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原爆を民間人の中心に落とした者たちがアメリカの英雄となった 鬼塚英昭

ここでこれを

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20世紀のファウスト・下 第八章 次なる戦争 p022-030より

次に原子爆弾について少しだけ書きたい。

ハーバード大学総長だったユダヤ人ジェームズ・B・コナント[James B. Conant, 1893-1978]は、第一次世界大戦中に毒ガス研究で名をあげ、一九四一年の夏から国防研究委員会の委員長を務めていた。
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一九四五年五月十五日、政府暫定委員会でコナントはヘンリー・スティムソン陸軍長官に「就業労働者が多数いて、周囲に労働者住宅が密集する軍需施設が、原爆投下の最も望ましい攻撃対象になるだろう」と提案した。

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スティムソンは彼の意見に同意した。
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広島は軍事上の攻撃目標ではなかった。住民の大部分は非戦闘員だった。米軍関係者も政府の役人たちもその事実を全員が知っていた。

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「ネーション」は後に次のように指摘した。

  原爆を投下する第一の目的は、敵の非戦闘員を大量に殺戮することであり、さらにこれによって生存者を威嚇することにあった。

コナントは戦後、非難の矢面にたった。彼はスティムソンを利用して責任を転嫁しようとした。そしてスティムソンは納得し、次の点を強調する覚え書きを「ハーバース」(一九四七年二月号)に発表した。

  コナント博士の提案により、理想的な標的は多くの作業員がいる重要な軍需工場で、作業員の家屋がその周辺に密集しているような場所であることに長官は同意した。暫定委員会は「果たして原爆を使用すべきかどうかについて徹底的に討論した」


この覚え書の最たるものは「戦争を止めさせるため、アメリカ兵士の死を防ぐため、仕方なく原爆を落とした」という点であった。この最終原稿も、あのルーズヴェルトを大統領に押し上げたバーナード・バルークがチェックした。
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「ニューヨーク・タイムズ」はコナントとスティムソンを称え上げた。


かくて原爆を民間人の中心に落とした者たちがアメリカの英雄となった。黒い貴族たちがまたしても勝利したのだった。

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原子爆弾を持つことが「パックス・アメリカーナ」の中心となった。日本人たちもマッカーサーの司令部を通してこの主張を受け入れさせられた。今にして思えばあの黒い貴族たちの御用新聞「ニューヨーク・タイムズ」が原爆賛歌の声を高らかに上げていたころだ。私は小学校三年生だった。教師は言ったものだ。オウムのように・・・

  「アメリカは平和のために原子爆弾を落としました。それで戦争が早く終わり戦争は防止され平和がやってきました」

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私はこの「防止」を「帽子」と勘違いした。どんな帽子が平和の帽子なのだろうかと長い間考え続けていた。スティムソンの言い訳を読んでみよう。

  この第二次世界大戦後の大作戦の中で、われわれは戦争とは死を意味する・・・という最終的な証明を得た。広島と長崎に投下された原爆が戦争を終結させた。それらはまたわれわれが決してこの先戦争をしてはいけないということを全面的に明らかにしてくれた。これは世界中の人類が、そして指導者たちが、学ばなければならない教訓である。(中略)これ以外にもう道はないのだ。


私は原爆投下の最大の原因は、日本人が彼らにとって黄色いサル、すなわち人間ではなくジャップスと言われるサル科の人間に近い動物であるとアメリカ人が認識していたからであると思っている。アメリカ大統領が日本人をジャップと言っているのだ。トルーマン大統領の「日記」を見てみよう。

  七月十七日
  彼(スターリン)は対日戦争に参戦する。そうなったらジャップも終わりだ。
  七月十八日
  ジャップはロシアが参戦する前に降参するであろう。アメリカの影が日本本土にちらついたら間違いなくそうなる。
  七月二十五日
  われわれはジャップに降伏して命乞いを願うよう要請する警告の声明を発表する。だが、やつらは降伏しないだろう。



原爆投下から三日後、大統領はサミュエル・マツレイ・カバート(教会連邦事務局長)の手紙に次のような返事を書いた。

  ・・・奴ら〔ジャップ]に理解させるには、われわれが用いている爆撃という方法を用いるしかない。獣と戦うには相手を獣として扱わなければならない。大変残念なことだが真実なのだ。

