広島はなぜ破壊されたか by Eustace C. Mullins その4

広島はなぜ破壊されたか by Eustace C. Mullins その4

THE NAGASAKI BOMB 長崎の原爆

空軍機が原子爆弾を長崎に落としたとき、ストレンジラブ博士(ナチス武器専門家という設定)ぶりを真似したウィリアム・ローレンスは、B-29の副操縦士の席に座っていた

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再度、ここでの標的物は、カトリック教会だった。

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『The Fall Of Japan;日本の陥落』、ウィリアム・クレイグ[William Craig]著、Dial社(NY、1967)に、「石造りのカトリック大聖堂と屋根は、跪いている信者に襲いかかった。彼ら全員死んだ」(93頁)、この教会は再建されて、現在、長崎旅行の際立った存在である。

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博士の異常な愛情(Dr. Strangelove)(1963)

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広島と長崎の爆撃テロの後、勝利を得た連合国は、日本当局を「戦争犯罪」の容疑で裁判にかけるために、すぐ行動した。1945~51年の間、日本の軍人数千人が、1946年~1948年に東京で開催された国際軍事裁判で、戦争犯罪において有罪であるとされた。28人の日本軍人と民間人のリーダーは、重罪を犯す陰謀に係わったとして訴えられた。

東京裁判に異議を申し立てたメンバー(インドのラダビノッド・パール[Radhabinod Pal]判事)は、原子爆弾を使うという決定が無差別殺人をもたらしたために、より強い弁護が勝者に対してされるかもしれないと述べてから、日本のリーダーが、重罪を犯す陰謀を企んだという嫌疑を却下した。

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日本で非常に人気ある映画、『プライド(運命の瞬間)』は、好意的にうつしだした将軍、東条英機首相を描いていた。彼は戦犯として他の六人と共に1968年に絞首刑になった。裁判期間中、彼の弁護団は、極東国際軍事裁判所(ニュルンベルク裁判のアジア版)において、東条の戦争犯罪は、広島と長崎に原子爆弾投下が迫っているときになにも出来なかったと指摘した。検察官は、すぐに反対して、彼らの声明を検閲した。それは、日本に投下された原子爆弾による大虐殺でいくつかの公認された最後のものだった。日本当局はこの事項に対し意見表明するのを事実上妨げられた。アメリカによる軍事占領が日本との条約のもとで公式に終る1952年まで静かに継続されていたからだ。今日、49,000人の米軍は日本にまだ配置されている。さらに、広島と長崎の犯罪に関する議論が公になされていない。

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(プライドはここにある)

AMERICAN MILITARY AUTHORITIES SAY ATOMIC BOMB UNNECESSARY  アメリカ軍当局は、原子爆弾が不必要だという

第二次世界大戦で最も威厳がある空軍部隊は、アメリカだった。戦略爆撃調査団(Strategic Bombing Survey)、それは必要に基づいて標的を選び、そして、将来の任務のために結果を分析した。『Hiroshima's Shadow』には、1946年7月1日付、米国戦略爆撃調査団の報告がある ― 「広島と長崎の原子爆弾は日本を倒したのではない、戦争を終えた敵のリーダーの証言によれば、米国は日本に無条件降伏に応じるよう促さなかった。天皇(国璽書)、首相、外務相と海軍大臣は、1945年5月早々に、たとえそれが同類の条件(訳註;無条件降伏)で敗北の承諾を意味したとしても、戦争を終わらせなければならないことを決めた…。確かに、1945年12月1日以前に、さらに、1945年11月1日以前の全可能性で、たとえ原子爆弾が落とされなかったとしても、そして、たとえ侵攻が予定されなかったか、もしくは考えなかったとしても、日本が降伏するということは、調査団の意見である。」

軍事上の両面から、政治的、宗教的なリーダーは、日本の民間人への原子爆弾の投下に対して反対意見を述べた。米国キリスト教協議会(The Federal Council of the Churches of Christ)は、1946年3月、正式声明を出した(ガー・アルぺロビッツ引用):

