ホロコーストの秘密の起源  by Clifford Shack  (1998) 

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Holocaust Museum Rejection Letter 1


ホロコーストの秘密の起源  by Clifford Shack  (1998) 


大英帝国では決して日は沈まないといわれた。技術的な観点から、英国の達成において少なからぬ役割を果たしたのは信頼できるウエールズの石炭であった。それは、国産の石炭の安価で安全かつ確実な供給で、それは英国海軍にその船を動かすのに必要なエネルギーを供給し、世界最高の帝国権力としての英国の地位を保証した。

問題は...
「英国では石油が増大・成長しない」


そのジレンマはまさに去ろうとはしなかった。その状況の現実性は最前線に来た。1911年、ガスを動力源にしたパンサーとよばれたドイツの船がモロッコの港に着いたときに。ドイツ人は招かれざる客だったので、その行動は、英国とフランス両者のアフリカにおける帝国主義的野望を脅かしたので世界の危機となった。[注:私は後に発見することになる。Agadirの危機は、知られているように、銀行家マックス・ウォーバーグによって仕組まれたことを。]

1911年、パンサー事件の直接の結果として、英国は全力で英国海軍の艦艇を石油式に転換した。石油が国産の燃料供給品ではなかったという事実は英国に「トラブルの海」を現出させた、が「支配それ自体は素晴らしきものであった。」

他の選択肢はなかった。物流の供給は働かねばならなかった。それは、英国の側からすると、明らかに最大限の国家安全保障上の問題であった。1911年では、最も近い英国への石油供給元は中東だった。それは船で運搬する必要があった。ペルシャ湾をとおり、アラビア半島を回り、英国が所有するスエズ運河を通って。運河はその旅を4000マイル切りつめた。その旅はさもなくばアフリカ大陸を大きく迂回しなければならなかった。スーパータンカー以前のその当時には、それはとても大変な事だった。平時と戦時に石油を英国海軍に動力を供給するために安全確実に運ぶ物流業務はその時代の差し迫った問題になったのだ。

1914年までに、英国は艦隊を有しており、1918年の第一次世界大戦年の終わりには、つまりオスマン帝国の崩壊の後、彼らは、現在イラク、クウェート、サウジアラビアとなっている国を含むメソポタミアを管轄するようになっていた。これらの土地のいたる所に傀儡政権を樹立することによって、供給を保証する問題は解決された。安全輸送の問題が残った。王立委員会委員達はスエズを通しての輸送の繊細な性質を理解していた。彼らは内密に知っていた。その運河はそれを取り巻く地域と同程度だけ安全であると。その地域は、石油時代の到来とともに、これまで以上に、地球上どのようなものに対してよりも政治的に安全に保たなければならなかった。スエズ運河は、ヨーロッパの頸部となるべき運命だった。

これらの1917以降、輸送管理の仕事に任命されたものたちは、芽生えたばかりの政治的力に疑いもなく直面した。その力は明らかに、中東地域一般と特にスエズ運河地域に対する潜在的に破局的な危険を、明白に提議した。その政治的な力は、世界シオニスト運動だった(訳注:もちろんこれも仕組まれていたわけだが)。

1917年、第一次世界大戦期間中、ドイツの潜水艦軍事作戦は英国の船舶に対して壊滅的な効果を持ちつつあった。 [一連の話として]米国からの追加の総トン数を固定する必死の努力の中で、英国はバルフォア宣言として知られることになるものを発表した。力のあるアメリカのユダヤ人の共感・協力をえるために。それはパレスチナに一つの国民国家を確立することを約した。あなたの面倒を見るのは「the」国民国家ではない。「ある一つの(a)」国民国家である。その地域における平和の必要性を考慮すると、パレスチナのユダヤ人の人口を可能な限り小さく保つことが英国の最善の利益だった。

シオニズムは、ユダヤ人の「the」パレスチナ国家を再確立するための運動で、世界での石油時代の夜明けとともに、歴史の中で平行して頭角を現し始めた(訳注:さてはて、なぜだろう)。バルフォア宣言の発布は、世界政治のなかでの国際シオニストの最初の大きな勝利だった。

その文書は「あるひとつの(a)」ユダヤ人の母国と読めたものの、シオニスト達は「the」ユダヤ人の母国を思い描いた。

短時間のうちに、英国は彼らの宣言がそれ自身の命を持ち出したことに気がついた。彼らが慎重に言葉を選んだあいまいさにもかかわらず。石油の豊富な中東地域において、パレスチナが中央に位置していることと、そこがスエズ運河へ極めて近接していることがあいまって、その地域は可能性としての何百万ものユダヤ人移民の不安定化をもたらす流入は容認することができなかった。危険性が高すぎた。