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トルーマンもノアの子孫なのだ。隠れユダヤであると思われる。今のところ確証はないのだが。

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ノアの子孫は自分たち以外の者は獣とみなして永い間生きてきた。私たちがどう思おうと、彼らは日本人を獣と思っている。ジャップもイエローモンキーも彼らの正直な心の叫び声なのだ。だから、原子爆弾が完成したから「ひとつ実験材料にジャップに使ってみようじゃないか」ということになったのである。

残念ながら彼らは今もそう思っている。もし、もう一度アメリカと戦争状態になってみればわかることだ。

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原子爆弾をつくったのは、アルバート・アインシュタインを中心とするユダヤ人物理学者たちである。

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原子爆弾製造の計画を「マンハッタン計画」というが、この計画はユダヤ王ヴィクター・ロスチャイルド[Victor Rothschild, 3rd Baron Rothschild]を中心にイギリスで作られたものだ。

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ヴィクターはこの計画を作成する一方で、世界中のウラン鉱を買い漁った。現在、世界のウラン鉱のかなりをユダヤ王ロスチャイルドとその血族が支配する。

ヴィクターはハリマン[W. Averell Harriman]にこの計画を実施に移すよう依頼した。

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バーナード・バルークとジェームズ・B・コナントが最初にこの計画をハリマンから打ち明けられた。コナントもヴィクターの血族の一人、すなわちユダヤ人である。二人のユダヤ人は分担して行動に移した。バルークはホプキンス[Harry Hopkins]補佐官を説得し、このルートでルーズヴェルト大統領の承認を得る。

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ルーズヴェルトはユダヤ王ロスチャイルドの依頼は拒否できないと書き続けてきた。

コナント博士は「マンハッタン計画」を実現すべきく、システムを作った。かくてアインシュタインを中心とするユダヤ物理学者たちが大挙してアメリカに乗り込んできた。副大統領のトルーマンはこの計画を全く知らなかった。大統領に就任して初めてこの計画が現実となっているのを知るのである。そしてこの悪魔の兵器を使ってみたくなったのだ。

ヴィクターは計画の進捗状況をその都度報告をうけていた。ハリマンはスターリンにこの計画の実施を報告し、ソヴィエトが原爆製造のための研究に入るとバルークのルートで必要な原料をソヴィエトに送っていた。

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ロスチャイルド一族のチャールズ・ジョスリン・ハンブロー[Charles Jocelyn Hambro, 1897-1963](ハンブローズ銀行[Hambros Bank]会長)がヴィクター・ロスチャイルドの依頼を受けマンハッタン計画のリーダーとなりユダヤ人のアインシュタイン一派と組んで原爆を作り上げた。計画を現実化したロバート・オッペンハイマー
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エドワード・テラー
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彼らはユダヤ王ロスチャイルドの手下のユダヤ人だ。彼らはスパイとして原爆の全情報をソヴィエトに流していた。

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日本人はアインシュタインを大犯罪人として告訴すべきである。多分、地獄界に入っていると思うが。

渡部悌冶の「ユダヤは日本に何をしたか」(旧題・攘夷の流れ)の中の一文を記す。渡部は戦前、当時のユダヤ研究の最先端機関であった「国際政経学会」の監事を務めた。

  戦時中、日本で一日も完成が待たれていたマッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めるといわれていた新兵器は今日でいう原爆のことであった、そして仁科芳雄博士の研究では実験段階ですでに完成していた。しかし、その基礎理論が完結をみないでおり理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説としてはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩らしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁された。ところがそれを、当時理研にいた湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にならず米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である。


戦後アインシュタインは「平和の使徒」のような顔をした。そして黒い貴族の理論的リーダーの一人バートランド・ラッセル(ノーベル文学賞受賞)と謀り、湯川秀樹(ノーベル物理学賞受賞)を誘い平和委員会を作り、原子爆弾反対の平和運動を展開した。
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湯川秀樹は平和の使徒の役割を黒い貴族たちから強制され続けた。