「広島と長崎の意表を突く爆撃は、道徳的に擁護できません。二つの爆撃は、戦争に勝つために不必要だったと審査されなければなりません。これらの状況下で原子爆弾を使った最初の威力として、我々は、神の法に対して、そして、日本の人々に対して極悪非道の罪をもちました」。-クリスチャンの信頼の見地から戦争に対して教会が関知する委員会。

[参照]
Atomic warfare and the Christian faith report. by Federal Council of the Churches of Christ in America. Commission on the Relation of the Church to the War in the Light of the Christian Faith.  公開日 1946, (New York)

ガー・アルぺロビッツは、ジェームズM.ギリス[James M. Gillis](『Catholic World』誌の編集者)、438頁から引用して、「私は、それを犯罪と呼ぶでしょう。 『犯罪』という単語は罪を含意しており、罪は罪の意識を必要としているわけではありません。アメリカ政府によってとられる措置は、我々の文明が根拠としているあらゆる感情とあらゆる信念に逆らっております」。

原子爆弾の投下への最も声高な批評家のうちの1人は、米国NewsとWorld Reportの創設者であり編集者であるデイビッド・ローレンス[David Lawrence]だった。彼は、数えきれないほどの痛烈な社説(1945年8月17日からはじまる)に署名した。

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David Lawrence(1888-1973)

「軍事的必要性は、我々の絶間ない慟哭であると、批評に応えるが、純然たる真実を我々の心から決して消すことができないだろう、すべてにおいて文化的な国の我々は、毒ガスの私用を躊躇するけれども、男、女と子供たちに対して無差別に至上空前の最も破壊的な兵器の使用を躊躇するというわけではなかった」。

10月5日、ローレンスが攻撃を続けた、「アメリカ合衆国は、最初に原子爆弾を廃棄処分して、日本に対してその使用したことを謝罪しなければならない。陸軍航空隊のスポークスマンは、戦争に既に勝利していたのでそれが必要でなかった、と言った。日本が原子爆弾投下される何週間も前から降伏を探求していたということを証明する、有能な証言が存在する」。

11月23日、ローレンスは書いた ― 「事実は、我々は有罪である。我々良心ある国民として、我々は苦しまなければならない。我々の罪を懺悔しなければならない。たやすく勝てるはずの戦争において、我々は最悪の手段(毒ガス室;lethal gas chamber)で100,000人以上の男、女と子供たちを窒息させて火葬するという恐ろしい武器を使った。そして、我々空軍のスポークスマンが原子爆弾なしでたやすく勝利できたと話した。我々は、したがって、原子爆弾の我々の不正使用のために全世界にすぐに明確な言葉で謝罪する必要があった」。

デイビッド・ローレンスは自ら認める保守派(成功したビジネスマン)だった。さらに、アメリカ合衆国の11人の大統領と中睦まじく親交があり、1970年4月22日に、リチャード M・ニクソン大統領から自由勲章を授けられた。

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Medal of Freedom(自由勲章)


ANOTHER EISENHOWER SPEAKS  アイゼンハワーの別の発言

アイゼンハワーは原子爆弾を使用するという彼の意見を決して変えなかったが、大統領在任期間中、繰り返し意見を表明した。『The Eisenhowers』スティーヴ・ニール[Steve Neal]著(Doubleday社、1978)、225頁から引用、 「Ike(アイゼンハワーの愛称)は、後で言及した『地獄の発明品』同様、武器への懐疑論を持ち続けた」。

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The Eisenhowers by Steve Neal(1978)

彼の弟、ミルトン・アイゼンハワー[Milton Eisenhower](著名な教育者)は、この話題に関してさらにうるさかった。

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ガー・アルぺロビッツは、358頁に、ミルトン・アイゼンハワーの発言を引用した、

「広島と長崎での新しい軍事力の使用は、他の国(特にソビエト連邦)への最高の挑発だった。さらに、その使用は、標的都市の全ての住民(大部分は民間人)を絶滅させるため、戦闘行為の通常標準に違反した。確かに、広島と長崎で起こったことは、米国民の良心に永遠に残るだろう」。

