慈善事業を隠れ蓑にするペテン財団の全犯歴より フーヴァー 1 by ユースタス・マリンズ

ユースタス・マリンズ「世界権力構造の秘密」下巻、第8章 慈善事業を隠れ蓑にするペテン財団の全犯歴 より

p178-183

●「奇妙な経歴」のおかげでリオ・ティントの役員に迎えられたフーヴァー

フーヴァー[引用注:Herbert Clark Hoover 1874-1964;鉱山屋さんから合衆国大統領[1929-1933]への道を与えられ「大恐慌」を「担当」した人]はロンドンで鉱山株の斡旋業者を営んでいたが、ロンドン証券取引所から取引停止処分を受けていた。

相棒[スタンリー・ロウ]は公然と処罰され、長い間刑務所に入れられた。

ところが、この事件のおかげでフーヴァーはロスチャイルドの好意的な関心を引くことになり、ロスチャイルドの会社リオ・ティントの役員に迎えられたのである。

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リオ・ティントの会長はラウンドテーブル(円卓会議)を創立したミルナー卿[Alfred Milner, 1st Viscount Milner 1854-1925]で、この組織がのちに王立国際問題研究所RIIA)およびその支部組織としての外交問題評議会CFR)に発展するのである。

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1916年に、ドイツが食料と資金の欠乏のため戦争の継続は無理だと主張すると、第一次世界大戦の仕掛け人たちは泡を食ってしまった。

ロシア皇帝の主治医グレープ・ポートキンが1931年に暴露した話だが、ドイツ皇帝の主席軍事顧問で独露国境線の指揮官だったヘッセン・ダルムシュタット大公が生命の危険を冒してロシアの王宮所在地のツァースコエセロー[現プーシキン市]まで密使に発った。王宮に着くと、大公は自分の姉妹のアレクサンドラ皇后に、ドイツとの単独講和締結についてロシア皇帝と話をさせてくれるよう懇願した。ところが、皇后はあとでとやかくいわれはしないかと恐れるあまり、接見を拒否した。大公は王宮で虚しく一夜を過ごしたあと、止むなくドイツ国境線まで護衛付きでもどったということである。

ドイツを戦争にとどめておくため、資金については、連邦準備制度の親玉ポール・ウォーバーグ[1868-1932]がストックホルム経由でハンブルクのM・M・ウォーバーグ商会受取の信用貸しを、兄のマックス・ウォーバーグ[1867-1946]に宛てて急遽手当てした。

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食料の問題はもっと厄介だった。しかし、最終的に「ベルギーの飢餓救済」という名目で食料を直接[合衆国から]ベルギーに船で送り込むことが決定された。援助食料を陸揚げしてからは、ロスチャイルドの鉄道に積み替えてドイツに送ればよかった。この[救済]工作の指揮官として、ロスチャイルドはハーバート・フーヴァーに白羽の矢を立てたのである。

救済委員会でフーヴァーの相棒となったのが、ベルギー・ロスチャイルド家の当主ランベール男爵によって選ばれたエミール・フランク[1863-1935]だった。

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この計画は大成功を収めた。おかげで第一次世界大戦はさらに2年間続き、合衆国を「戦争を終わらせるための戦争」に巻きこむことになった。 

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『ハーバート・フーヴァーの奇妙な経歴』の著者ジョン・ハミルは、こう述べている。エミール・フランクはイエズス会の銀行であるソシエテ・ジェネラルの役員をつとめていたが、ドイツの総督フォン・デル・ゴルツからの認可状を手にすると、自分のつとめるソシエテ・ジェネラル銀行のなかに「全国救済食料委員会」という名前で事務所を開設した。そうしておいて、フランクはこの許可状を携え、ベルギー・ロスチャイルド家の当主ランベール男爵とブリュッセルのアメリカ公使館の事務官ヒュー・ギブソンに伴われてロンドンに赴いたのである。


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全国救済食料委員会にかんする報告書は、次のように述べている。

全国委員会とその下部組織の多くは、ベルギーの行政官の支配に服さなかった。しかし、公共機関として行政官に弁明できる根拠があるわけでもなかった。全国委員会は、創立者たちとそれに支持を与えた者たちの意志に従って独自に存在した。だからこそ、委員会の行う決定は独自の権威があって、行政官が委員会の活動を支配しようとしても、いっさい無視したのである。

ハミルはこういっている。

当初から食料部門は、商業ベースで組織され運営された。救済委員会はベルギーで全国委員会への販売価格を、以前得ていた利益に見合う分だけ値上げした。フーヴァーはこれを称して「慈善事業」といったのである。


●ベルギーをダシにして大儲けした「コンゴの屠殺人」の相棒フーヴァー

フランクは以前、中国の開平炭坑の疑獄事件のさい、フーヴァーの相棒だった。この疑獄事件がきっかけとなって義和団事件が勃発した。反乱軍に加わった中国人たちが、中国にいる「白人鬼」全員の殺害を誓い合った事件である。さらに、コンゴの残虐事件でも二人は共謀した。フランクはコンゴで「コンゴの屠殺人」というあだ名によって人々の記憶に残った。フランクは慈善事業の相棒とするには、まさに打って付けの男であった。

