涙のカタルシス3 プラトンの預言 魔術師の饗宴 b たんぽぽ日記

涙のカタルシス3 プラトンの預言 魔術師の饗宴 2011年07月02日
http://blogs.dion.ne.jp/tanpopo0817/archives/10224870.html の続き

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サトゥルヌス、またの名をヤコブ、そして中東でパレスチナ人を痛めつけ、大アメリカ帝国を従えて、他のあやゆる中東諸国を敵に回して勝利したあのイスラエルこそ、かつて死に、数千年もの眠りの中から、古代の密儀によって蘇った魔神、サタンの勝利した姿なのだろうか。

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「見えざる帝国」は、革命の時代を直接的、間接的に推し進めていったあの民主的な「結社」の原型であった。

「普遍改革団」は徐々に人々の注目を集めなくなり、それに代わって「世界友愛団」が現れた。その変容の過程を曖昧にしておくためにあらゆることがなされた。連続する活動を分からなくするためには、歴史そのものも歪められた。
   

「フリーメイソンの失われた鍵」より抜書き


普遍改革団とは薔薇十字団のことであり、世界友愛団とはいうまでもなくフリーメイソンであろう。我々が知っている歴史はその捻じ曲げられたものでしかない。

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皮製職人たちは「ルシフェルの転落」ー中略ー帽子屋たちは「復活と地獄への下降」を上演した。のちにフリーメイソンの階級に関係することになる儀礼は、おそらくこのようなギルドの演劇に示唆されたものと思われる。

「世界の大建築者」を表すA・U・Mという文字も、同じ数暗号によって三十三となる。従ってA・U・Mとベーコンは、カバラ的に等価値である。薔薇十字団の薔薇あるいはチューダー王朝の薔薇はベーコンの象徴のひとつであり、彼の秘密主義を示すものである。 それはまた、ある人物や集団の正体を隠す、適切な意匠でもある。

スブ・ローサという語句は、秘密のうちに行われるものを意味する。政治結社において、薔薇は秘密集団とその隠された計画を示す。
   

「フリーメイソンの失われた鍵」より抜書き


ここに登場するA・U・Mという文字であるが、日本でもおなじみの「オーム」を意味する。それは最も強力なマントラ(真言)であると言われいる。真言宗など、密教系の呪文の始まりには「オン」として使われている。たとえば「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」は薬師如来の真言である。浅原がオウムという名を教団につけたのもここに理由がある。

フリーメイソンにおいて、ユダヤ魔術のカバラが使われていることが、ホールの文章から理解できる。では、カバラの魔術はどのように行われているのだろうか。カバラが哲学と同じく死の訓練であるということは前に書いた。


魔法の究極目的は「自己」の認識、または「神」である「自己」の認識であり、その力を地上的な利害のために役立てることではありません。

魔法によって引き起こされる力は善悪を超えています。白か黒かは魔法そのものにあるのではなく、術者の意図と人格に依存しているのです。同じ力を善くも悪くも使えるのです。 魔法作業を通して強く意図されたことは迅速にそのままの形で現れます。

この領域は伝統的に「アストラルライト」と呼ばれております。慣性物質世界と違って、100%の必然性はもっておりませんが、ここに物質的次元と全く異なった原理と法則が働いており、それについての科学とそれを応用するという確信が魔法を成り立たせています。

近代だけが科学、技術を独占していると考えるのは甚だしい思い上がりです。近代文明は実在の最下層つまり物理次元での科学と技術を確立したにすぎず、それを超える領域、つまり魂や霊に対して、科学的または技術的に接近できないでいるのです。魔法とは、体、魂、霊、神を覆う実在全体の科学であり技術なのです。
   

「実践カバラ 自己探求の旅」大沼忠弘 人文書院より抜書き


アストラルライトというのは、プネウマとか第一質量、スピリトなどと様々な名前で呼ばれているもので、人間の生命の原理だとも言われています。それが凝縮して固まったものは賢者の石と呼ばれています。

