石油とホロコースト by Clifford Shack 4

1917  ウォルター・ロスチャイルド卿に宛てられたバルフォア宣言
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ウォルター・ロスチャイルド卿[Lionel Walter Rothschild, 2nd Baron Rothschild 1868-1937]

1919  ベルサイユ条約オスマン帝国崩壊。石油国(訳注:むしろ州かも)が創り出された(イラク、イラン、クウェート)
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1919年のキエフ・ポグロムの余波。

共産主義者が1918年に支配権を握った時、ロシアでは市民戦争が勃発した。

内戦の過程で、ウクライナだけでも、7万人のユダヤ人が命を失った1326のポグロムが行われた。

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ベルディチェフのシオニスト・トレーニングファームで。ウクライナ 1919。

1919  3番目の移民の波が始まる。
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第3波期間中の典型的なイメージ――剥き出しの、岩だらけの丘の中の白いテント。

「我々は空っぽの土地に来た。そこには60万人の住民があり、そのうち54万人がアラブ人で6万人がユダヤ人だった... その土地はほとんど完全に砂漠や沼地だった。我々は誰も押しやっているとは感じなかった。」 -デビッド・ホロウィッツ(労働旅団長官)

真実のところ、ユダヤ人はアラブ人を排除してはいなかった。しかし、ユダヤ人達はある特別な目的のためにパレスチナに移住させられたことを覚えておきなさい。

ある軍事目的。

そしてもし彼らが平和的な環境の中に存在することを許されれば、彼らは軍事的な人々に進んでなろうとはしなかった。

これは、中東紛争を理解するための鍵です。

彼らが帝政ロシアでそうであったように、ユダヤ人を激しく挑発するよう配置がなされた。

この時期には、彼らは激励され軍国主義の中で訓練を受けただろう。

それは、古典的な問題・反応・解決という手段(道具)によって始まった。

そのことがなければ、ユダヤ人とアラブ人は今日にいたるまで隣人として平和に生活していただろう。

しかし、この地域は保護されねばならなかった。そして弱虫によっては保護されなかっただろう。

だから、アラブ人達は、ユダヤ人達を憎むように洗脳される必要があった。 (私は私がたわごとを言っているのだと思いたいのだが..)


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1920  ハーバート・サミュエル[Herbert Samuel, 1st Viscount Samuel 1870-1963] 、シェル石油の創始者マーカス・サミュエルの息子、パレスチナ高等弁務官。

彼はイスラエルの地におけるヘロデ・アグリッパ以来最初のユダヤ人支配者。

英首相ロイド・ジョージ[1863-1945]とチャーチル[1874-1965]。ホワイトホールにて。
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1921から22までの植民地時代の長官として、チャーチルは、パレスチナとシオニストの情勢について、英国の政策を舵取りすることになっていた。

チャーチルは、イスラエルは300万人以上の人口を持つべきではないと決定していた。

ヒトラーは、いったんユダヤ人の人口定員わくが満たされると、行動を開始した。


将来の望ましくないユダヤ人移民の波からユダヤ人植民地の未来を守るために。

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1921  ハーバート・サミュエル、ウィンストン・チャーチルをエルサレムで歓迎。

サミュエルの背後には、エドモンド男爵の息子であるジェームズ"ジミー"・ド・ロスチャイルド[James Armand Edmond de Rothschild 1878–1957]がいた。
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サミュエルの石油タンカーはロスチャイルドの石油を、新しい油を燃料とするチャーチルの英国海軍に届けるべく、スエズ運河を介して運んでいた。

イスラエルの創出は、ユダヤ人達に対する親切でなされたわけではなかった

少なくとも、背後の権力者たちの心中ではそうでは無かった。

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1921年のアラブの暴動は、英国人によってアラブの指導者を介して、扇動された。新興中東における、彼らの未来の軍事的役割に対して備えさせるよう、ユダヤ人達に活を入れるために。 


1923  移民第3波終了。

移民第3波は1923年に危機に直面した。

村々でまた都市における失業者数千人のあいだでも飢饉があった。

そこでは、多くの自殺の例があった。

状況は絶望的にみえた、そして観測者達は自信たっぷりにシオニズムの破綻について語った。

「驚異的な量の仕事と少ない食べもの、水不足、恐ろしい衛生状態があった。マラリアで高熱を出して、屋外トイレに半キロ近く歩くために夜間外出するとはどういうものかわかりますか?私たちには何もなかった!食べるための何があったのですか? " ゴルダ・マイヤーソン-メイアMerhaviaキブツ

1924  エドモンド・ド・ロスチャイルド、「偉大な恩人」、パレスチナ再訪問。


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第4波期間中のヤツファ港[Jaffa (Hebrew: יָפוֹ‎, Yafo; Arabic: يَافَا‎, Yāfā (help·info); also Japho, Joppa) is an ancient port city believed to be one of the oldest in the world.]は、移民船と新しい移住者に満ちていた。(追加参考

