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『パンズ・ラビリンス』の密教的解釈  By Vigilant

『パンズ・ラビリンス』の密教的解釈  By Vigilant September 23rd, 2010


『パンズ・ラビリンス(フォーンの迷宮)』は、スペインのファシズムの残虐行為を脱出するための少女の探求物語を語る深遠な映画である。 その映画はまた、登場人物の試練と儀式的イニシエーションを通した密教的イルミネーションというもう一つの物語を語る非常に多くのオカルト的および元型的象徴を含んでいる。我々は、その映画全編を通して見いだされるオカルト的および元型的象徴と、それらのオフェリアの探求との関係について考察するだろう。

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パンズ・ラビリンス (スペイン語タイトル:El laberinto del faunoo)は、デビルズ・バックボーン、ヘルボーイ、ブレイド2などを監督した ギレルモ・デル・トーロ[Guillermo del Torro]によって書かれ監督されたスペイン語のファンタジー映画である。その映画の切実なストーリー、豊富な神話的背景、そして奇妙なファンタジー世界は、多くの映画評論家をして2006年最高の映画とみなさせた。

多くのおとぎ話のように、『パンズ・ラビリンス』は、多数の観点から、また多くの同時的レベルで解釈することができる寓話である。この映画を調査している間、私は、『パンズ・ラビリンス』 の心理学的、社会学的、そして政治学的解釈に遭遇した。しかし、ほとんどどれもその作品に浸透したオカルト象徴主義について説明せず、そして私はほとんどどれもそこに内在する密教的イニシエーション物語に留意していないことを見いだした。 デル・トーロ自身、その映画を、一つの「寓話」であり、確かにこのやり方を示しているオカルト秘儀への多岐に渡る参照であると述べているがゆえに、これは驚きである。

そこで我々は、その映画の中で見い出される秘儀的そして元型的な象徴を考察し、そしていかにそれらがこの密教的イニシエーションの内容豊かな物語に適合するかを理解するだろう。

その映画がなぜその観客たちを深く感動させるのか、その理由の一つは、おそらく、集合的そして個人的無意識において深く共鳴する元型的神話と象徴の存在である:


「確かに、昔々は、パンズ・ラビリンスのような映画が開始するのによい状況である。 それは何はさておき、一つのおとぎ話、また特に暗いおとぎ話である。それは、ユングの集合的無意識のこれらの古典的・神秘的な元型のすべてを含んでいる。

我々は、たとえば、その物語で描かれたような、悪い王、悩めるヒロイン、平行宇宙、キメラ動物、そして善と悪の間での行進する戦闘、について考える。これらは皆、我々が何度も繰り返して古典的な童話の中に見る普遍的なテーマ、パターン、そして登場人物の型である:ユング派の分析家であるドナルド・カルシェッドをしてこう断言させた型である『人的資源が得られない時、元型的資源が彼ら自身を提供するであろう。』 同じ事が我々の導きの王女、オフェリアについても言うことができる。人間性を奪い取られ、残酷な現実に打ちひしがれ、そして集合的な人間想像力の元型的神話に頼ることを強いられた一人の少女。」
- Psycho-Critical Analysis of “Pan's Labyrinth”: Myth, Psychology, Perceptual Realism, Eyes & Traumatic Despondency



映画の概要

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世界の残酷さからオフェリアを保護するフォーン


その映画は、ファシストスペインの山の中、反乱軍と戦っている軍の野営地で起こる。 本やおとぎ話に夢中で、野生の想像力を有する少女オフェリアは、彼女の新しい継父、スペイン軍の無慈悲なキャプテンと会うために彼女の弱い妊娠中の母親と一緒に旅をする。到着時に、彼女は、一つの迷宮を発見し、そして彼女が「黄泉(冥界、アンダーワールド)」の王女であると彼女に告げるフォーンに出会う。彼は彼女に約束する。彼女はそこに行くことができ、彼女が彼のために3つの任務を完了する限りにおいて、彼女の父親と再会すると。これらの任務を完了するための彼女の試みの中で、オフェリアは、死の迫真的現実、戦争のばかばかしさ、そして自己犠牲の意味に対処することを強いられた。