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戦後の日本のインテリ達がハロルド・ラスキー[Harold Joseph Laski, 1893-1950]と
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並んでもてはやしたのが、このバートランド・ラッセルである。
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この男は女たらしでいつも借金だらけだったのでユダヤ王ロスチャイルドのいいなりだった。平和運動をいつのまにか世界統一政府構想に結びつけた。日本の馬鹿どもも世界は統一された政府のもとで統一されるべきだと騒いだのである。ラッセルはハロルド・ラスキーとともにアメリカに共産主義を導入しようとしたコミュニストの一面を持つ。一時ラッセルはスターリンの帝国に原子爆弾を落とせと騒いだ。この男がラッセル平和財団を作るのである。

平和を声高らかに叫ぶ野郎がいたら、そいつの正体を見破る努力をしないといけない。

原子爆弾こそが、ユダヤ王ロスチャイルドの世界制覇へ向けての野望の一つである。

広島と長崎に原爆が落とされた。あの原爆製造を押し進めたのはロスチャイルドと彼らの配下のものであった。一九四五年アンソニー・ロスチャイルド[Anthony Gustav de Rothschild, 1887-1961?]はカナダでのウラン鉱開発権を獲得した。ドゴール将軍に「原子力庁」を作らせ原爆の開発をさせた。戦後アメリカの産業界がウラン鉱開発に乗り出した。しかしロスチャイルドが世界最大のウラン鉱を支配した後であった。原子力産業の最大手「リオ・チント・ジンク」と「イメタル」が世界の原子力産業を支配している。この二つの大企業はロスチャイルドの支配下にある。ロスチャイルドの陰謀とかユダヤの陰謀とかいう必要はない。原子力産業だけを見てもユダヤの支配は歴然としている。彼らが原子力の平和利用とか核廃絶運動を裏から操っているのだ。

その良き例がアインシュタイン、ラッセル、湯川秀樹らの平和運動であった。

ヴィクター・ロスチャイルドの再従妹の夫にベルトラン・ゴールドシュミット[Bertrand L. Goldschmidt, 1912-2002]がいる。(引用注:マリー・キュリーの弟子で、米国ではプルトニウム抽出を担当。ゴールドシュミット一族はフランス革命の傀儡師仲間
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この男がマンハッタン計画の影の重要人物、ヴィクターの代理人の役割で活躍した。後に国際原子力機関(IAEA)の議長となる。彼はウラン、プルトニウムなどの原材料部門のシンジケート支配人としてヴィクターから任命された。ヴィクターはMI5の長官、ロジャー・ホリス[Roger Hollis, 1905-73]を通してソヴィエトに原子力情報を流させていた疑いが濃厚である。
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ヴィクターの友人グループ「十二使徒クラブ」の連中のほとんどがソヴィエトのスパイであることが判明する。

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一九六〇年、国際原子力機関の総会がウィーンで開催されたとき、マンハッタン計画のリーダーであったゴールドシュミットがフランス代表として会議をリードした。フランスの原子力事業のほとんどはロスチャイルドが独占している。イギリスもカナダも同様である。

またヴィクターは国営BBC放送の影の支配者であり、アメリカのハリウッドにも巨大な投資をしている。勿論ロスチャイルド系のメディアも支配している。海軍長官フランク・ノックス[Frank Knox, 1874-1944]はロスチャイルド系の新聞シカゴデイリーニュースからワシントンに入った。

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終戦直後、原子力兵器による放射性降下物についてのアメリカの科学者たちのデータを得ようとユダヤ王ヴィクター・ロスチャイルドはワシントンを訪れた。原子力委員会会長のリューイス(ルイス)・ストラウス[Lewis Strauss, 1896-1974]提督は彼のために晩餐会を催した。
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食事の後でストラウスは言った。

「居並ぶ紳士方、諸君の前でヴィクター・ロスチャイルド卿に聞きたい。共産主義者のストレッチャー氏が国防相をしているのに、なぜわれわれは君に秘密情報とされているものを渡さなければならないのか」

ロスチャイルドは「自分がアメリカで得た情報はストレッチャー氏に渡さない」と答えるのみであった。ストレッチャーをはじめ七・八人の共産党秘密党員が労働党公認のもと一九四五年の選挙で選出されていた。ヴィクターは自分が知り得たデータをソヴィエトに流し続けた。ソヴィエトを巨大化するためである。

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このヴィクターも一九九〇年三月二十日、あの世へと旅立った。

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広島、長崎で死んだ人はヴィクターと対決しているはずである。もし、天国と地獄があの世にあるならば。

by oninomae | 2012-04-04 20:06 | ホロコースト  

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