コード・マイヤー/砂糖/ジョン・J・.マクロイ/カス・カンフィールド/テニス by Clifford Shack

コード・マイヤー/砂糖/ジョン・J・.マクロイ/カス・カンフィールド/テニス by Clifford Shack

32.私の研究において、私が彼とコード・マイヤー・Jrとの間の時を同じくするリンクに注目し始めたとき、マクロイの重要性が、増大する意義を帯び始めた...メアリー・ピンチョー・マイヤーが、「インサイダー達の」知識を彼女の夫コード・マイヤーから受け取り、コード・マイヤーは彼の知識をジョン・J・マクロイから受け取ったことが私にとってますます明白になってきた。

マクロイはあるやり方でマイヤーの隠されたメンターであったことが、私にはますます明白になってきた。

以下の手掛かりが、私を疑惑へと導いた:

コード・マイヤー・Jrとジョン・J・.マクロイはともに、熱心なテニスプレーヤーであった。

マクロイの伝記、「The Chairman」中で、21ページを下らないマクロイのテニス・プレイングに対する参照がその本の索引中にある。

コード・マイヤーのテニスの能力はおそらく、以下のような事情で、強化されただろう。彼の不動産デベロッパーであった父親は、ニューヨーク州クイーンズ地区のフォレストヒルズの開発者であった。フォレストヒルズはもちろん、男子のグランドマスターズテニストーナメントのための会場である。

特に興味深いのは、マクロイとマイヤーは両者とも同じ友人を共有していたこと、その友人は、彼ら自身とと同じように、テニス愛好家であった-出版者カス・カンフィールドであった事実である。

以下の「The Chairman」からの引用が、このことを立証する: 「The Chairman」 p.596 、 「マクロイは、その戦争についての公開討論のテノールにより攻撃され、そのデモンストレーター達が敵に支援を与えていることを恐れた。彼は、ボブ・ラベットに、彼が反戦デモ参加者たちが戦犯として非難しているディーン・ラスクについて心配していると述べた。なぜラスクは応戦して彼への批判者たちに応答しなかったのか?後に、1967年、彼は外交問題評議会の会議に出席していたが、そこで彼の頻繁なテニス・パートナーであるカス・カンフィールドはその戦争がアメリカの若者を離反させていると不満を漏らした。マクロイは、英国は長いボーア戦争期間中意見の相違を我慢したし、我々もそうできるとやり返した。」

カス・カンフィールドは、外交問題評議会のメンバーで、ハーパー&ロウの非常に影響力のある編集者であった。

フィリップ・アギーの「Dirty Work」の章、「コード・マイヤー:ゴドフリー・ホジスンによる超スパイ」で 、コード・マイヤーは、以下のように記述されている: 「彼は大柄、50歳ぐらいで、壮健である:テニスプレーヤー。
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(参考: http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/JFKagee.htm)


同じ章の他のページ(p60)にこうある:「...彼[マイヤー]は、 再び束の間公衆の前に出てきた。1972年の夏、彼は彼の古くからの友人で元世界連邦主義者、ケネディ取巻きのお気に入りの出版者ハーパー&ロウのカス・カンフィールドの事務所に姿を現したが、それは、その代理業者が、それ[CIA]が東南アジア諸国におけるヘロイン貿易に関与してきたと主張するある書籍のゲラ刷りを校正することができるかどうか照会するためであった。」

いかにしてマクロイがマイヤー・Jrと実際に知り合いになったかについての私の考えは、コード・マイヤー・Srを通じてというものである。コード・マイヤー・Srは、彼のニューヨーク・タイムズの死亡記事によればマクロイと同い年であった。

しかし、その事実だけに私の仮定が基づいているわけではない。

1964年6月21日の死亡記事によれば、マイヤー・Srは、「彼が18歳の時に飛行機を飛ばし」始めた。「第二次世界大戦のあいだ、彼は陸軍通信部隊の航空隊部門に務めていた。」

「後に、彼は外交官として勤務することになり、キューバとスウェーデン大使館での秘書となった。」

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彼の息子が後に、CIAの隠密行動部門の長として。キューバへの他の行動と同様、ピッグス湾でのその国に対する隠密行動に携わることになるだろうことをここで記しておくのは興味深い。

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(参考:ピッグス湾事件 日本語wiki

このような出来事の連鎖は、マイヤー家にとってまったく当たり前のことである。一族は砂糖精製を通して裕福になったのである。

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[砂糖は、結局のところ、キューバの主たる天然資源である。]

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もうひとつ別の興味ある点は、ギャンブル業界とキューバへのマフィア・コネクションである。

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マイヤーとマフィアとは、JFケネディの暗殺にもまた関与している。

コード・Srの父コード・マイヤーの死亡記事によれば、それは1910年10月15日の日付になっているが、「ミスター・マイヤーは昔の精糖会社、ディック&マイヤーの故コード・マイヤーの子息で、彼の父の死に際して、700万ドルの財産を受け取った。」

政治で長い間活動したのは、この1910年に亡くなったコード・マイヤーその人である。

彼は、ニューヨーク州の元民主党委員長であった。

ウィリアム・ランドルフ・ハーストが州知事への民主党候補の指名を受けたのは、彼コード・マイヤーが委員長を務めていた期間中であった。

元記事は
32.http://www.geocities.com/cliff_shack/mary/mary32.html

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by oninomae | 2008-07-05 20:17 | イルミナティ  

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