その物語は、現実世界の刺々しく抑圧的な本質と、その少女の魅力的(魔法的)で時として不穏なおとぎ話の世界とを並置しながら展開する。

フォーン(ファウン、牧神:ローマではファウヌス、英名はギリシャ系でパン)は角獣で、イニシエーション過程を通してオフェリアを案内し、そして、物質世界の不条理から、イルミネートされた存在が住む精神的な次元:黄泉へと旅立つ方法を彼女に示す。(蛇足:そして、黄泉還らねばネ)


「見る目」を持つ

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フォーンの失われた目を戻す


映画の冒頭で、オフェリアは、目を失ったフォーンを描いた神秘的な記念碑にほとんど本能的に導かれる。彼女はその失われた目を見つけ出し、そのソケットにそれを戻す。 魔法的昆虫/妖精が突然現れ:オフェリアの魔法的探求が開始できる。

この映画の中では目と視力に多大な重要性が置かれている。そして、このシーンは開始直後から観客に語っている。彼女が経験しようとしている不可視の世界を「見る目」を持つものは多くなく、オフェリアの探求は、本質的にオカルトであることを。

「視力に言及しながら、映画はそれについて言うべき多くを有している。ギレルモ・デル・トーロは、その映画の元型的辺縁の中に深く埋設された中心的な真理をとらえるためには、観客が第三の「禅」眼を必要とすることを前提としていると九分通り思われる。デリダが仮定したように、最も重要な意味はテクストそれ自身の中ではなく、「余白」あるいは言外の意味の中にある。言い換えれば、科学者や教育宗教分離主義者(世俗主義者)は劇場を去らねばならない。オフェリアがその眼を彫像の正しい場所に戻したとき、彼女の幻想的な旅がすぐに開始される。 彼女の目は、可視と不可視、現実と非現実、両者を見ることを可能にする。そのことは、ファシストの悪役、キャプテン・ヴィダルと力強く対照をなす。ヴィダルは、他人の目を刺し、そして物理的に見ることができないものを信じない。」- 同上


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目の重要性は、オカルトの象徴主義の中で最も重要であり、そしてトートによって回復されたホルスの眼の神話と一体の古代エジプトに遡ることができる。

右目が、具体的な事実に関する情報(脳のオス側)の知覚に関連付けられている一方で、ホルスの左目は、霊的なもの、精神的なもの、そして直感(脳のメス側)を感知する。 (蛇足:両者で看破でしょうか)

その場所に目を戻して置くことによって、オフェリアは、自分の錬金術的変換に乗り出すために必要な極めて重要なバランスを回復する。

しかしながら、オフェリアはすぐに気づく。彼女を取り巻く大人たちは物理的に見ることができないものを確かに信じておらず、それが彼女の探求を非常に孤独なものとすることを。


抑圧的な父、独裁者とクロノスコンプレックス

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オフェリアに呪いをかけるキャプテン・ヴィダル


彼女が戦争野営地に到着するや、オフェリアは、彼女の新しい義父、残酷でサディスティックなキャプテン・ヴィダルに出会う。

その登場人物は、スペインファシズムの代表であり、そして哲学的なレベルにおいては、ほとんどの人々が疑問を持たずに住む、存在の完全な解放を禁止している抑圧的な物質的世界の代表である。

この現象は、「クロノスコンプレックス」として知られている。クロノスは、時間、死、そして収穫を表すギリシャ神話の登場人物である。

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ゴヤによる、彼の子供を食べているクロノス


「クロノスコンプレックス」は、殺人的傾向それ自体ではない。なぜなら、クロノスはただ彼の子孫を取り除くだけでなく、親から独立して自律的に存在するための子供の可能性を妨げる破壊的・摂食的プロセスだからである。自分の子供を消費する中で、クロノスは彼を滅ぼすことを目指しているばかりではなく、彼を自分の一部にしながらそうしている。ボレンによると、古代から、クロノスコンプレックスは、それを介して男性指向的文化が権力を維持して来たその傾向である。明白なものは、家父長制の最も過激な変形の一つ、ファシズムのようなシステムである。」- John W. Crandall, The Cronus Complex

クロノスは、「父の時間」としても知られている。キャプテン・ヴィダルはしばしば、彼の時計を見ながら保持している姿を現す。時間は物質的な世界の最も破滅的な制限である。

