広島はなぜ破壊されたか by Eustace C. Mullins その1

THE SECRET HISTORY OF THE ATOMIC BOMB WHY HIROSHIMA WAS DESTROYED The Untold Story by Eustace C. Mullins June 1998
http://www.whale.to/b/mullins8.html

原子爆弾の秘密の歴史 広島はなぜ破壊されたのか – 語られざる歴史 ユースタスC.マリンズ著 June 1998

この記事は訳さないといけないと思っていましたが、akazukinさんがすでにその前書き付記事を訳してくれていたことを発見しましたので、以下を統合連続転載します(ごく一部、改訳。深謝致します)

2010-04-11 16:49:12
広島はなぜ破壊されたか by Eustace C. Mullins その1

Why Hiroshima Was Destroyed The Detailed History Of An Infamous Era By Eustace C. Mullins 4-4-10
http://www.rense.com/general90/whyhir.htm

広島はなぜ破壊されたか 悪名高き時代の克明な歴史 ユースタス・マリンズ著 (引用掲載2010年4月4日、レンズ・コム、 以下にもあります:http://www.bibliotecapleyades.net/ciencia/ciencia_uranium12.htm 英語全文)


まえがき 

日本で非常に人気ある映画、プライド(運命の瞬間)は、好意的にうつしだされた将軍、東条英機首相を描いていた。彼は戦犯として、他の六人と共に1968年に絞首刑になった。裁判期間中、彼の弁護団は、極東国際軍事裁判所(ニュルンベルク裁判のアジア版)において、東条の戦争犯罪は、広島と長崎に原子爆弾投下が迫っているときになにも出来なかったと指摘した。

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検察官は、すぐに反対して、彼らの声明を検閲した。それは、日本に投下された原子爆弾による大虐殺でいくつかの公認された最後のものだった。

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日本当局はこの事項に対し意見表明するのを事実上妨げられた。アメリカによる軍事占領が日本との条約のもとで公式に終る1952年まで静かに継続されていたからだ。今日、49,000人の米軍は日本にまだ配置されている。さらに、広島と長崎の犯罪に関する議論が公になされていない。

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登場人物の配役

ロスチャイルド家[The House of Rothschild]; 19世紀に暴利をむさぼり、政府を買収するためマネーを使った国際的銀行家。

バーナード・バルーク[Bernard Baruch, 1870-1965]; ロスチャイルド家のニューヨークのエージェント。世紀の変わり目にタバコ信託、銅信託とその他の信託をロスチャイルド家のために準備した。
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彼が米国の原子爆弾プログラムの黒幕的な人物になったとき、彼の召使(J.ロバート・オッペンハイマー[J. Robert Oppenheimer])がロスアラモス爆弾開発の責任者になった。
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そして、彼のワシントンの召使(ジェームス F・バーンズ[James F. Byrnes])がトルーマン大統領に原子爆弾を広島と長崎に落とすように進言した。
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アルバート・アインシュタイン[Albert Einstein]; 1939年にフランクリンD・ルーズベルト[Franklin D. Roosevelt ]大統領に親書でアメリカ合衆国の原子爆弾プログラムをもたらした、終身シオニスト。

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本文はここから

インドがこのほど核兵器の実験をしたということ知って、世界は驚いていた。長年、すべての国家は、核爆弾兵器の拡散について懸念を抱いてきた。彼らの苦悩にもかかわらず、誰もこれらの武器がなぜ開発されたか、そして、人類のどんな特別な種類がこの悪魔的な目標に専念したか、心理科学的にも歴史的記録にも興味を持っていたように思えない。

公的関心がなくても、記録は明白で、興味があれば誰でも、簡単に利用できる。この課題での私の関心は、長年休止中であったが、日本で一回の講演ツアーで、突然、再び火がついた。私の案内役は、最初、長崎市へ連れて行った。彼らの計画を話すことなく、彼らは長崎原爆資料館に入った。私は面白い経験をすると思ったが、驚いたことに、私が展示室の中に入ったとき、私は突然、悲しみで打ちひしがれてしまった。急に泣き出しそうだったとわかったので、私は仲間のもとから立ち去って、唇を噛んで立っていた。それでも、自分自身おさえることはできそうもなかった。私は最も恐ろしい物体によって囲まれた。人間の手の指が熔けたガラスと融合したもの、れんが塀の人間の影の写真、それは、爆発で蒸発したものだった。


