イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 4

http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky1.html#1bu より その4

第4部 メナヘム・ベギンとスターリン   (2006年8月)
     
[ソヴィエト連邦とイスラエル]

 共産主義の「教祖」カール・マルクスはユダヤ教ラビの息子であり、
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ロシア革命は「ユダヤ革命」といっても過言ではないほど数多くのユダヤ人によって指揮された政権転覆運動だった。その最高指導者は自らユダヤの血を受け継ぎユダヤ人を妻に持つレーニンであり、
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革命当初の共産党の政治局員はトロツキー
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カーメネフ、ジノヴィエフ、スヴェルドロフ、ヴォロダルスキーなど、大半がユダヤ人であった。ブハーリンはロシア人だったが妻はユダヤ人であり、ユダヤ人と無関係なロシア人はルイコフやカリーニンくらいであろう。またトロツキーを通して米国のユダヤ人資本家ヤコブ・シフがロシア革命を支援していたのは有名な話である。

 また、第1次世界大戦終了直後(1919年)にあえなく挫折したドイツ革命の指導者ローザ・ルクセンブルグもユダヤ人である。そしてドイツ革命とほぼ同時期に発足したアメリカ共産党では約7割の党員がユダヤ人だったと言われ、その後の米国での左翼運動の中心もやはりユダヤ人たちであった。

 共産主義を「ユダヤの陰謀」ととらえる見方は根強い。その当否についてここで論じるつもりはないが、以上のことはよく知られた事実であり、共産主義の敷衍と共産圏の成立に果したユダヤ人の役割の大きさを否定することは不可能である。しかしソ連とイスラエルの関係については意外に知られていないのではないか。イスラエルというとどうしても米国との関係が注目されがちなのだが、その「建国」に関してはむしろソ連の果した役割の方が大きかったのだ。

 パレスチナでのシオニスト運動に中心的な役割を果したダヴィッド・ベン・グリオン、およびゴルダ・メイアは共にロシア生まれであった。初代首相となるベン・グリオンは親ソ共産主義のマパム党を率い、その思想を体現する集団農場キブツの普及を推し進め自らその中に住んだ。後にイスラエル首相となるメイアはスターリン時代のソ連の中に太い人脈を持ち初代の駐モスクワ・イスラエル大使となった。メイアがスターリンや影の実力者であるカガノヴィッチと「イスラエルのソ連化」について秘密協定を交わしたという未確認情報 もある。その他、ロシア革命の前後からイスラエル建国時期にかけてロシア・東欧諸国からパレスチナに移住したユダヤ人たちにはマルクス主義者が多かったと言われ、その後の米国からの移住者の中にも大勢の米国共産党関係者がいた。

 さらに1947年に、アラブ人たちが受け入れるはずもない「パレスチナ分割案」を国連での多数派工作によって押し通したのがトルーマンの米国であると同時にスターリンのソ連であった。「建国」前後のイスラエルにチェコスロバキアを通して武器を送り続けたのもスターリンである。

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 教科書的にはイスラエルとソ連は冷戦の進行に連れて距離を置いていったことになっており、特に1978年に誕生したベギン・リクード政権は全面的に米国を味方につけ反共の立場を明確にした。しかし少なくとも1950年代まではイスラエルの「庇護者」はソ連であったし、その後も延々と、世界の左翼陣営はイスラエルを支持、あるいは少なくとも同情的な態度を取り続けているのだ。

【以上、参照資料】
http://www.jewwatch.com/jew-communists.html#anchor4458
http://inri.client.jp/hexagon/floorAXF/axf1410.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ共産党
http://www.jewwatch.com/jew-mindcontrol-communism-israel.html
http://www.worldnewsstand.net/history/Zionist.htm


[スターリンは反シオニストだったのか?]