オフェリア-そして彼女を取り巻く全員-は、キャプテン・ヴィダルを恐れているが、しかし、彼女のイニシエーションを完了するために、オフェリアは、この抑圧的な父親役から自分自身を解放し、そして最も重要なことだが、彼女の抑圧された女性と魔法的側面に連絡を取る必要があるだろう。二重性の均衡を回復することは、錬金術的変換に必要なステップである。


フォーンと彼の迷宮

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彼女の新しい生活にうんざりして、オフェリアはフォーンが影の中から抜け出してくる、草の生い茂った迷宮へと妖精によって導かれる。

彼女が彼に「あなたは誰?」と尋ねたとき、彼は答える「私はあまりに多くの名前で呼ばれてきたので、ただ風と木々だけが発音できる。私は山、森、地球。私は・・・フォーン。」彼はそして続ける:「あなたを退屈させたのは月だった。そして、あなたの本当の父親は、あなたの戻るのを待っている。しかし最初に、あなたが死すべきものになっていないことを私たちは確認しなければならない。」

古代神話の中では、フォーン、サテュロス、そしてギリシャの神パンは多少類似していた。彼らは皆後四半部、脚、ヤギの角を持っていた。パンは、自然エネルギーのプロトタイプであり、そして間違いなく太陽の受胎させる力を表すファルス神である。

フォーンは、彼女が通り抜けなければならない実際のあるいは比喩的な迷宮の通過を助けて、オフェリアに対する霊的な案内者となる。

フォーンの怪物のような外観-それは観客をして彼が「悪役」であると最初考えさせる-にもかかわらず、彼は実際にはオフェリアの人生の中で、彼女の完全な可能性に「もっとなり」そして到達するという彼女の願望を理解する唯一の存在である。

この映画の中で実際の「悪役」は、恐ろしい生き物ではなく、残酷な養父である。


迷宮

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「迷宮や迷路は、多くの古代カルトの間で、イニシエーションの気に入られた場所であった。これらの秘伝の迷路の遺跡は、アメリカ・インディアン、北インド人(ヒンドゥー教徒)、ペルシャ人、エジプト人、そしてギリシャ人たちの間で見つかっている。」- Manly P. Hall, Secret Teachings of All Ages


多くの古代文明のイニシエーション儀式(儀礼)で発見されているように、迷路は下の世界の困難と幻想の象徴であった。そこを通り抜けながら人間の魂は真実を探すために彷徨する。 『パンズ・ラビリンス』はほとんど、オフェリアが本当の父親と再会するためには物質的世界の落とし穴と行き止まりを避けねばならないという一つの比喩である。


最初の課題:聖なる女性の発見

フォーンによってオフェリアに与えられた最初の課題は、古代のイチジクの木の寿命を吸っている巨大なヒキガエルから鍵を取り戻すことである。

ここに「子宮に戻り」そして抑圧された女性を再点火する探求が開始される。その木の内部は、再び生命の与え手、子宮を象徴して、じめじめと湿気が多い。その木自体が子宮のように見えている。

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オフェリアは不思議の国のアリスのドレスの黒バージョンを着ている。また、子宮の絵、万が一それがどのように見えるかをあなたが忘れてしまった場合に備えて。

女性原理を有するオフェリアの外傷/魅力は、この映画の中で何度も表現されている。主として、最終的に誕生を与えるために自分の命を与えねばならない彼女の弱い妊娠中の母親を通して。

一つの不穏なシーンで、オフェリアは、自分の岐路の本の中に、母親の合併症を予見するような、赤くなる子宮の輪郭を見る。

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第2の課題:ペールマン

最初の課題が成功裏に完了すると、オフェリアは、ペールマンから短剣を回収するというフォーンからの二番目の課題を受け取る。 そこには、しかし、一つの重要な条件がある:彼女はそこで何も食べることができない。

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不動のペールマン、彼の前の板上の彼の目玉とともに


ペールマンは盛大なご馳走の前に座っている大きな体がたるんだ生き物である。 見回すと、オフェリアは、靴の山と子供たちを食べているペールマンの肖像を見る。これは再びゴヤによるクロノスの肖像を彷彿とさせる。