ドワイト・アイゼンハワーは、大統領任期中、原子力の平和的利用を見つけようとした。『The Eisenhower Diaries(アイゼンハワー日記)』(261頁)に、それがある、「『平和のための原子力』というフレーズは、1953年12月8日に国連より先にアイゼンハワーによる演説の国際事情の語彙として用いられた」。

原子力のコントロールは、現在、New World Orderという排他的集団に非常な権限を与えた。

そして、アイゼンハワーは、1961年1月17日付、に大統領府を去る時のアメリカ国民への彼の告別の辞において警告した。In Review (Doubleday社, 1969) ― 「政府の議会にある我々は、軍産複合体(総務省)からの求める求めないにかかわらず保証のない影響下のもとでの取得に対して警戒しなければならない。置き誤られた権力の大災害が興起する可能性が、存在し続いているだろう」。

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The Eisenhower Diaries by Dwight Eisenhower(1976)

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In Review, Pictures I've Kept: A Concise Pictorial "Autobiography"(自叙伝;1969)

軍産複合体(国際的な銀行家)の背後の力を名指ししないで、アイゼンハワーは暗闇を残したまま米国民のもとを去ると同時に、実は連中に対して警告していた。アメリカの善良な国民が打ち勝つことのできない権力やお金で不自然な同盟を形成したシオニストとフリーメーソンである国際的銀行家について話そうとしたが、今日まで国民は理解しなかったのだ


MACARTHUR'S WARNING マッカーサーの警告

ダグラス・マッカーサー将軍も、常に、この脅威を米国民に警告しようとした、そのことについて『アメリカのシーザー』ウィリアム・マンチェスター著Little Brown社、1978、692頁から引用、― 「1957年、彼は巨額なペンタゴン予算を激しく非難した。『由々しき国家非常事態の叫び声を上げて―我々の政府は、我々を永久の恐怖の状態に留め、愛国の情熱で家畜のように殺到するよう我々を留めた。要求される法外な資金を提供した後で行き詰って持ち直さないとしたら、常に、我々をむさぼり食うために戦慄すべき若干の悪魔がのさばっている。それでも、振り返ってみれば、これらの災害はこれまで一度も起こらなかったように見えるし、本当でなかったようにも思える」。

これは、ヴァンデンバーグ上院議員の有名なコメント、「我々は、『連中』をひどく怖がらせなければならない」の言い換えだった


THE NEW ATOMIC AGE 原子力新時代

彼らが広島と長崎での成功のニュースを受けたとき、原子爆弾を造った科学者は大喜びだった。そのことは、『ロバート・オッペンハイマー:暗黒の王子[Robert Oppenheimer, Dark Prince]』、ジャック・ルメル[Jack Rummel]著(1992)の96頁に見ることができる 、「アメリカに戻って、広島を爆破したというニュースは、安心、誇り、喜び、ショックと悲しみの入り混じったものだった。オットー・フリッシュ[Otto Frisch]が、喜びの叫びを上げたのを覚えている、『広島は破壊されたぞ!』、私の多くの友人は、お祝を申し込むために、サンタフェのラフォンダホテルの電話の置いてあるテーブルに走っていた」。オッペンハイマーは、「プロボクサーのように、舞台で握りしめた両手を頭上にあげて」歩き回った。

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Robert Oppenheimer, Dark Prince, by Jack Rummel

オッペンハイマーは、生涯をとおして共産党員だった。 「彼は、ソビエト共産主義にかなり影響された」:A New Civilization、シドニー&ビアトリス・ウェッブ夫妻[Sidney and Beatrice Webb](イングランドのファビアン協会の創設者)著。 彼の師(バーナード・バルーク)とともに議長として、彼は新しくつくられた米原子力委員会の研究責任者になった。オッペンハイマーは、多くの共産党交流を続けていた。彼の妻(Kitty Puening)は、ジョー・ダレット[Joe Dallet]の未亡人、スペインで悪名高いエイブラハム・リンカーン旅団とともに共産主義を守って死んだアメリカの共産党員だった。オッペンハイマーが党の規律に従っていたので、党は彼にキティ・Peuningと結婚し、彼女のために家を建てるよう命令した。

