自由の名の下の民族浄化 by David Rothscum 2


自由の名の下の民族浄化 by David Rothscum Saturday, October 17, 2009 その2

これらの出来事を読者たちに思い出させることが重要である理由は、アメリカ例外論者のアイデア、つまりその歴史あるいはアメリカの人々が持っている想定上の自由の話となると、合衆国は世界の残りの部分といくぶん異なっているというそのアイデアを打ち砕くことにある。

アメリカのエリートによってアメリカ帝国を正当化するために使われるのはまさにこのアイデアであり、そしてそれがアメリカの若者たちが、彼らが海外にアメリカの多くの戦争の一つに送られた時に、守っていると教えられることである。

そうではなく、歴史の中のすべての他の国のように、他人の犠牲の下でより多くの富と権力を得ることを欲するある私利的なエリートが原因で、米合衆国は向きが変わった

人々が自分たちの国あるいは文化が幾分特別であると信じている限り、彼らは戦争の中でそのために進んで死ぬ。 その戦争たるや、自分たちで始めたすべての戦争から恩恵を得るだけの彼らの支配者たちの利益に仕えるのみである  


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アメリカ例外主義のアイデアはまた、アメリカ人たちがこの戦争の本当の問題を理解することを妨げる。 問題は戦争がアメリカ国民の利益に奉仕しないということではない。 問題は、戦争が幾百万人もの民間人を殺戮し、アメリカの産業と政府をコントロールするほんの少数のエリートにより多くの富と権力を引き渡しながらアメリカ帝国を拡大することを意味するだけであるということである

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バラク・オバマがまだ偽の反対の一部であった時に、彼は、アメリカに奉仕するこれらの「よい戦争」と、奉仕しない「悪い戦争」との間に何らかの種類の違いがあるというアイデアを補強することに一役買った。彼は述べている

私はサダム・フセインの幻想に悩むことはない。彼は残忍な男だ。冷酷な男。彼自身の国民を、彼自身の権力を保障するために屠殺する男。彼は何度も国連決議を拒否し、国連査察チームの邪魔をし、化学・生物兵器を開発し、そして核能力をむやみに欲しがってきた。彼は悪い奴だ。世界とイラクの人々は、彼なしで一層幸せだろう。しかし私はまた、サダムが米国またはその近隣国に対して差し迫った直接的な脅威をもたらさないこと、イラクの経済が混乱状態にあること、イラク軍の力は以前に比べれば些細なものであること、そして国際社会と協力して、彼はすべての小さな独裁者たちのように歴史のごみ箱に落ち込むまで抑制することができることを知っている。私は知っている、イラクに対しての成功した戦争でさえも、未確定の期間、未確定の費用で、未確定の結果の米国による占領が必要になるだろうことを。私は知っている、明確な根拠と強力な国際的な支援なしのイラクへの侵攻は、単に中東の火の手を煽り、そして最善よりむしろ最悪のアラブ世界の衝動を煽り、そしてアルカイダの兵員徴募を強化することを。」

そしてもちろん、オバマは、ある発明された敵を追うことによりアメリカに実際ともかくも奉仕する戦争に反対することは非愛国的であると明確にする必要があった:

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9月11日の後、大虐殺と破壊、塵と涙を目撃した後、私は不寛容の名のもとに罪のない人々を虐殺したであろう者たちを追い詰め根絶するというこの政権の公約を支持したそして私は私自身進んで武器を取るだろう。そのような悲劇が再び起こることを防ぐために

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私はすべての戦争に反対するのではない。そして、私は知っている。今日この群衆の中で、愛国者あるいは愛国心が溢れていることを。

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私が反対していることは、まぬけな戦争である。」


大衆は、左でも、右でも、そして真実運動においてさえも、愛国心-ある人がそこで偶然生まれた偶然に生じたある国における要領を得ない誇り-の名の下に様々なアイデアを支持するように一杯食わされる 

これらの人々の多くは、軍に参加しにいく。なぜなら現在戦っている戦争がひどいものであってさえ、その人がその国に仕えているという事実は、なおともかくもどうやらこうやら「愛国的」だからである。

現実には、それは敵対する軍に仕えることに比べて、多少なりとも名誉のあることでは決してない。 (訳注:「テロとの戦い」や「パンデミックとの戦い」ではとてもよくわかります)

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唯一の違いは、アメリカ軍兵士は彼らが仕える悪に対して直接の責任をより多く有しているということである。それは、第三世界の国々で仕えているものたち、あるいは何十年も前に軍に仕えたものたちはできない一方で、彼らはある残酷ないたずらへ犠牲者を陥れてきたことに気付く能力があるからである。なぜなら今日第一世界の国々に生まれた人々の大多数は、インターネット上で見つけることができる圧倒的な量の情報のにアクセスできる。

これらの兵士たちは、「仕えている」ことに対して誰によっても決して感謝されることはないはずだ。なぜなら彼らは、根本的に悪である一つの組織に仕えているからである。

しかしながら、彼らは人間として非難されるべきではない。なぜなら歴史上の大半の兵士たちのように、彼らは自分たちが仕えている帝国が悪でありまた自分たちが戦争に送られている理由が嘘であることに無自覚であるからである。

その大半は一生懸命やっており、そして前線で直に悪を見たものの多くは、彼らが陥れられたその嘘に目覚め、別の人間として戻ってくる

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今日仕えているアメリカ兵たちはそれを知らないかもしれないが、根本的に悪である一つの軍に参加することにより、彼らは現在、歴史上最大の虐殺の一つの実行を助けている。

続く

元記事は
Ethnic cleansing in the name of freedom by David Rothscum Saturday, October 17, 2009
http://davidrothscum.blogspot.com/2009/10/ethnic-cleansing-in-name-of-freedom.html(今回は和訳2回目です)


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by oninomae | 2010-03-12 22:12 | 放射能・ラジオハザード  

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