つまり人間の生命エネルギーを凝縮したもの、それが賢者の石の正体である。


「密儀」古来、「正覚」(ブッディ)とか「霊智」(グノーシス)と特殊な名称で語られてきたある特別な意識である。ギリシャ人は「智慧」(ソフィア)と名づける。そしてエジプト人は、同じものをイシスという女神の名で呼んだのである。

イシス=ソフィアは内なる智慧である。外的情報ではない。外的世界に我を失ったオシリスを遠くまで探求し、発見し、救済するのはイシスのあたたかな唇である。そのイシス=ソフィアの息吹きに直接ふれることによって、外的知見の硬直した魂すなわちオシリスを蘇らせることこそ、古来、連綿と伝わる「密儀」の目的に他ならない

「密儀」(ミュステーリア)とは「秘密の儀式」を意味する。この言葉はギリシャ語の「口を封じる」(ミュエイン)という動詞に由来する。「密儀」に参入したものには厳しい守秘義務が課せられたからである。その違反者は死を持って罰せられた。

秘密は部外者に対して守られただけではない。「密儀」は多数の位階に分かれ、下位の者は決して上位の秘密には与れなかった。

位階が高ければ高いほど、影響力は増大する。その力をコントロールできるものだけに委せなけれなならない。もし、統御できないものにその力が委ねられたら、力の暴走または爆発は必至だろう。

われわれの内部に徐々に「霊知」(グノーシス)が目覚めてくる。これは汲めども尽きぬ智慧の泉であり、心の中にこの泉を掘り当てたものは、あらゆる知識をそこから直接汲みだすことができるようになる。天界の経綸、死後の運命、通常の知性で接近できないことが、掌を指すごとく明らかになってくる。このときはじめて人間は死すべき身の不幸を呪うことなく、自分の永遠の生命を確信できるようになるのである。

密儀に参入するには、知的能力ではなく、想像力(イマジネーション)、霊感力(インスピレーション)、直観力(インテュイション)を駆使しなければならない。想像力とは内的知覚であり、あるものが存在しなくても存在しているがごとくありありと知覚できる能力である。

このカバラは「律法の書」ではなく、「命の木」(オッツ・キイム)と呼ばれるマンダラ的図式を教義と実践の中心におく。ユダヤ教は徹底した一神教であり、唯一の「神」または「主」以外に神性を認めようとしない。

だが、命の木のカバラによれば、ありとあらゆるものが神性の顕現形態と見なされ、古代多神教の「万神殿」(パンテオン)を思わせる体系が展開される。

もちろん、このような多神教的教義はユダヤ教はもとより、キリスト教でも容認されないから、当然のことのように、この種の「カバラ」は地下に潜る。ヨーロッパの秘密結社、「神殿騎士団」、「薔薇十字団」、「フリー・」メーソンなどはこの秘密の伝統を荷った一例である。

19世紀末、この伝統を集大成し、当時ヨーロッパが直面していた精神的危機に対処しようと、秘密結社「黄金の夜明け」(ゴールデン・ドーン)が成立した。

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この結社は比較的短命だったが、以降のあらゆるオカルト運動の源泉となった。黄金の夜明けの修行体系は1937年から40年にかけて、I・リカルディの大著「黄金の夜明け」全四巻の刊行とともにその全貌が公開された。これまで一部のものにしか窺い知ることができなかった数々の秘伝が一挙に明るみに出たのである。

「実践カバラ」と名づけて、以下に展開するのは、「黄金の夜明け」とその後継結社に伝えられた霊的修行の方法論である。

この修行体系の実践は趣味や道楽ではなく、自分の全存在をかけた「求道」(クエスト)であり、当然かあなりの危険があるからだ。
   

「実践カバラ 自己探求の旅」


ハウル(バール)の動く城において、相手役のソフィーの名も、このソフィアであるフィロ・ソフィーから採られているということは前にも書いただろうか。

この本には、実際にカバラによる典礼魔術の方法も出てくる。確かに大沼氏の言うように正しい神との合一をはかれるものであるならば、カバラは貴重な神秘術であると言える。大沼氏は東大を出たあと、名古屋大学の助教授を務めていた秀才である。