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Soviet Communism:A New Civilization, by Sidney and Beatrice Webb

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Joe Dallet&Katherine(Kitty) Puening

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バルークは、彼の事業家たちの世話をするために、原子力委員会を辞職した。クーン=ローブ商会のルイス〈リキテンスタイン〉シュトラウス[Lewis Lichtenstein Strauss, 1896-1974]が彼の後任となった。

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シュトラウスはオッペンハイマーの数々の共産主義者との交流の事情を承知していたが、オッペンハイマーが新型のはるかに破壊的な水素爆弾を開発の進行を邪魔していたとわかるまで、見逃すことに決めた。ソビエト連邦が自前の型を製造過程にのせることができるまで、オッペンハイマーが水素爆弾を遅らせていたことは、明らかなようだった。その裏切りに激怒し、オッペンハイマーに委員会の責任者を辞任するかどうか問うた。オッペンハイマーは拒絶した。シュトラウスは、それから、彼を裁判にかけるよう命令した。審議は、4月5日から1954年5月6日まで開催された。結果について検討した後に、原子力委員会はオッペンハイマーの秘密事項取り扱い許可を剥ぎ獲ることを決議した、裁定は、「性格の重大な欠陥の持ち主、危険分子として知られている物騒で不謹慎な協会に取りつかれている」。

オッペンハイマーは、彼の師であるアルバート・アインシュタインがロスチャイルドの秘密の莫大な資金を通じて出資された「天才」亡命者のためのシンクタンク研究所(Institute for Advanced Study)の議長を務めたプリンストン高等研究所を退職した。オッペンハイマーが1966年に死亡するまで残っていたら、研究所の受託者としての用意があった。

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THE REBIRTH OF ISRAEL イスラエルの再生

アインシュタインは、原子力時代をイスラエルの再生のための単なる舞台と思っていた。 『Einstein; His Life And Times』(Ronald W. Clark, Avon books, 1971)、760頁に、アバ・エバン[Abba Eban](イスラエル大使)がイスラエル領事のルーベン・ダフニ[Reuben Dafni]をつれてアインシュタインの家に来た、という。著者は後でこう書いた ― 「アインシュタイン教授は、道徳的品行が肝要な彼の生涯において、イスラエルの再生を数少ない政治的な行為のうちの1つとみなしている、と私に話した。したがって、世界の良心がイスラエルの保安にかかわるべきであると、彼は信じていた」。

1946年3月1日、陸軍航空隊、契約番号MX-791は、署名された。そして、公式シンクタンクとしてランド研究所[RAND Corporation]を設立した。さらに、ランド計画(Project RAND)を次のように定義した、「空軍のために優先する技術とこの目的のための論理的で組織だった方式を推薦することで空中戦の幅広い課題における科学的調査と研究を継続的に画策する」。1948年5月14日、ランド研究所の資金提供は、フォード財団の会長、H.ローワン・ガイザー[H. Rowan Gaither]に引き継がれた。

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空軍が原子爆弾の唯一の管理者だったので、「テロ戦略」の数々の要素である戦略空軍司令部、ミサイル計画と共に、冷戦のための原爆計画と同じくランド社は空軍を発展させた。

彼らの一流の科学者であるジョン・フォン・ノイマン[John von Neumann]は、「ゲームの理論」の発明者として世界で有名になり、10億ドルのゲームになった。そこにおいて、アメリカとソビエト連邦は、どちらが最初に核ミサイルで相手を攻撃するかどうか見せるのに世界的な「ゲーム」に着手した。

