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合衆国のすべての食糧を支配したロンドン・コネクション by ユースタス・マリンズ

●合衆国のすべての食糧を支配したロンドン・コネクション

フーヴァーの主要補佐官のうちの二人は、西海岸出身の木材船輸送会社の元社員プレンティス・グレイとダルース出身の穀物販売員であったジュリアス・H・バーンズであった。彼らは戦後、ニューヨークのJ・ヘンリー・シュローダー銀行のパートナーとなり、おもに穀物と砂糖によって莫大な富を蓄積した。

合衆国の参戦により、バーンズとグレイには新たに設立された合衆国食品局これもまたハーバート・フーヴァーの指示のもとに設置されたのであるがに重要なポストが与えられた。バーンズは、1917年から1918年までのあいだ合衆国食品局の穀物公社の社長となり、グレイは海上輸送の責任者となった。

J・ヘンリー・シュローダーのもう一人のパートナーであるG・A・ザブリスキーは、合衆国砂糖分配局の局長に指名された。

このようにして、ロンドン・コネクションは第一次世界大戦のあいだ、穀物と砂糖の「専制君主(ツァー)」を通じて合衆国のすべての食糧を支配したのである。合衆国食品局の汚職やスキャンダルに対して多くの苦情があったにもかかわらず、だれも告発されることはなかった。

戦後、J・ヘンリー・シュローダーのパートナーたちは、キューバの砂糖産業のほとんどを彼らが所有していることを発見した。
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M・E・リオンダというパートナーは、キューバ砂糖会社の杜長であり、マナティ砂糖およびその他の多くのキューバ砂糖企業の重役であった。バーンズもまたマナティ砂糖の重役であり、ピットニー・ボウズ・コーポレーションの会長でもあり、その他の多くの企業の株式を所有していた。

J・ヘンリー・シュローダー銀行の上席パートナーであるブルーノ・フォン・シュローダー男爵は、ノース・ブリティッシュ・アンド・マーカンタイル商会の重役であった。彼の父のハンブルクのルドルフ・フォン・シュローダー男爵は、シュローダー企業の重役のF・C・ティアクスとともに、ブラジル最大級のコーヒー会社であるサンパウロ・コーヒー社の重役であった。

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1923年10月11日付けのニューヨーク・タイムズ紙は、次のように書いている。

「イングランド銀行の理事フランク・C・ティアクスは、ロンドンのJ・ヘンリー・シュローダー銀行の支店を開設するために、当地に2週間滞在する予定」


合衆国砂糖分配局を統括することによって合衆国の砂糖王となったザブリスキーは、戦後、エンパイアー・ビスケット、サザーン・べーキング・コーポレーション、コロンビア・べーキングその他、合衆国におけるいくつかの主要な大製パン会社の社長となった。

フーヴァーは、合衆国食品局の彼の主要補佐官としてルイス・リヒテンシュタイン・シュトラウスを選んだ。彼はクーン・ローブ商会のジェローム・ハウアー(Hanauer)の娘と結婚し、のちにクーン・ローブ商会のパートナーとなった。

ベルギー救済委員会、合衆国食品局そして戦後のアメリカ救済局における卓越した人道主義的サービスを通じて、フーヴァーのもっとも親しい仕事仲間は、フランスのポンジボー(Pontgibaud)生まれのエドガー・リカードただ一人であった。紳士録は、次のように彼を記述している。

「ベルギー救済委貝会を含む戦中・戦後のすべての組織で、ハーバート・フーヴァーの世界戦争行政補佐官であった。彼はまた、1914年から1924年まで合衆国食品局に仕えた」

彼はフーヴァーのもっとも親しい友人でありつづけ、リカード家とフーヴァー家はいつも休暇ををともにした。

クーリッジ政権下でフーヴァーが商務長官になったとき、フーヴァーはへーゼルタイン・ラジオの特許をこの友人に与え、それによって彼は一年間の特許料として100万ドルを受け取った、とハミルは私たちに語っている。


●連邦準備制度理事会理事に指名されたユージーン・マイアー

1928年、「ロンドン.コネクション」はハーバート・フーヴァーを合衆国の大統領に推すことを決定したが、問題が一つあった。ハーバート・フーヴァーは合衆国に生まれたので、憲法の規定によれば大統領になるための資格は有していたが、スタンフォード大学終了と同時に海外に出かけたので合衆国には会社の住所も自宅の住所もなかった。