 興味深い写真がある。スターリンが死去した1953年にイスラエルのガアシ(Gaash)・キブツで撮影されたもので、この「赤いツァー」の死を悼んで遺影を飾るキブツ住民の姿が写っている。

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http://www.israelimages.com/see_image_details.php?idi=6159
Death Of Stalin Commemorated In Kibbutz Gaash In 1953

 このガアシ・キブツはベン・グリオン政権与党マパムの系統であった。「建国」当初のイスラエルで、マパムが支配するキブツではしばしばスターリンの誕生日を盛大に祝っていたのである。さらに、後のイスラエル国防軍の主体となる軍事組織ハガナーの参謀長イツァーク・サデは常に宿営のテントにスターリンの写真を飾り、その部下である士官たちも親ソ的姿勢を公然とさせていた。もちろん当時の共産主義者の多くがスターリンに忠誠を誓っていたのだが、しかしそれにしても不可思議な風景である。

 現在の歴史学者はまず間違いなく「スターリンは反ユダヤ主義者、反シオニストだった」という論に固執する。確かにスターリン時代に投獄・処刑された反対派には数多くのユダヤ人が含まれていたし、第2次大戦後にもユダヤ人芸術家や作家に対する弾圧は続いた。シオニストはもちろんだが、反シオニストの立場をとるユダヤ人学者でもこのような見解を崩さない。

 しかしスターリン最大の側近であるラーザリ・カガノヴィッチ は紛れもないユダヤ人である。大粛清の実行者であった内務人民委員会(NKVD)の中心でソ連秘密警察に他ならぬ国家保安主局(GUGB)はユダヤ人脈で固められていたといわれ、それを牛耳るラヴレンティ・ベリヤもグルジア出身のユダヤ系の人物だった。中には、真の実力者はカガノヴィッチとベリヤであってスターリンは操り人形に過ぎなかった、さらにはスターリン自身もユダヤ系であったと主張する人もいる。その真偽はともかくも、スターリンが彼の政府から決してユダヤ人を排除しなかったことは明白である。私生活でも彼は3人のユダヤ人女性と結婚しており、特に3番目の妻であるローザはカガノヴィッチの妹であった。このようなスターリンを「反ユダヤ主義者」とするのなら、その「ユダヤ」の定義に疑問を挟まざるを得まい。

 そして彼は本当に「反シオニスト」だったのか? もしそうなら、シオニストの国で支配的な立場にある人々がその「反シオニスト」を深く信奉していた、というまことに珍妙な話になる。「援助」や「人脈」だけなら冷戦が始まっていた時期のソ連が採った「現実的な中東政策」ということで落ち着くだろうが、スターリニストがイスラエル自体を設立・運営したという事実と巷の「正史」とがどのような整合性を持つというのか

【以上、参照資料】
http://www.jewwatch.com/jew-communists.html#anchor4458
http://inri.client.jp/hexagon/floorAXF/axf1410.html http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ共産党
http://www.jewwatch.com/jew-mindcontrol-communism-israel.html
http://www.worldnewsstand.net/history/Zionist.htm


[ベギンの不可思議な足取りとソ連]

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【ウラジミール・ジャボチンスキー(中央):その右側で敬礼しているのはポーランドのベタール組織を率いるベギン:1930年代】

 しかしイスラエルとソ連との不思議な関係はいわゆる「労働左派」に関してばかりではない。最も不可解なものに、ナチスの民族主義に同調した反共主義者であるメナヘム・ベギンとスターリン・ソ連との関係がある。

 ベギンの「師匠」であったウクライナ生まれのウラジミール・ジャボチンスキーは心底からの反共主義者であり、ロシア革命の最中にウクライナで反革命勢力の中心であったシモン・ペティルラと同盟を結ぶ工作をしたほどであった。このペティルラが9百回に近いポグロムを指導しおよそ3千名のユダヤ人を虐殺した張本人であったにも関わらずである。彼がその後ヒトラーやムッソリーニに共鳴しその民族排外主義と反共主義を褒め称えたことは前回までに申し上げた。

 ベギン自身も、自らが指導的地位にあったポーランドのベタール支部でナチ同様の制服を身にまとい所作もナチに倣っていた。NKVDが彼に関する情報を手に入れていなかったことはありえない。

