南相馬市の真実② 福島県南相馬市原町・・・ 消えない夜 + ホットパーティクル

南相馬市の真実② 福島県南相馬市原町・・・ 2011-12-20 12:42:28
http://ameblo.jp/rvf400-1014/entry-11112036451.html 注:元記事が①になっていました。

言葉より事実を見て貰うのが一番だ。

写真は動かぬ証拠になる!
旧緊急時避難準備区域だった福島県南相馬市原町区。
原町区北長野の市営住宅の今日2011年12月20日の写真である。

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住民の話しによれば、子供達は、ほぼ居なくなったそうだ。

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放射線量測定を始める。
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γ線放射線量10.83μSV/h
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γ.β線放射線量14μSV/h
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γ+β+α線放射線41.72μSV/h
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《γ線放射線量10.83μSV/h》
《β線放射線量3.17μSV/h》
《α線放射線量27.72μSV/h》 


ほぼ子供達は居ないそうだが数人は居るような話しだった。
しかも住民が知らない数値だった。
高いとは思って居たが、これほど高いとは思わず避難先から週末に子供達が帰って来た時に外で遊ばせていたそうだ!


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どこを測定しても高い放射線量が確認された。

これが南相馬市営の住宅で南相馬市の真実である!

ここはチェルノブイリか?
と錯覚する…
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2011年12月21日追記
市役所へ直接伝えてきました!

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多量の高放射能微粒子 住民の肺に存在 白ロシア 2011-07-24 19:19:18
http://ameblo.jp/x-csv/entry-10963879692.html


【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】  多量の高放射能微粒子 住民の肺に存在 白ロシア


【モスクワ8日=渥美記者】 (朝日新聞 1990/07/09)

4年前(1986年4月26日)にソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故で大気中に放出された「ホットパーティクル」と呼ばれる高い放射能をもった微粒子が、白ロシア共和国の放射能汚染地域に住んでいる住民の肺の中に予想を超えるほど多量に存在することがわかった。

同共和国のミンスク大学放射線化学研究室のエフゲニー・ペトリャエフ教授が朝日新聞の取材に対して明らかにしたもので、1年半にわたる住民の遺体解剖で得た肺の標本とレントゲン写真を示し、「5年後ぐらいから肺がんが多発する可能性が大きい」と警告した。詳細なデータは近く国際原子力機関(IAEA)に提出される。

ペトリャエフ教授が解剖した遺体は200体。チェルノブイリ原発の北に位置し、放射能汚染指定地が多数点在するゴメリ州の住民がほとんどで、交通事故や一般的な病気で死んだ11歳から70歳までの男女。全員の肺を摘出して調べた結果、7割の人の肺からホットパーティクルを検出した。

ソ連国内の広範な土地の放射能汚染の主役は、炉心から飛散した揮発性のセシウムだが、ホットパーティクルはいくつかの不揮発性の放射性物質の混合物だ。爆発の時、2000度以上の高温で溶けて結晶化した核燃料ウランが主体で、その中に猛毒のプルトニウム、ルテニウムなどが混じっている

肺の中にあった粒子の直径は0.01ミクロン(引用注:10nm、つまりナノ粒子もいいとこで、しかも放射性)から4ミクロン、細かなものは肺の深部、大きなものは気管支近くに分布していた。1人の肺全体のホットパーティクルの数は、数百から2万前後まで。1つの粒子の放射能の強さもさまざまだが、セシウムのように尿中から排出されることはなく、死ぬまで肺の中にとどまり放射線を出し続ける。ペトリャエフ教授は「1個平均を1億分の1キュリーと推定すれば、2万個あれば何年かあとにほぼ確実にがんを引き起こす」という。





バンダジェフスキー博士、『小児の臓器と臓器系統では、50Bq/kg以上の摂取で病理学的変化が起き、10Bq/kg程度の蓄積でも、特に心筋における代謝異常が起きる』
http://merx.me/archives/15543

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放射能と人体(8)ブラブラ病以外の被曝症状とは?
http://onodekita.sblo.jp/article/52254903.html