その結果、ハーバート.フーヴァーは大統領選挙中のアメリカの住所としてニューヨーク・ブロードウェイ42・スイート2000を登録したが、そこはエドガー・リカードのオフィスであった。またそのスイートは、穀物王でありJ・ヘンリー・シュローダー銀行のパートナーのジュリアス・H・バーンズも使用していた。

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ハーバート・フーヴァーは、合衆国の大統領に選出されたあと、かつてのロンドン時代の仕事仲間のユージーン・マイアーを連邦準備制度理事会の理事に指名すると主張した。

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マイアーの父は、パリのラザール・フレールとロンドンのラザール・ブラザーズのパートナーの一人であった。バルークとともにマイアーは第一次世界大戦中の合衆国におけるもっとも有力な男の一人であり、無敵の力を誇った有名な三頭政治--マイアーが戦時金融公社の会長、バーナード・バルークは戦時産業調整委員会の委員長、そしてポール・ウォーバーグは連邦準備制度理事会の議長--の一員であった。

長年にわたるユージーン・マイアーの批判者である下院銀行通貨委員会のルイス・マクファデン委員長は、フーヴァーによるマイアーの指名を下院の議場で攻撃し、次のように演説したと1930年12月17日付けのニューヨーク・タイムズ紙は報じている。

「彼はロスチャイルドの利益を代表しており、フランス政府とJ・P・モルガンとのあいだの連絡将校である」

同年12月18日付けのニューヨーク・タイムズ紙は「ハーバート・フーヴァーは深く懸念している」とし、マクファデンの演説は「不運な出来事である」と報じた。12月20日付け同紙は社説で、「ふたたびマクファデン」という見出しのもとに次のようにコメントした。

「その演説は、マイアーの連邦準備制度理事会の理事としての上院による批准を保証すべきものである。マクファデン氏の演説がいつもそうであるように、その演説は矛盾している」

ニューヨーク.タイムズ紙が予測したように、マイアーは上院によって滞りなく承認された]


ユースタス・マリンズ 「民間が所有する中央銀行」 第7章 ヒトラー・コネクション p199-203より

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               Katharine Graham (1917-2001)

Her father Eugene Meyer who was born in Los Angeles in 1875 was Jewish and her Mother who was born in NYC in 1881 descended from German Lutherans.

世界を動かしている本当の組織 オルタ
http://alternativereport1.seesaa.net/article/99903304.html


 米国大手新聞社のワシントン・ポストの前社長(故人)キャサリン・グラハムは、中国等にビジネスで海外旅行をする際、必ず、その国の国内情勢についてCIAに電話を入れ、レクチャー(講義)するよう「命令」していた。

政治動乱や事件に巻き込まれまいとするキャサリンの用心深さが、良く出ている。

そして、大手新聞とはいえ、一民間企業の社長がCIAに命令を行っている、と言う「奇妙な力関係」が、ここには見える。

 キャサリン・グラハムは、父ユージン・マイヤーから社長の地位を引き継いだが、マイヤーは、世界銀行総裁を兼任する等、世界の金融界に強い影響力を持っていた。またマイヤーは、英国王室御用達のギンベル・デパートの経営者でもあった。

このマイヤーの秘書であった女性の夫が、金で殺人を請け負うイスラエルの「殺人株式会社」の創立者の1人であり、イスラエルのスパイ組織モサドの創立者の1人である。

この組織の金融面を担当するのがイスラエルのランベール銀行であり、マイヤーはそこから資金融資を受けていた。

そのためマイヤーが「殺人株式会社に逆らわぬよう」、この女性秘書が「お目付け役」として付き添っていた。

そしてモサド創立の中心メンバーであったショール・アイゼンベルグが、CIA創立時に、その諜報技術をCIAに伝授した。

つまりワシントン・ポストの社長ユージン・マイヤーのボスがCIAの「生みの親」であり、マイヤーの後継者キャサリンがCIAに「命令を下す力関係」は、ここから出て来ている。

 世界銀行の総裁の地位を誇ったマイヤーが、イスラエルの殺人組織の「資金運用担当者の1人」であり、24時間、この組織により行動を「監視されていたという力関係」を、ここに見る事が出来る。

このランベール銀行が経営するイスラエルの新聞エルサレム・ポストの経営者が、ブッシュ大統領の国防政策会議議長として、現在のイラク戦争を計画したリチャード・パールである。