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1924年の第4波移民の一集団。

1924 4番目の波(1924年から1931年)が始まります。

第4波の新たな移民たちは、沼地に灌水路を作ったりあるいは砂漠に花を咲かせたりする意図はなかった。  (訳注:そして当然パレスチナ人との衝突は激しくなっていくだろう)

多くは独立起業家で、資本金がほとんどなく、励ましや導きもなく、パレスチナで軽工業を発展させ始めた。

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ある靴下工場です。

奨励なしで、軽工業が発展を始めた。

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1925  エドモンド・ド・ロスチャイルド、最後のパレスチナ訪問。

1931  移民第4波終了。


1932  移民第5波始まる。
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第2次世界大戦の前、パレスチナへの移民の5つの波があった。

最初の2つは、1880年代と1914年までの10年間、東ヨーロッパからの入植者をもたらした。

これらは、労働運動の基盤を築いた。

3番目4番目の波は、多くの中流(中産)階級の移民をもたらした。

5番目は、 1929から1939 、大部分はドイツからのユダヤ人移民だった。

上の写真はドイツからの若い移民。

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Neve Ya'akovの子供たち。

バロンは、彼のユダヤ人軍事植民地を持ったことになる。

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(「私がいなかったらシオニズムは成功しなかっただろうが、シオニズムがなかったら私の仕事も台無しになっていただろう」)

エドモンド・ド・ロスチャイルド男爵がパリで死去し、彼の遺志によりイスラエルに埋葬される。

彼と彼の妻は、1954年、イスラエルのzichron yaakov近くに再び埋葬された(祭られた)。


1940  第5波終了

1941  ホロコーストが始まります。

世に知られないロスチャイルド縁戚者であるアドルフ・ヒトラーは、公式に許可(公認)されていない大規模なユダヤ人のパレスチナへの移民の可能性を排除する。

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つまり、ロスチャイルドの軍事植民地の将来を保証する。


1948  イスラエル国家「公認」

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Jaffa, Palestine: Palestinians gather at the Grand Serai (local government offices) in July 1908, to celebrate the al-Hurriyah Revolution (i.e. the Young Turks Revolution) against Sultan Abdul Hamid and in favor of the restoration of the constitution and the holding of Parliamentary elections. (via Walid Khalidi, Before Their Diaspora).
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Jaffa, Palestine: The ruins of the Grand Serai (local govt offices, see the first photo in this post). A truck loaded with explosives covered with oranges was parked outside the entrance on 4 January 1948 by members of the Zionist militant organization, Lohemai Herut Israel (the Stern Gang). The resulting explosion destroyed the building and killed 26 Palestinian civilians. (via Walid Khalidi, Before Their Diaspora)

1956  イスラエル軍はスエズ危機の際、英国とフランスに並んで、自己の存在証明を行う。 


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1963  フランスと米国の諜報組織と協働して、イスラエルの軍事諜報組織は、JFケネディ暗殺[1963年11月22日]と隠ぺい工作において、自己の存在証明を行う。

OASに雇われたコルシカのヒットマン達は、モサドの欧州のチーフ暗殺者であるイツァク・シャミール[b.1915]に採用されたわけだが、
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暗殺に向けて(デイビッド・ベングリオン[1886-1973]と
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彼の車列暗殺専門家ヤホシュア・コーエン
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キブツからほんの数マイルの)ネゲブ砂漠で訓練を受ける。
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訳者参考
A Zionist Looks At Final Judgment by Barry Chamish
http://www.rense.com/politics5/zionist.htm

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1967  フランスのミラージュ戦闘機のおかげで、 6日間戦争はイスラエル軍が、スエズ運河と周辺の「利益」を守る戦闘準備ができていることを証明。

1869年のスエズ運河の完成時に定められた100年計画のゴールの2年早い達成だった。 




歴史探偵Clifford Shackの 「石油とホロコースト」 は以上

元記事は
Oil & the Holocaust  by Clifford Shack
http://www.geocities.com/cliff_shack/oil_chrono.html


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ただし、当然ながら、話自体はまだ続きます。

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                Time 1963年12月20日


蛇足

さてはて、英国MI6、イスラエル軍、モサド、そして「アメリカ」、「米」CIAは、誰のフロントなんでしょうか?そして、「ロシアン」・マフィアは?


おまけ
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              日本のシオンは神殿ならぬ箱の中?
               パブロフの馬じゃあ、かなわんね。

まあ、現在の「イスラエル」も第三次世界大戦に利用されると廃墟と化す予定なので、そこまで誘導されないように気を付けて下さいな。
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by oninomae | 2008-01-09 20:53 | ホロコースト  

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