前略

ヒロシマ日記から p.236
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30名ばかり問診、視診しているうちに新しい型の患者が四,五名あった。被爆直後自覚症状がほとんど無く、その後引き続き平常通り仕事をしていた者が、8月末から9月になって全身倦怠、食欲不振を訴え、出血斑が現れ、髪の毛が薄くなり、軽い口内炎を起こして受診。現在の症状は今までよく見た出血斑の出現、脱毛、発熱、口内炎と矢継ぎ早に現れ、僅か2,3日の経緯で重篤なる状態に陥った患者の症状によく似ている。ただ経過が緩慢なだけだ。急性経過をとって死亡した患者はおおむね爆心千メートル以上離れたところで被曝した者だ。

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黒い雨からp.299
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 病人は痛々しくやせ細り、かさかさの唇は皮膚と同じく蒼白で爪は土色である
「口をあけてごらん」
 といってあけさせると、門歯はいつの間にかかけて無くなっているが根はのこっている。数日前までは、ぐらぐらと根ごと揺れていたにもかかわらず、中途からぽろりと折れたらしい。 腫れた歯茎からは絶えず血がにじみ出て、ホウ酸でうがいしたぐらいでは血が止まらない。口をつぐんでしばらくすると、唇の合わせ目に赤い糸のような細い筋が浮いている

お尻にまた新しい腫れ物が二つ増え、それが隣り合って瓢型にはびこりかけている。今までの6つのふるい腫れ物はみんな切開手術され、しかし傷口が治癒しないで肉が盛り上がってスイカが破れたようになっている。その周囲の皮膚は赤黒く腐臭を帯びている。

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少女14歳の被曝体験記 p.139
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被曝前は「記憶力の優れた子」であった私が、あの日以来すっかり惚けてしまったようなのである。

私は記憶力が薄らいだだけでなく、毎日の生活にも常に浮遊感がつきまとい、ともすれば意識を失いかけるのであった。また幼い時から病弱だった私は、よく口唇炎ができていたが、それが極度に悪化して、まともに食事ができない状態になってきた。話すことも不自由で、たとえば「まみむめも」など上下の唇を触れて発言することができなかった。(中略)病名がわかったのは、私が24歳の時であった。エリテマトーデスという難病である。・・略・・

あと一つの原爆症状は、原爆白内障である。 昭和22年、逓信省に就職した私は、職員健診の際、白内障を告げられた。 (父)長年、悪性貧血と皮膚の紫斑に悩まされた。指で押したほどの紫斑があちこちに現れた。数日たって消えると、次のものが現れてくる。 「これはピカの影響じゃ」と父は早くから言っていたが、特に痛みもなく、医者に行くゆとりもなかった。

母の後遺症は内臓のあちこちに現れた。38歳で被曝した母は、四〇歳代で総入れ歯になった。急性の歯槽膿漏で、一日に数本ずつの歯を抜いて帰宅する母は、まるで幽霊のようだった。 (中略) 入れ歯のあとは子宮筋腫かガンによる子宮摘出。数年後、胃がんにかかり、十二指腸、胆嚢ともに摘出。糖尿病、心臓病(数年前にペースメーカーを入れる)白内障と続いた。

晩年の母は全身に故障がでたが、中でも眼が痛み、見えにくくなったのが一番つらそうだった。眼底出血のあった片目はほとんど視力を失っていたようだが、両眼とも眼球に無数のひびが入っていて、なぜこうなったのかと医師も不思議そうであった。また眼球が乾くために三〇分ごとの点眼をした。



被ばく者を直接見て診断した医師はほとんどいません。こういった本を読んで、被曝症状はどういうものかを勉強する必要があるでしょう。最後に、肥田医師が今年の5月に保険医新聞で話された内容をアップしておきます。

元ページ



もう報告されている

http://blogs.yahoo.co.jp/kmasa924/archive/2011/12/20

http://blogs.yahoo.co.jp/kmasa924/archive/2011/12/22

http://blogs.yahoo.co.jp/kmasa924/28532025.html

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1074.html

http://sekaitabi.com/saijo.html
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by oninomae | 2011-12-22 23:06 | 放射能・ラジオハザード  

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