だが、R・A・ギルバートは黄金の夜明けの儀式に疑問を投げかけている。

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ウエイトは儀式を変形し、参加者が自己を放棄して神に献身することを切望するというものにした。この目的は「自己」に重きをおき自己理解と自己充足を求める魔術師の目的とは大きく異なっていた。 この方法は、真の神秘主義とにせものの神秘主義とのあいだには微妙な境界線があるということを、私たちに思い出させてくれる

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ウエイトの意図と方法は前向きで健全なのだが、よりいかがわしい道、つまり「真実在」から遠ざかり、幻想に向かい、最終的には自滅に至る道に接近している。不愉快ではあろうが、私たちは精神世界の暗い側面、神秘への道からの逸脱とそれがもたらしかねない危険にも目を向けなくてはならない。


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「神秘主義 心をひらく秘密の鍵」 R・A・ギルバート著 河出出版社書房より引用抜書き


ギルバートは、えせ神秘主義は地獄への道であるとはっきり言っている。こうしたあの世との交信では、連れて行かれる場所が、天国なのか、地獄なのかが分らない。神様だと思っていたら、実は悪魔だったということが起きる。 

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数千年以上もの昔から、そうしたえせ神秘主義が行われ、古代に始まり、中世では地下に潜り、近代に再び姿を現し、そして現代の日本においては脚光を浴びている

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信者は、世俗界や肉体からの開放を求めて門を叩く、つまり真の自由を求めるわけである。(フリーメイソンでもそう言っている) けれども一度入信したならば、その神と一体化されたと見なされ、その後は神の奴隷や礎として扱われる。自由を求めたはずが逆に拘束されてしまうという、まったく逆のことが起きるのだ。これも人間の心理を使用した技である。

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ゆえに人間は魔道になど救いを求めず、自身の心に問いかけ、正し道を進むべきなのである。

フリーメイソンでは、結社員はソロモン神殿の礎石になることが求められる。それは、たとえばパイレーツ・オブ・カリビアンにたとえると、ウィル・ターナーの父親である靴紐のビルらの、「船の一部!船の一部」という言葉などによって表現される。

魔術は正しい神の技ではない。もしそれが正しいものであれば、誰にでも奥義まで公開しても構わないはずだ。 それを公開できないということは、たとえば水爆を造る技術が非公開とされているように、大悪事に利用されるから、大沼氏が言っているように制御できず、本人や世界に危険が訪れるからという、あってはならない出来事が起こるからなのだ。

黄金の夜明けは魔術の儀式を公開したが、どこまで正しい儀式であるか、ギルバートの言葉で分るようにはなはだ疑問である。 古代よりそれは決して公開してはいけないものとされてきたのだ、それを公に刊行するなどということはありえないと思わねばならない。とすると、別の目的があってこれらの術式をわざと門外漢の我々に見せたと考えたほうがよいだろう。ただしい術式でなければ、いったいどこに行くのかはギルバートが教えてくれている。

私たち日本人がそうした精神世界を求めるならば、座禅が最も有効ではないだろうか。また、ヨーガであれば危険性も低いだろう。

だがカバラはまったくお勧めできない、それは日本人の習慣とは合わないものであり、たいへんな危険を伴うものである。いつの間にか魔道のロープに絡め捕られ、クロウリーのような結末を迎えることになるかもしれないのだから。

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パイレーツ・オブ・カリビアンに出て来るタコ男、デービー・ジョーンズ[Davy Jones]の心臓は別の場所に隠されていた。

また、ハリー・ポッターに登場するボル・デ・モート[Voldemort]も分霊箱に魂を分散していた。

これらの人々はいずれもユダヤ・フェニキア名を持っているが、彼らは心臓や魂を、なぜ別の場所に隠すのだろうか?

次回はその謎についてお話してみたい。


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by oninomae | 2011-07-03 01:18 | 魔術=詐欺とイルミナティ  

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