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アメリカでは、学校では子供たちが机の下で隠れるという、毎日爆弾訓練が組まれた。広島で何千もの子供たちが学校の教室で焼死したと、誰も、彼らに話さなかった。机は、核兵器に対して防御してくれないと。子供たちに対する道徳的影響は、破壊的だった。もし、次の10秒で蒸発することになっているならば、勉強して、結婚して子供をもうけ、あるいは、安定雇用の準備をする理由は少しも考えられない。核兵器計画よるこの士気沮喪は、一般の道徳の低下について明らかにされていない原因である。


1987年、フィリス・ラファージ[Phyllis LaFarge]は、『The Strangelove Legacy: Children, Parents and Teachers in the Nuclear Age
』を出版した。そして、研究の延長で、絶滅するという毎日の脅威を子供たちに加えたときの道徳的な荒廃を記録した。

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彼女は、戦士の世界と犠牲者(子供たち)の世界という二つの世界に分けられた、と言ったフリーマン・ダイソン[Freeman Dyson]を引き合いに出した。

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それはウィリアム・ローレンスと同じだ。長崎の上空をB-29の副操縦士席に座って、子供たちが眼下で蒸発するのを待っていたのだ。この立場は、変わっていない


THE LEGAL ASPECTS OF NUCLEAR WARFARE 核戦争の法的見地

1945年、日本は米国軍の占領下にあったので、日本政府は広島と長崎で原子爆弾の使用にあたり法的告訴を起こす機会は決して与えられなかった。日本のリーダーは「戦争犯罪」の罪をかぶって裁判にかけられて、処刑されたのだが、誰も原子爆弾の投下に対し決して起訴しなかった。常設国際司法裁判所が核兵器の使用に関する意見を述べたのは1996年まで皆無だった。『Hiroshima's Shadows』、 565頁から、「1996年7月、常設国際司法裁判所は、核兵器の合法性に関するその最初の形式的意見で明確な態度を打ち出した。その2年早く、国連は法廷に助言的意見を求めた。国連の総会は、一回(非常に基本的な)ポーズをとり、検討すべく質問をした。国際法によって許されるどんな状況においても核兵器の使用は脅威であるか?初めて、世界で傑出した裁判の権威は核兵器の使用と比較した犯罪行為の問題を考慮した、そしてそうする際に、核兵器の使用が『不法である』という結論に達した。核兵器の使用による脅威さえ違法であるという、法廷の見解も示した。国連憲章の第51条に提示される自衛権の条件の含意に関し違いがあったが、事例を聴聞している14人の裁判官のうちの10人は、武力紛争の行為を治めるという人道主義の法律の既存の規準に基づいて違法な核兵器の使用という脅威の利用を見つけた。裁判官は、『ハーグ』法と『ジュネーブ』法として集約的に知られている1世紀以上前の論文と慣例に彼らの見識の基礎をおいていた」。

このように、法廷は核兵器がハーグとジュネーブ慣例において違法であると決定し、広島と長崎を爆破した時点でも存在していると合意した。それらは違法だったのだ、そして、現在でも違法である。


GANDHI SPEAKS ガンディーの発言

日本で核兵器を使用したアメリカについて意見を述べた世界的リーダーの間で、聖者ガンディーは、一般的風潮の意見を反映した。『Hiroshima's Shadow』(258頁)から、「原子爆弾は、長い間人類を支えた精鋭な感性を弱めた。それを許容できるようにした、いわゆる戦時国際法があった。現在、我々はありのままの真実を理解する。戦争は、その力以外の法律を持たない。原子爆弾は、連合軍に虚ろな勝利をもたらした。それは、破壊された日本の精神の中に当分の間、生じる。何が破壊された国の精神に起こるのか、それがわかるためには時期尚早である。それを信じていない人間がいる限り、真実は繰り返される必要がある。」

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(本文終了)

【翻訳:タドン】
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/day-20100426.html
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/day-20100427.html
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/day-20100428.htmlより

The Secret History Of The Atomic Bomb  SUBTITLE Why Hiroshima Was Destroyed - The Untold Story  By Eustace C. Mullins  [レンズコム・2010年4月4日版]
http://www.rense.com/general90/whyhir.htm
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by oninomae | 2010-12-04 02:54 | 放射能・ラジオハザード  

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