A NEW MISSION 新しい使命

私が米国に帰国したとき、人間の起したもっとも大きな大災害に隠された不吉な数字を掘り出さなければならなかった。 これまでに公開されている最強武器の発明は、全世界を牛耳る数名の熱狂的革命派の計画であったり、古今の最も広範囲にわたる陰謀であることがわかったことなど、見つけるための調査は何週間にも及んだ。

この 話は、ドイツから始まる。1930年代、ドイツと日本は、核分裂の開発をしていた数多くの科学者をかかえていた。両国とも、それらの指導者は、厳しくこれらの研究の継続を禁じた。アドルフ・ヒトラー[Adolf Hitler]は、ドイツでそのような冷酷な武器に取り組むために働くなら、誰であっても決して許さないと言った。(引用注:ドイツ人には持たせないようにしたのでしょうね)

日本の天皇は、科学者にそのような武器を決して承認しない、ということを知らせた。その時、米国には核分裂に取り組んでいる者は、誰もいなかった。不満なドイツの科学者は米国の友人に連絡をとり、さらに、彼らの仕事に対する政府の支援の可能性があることを話した。ドン・バイアー[Don Beyer]が話すように、アメリカ合衆国へのこれらの移民は彼らが計画したとおり推進された。

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「レオ・シラード[Leo Szilard]は、
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長年の友人、そして、仲間のハンガリーの物理学者(ユージン・ウィグナー[Eugene Wigner]と
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エドワード・テラー[Edward Teller])と共に、
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大統領の警告文に同意した。原子爆弾技術は、それほど不自然なことではなかった。現在アメリカに住んでいるユダヤ人の亡命者は、ヨーロッパにおけるファシズムの個人的経験があった。1939年、アルバート・アインシュタインを手伝うために3人の物理学者を召喚したとする、アインシュタインの署名入り8月2日付けの手紙は、1939年10月11日にホワイトハウスのフランクリン D・ルーズベルトのもとへアレキサンダー・ザックス[Alexander Sachs]によって届けられた。」

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CRIMINALS ON DISPLAY 展示された犯人たち

長崎原爆資料館で、2人の男性の写真がひときわ目立つように展示されていた。アルバート・アインシュタイン、そして、ロバート・オッペンハイマー、ニューメキシコのロスアラモス研究所で原子爆弾を開発した二人である。

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それにまた、展示されたのは、アイゼンハワー[Eisenhower]についてあまたある多くの本から見つけられた、アイゼンハワー将軍(当時の最高軍事司令官)の声明である。それは、「Eisenhower」(by Stephen E. Ambrose, Simon & Shuster, NY, 1983.)の426頁に見ることができる。

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「陸軍長官ヘンリー L.スティムソン[Henry L. Stimson]は、最初、アイゼンハワーに爆弾の存在について話しました。

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アイゼンハワーは『うつ状態の感覚』にのみ込まれました。スティムソンはアメリカ合衆国が日本に対して爆弾を使うつもりであると言ったとき、アイゼンハワーは次のように声に出しました。『私の由々しい不安、第一、私の確信を基礎においたならば、日本はすでに敗れ、そして、爆弾を落とすことが完全に不必要だった。第二、我々の国は(核兵器の)使用による衝撃的な世界的世論を避けなければならない、と考える』」


スティムソンはアイゼンハワーの態度に動揺した、『私の短い報告をもっともな理由で反論し、もう少しで怒るところだった』。3日後に、アイゼンハワーはベルリンへ飛び、そこで、彼はトルーマンと彼の主要なアドバイザーに会った。再び、爆弾を使うことに対して勧められたアイゼンハワーは、再び、無視した。

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アイゼンハワーの状況を他の本では、どのような軍の情勢に関係なく、米国政府の最高位の共謀者たちが日本に対して使用をすでに誓った爆弾、に対する彼への抗議が彼の経歴を危険にさらしたという。 アイゼンハワーは、スティムソンがドイツのイルミナティの一団と同じように、1848年、ラッセル信託によって創設されたイェール大学のスカル&ボーンズやブラザーフッド(the Brotherhood of Death)の著名なメンバーであった、と知るよしもなかった。

