質問は答えやすい質問ではなかった」と認めざるをえなかった。彼は原爆の生産計画を知らせた参謀総長マーシャル将軍への先日の報告のなかで、原爆爆発の付近にいる人々すべての運命がどうなるかを鮮かに描き出していた。

「原爆が空中一八〇〇フイートの高度で爆発するとして、その爆発の直下の地上から計った場合、少なくとも半径一〇〇〇フィート内では爆発の爆風は致命的である。二五〇〇フィートから三五〇〇フイートの間では、人間に対する爆風の効果はきわめて痛烈である。熱と火焔との効果は約一五〇〇フィートから二〇〇〇フィートの間では致命的である。爆心から一〇マイルの地点では、一秒の数千分の一の間、光は太陽を一〇〇〇個寄せ集めたと同じであり、一秒目には太陽一個または二個と同じ明るさとなるであろう。爆発を直視した者に対する効果は爆心から半マイルの地点では一生不治の視力欠損、一マイル地点では一時的盲目、一〇マイルないしそれ以上の距離でも一時的視力欠損を呈するであろう。全然遮断されていない者に対しては、三五〇〇フィート以内ではガンマ線の作用が致命的であり、約二〇〇〇フィートまでは中性子の作用が致命的となる」

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この文書は七月十六日のプルトニウム爆弾の実験から得られた報告書である。長崎でこの爆弾が炸裂した。長崎では、グローブス将軍やオッペンハイマー博士の予想を上回る成果を上げた。

しかし、ここに奇跡が起こった。爆心地から近いところにいた捕虜収容所の人々はほとんど死なず(一〇〇〇人中八人が死亡)、原爆病にもかからなかったのである。

私はこの奇跡が起きたことを記して、この章を終わる。次章は運よく原爆では死ななかったが、食糧や薬を与えられずに死んでいった人々について記すことにしよう。


鬼塚英昭 原爆の秘密[国内篇] 第三章 長崎への原爆投下は真珠湾奇襲の復讐である
p137-146 より

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広島、長崎の人々は、ウラニウムで儲けながら支配しようという人間たちの、デモンストレーション・研究用実験動物にされたのであった。協力した日本人がいるらしいことは、まことに情けない。今も同じようなものだが
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by oninomae | 2008-08-09 00:04 | ホロコースト  

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