ペールマンはオフェリアの世界の抑圧的権力、キャプテン・ヴィダル、スペインファシズム、そしてカトリック教会の陰惨な表現である。

この比較をさらに促進するために、カトリックの司祭を含む彼のゲストと一緒に夕食をとるヴィダルのシーンが平行して示されている。そこでは誰もキャプテンの残酷な動機に敢えて疑問を呈さない。

オフェリアは何とか短剣を回収するが、彼女の脱出する道で、クロノスによって蓄積された富を象徴する、大きくジューシーなブドウを食べる誘惑に抵抗することができない。

これがペールマンを目覚めさせ、すぐに彼の手に眼球を配置し、オフェリアを追いかけ始める。

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ペールマンは、自分の目を手の中に有している。これは彼がただ触知可能な(明白な)ものだけを見ることができるという事実を表している。それはその汚名の烙印を表し得る。


オフェリアは何とかペールマンから逃れるが、何を犠牲にしてか?


第三の課題:究極の犠牲

フォーンは、物質世界の誘惑に屈するオフェリアに激怒し、真の不滅になる彼女の価値に疑問を呈した。 彼はそれ故に、オフェリアが戦争、苦悩、そして悲しみを目撃せねばならない現実の世界の冷たさの中に彼女を置き去りにする。

オフェリアの母の死の直後に、しかしながら、少女が大いに喜んだことには、フォーンが再び現れる。

彼はイニシエーションを完了させることを彼女に許可するが、彼は彼女に完全な服従を要求する。

彼女の最終的な課題として、フォーンはオフェリアに、満月の夜の迷宮に彼女の生まれたばかりの赤ん坊の弟を連れてくるように求める。満月の夜は、オカルティズムにおいて、霊的な変容を完了するためのプライムタイムである。

オフェリアはしたがって、キャプテン・ヴィダルに一服盛り彼から赤ん坊を盗み、フォーンが彼女を待つ迷宮に走らねばならない。

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短剣を保持してオフェリアを待っているフォーン


フォーンは、オフェリアに要求する。彼が短剣で赤ん坊を刺し彼から一滴の血を得ることができるように、赤ん坊を渡すように。オフェリアは拒否する。

フォーンは、彼の忍耐を失い、そして彼が彼女の完全な服従を必要とすることを彼女に思い出させるが、彼女は依然として拒否する。

この時点で、キャプテン・ヴィダルは、(彼はフォーンを見ることができないので)彼の観点では自分自身と話しているオフェリアを発見する。 彼は彼女から赤ん坊を取り上げ、彼女を撃つ。

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キャプテン・ヴィダルに撃たれた後、地面に血まみれで横たわるオフェリア


迷宮に落ちるオフェリア自身の血液の雫、こうして彼女のイニシエーションに必要とされる最後の課題:自己犠牲を達成する。


イニシエーション

我々が、地面に血まみれで横たわっているオフェリアを見る一方で、彼女は、自分の本当の両親と再会して、またもう一つ別の王国、冥界にいるところが示される。

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オフェリアは彼女の両親と再会している、彼女の成功したイニシエーションを象徴しながら。


宮殿全体は、子宮への入り口、もう一つ別の世界への玄関口である外陰部を表す古代のオカルトのシンボル、先のとがった楕円形をしている。

三つの柱、父、母、そしてまもなく王女たるものの三本の柱の上に立つことは冥界の三位一体を完成するだろう。フォーンはオフェリアを歓迎する。彼女はよくやった、彼の命令に反して、彼女の無実の弟を守るために彼女の人生を犠牲にすることでと。 確かに、強い意志、犠牲と復活は、オカルト秘儀へのイニシエーションの完了に必要である。

オフェリアが血まみれで床に横たわって再び観客に示され、観客は自問させられる:これは実際に起こったのか、あるいはそれはすべて少女の想像力の中のことか?


