軍事法廷で裁かれなかったクルト・フォン・シュローダー男爵 by ユースタス・マリンズ

●シュローダー家に「踊らされた」ヒトラーとチェンバレン(「」は引用者)

ラディスラス・フアーゴは、『狐のゲーム』1973年)のなかで、ウィリアム・デ・ロップ男爵は二重スパイであり、第二次世界大戦以前に最上層部に浸透し、ヒトラーはデ・ロップを英国問題の秘密コンサルタントとして頼みにしていた、と報告している。

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『大型金融操作帝国』(インターナショナル出版社、1957年)のなかでヴィクター・パーローは次のように書いている。

ヒトラー政府は、ロンドンのシュローダー銀行を英国およびアメリカにおける彼らの金融代理店とした。ヒトラーの個人銀行勘定は、シュローダー銀行のドイツの子会社であるJ・M・シュタイン銀行にあった。英国のJ・ヘンリー・シュローダー銀行のF・C・ティアクスは、他の二人のパートナーとともに英国ードイツ友愛会のメンバーであり、法人会員でもあった」(177ぺージ)

ストーリーはパーローが予想した以上の展開をした。J・ヘンリー・シュローダーは実際にアメリカ優先運動[1940-41年に、合衆国は孤立主義を守り、ヨーロッパの情勢(ナチズム・第二次大戦など)に介人すべきではないという主張を展開した運動]に匹敵する英国の英国-ドイツ友愛会のメンバーであり、ドイツとの不必要な戦争に国家を介入させることを望まない愛国者たちをも魅了していた。

第二次世界大戦が勃発するまでの1930年代、シュローダー家は英国-ドイツ友愛会に資金をつぎこんだ。その結果ヒトラーは、多くの著名な政治家や金融業者からなる大きな親ドイツの第五列を英国に有すると確信した。

1930年代の英国には、二つの互いに異なった政治団体があった。

その一つはウィンストン・チャーチル[1874-1965、首相(1940-45、51-55)]の卒いる戦争党(War Party)であり、英国はドイツに対して参戦すべきであると猛烈に要求していた。
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もう一つはネヴィル・チェンバレン[1869-1940、首相(1937-40)]の率いる宥和党(Appeasement Party)であった。
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ミュンヘン会談のあとでヒトラーは、チェンバレンのグループが英国における支配政党となり、チャーチルは弱小な民衆扇動家になると信じた。彼の支持者であるシュローダー家が宥和党の後援をしていたので、ヒトラーは戦争はないだろうと信じたのであった。ヒトラーは、いまやチェンバレンがヒトラーを欺くという目的に仕えており、宥和党の支援者たちがチェンバレンを退けてチャーチルを首相にするつもりだなどとは気づきもしなかったのである。

「時代は平和であろう」と信じてミュンヘンをあとにしたのは、チェンバレンのみならず、ヒトラーもまた同様だったのである。(引用者は、ここはあまり信じていない。ヒトラーはどうなるか知っていたと思う。みんな、共通の目的に向かってお芝居を演ずる役者であっただろう


●軍事法廷で裁かれなかった戦争犯罪人クルト・フォン・シュローダー男爵

このように信じるようヒトラーを欺くことに成功したシュローダー家であるが、このことは第二次世界大戦のもっとも頭を悩ませる疑問のいくつかを説き明かしてくれる。

殲滅することが可能であったにもかかわらず、ヒトラーはなぜ英国軍がダンケルクから野営をひき払い、帰国することを認めたのであろうか?その英国軍に止めの一撃を送りたいと望む将軍たちの激しい進言に抗して、ヒトラーは、彼を支援する英国の広汎な信奉者たちの気持ちを疎遠にさせることを望まなかったのである。それと同じ理由から、英国-ドイツ友愛会のグループは彼と和平交渉をする準備があり、そうする必要はないだろうと信じたので、彼は軍事的に優位にある時期に英国へ侵攻することを拒否したのであった。(引用注:もちろん、このことはヒトラーが「英国」「諜報部」のエージェントと考えても説明可能である

ルドルフ・ヘスの英国への飛行は、シュローダー・グループが和平交渉を行ない、ソ連に対して共同戦線を張る用意があるかどうかを確認する試みであった。ルドルフ・ヘスは、戦後何十年もたった現在も牢獄で苦難の日々を送っている。もし釈放されたなら、戦争の終結にかんして英国-ドイツ友愛会のメンバーすなわちシュローダー・グループと接触するために英国へ行ったと証言したであろう。

次のコメントは、1945年10月21日付けのニューヨーク・タイムズ紙からのものである。

「ルクセンブルク・ラジオ放送によると、今夜、ナチ党台頭のために資金援助した元銀行家クルト・フォン・シュローダー男爵は、アメリカの捕虜キャンプで確認され、逮捕された」

同年11月1日付けの同紙には、次のようにある。

「英国軍司令部発。軍政府高官の今日の発表によれば、55歳の銀行家であり、ハインリッヒ・ヒムラーの友人クルト・フォン・シュローダー男爵はデュッセルドルフに拘留され、戦争犯罪人としての告発の決定を待っている」

1948年2月29日の同紙は、次のように報じた。

ドイツ・ナチの銀行家クルト・フォン・シュローダーが、連合国軍事法廷によって戦争犯罪人として裁かれなかったのは、第三次世界大戦阻止協会から昨日、緊急調査が求められたためである。フォン・シュローダーは昨年の11月に、英国占領区域Cのビーレフェルトにおいてドイツ反ナチ化裁判によって3ヵ月の禁固刑と1500ライヒスマルク[1925-48年にドイツで用いられた通貨単位]の罰金を宣告された。協会の代表モンテス・ギルピンは、フォン・シュローダーがなぜ連合国の裁判を免れ、わが国の高官がなぜフォン・シュローダーの連合国軍事法廷による裁判を要求しなかったのか、と問われるべき疑問を述べた。『フォン・シュローダーはヒトラーあるいはゲーリングと同じくらい罪を犯している』


ユースタス・マリンズ 「民間が所有する中央銀行」 第7章 ヒトラー・コネクション p209-213より
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by oninomae | 2008-06-25 20:42 | イルミナティ  

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