ヒトラーの資金調達に貢献したロンドン・コネクション by ユースタス・マリンズ

ヒトラーの資金調達に貢献したロンドン・コネクション by ユースタス・マリンズ 

●ヒトラーの資金調達に貢献したロンドン・コネクション

ホワイトハウスに友人をもつことだけに満足せず、J・ヘンリー・シュローダーはすぐにさらなる国際的冒険に乗りだした。それは、第二次世界大戦を仕掛ける計画以外のなにものでもなかった。

決定的な時点で、ドイツにおける権力を掌握するための資金をアドルフ・ヒトラーに供給することによって、それが可能となった。

フリッツ・テュッセン、ヘンリー・フォードそしてJ・P・モルガンを含めて、ヒトラーの資金調達に貢献した富豪は枚挙にいとまがないが、勝つ機会のある他の連中に対して行なったのと同様に、彼らは1920年代のヒトラーの政治運動に巨額の資金を提供したのである。だが、それ以外の人物はその後消え去り、ふたたび名前を耳にすることはなかった。

1932年12月、多くのドイツ・ウオッチャーは、ヒトラーもまた急速に世に忘れ去られるのは避けられないと見ていた。全国キャンペーンをうまくこなしはしたが、通常の資金源を使い果たし、いまや巨大な債務に直面していた。

『侵略」(ハッチンソン商会、ロンドン、1934年)のなかで、オットー・リーマン-ラスベルトは次のように述べている。

「ヒトラーは、1933年1月4日にベルリンでのシュローダー銀行の会議に招待された。ドイツの指導的な産業資本家や銀行家たちは、ヒトラーが資金難を乗り切り、私的軍隊の維持に関連して発生した巨額の債務を支払うことを可能とした。代わりに彼は、労働組合を破壊することを約束した。1933年5月2日に、彼はその約束を実行した」(44ぺージ)

1933年1月4日の会議に出席したのは、ニューヨークの法律事務所サリヴァン・アンド・クロムウェルのジョン・フォスター・ダレス[1888-1959]とアレン・W・ダレス[1893-1969、CIAの前進OSS(戦略事務局)のベルン事務所長(1942-45)]のダレス兄弟で、彼らはシュローダー銀行を代表していた。


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ダレス兄弟はしばしば重要な会議に姿をあらわした。彼らは、パリ和平会議(1919)では合衆国を代表した。ジョン・フォスター・ダレスはアイゼンハワー政権の国務長官として在職中に亡くなるが、一方のアレン・ダレスは中央情報局(CIA)長官を長年つとめた[1953-61]。

ダレス兄弟の擁護者たちは、ヒトラーをドイツの首相にした会議に彼らが出席したことはなかったと装いながら、ほとんど弁護しようとはしない。不正にも、レオナルド・モーズリーという伝記作家は、『ダレス兄弟』(ダイアル出版社、ニューヨーク、1978年)という本でそのことに言及するのを避けている。

ダレス兄弟は、1930年代の初期にサリヴァン・アンド・クロムウェルが相当な利権をもっていたドイツで長時間を費やし、いくつかの地方政府や巨大な産業連合、ドイツに利権をもつ多数のアメリカの大企業および数人の富豪を代表していた」 (88ぺージ)

アレン・ダレスはのちにJ・ヘンリー・シュローダー商会の重役になった。彼もJ・ヘンリー・シュローダーも、親ナチまたは親ヒトラーと疑われることはなかった。

ヒトラーがドイツの首相にならなければ、彼らの利益を倍増することになる戦争、第二次世界大戦をおし進めることができなかったのは、紛れもない事実である。

1943年4月18日にエズラ・パウンドは、ラジオ・ローマで次のように放送している。

「・・・この戦争に満足しないアメリカの男たちは、次の戦争をすでに準備している。反対する時は、いまである」


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『ソビエト大百科事典』(マクミラン社、ロンドン、1973年)には、次のようにある。

「シュローダー兄弟(ヒトラーの銀行家であった)の銀行は1846年に創設された。パートナーは、合衆国および英国の支店に関係するフォン・シュローダー男爵兄弟である」(第2巻、620ぺージ)

1944年10月11日付けのニューヨーク・タイムズ紙は、次のように報じている。

「クロード・ペッパー上院議員は、サリヴァン・アンド・クロムウェル法律事務所と関係をもち、1933年にヒトラーに資金援助をした、デューイ知事[ニューヨーク州の]の外交関係顧問のジョン・フォスター・ダレスを批判した。ペッパーは、ケルンのシュローダー男爵の家におけるフランツ・フォン・パーペンとヒトラーの1933年1月4日の会議について述べ、そのときからナチスは権力への進軍を継続することができたと説明した」


Re: 『国際金融同盟』の紹介記事 【本からの抜粋 英語】
http://www.asyura.com/0311/war42/msg/1186.html

The partners in Schroder, Rockefeller and Company included Avery Rockefeller, nephew of John D., Baron Bruno von Schroder in London, and Kurt von Schroder of the BIS and the Gestapo in Cologne. Avery Rockefeller owned 42 percent of ...