 ベギンは大戦前夜の1939年5月にワルシャワで、パレスチナへのユダヤ人移民を制限する英国に反対してデモを行い、英国の要請を受けたポーランド当局によって逮捕され数ヶ月の刑務所生活を送った。釈放されたときにはドイツ軍がすでにワルシャワに迫っており、ベギンはパレスチナに行く道を求めてリトアニアに逃げる。しかし翌40年にはリトアニアがソ連に占領され今度はソ連当局によって逮捕されシベリアに送られた。その理由は「政治的なもの」であるといわれるが明らかではない。だが1941年の冬に思いがけなくも釈放される

 その少し前にドイツがソ連に対する侵攻を開始しており、ソ連当局はナチス・ドイツと闘わせるという名目で緊急に国内にいた(拘留者を含む)ポーランド人を集め、ウラジスラフ・アンドレス将軍率いる「新ポーランド軍」を結成させた。ベギンはそこに加えられたのである。彼が強度の近視であるにも関わらず健康診断をした医者が「銃を撃つのに支障は無いと判断した」という。そして彼の所属する部隊は1942年にイランを経てパレスチナに到着し、彼はやがてその部隊から抜けて「イスラエル建国運動」に専念することとなることになるのだが・・・、なぜ「新ポーランド軍」がパレスチナに?

 様々に不可解な要素がある。ベギンがソ連に逮捕された理由には「英国のスパイであると見なされた」という説があるが、一方で近年公開された英国MI5の資料によれば、英国諜報機関は彼を「ソ連のエージェント」と見なしてマークしていたのである。ベリヤが実質的に牛耳るNKVDが彼をパレスチナへの工作員として抜擢したのであろうか。真相は闇の中なのだが、いずれにせよ、ソ連当局は一方で共産主義者による「ユダヤ人の祖国」建設を支援しながら、もう一方で最も恐るべき反共主義者をもこの「聖なる地」に送り込んだことになる。

 今まで知られていなかったソ連とイスラエルの関係を示すMI5資料によれば、その中には二重スパイとして名高いキム・フィルビーによるものも混じるが、ベギンがパレスチナに到着して以降、NKVDは彼の足取りを常に密接に追跡していた。ベギンは英国の「賞金首のお尋ね者」として変装や整形を繰り返して地下活動を続けていたのである。また彼がソ連諜報員からの資金提供を受けていた可能性は高く、1947年に起こったベギン最大の反英テロであるキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件にソ連が関わっていることが示唆されている。

 当然のことだが、ソ連は共産主義者が主導するユダヤ軍事組織ハガナーにも資金を提供し軍事顧問を派遣していた。このスターリニストが中心のシオニスト「労働左派」はベギンらジャボチンスキー系統の「修正主義者」を常に敵視していたと言われ、実際にその末端では殺し合いまで起こっている。しかし不思議なことにその「修正主義者」の主要メンバーが「粛清」されることはなかった。彼らは「共産主義イスラエル」の内部で生き延びたばかりか、徐々にこの国の主導的な勢力にまで成長するのだ。

 ソ連が中東地域にスパイ網を確立させたのはそれよりもはるか以前のことであり、1923年にはすでにパレスチナに「常駐員」を置いてハガナーの中で活動していたといわれる。彼らは旧ロシア帝国内に住んでいたユダヤ人たちであり、中東~中央アジアの諜報システムを統括し1937年に殺害されたゲオルギィ・アガベコフによると、その時期に「シオニスト党の3人のメンバーがパレスチナからモスクワにやってきてOGPU(後のKGB)とのコネクションを確立させた」。しかし同時にソ連は1937年以来、ハガナーと袂を分かったジャボチンスキー系の武装組織であるETZEL(一般にはイルグンと呼ばれる)にもエージェントを送り込んでいた。そして、当然のごとくだが、そのイルグンは後にベギンによって指導されるようになる。