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さらに、その時から、彼らは戦争と革命を組織することで突出した役割を演じていた。また、トルーマン大統領は、ミズーリ州のフリーメーソンの主催者としての職歴にひとつの仕事をするだけだったことを、そして、彼が創設したロッジは、後に彼を米国上院に、それから、大統領に送った、ということを知るすべがなかった。

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ATOMIC TERRORISM アトミック テロリズム(原爆テロ)

これをすべてお膳立てした男は、ヨーロッパを出発して、1933年10月にアメリカに来た、アルバート・アインシュタインだ。彼の妻は、彼のことを「蛇蝎の如く嫌われた人間とみなされた」と言った。以前、「平和」と「軍備縮小」という彼のプロジェクトについてジークムント・フロイト[Sigmund Freud]と一致したというが、アインシュタインが決して自分の理論を受け入れたとは思っていないと、フロイトは後で言った。息子エードゥアルト[Eduard]が精神病院で人生を過ごしていたので、アインシュタインはフロイトの仕事に個人的関心があった。そして、インシュリン療法と電気ショック処置を受けた。だが、少しも息子の状態に変化はみられなかった。

アインシュタインがアメリカに到着したとき、有名な科学者として祝福され、大統領とルーズベルト夫人からホワイトハウスに招待された。彼はまもなく、大勢の左翼と協力している、エリノア・ルーズベルト[Eleanor Roosevelt]と大変親密になった。そこでは、アインシュタインは心から一致したのである。おそらく、彼がアメリカで核分裂のプログラムを動かしていたので、アインシュタインの伝記作家の何人かは、現代を「アインシュタイン革命」とか「アインシュタインの時代」として認めている。政府に原子爆弾プログラムの開始を要求しているルーズベルトへの彼の手紙は、「平和と軍備縮小」に彼が一生涯肩入れしていたことで掻き回していたのは明白である。

彼の実際の肩入れは、シオニズムにあると、ロナルドW.クラーク[Ronald W. Clark]著「アインシュタイン:The Life And Times」、Avon社(1971版)、377頁、に 「彼は、パレスチナにいるユダヤ人の祖国のために、シオニストと共に運動するつもりだ」、とある。クラーク著『アインシュタイン』 460頁、より引用、「シオニストユダヤ人の努力と支援により、ユダヤ人としての私が今日ある」(1919)。

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1939年8月2日付、ルーズベルトへ出したアインシュタインの手紙は、10月11日にアレキサンダー・ザックスによって個人的にルーズベルト大統領に届けられた。なぜ、アインシュタインはルーズベルトにこの手紙を届けるための仲介者の協力を求めたのか?原子爆弾プログラムは、必須なウォール街の後援なしで起動させることができない。ザックス(ロシア系ユダヤ人)は彼の職業を「経済学者」としたが、実はロスチャイルド家のための外交員だった。そして、その人はホワイトハウスのルーズベルトに定期的に高額な現金を届けた。ザックスは、ラザール・フレール国際銀行ユージン・メイヤー[Eugene Meyer]、さらに、もう一つの有名な銀行リーマンブラザーズのアドバイザーだった。 ザックスがホワイトハウスに運んだアインシュタインの手紙は、ルーズベルトにこのプロジェクトはロスチャイルドによって承認されており、全速前進せよ、ということを知らせてやった。

Ronald W. Clark : Einstein; The Life And Times, Avon, 1971,864pp.


A UNITED NATIONS PROJECT 国連プロジェクト

1945年5月、戦後戦略の設計者達、または、彼らがそう呼ぶのを好んだ「宇宙の主人たち[Masters of the Universe]」は、国際連合憲章を書くために豪華なパレスホテルのあるサンフランシスコに集められた。 主だった何人かは、その内輪のガーデンルームでの非公開会議のために引退した。

米国代表派遣団の団長は彼の最高の側近(アルジャー・ヒス[Alger Hiss])を密会に招いた。ヒスは、アメリカとソ連(KGB)の大統領の代理である。

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ジョンF・ダレス[John Foster Dulles](サリヴァンとクロムウェルのウォール街法律事務所)、

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その師(ウィリアム・ネルソン・クロムウェル[William Nelson Cromwell])は会議の場で「革命のプロ」と呼ばれていた。

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そして、W・アヴェリル・ハリマン[Averill Harriman](特命全権大使)は、残存をかけたスターリン戦争を指揮するためにモスクワで最後の2年を費やした。