『国際金融同盟』の紹介記事
http://www.asyura2.com/0311/war42/msg/1074.html

投稿者 誰がために金は成る 日時 2003 年 11 月 20 日 02:55:57:y4wu3UhuAaXnY

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●イングランド銀行総裁モンタギュー・ノーマンの金融操作

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ロンドンのデイリー・ヘラルド紙の金融論説委員は1933年9月30日に、「ナチ党に(イングランド)銀行の支持を与えたのはノーマン氏の決定であった」と書いている。ジョン・ハーグレイブはモンタギュー・ノーマン[1871-1950、イングランド銀行総裁(1920-44)]の伝記のなかで次のようにいっている。

「ノーマンが、スレッドニードル街[ロンドンのシティーの銀行街]の彼の要塞(イングランド銀行)から、金融面での操作を通じてヒトラー主義[ドイツの国家社会主義]が政治権力を獲得し、維持できるよう、可能なかぎり支援できたことはきわめて明白である」

英国諜報部の空軍情報部長F・W・ウィンターボサム少佐のもっとも親密な友人で、ジャーナリストのウィルヘルム・デ・ロップ男爵は、ナチの哲学者アルフレッド・ローゼンベルク[1893-1946、ナチスの機関誌を編集、第二次大戦後に戦犯として処刑]をロンドンに連れていき、陸軍大臣のへールシャム卿、タイムズ紙の編集発行人ジェフリー・ドーソンおよびイングランド銀行総裁のノーマンに紹介した。

ノーマンと話をしたのちローゼンベルクは、ロンドンのシュローダー銀行の代表と会った。シュローダー銀行の常務取締役であるF・C・ティアクスはイングランド銀行の理事でもあった。

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ハーグレイブは次のように書いている。

「1943年の初頭、シティーの金融家たちの選ばれた一団が、窓のない壁の後ろのノーマンの部屋に集まった。それは、ラザール・ブラザーズのパートナーのサー・ロバート・キンダースレイ、チャールズ・ハンブロー、F・C・ティアクス、(イングランド銀行の理事でもある)サー・ヨシア・スタンプの面々であった。ノーマン総裁は、ヨーロッパの政治情勢について話した。ナチ・ドイツという名の新しい勢力が、大きな『安定した戦力』として定着していた。ノーマンは共同作業者たちにヨーロッパの財政支援計画にヒトラーを加えるよう助言した。反対する者はだれもいなかった」 (217ページ)

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『ウォール街とヒトラーの台頭』(76プレス社、カリフォルニァ州シール・ビーチ、1976年)のなかでアンソニー・サットンは次のように書いている。

「第二次世界大戦が進行しており、合衆国がドイツと戦っている1944年に、ナチのクルト・フォン・シュローダー男爵は、ITT[国際電信電話会社]の資金をハインリッヒ・ヒムラーのSS(規衛隊)組織に集中させるパイプ役を演じていた」 (79ぺージ)

クルト・フォン・シュローダーは1889年に生まれ、1788年創設のケルン銀行およびJ・H・シュタイン商会のパートナーであった。1933年にナチが権力を握ったのち、シュローダーは国際決済銀行のドイツ代表に指名された。

1940年のキルゴア委員会は、ヒトラー政権に対するシュローダーの影響力はナチ占領中のフランス政府の指導者にピエール・ラヴェルを指示するほど大きかった、と述べている。キルゴア委員会は、1940年代にクルト・フォン・シュローダーが有していた重要な肩書きとして、ドイツ帝国鉄道、ドイツ経済問題委員会、SSシニア・グループ、ドイツ郵便局評議会、ドイツ帝国銀行とその他の主要銀行および産業グループの代表など12以上をリストアップしていた。またシュローダーはドイツにあるITTのすべての支店の役員をもつとめていた。

1938年にロンドンのシュローダー銀行は、大英帝国におけるドイツの金融代理店となった。シュローダーのニューヨーク支店は、1936年にロックフェラー家とともにウォール街48番地にシュローダー-ロックフェラー社として合併された。シュローダーの力ールトン・P・フラーがこの会社の社長となり、アヴェリー・ロックフェラーが副社長となった。彼は何年にもわたって、J・ヘンリー・シュローダーの陰のパートナーであり、ベクテル社という建設会社を設立した。この会社の社員は、レーガン政権で国防長官および国務長官として指導的な役割を演じた[ワインバーガー国防長官とシュルツ国務長官]。

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Reagan Administration
circa 1981: A group portrait of Republican United States President Ronald Reagan (second L) with his cabinet members, Washington, DC. Included in the photo are Vice President George Bush (second R), Caspar Weinberger, James A Baker lll, George P Shultz, Edwin A Meese lll, Elizabeth Dole, Howard Henry Baker Jr, William J Bennet, John S Herrington, Clayton Yeutter, James C Miller lll, Malcolm Baldridge, and William Brock lll. (Photo by Hulton Archive/Getty Images)

by Hulton Archivereference: 3232328

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ユースタス・マリンズ 「民間が所有する中央銀行」 第7章 ヒトラー・コネクション p203-209より
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by oninomae | 2008-06-23 21:12 | イルミナティ  

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