1919年に全国救済食料委員会が出した報告書によれば、1918年12月31日の時点で、委員会は累積で2億6000万ドルを支出したことが示されている。ところが1921年には、収支のバランスを取るために、この数字が同一期間の支出として4億4200万ドルに上方修正されていた。にもかかわらず、差額の1億8200万ドルの明細は説明されなかった。フランクは1918年12月に、すでに戦争が終結していたにもかかわらず、それ以前の月の4倍にもあたる4000万ドルの救済用支出を計上した。1932年1月13日のニューヨーク・タイムズ紙は、ベルギーの新聞でフーヴァーがさかんに攻撃を受けていると報じた。

フーヴァー大統領はベルギー救済委員会時代[1915-18]に、ベルギーをダシにして大儲けしようとする計画に明らかに加担したと攻撃されている。

その後フーヴァーはワシントンで合衆国食糧庁長官[1918-24]に任命された。食糧庁の作戦の指揮は、主にクーン・ローブ商会ルイス・L・シュトラウス[1896-1974]が執ったが、それでもフーヴァーは長年の仲間であるエドガー・リカード[1874-1951]を大いに頼りにした。

1918年11月13日にフーヴァーはウィルソン[1856-1924]大統領[1913-1921]に手紙を送り、フーヴァーのヨーロッパ滞在中にエドガー・リカードが「わたしの代理として行動する」権限を認めるよう要請した。ウィルソンが1918年11月16日に署名した行政命令書には、「1918年11月16日の行政命令の効力により、従来ハーバート・フーヴァーに委ねられた合衆国食糧庁長官の権限のいっさいを、今後エドガー・リカードは行使するものとする」とある。リカードは、ハーバート・フーヴァーからの1919年1月17日付けの手紙により、「パリ講和会議出席へのわたしの出発以後」、「ワシントンにおける食糧庁長官代理」という資格を得た。

その後、合衆国食糧庁は四つの部門に分割された。砂糖分配局、ベルギー救済委員会、合衆国穀物公社、合衆国船舶委員会[-1933]である。1918年12月16日、ウィルソン大統領は「国家安全保障および防衛上の措置として、合衆国食糧庁穀物公社に対し大統領基金より500万ドルを即刻支払われたし」との行政命令書を国務省に宛てて送付した。財務長官が支払命令を委託されており、承認された。

メーソンの書いたルイス・ブランダイス判事[1856-1941年。1916-39年ユダヤ人初の最高裁陪席判事、ニューディール諸立法を合憲とした]の伝記では、こう記されている。

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ノーマン・ハプグッド[1868-1937]がロンドンから1917年1月10日にブランダイスに手紙を寄こした。「ハーバート・フーヴァーは最高に面白い男だね。彼が英国やフランス、ベルギー、それにドイツで体験した外交や金融などの話を聞いたら、君も堪能するだろう!」

1917年2月の初めにフーヴァーはブランダイスと会って話をした。そして、ウィルソンの女婿のウィリアム・マカドゥー財務長官[1863-1941年。1913年連邦準備制度理事会初代議長、1913-18年ウィルソン政権の財務長官、1917-19年鉄道管理局総裁、1933-39年民主党上院議員]と会う段取りをつけてもらった。

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これがフーヴァーの合衆国食糧庁長官への任命へとつながったのである。

参考

マリンズの原文は以下で読めます。
The Modern History Project
http://www.modernhistoryproject.org/mhp/ArticleDisplay.php?Article=WorldCh07-3


日本人は「覚醒」するのかな?
http://satehate.exblog.jp/8210304/


20世紀は、彼らが完成させたグローバル・ネットワークによって、グロテスクなマニピュレーション(世界操作)が大々的に行われた時代であった。--「眩しのグローバル・バビロン」 デーヴィッド・アイク

確かにそうだ。それも「みえみえ」の!

歴史狂化書にはなにも載っていないけどね。

際限なく巨大化する米銀とその仕掛け人たち 4  本山美彦 2006-11-28
http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/37a84678be26f322212be53f2d838562


ロシアン・マフィアの帝国 オルタ
http://alternativereport1.seesaa.net/article/77877911.html


欧州電力再編と地政学  アルルの男
http://amesei.exblog.jp/5087792/


子供ファンドとロスチャイルド アルルの男
http://amesei.exblog.jp/5115208/


「ユダヤの告白」10
http://rerundata.hypermart.net/adl/adl10.htm


ネオ・シオニズムの最高権力体考 れんだいこ
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_saicokenryoku.htm


President Woodrow Wilson signs the 1913 Federal Reserve Act, establishing the Federal Reserve System.
http://www.frbatlanta.org/invoke.cfm?objectid=83FD4121-9AF0-11D5-898400508BB89A83&method=display_body


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The Federal Reserve Board as they took office on August 10, 1914. From left to right, standing: Paul M. Warburg, John Skelton Williams (Comptroller of the Currency), W.P. G. Harding, Adolph C. Miller; Seated: Charles S. Hamlin (Governor), William G. McAdoo (Chairman), and Frederic A. Delano. McAdoo is wearing a mourning armband to commemorate the death, four days earlier, of his mother-in-law, Ellen Axson Wilson.


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http://www.realjewnews.com/
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by oninomae | 2008-02-23 13:32 | イルミナティ  

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