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これらの4人の男は世界情勢に於けるアメリカ共和国のものすごい力を代表していた。それでも、その4人のうち(?)、エドワード・ステティニアスJr.[Edward Stettinius Jr., ]国務長官だけは憲法によって地位を公認されていた

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ステティニアスは、緊急の問題を議論するよう命令して会議を招集した。というのは、日本人はすでに内密に平和を求めていた。そして、それは重大な危機であった。原子爆弾は、準備するのにもう数ヵ月の準備がかかる。
 

「我々は、ドイツをすでに失った」と、ステティニアスが言った、「日本が辞退したら、我々は爆弾をテストするのに生きている住民を失うだろう」。

「しかし、長官」と、アルジャー・ヒスが言った、「誰も、この武器の残忍な力を無視できませんよ」。

「それでも」ステティニアスがはさみ、  「我々の全戦後プログラムは、原爆で世界を恐怖させることに依存している。」  

「その目的を成し遂げるために」、と、ジョンF・ダレスが言った、「あなたには、都合のよい勘定が必要だね。私は、100万人と言うべきだ」。

「そうです」、と、ステティニアスが答えた、 「我々は、日本での百万人の[死体]勘定を期待している。しかし、もし彼らが降伏すると、我々は何も得ることがないだろう。」

「爆弾が準備できるまで、やつらを戦争状態にしておけ」 と、ジョンF・ダレスが言った。

「それは、問題でない。無条件降伏だよ」、「やつらは、それに同意しない」と、ステティニアスが言った、「やつらは、天皇を守ると誓ったのだ」。

「その通り」と、ジョンF・ダレスが言った、 もう3ヵ月、日本に戦争を続けさせろ、そうすれば、我々は彼らの都市で爆弾を使うことが出来る;我々は、世界の全民族のむき出しの恐怖とともにこの戦争を終了する。そうすれば、彼らは我々の意に屈するだろう」。 



Jr.は、第一次世界大戦時で世界最大の軍儒品取扱業者の同業者J.P.モルガンのパートナーの息子だった。彼は、戦争の間ずっとアメリカ国内でフランスとイングランドの両方に軍儒購入品全般を監督するよう、J.P.モルガンによって指名された。

ジョンF・ダレスは、洗練された戦争屋でもあった。1933年に、彼と弟のアレンは、アドルフ・ヒトラーに面会するためケルンに急行して、ナチ体制を維持する資金を保証したダレス兄弟は、彼らの顧客、クーン・ローブ社とロスチャイルド家を代表していた

アルジャー・ヒスは、アメリカにおける共産主義エリートの黄金の王子だった。彼が第二次世界大戦後の名門のカーネギー国際平和基金の首脳に選ばれたときの彼の指名は、ジョンF・ダレスによる介添えだった。ヒスは、ソビエトスパイ活動諜報員と同等の功績をつくる嘘のために、後日、偽証で刑務所に行かされた。

ガーデンルームの密会は、実は国連による最初の軍事戦略会議だった。それは、生きている住民の真上で世界初の原子爆弾兵器を爆発させる任務に専念したからだ。それも、アメリカの納税者から5兆ドル出費させ、43年も続く冷戦(Cold War)の全戦略をあらかじめ準備され、必ずしも何も達成しなかったのは、意図されたことだ。

それゆえ、我々が見るNew World Orderは、教室に座っている何千もの子供たちを含め、生きたまま、広島と長崎で燃やされる何十万人もの一般人の苦しみに、その全戦略の基礎をおいていた。

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これら幹部達は、順番に大量殺人を要求する大規模なテロリズムなしでルールはできない、という、彼らの主人(ヨシフ・スターリン[Josef Stalin])に精通していた。

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同様に、ヴァンデンバーグ[Arthur Hendrick Vandenberg, 1884–1951]上院議員(共和党の忠実な反対勢力のリーダー)が言った、

「我々は、『連中』をひどく怖がらせなければならない」  (1977年8月、アメリカンヘリテージ誌引用)。

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アーサー・ヘンドリック・ヴァンデンバーグ

(つづく)

【翻訳:タドン】
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/day-20100411.html
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/day-20100413.html
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/day-20100419.html

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by oninomae | 2010-12-03 22:39 | 放射能・ラジオハザード  

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