おわりに

『パンズ・ラビリンス』は、非人間化と抑圧が彼女の純真で遊び心に満ちた精神を打ち砕く物理的な世界の厳しさを耐えることができない一人の幼い女の子の探求を描写している。

子供たちがしばしば、ある耐えがたい現実に対して、ファンタジーの世界に解離することによって心理的に対応することが知られてきている。そこでは、魔法、冒険、そして不思議が発見されることになる。

オフェリアはしばしば彼女の母親によって思い出さされる。「魔法が存在しない、彼女また他の誰にも」ということを。

魔法の世界は、しかしながら、オフェリアの想像を超えて存在するように思われる。

一例は、フォーンによって与えられた神秘的な植物、マンドレークである。それは、彼女が自分のベッドの下にそれを見つけ、それを気色悪がって、燃やしてしまうまで、オフェリアの母を病気から癒していた。

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オフェリアと「人間になりたかった植物」マンドレーク。映画の中でのその存在は、すべての魔法がおとぎ話という訳ではなく、そしてオカルトの知識は現実の生活の中で実際の応用を有することを思い出させるものである。


オカルトの民間伝承において、マンドレークは重要な植物である。主として、その根がしばしば腕や足を備えた人間の体のような形をしているという事実ゆえに。

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古文書の中のマンドレーク


マンドレークのオカルト的性質は、ほとんど理解されないものの、それが結びつけられる何であれその価値と質を向上させる能力があるお守りとしてその植物を採用することに責任を負ってきた。ファルス的お守りとして、マンドレークは不妊の絶対信頼できる治療法であると考えられた。それはテンプル騎士団が崇拝していると訴えられた男根に似たシンボルの一つであった。

その植物の根は、人体によく似ており、そしてしばしばヒトの頭、腕、あるいは脚の外形を有していた。人体とマンドラゴラ(マンダラゲ)との間のこの驚くべき類似は、自然科学のパズルの一つであり、この植物への尊敬の真の基礎である。『ベールを脱いだイシス』の中で、マダム・ブラヴァツキーは、マンドラゴラは、(意味不明瞭:as the zoophites and polypi doin die sea、食虫類とポリプが海で実際死ぬにつれて?)、地球上、植物と動物の王国が出会う地点を占めているように思われると記している。この思想は、この動物-植物の性質に関する推測の広大な分野を開いた。」- Manly P. Hall, The Secret Teachings of All Ages


この映画は反対物や逆転物の一つである:現実対フィクション、善対悪、純真対成人、女性対男性、地上対冥界、など。まさに終局でさえも、二つの正反対の方法で解釈することができる:オフェリアは、現実の生活を脱出するために、おとぎ話の世界を彼女の頭の中で創作し、そして最終的に自殺の一つの形に委ねた。あるいは、彼女は単に、物質世界に束縛されている大衆が見ることのできないものを見た一人の目が覚めた存在で、そして最終的に真の不滅になるイルミネーションの過程を完了した。

その物語もまた自己実現のための通常のパラダイムの逆転である:オフェリアの変容は、影の中、暗闇の中で起こる。啓発[enlightenment]は、その名が語るように、光に関連付けられている一方で;オフェリアのイルミネーションは冥界で起こる。霊的変容は通常「天国」と関連づけられている一方で(蛇足:仏教ではそもそもの昔からからおなじみですね);イニシエーター自身のパンは、森の中で酔っ払ってニンフ(および奇妙なヤギ)と戯れることが知られている神である。イルミネーションが自身のより低い衝動の克服に基づいている一方で;オフェリアのイニシエーションの完了は、ペールマンに追われて泥の中を這っていき、そして最後に自分の血を流すことを彼女に要求する。イルミネーションの通常の小径が、自己および腐敗していない美徳のマスターに基づいている一方で。

それでは、オフェリアの真の運命は何か?

その映画の締めくくりが述べているように:その答えへの手がかりは、 見る目を持っているものによって見いだされ得る。



元記事は

The Esoteric Interpretation of “Pan’s Labyrinth” By Vigilant |September 23rd, 2010
http://vigilantcitizen.com/?p=5019

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++
蛇足:この映画は抑圧されたユダヤ人ほかの視点から偽キリスト教のファシズムという形で描いたのかもしれないが、私としては偽ユダヤ人とその手先による暴政-日本人弾圧ファシズムを連想させる。オフェリアと日本が重なる。というわけで、記事をアップするわけだが、ただし、日本にいるサバティアンな手先は「キリスト教徒」が多いようなのは皮肉なことである。これも「二つの意味」の一種なのだろうか?

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日本の甦りに一票

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日本人はもうわかっているはずだ




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