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 現在のイスラエル国防軍はハガナーを主体として、イルグン、および同じくジャボチンスキー系のイツァーク・シャミールが所属した親ナチ・テロ組織レヒが合体して誕生した。このイルグンとレヒが行った数々のテロ行為については筆を改めることにするが、彼らの殺人と破壊工作はもっぱら「イスラエル建国」に反感を示す欧州の人士に対するものであり、「建国」への障害を力づくで排除したものである。

 「反シオニスト、反ユダヤ主義者」スターリンのソ連が行使した、パレスチナへの「右」も「左」も無い影響力に関しては冷戦の「方便」として合理化する人が多いだろうが、このような事実を見る限りではむしろ「イスラエル建国」自体が最大の目的であったように思える。なおジャボチンスキーはイスラエルでは「ハガナー創設者の一人」として尊ばれている。

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ここでもやはり「右」も「左」も存在しない。そこにあるのは「ユダヤ人の祖国イスラエル」のみである。

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 20世紀は「イデオロギーの時代」と言われ、それを最も強く意識させたのが「冷戦」なのだが、このイスラエルという地に視点を移しそこから「冷戦構造」を見つめなおしてみるならば、それが単なる虚構に過ぎなかったのではないのか、という疑問が沸き起こってこざるを得ない 。

【以上、参照資料】
http://en.wikipedia.org/wiki/Menachem_Begin
http://www.betar.co.uk/betaris/begin.php
http://www.axisglobe.com/article.asp?article=770


[イデオロギーという名の虚構]

 1938年にポーランドでベタール国際会議が開かれたのだが、その席で、あくまで英国の影響力を排除して欧州のユダヤ人を早急にパレスチナに移住させることを主張した若きメナヘム・ベギンに対し、ウラジミール・"ゼエヴ"・ジャボチンスキーは次のようにたしなめたと言う。

 《ベギンさん、もし世界に良心が残っているということを信じないのなら、あなたにはヴィスツラ川の深みに身を投げる以外の選択はありません。あるいは共産主義者になるか、でしょう。》

 『あるいは共産主義者になるか・・・』、歴史家はこのジャボチンスキーの発言を血気にはやるベギンに対する皮肉を込めた戒め、と受け取るかもしれない。しかしこれを、皮肉ではなく実質的な「指示」だったと解釈したならば、どうだろうか。現にその後のベギンの足取りは、彼が共産主義者の方針に沿って動きその陰ながらの支援と庇護を受け続けたことを傍証しているのである。彼らの極右反共民族主義は、ソ連の共産主義と何らの齟齬をももたらさなかったのであろう。 

 こうしてみると「イデオロギー」こそ「方便=聖なる虚構」に過ぎぬ、という別の観点が可能となる。「イデオロギーの時代」は20世紀を特徴付けるものとして歴史の教科書で語られるが、要するにそれは『大嘘が支配する時代』 を指すに過ぎないのではないか。そのことは現在のネオコンが主張する「民主主義革命」の内実を見ても明らかになろう。思想、哲学などは要するに言葉による観念操作(マインド・コントロール)の基本コードであり、それが何らかの集団による何らかの実質的な利益を伴う行動に向けられる際に様々な幻術的色彩を施したプロパガンダが産み出されていく。

 いったんその基本コードによって観念操作を受けた人間の脳はそのプロパガンダを疑うことなく受け入れ条件反射的に行動してしまう。ナチズムと共産主義はその壮大な実験として実行された側面がある。そしてそれらが共同で成し遂げたことは何か。

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 すべてがイスラエルに集中している。どうやらこの国が近代史の鍵穴のようである。ここから次々と隠されていた扉が開かれていくのだろう。

【以上、参照資料】
http://www.marxists.de/middleast/ironwall/08-fascter.htm


関連

1946+66=2012
http://satehate.exblog.jp/13147614/

邪悪な場所 - イスラエル最高裁判所  By Vigilant
http://satehate.exblog.jp/17426306/

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国連の瞑想室
http://satehate.exblog.jp/16780026/


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by oninomae | 2014-03-07 20:12 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

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