アラブ人は欧州のユダヤ人を憎んでいた。かれらはかれらをかれらの西洋文化ゆえに嫌悪した。かれらは、西洋文化が彼らのイスラム世界に「伝染する」ことを確実に望まなかった。彼らはそのユダヤ人達を真のセム族と見なしさえしなかった。

中東の平和がその地域の石油資源の(利己的な)開発のために必要だった。石にかじりついても平和だ(訳注:当時は)。すべての利害関係者が直面する課題は、パレスチナへの大量のユダヤ人移民を予防することだった。

過去50年間、歴史学者達はその(訳注:あえて「その」としています)ホロコーストは、それが「実利的な目的を果たすことをしなかった」ので、歴史の中で類のないものと声高に言明してきた。彼らは誤って導かれたのか?そのホロコーストは、実際は、石油を積んだ中東の必要な安定のための買い入れ原価ではないのか? 

ヒトラーは彼の政治家としてのキャリアを1919年に始めたが、誰が彼の実際の銀行家だったのか?誰が無言の深夜1時族(泥棒さん)でしたか?そのホロコーストが、第一次世界大戦の銃声がおさまる前から、動き始めていたということがあるか。1919年のベルサイユ条約は予定表を打ち出していたか?その同じ条約は、ドイツの巨大な軍国主義国家を完全に征服しそれによっていら立たせた。その首の回りにとても尋常ではない償いのくびきをかけることによって。

ヒトラーは、この有能な巨人に装具をつける英国および他の国際石油会社とそのホスト国に使われる操り人形だったか?その主人に気付いていない操り人形だって?英国のシークレットサービスは彼の知識なしにヒトラーをインストールすることが可能だったか?

それはたぶん、誰かさんが保持することを好む秘密であろう...調査を行っておく価値がある...

彼女の回顧録で、ゴルダ・メイアは書いた。彼女は、千回にもわたって他人とは関係なく自分自身に説明しようと努めたと。「いかにしてまたなぜ、まさにその数年の間に、英国がナチスに対抗してそれほどの勇気と決断をもって立ったのか。彼らはまた、戦うために時間と労力と資源を(よろこんで)みいだすことができた。ナチスからパレスチナへのユダヤ人難民の入場許可に逆らう(敵対する)長く苦い戦争を。」

ゴルダの困惑の皮肉は、6日戦争中、彼女がイスラエルの首相だったという事実であった。その期間中、イスラエル軍はシナイ半島を渡った。ゴルダの困惑の皮肉は、6日戦争中、彼女がイスラエルの首相だったという事実であった。その期間中、イスラエル軍はシナイ半島を渡り、彼らのエジプトに対抗する勝ち戦のなかでスエズ運河を越えた。

そのホロコーストで死んだがパレスチナに生きて移住することを許可されていたかもしれないかなり大きな数の150万のユダヤ人の子供達は、その戦争がその地域に対してもったかもしれない、どんな影響を持ったか、いったい誰がしろうや?

たぶん、まさにその主題は、50年先立つ多くの煙の充満した部屋のその話題であった?

ホロコーストの真の起源は、実際に私たちの歴史教科書にのっているか。

あるいは、それらは辛抱強く発掘され明らかにされるのをまっているのか。


実際それらが長年の間、隠されてきたとしたら、このような残虐行為が再び起きることを防ぐために学ぶことを、いったいいかに期待することができるだろうか?

元記事は
The Secret Origin of the Holocaust: Essay By Clifford Shack (1998)
http://www.geocities.com/cliff_shack/secretorigins.html


より詳細な、歴史探偵ののちの分析はまた。


++

蛇足(でもない)

現在の中東戦争に石油が関係ない(石油問題はたいしたことがない)などという意見は珍説であろう。それは、もともと中東のみならず中央アジアの石油地帯へのグランドチェスゲームとして始まった。地政学的には、そこを抑えれば「世界制覇」だ。イスラエルはイルミナティにとっては死活的前線部隊でありそれゆえに「中央」でもあるのだ。かくして彼らは大イスラエルを目指す。

イラクではもうすでに150万人ほど以上がホロコーストされていると思われる。
クルド人の「処理」も始まったのではないのか?

「彼ら」が安く石油を手に入れ、消費者には高く売るために。

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by oninomae | 2008-01-07 20:10 | ホロコースト  

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