 ランベール銀行と一体化した、この「殺人株式会社」の顧問弁護士ルイス・リビーが、ブッシュ政権を実質的に運営するチェイニー副大統領の「主席補佐官」であった。

もちろんチェイニーは、この組織の「使い走り」であり、チェイニーを監視するため、リビーが補佐官として24時間、チェイニーに「付いて回っていた」。

 ニクソン大統領は、この組織に「嫌われた」ため、ウォーターゲート事件で失脚し、大統領を途中で辞めさせられた。ウォ-ターゲート事件をスクープしたのは、ワシントンポストである。


J・P・タッカー記者(アメリカン・フリープレス紙の世界的に有名な名物記者)のメッセージ(太田あて、2008.6.19) NWOと戦う、アメリカ人と日本人の同盟を構築しよう、と。 太田龍

更新 平成20年06月20日22時32分 平成二十年(二〇〇八年)六月二十日(金) (第二千四百五十八回)

○アメリカン・フリープレス紙のJ・P・タッカー記者から、次のやうな趣旨のメッセージが筆者(太田)あてに届いた(2008.6.19)。

   私の著作「ビルダーバーグ取材日記」の日本版が、出版の運びになると大山恵喜さんから聞き、喜んでいます。私の本は、二〇〇五年の総会で終って居るので、二〇〇六年、二〇〇七年、二〇〇八年の総会についての資料を追加して届けます。アメリカと日本は、冷戦中ずっと同盟国でした。しかし、今や、アメリカ人と日本人は、NWO(ニューワールドオーダー)に対する戦いに於て、アメリカと日本が、それぞれ自国の独立と尊厳を守るべく、同盟をしっかりと構築して行きましょう。

   太田龍様


○「アメリカン・フリープレス」紙、二〇〇八年六月二十三日号。ここに、 「日本の記者が、始めて、ビルダーバーグを追跡する(チェイス)」と言う、グレース・エキ・オーヤマ署名のコラム記事がある。

○  「(ビルダーバーグ総会会場の前での)抗議者のメッセージの大半は、入念な調査を反映して居た。何人かの演説者は、多量の歴史的内容を持った驚くべきほどの博学ぶりで私を驚かせた。

   一人の演説者は、いわゆる麻薬戦争などインチキだ、と語った。阿片戦争から始まって、銀行家の一族がこうした阿片貿易のすべてを取り仕切り、そこから莫大な利益を挙げたこと、そして彼らの子孫が、現在のビルダーバーガーとして活躍中であることを、完璧な家系図を引用して、曝露した。

   今年のビルダーバーグを告発する抗議集会は、単なる怒りのスローガンを叫ぶだけではなかった。もちろん、そうしたスローガンもたくさんあったが。9/11問題も訴えられた。けれども、焦点は、米国政府が、9/11に関与して居る可能性に当てられた。
   ……………
   抗議は、自然発生的(スポンテニアス)であって、ノンヒエラルキー的(上からの指令によらない)であった。
   
   アメリカの(公衆)が、ウォーレン報告書(一九六三年十一月二十二日にダラスでのケネディ大統領暗殺事件についてのウォーレン最高裁判所長官を責任者とする米国政府の公式報告書)を疑い始めるまでに四十年を要した。
  
   9/11米政府公式報告書をアメリカ人が疑い始めるまでに、ごく短い時間しか必要としなかった。ビルダーバーグ総会の会場前での抗議者の約三分の一がロン・ポールの支持者であることは、一見して明かであった。また、事実上、ここでの抗議者の全員が、少なくとも、ロン・ポールの同調者であった。

   アメリカが、彼らと共にあること、そしてホームスクール派、その他、一七七六年の本当のアメリカたらんとするその他の人々と共にあることを希望する。」

○なお、「アメリカン・フリープレス」紙の読者のために、大山恵喜さんについての短い紹介がある

   「グレース・エキ・オーヤマは、日本の主要な修正主義派、歴史家の一人として、今、著作活動中のリュウ・オータの助手である。グレースは、また、バーンズ・レビュー(TBR)のコントリビューティング・ボード・メンバーの一人である」と。

○この「バーンズ」は、第一次世界大戦から第二次世界大戦期にかけて、アメリカの代表的な修正主義派歴史学者、エルネスト・バーンズの名前にちなんで取られて居る。

○「アメリカン・フリープレス」紙、(2008.6.23)には、ジュリア・フォスター記者(この人は女性であろう)の、

  「ビルダーバーグ・プロテスターズ・ウィン・フリースピーチ・ファイト(ビルダーバーグに対する抗議者たちは演説の自由な権利のための戦いに勝利した)」

 と言う興味深い記事がある。これは、後日、なんらかのかたちで日本語で紹介したい。

 (了)
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by oninomae | 2008-06-21 01:25 | イルミナティ  

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