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生物兵器戦争の一方法としてのワクチン接種の歴史 by David Rothscum 2

生物兵器戦争の一方法としてのワクチン接種の歴史 by David Rothscum Saturday, September 19, 2009 その2


私の以前の報告で和訳はこちら) 、私は一つの生物兵器病原体として使用するのに適したこのインフルエンザウイルスの開発を、ジョージ・W・メルク[George W. Merck]がメルク製薬会社とアメリカの生物兵器プログラム両者の指揮をしていた事実と結びつけた。

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しかしながら、その関係は、私が当初仮定していたよりはるかに深い
軍のためにインフルエンザワクチンの作製の任務を与えられた企業は、シャープ&ドーム[Sharpe and Dohme]という名前だった。 


1935年以降、シャープ&ドームは、ジョン・S ・ジンサー[John S. Zinsser]という名の男に率いられていた。(訳注:フレデリック・ジンサーの子、ハンス・ジンサーの甥、そしてジョン・J・マクロイの義理の兄です) 彼がこの会社の取締役会の代表となる以前、彼はアメリカ軍の化学兵器プログラムのために仕事をし、そして彼は、この時代に遡れば、すでにジョージ・W・メルクによって率いられていたメルク社のために働いていた。

このことが帰着するものは、ジョージ・W・メルクは効果的にインフルエンザワクチン接種プログラムが、彼自身の弟分、ジョン・S ・ジンサーによって実行されるようにさせたということである


十分興味深いことに、これらの男たちによって率いられていたその会社は1953年に合併した。メルクは、従って、化学戦争のベテラン、ジョン・S ・ジンサーに率いられた会社と、生物戦争のベテラン、ジョージ・W・メルクに率いられた会社の子孫であるということになる。

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インフルエンザワクチンの話は、アメリカ合衆国に限られてはいない。

トーマス・フランシス・ジュニアが語った、インフルエンザのWS株はまた、ヴィクトリアの優生学協会のメンバーであるフランク・マクファーレン・バーネット[Frank Macfarlane Burnet]という名の一人のオーストラリア人男性にも知られていた

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1953年のマクファーレン・バーネットの一つの報告で我々はいかに彼が、トーマス・フランシスが、彼がそれを試験したラットの脳を破壊することに非常に効果的であると報告したそのWS株を、さらに破壊的でさえあるインフルエンザの新しい株を作り出すために使ったかを発見する

彼の報告は言及している: 


インフルエンザウイルスの不安定性は、その対象についてのすべての研究者に知られている。 この不安定性の一例として、それについて我々が研究してきた古典的なWSウイルスの2つの亜株の起源を追跡することは興味深いだろう。WSウイルスは1933年1月、その当時英国で流行していたかなり危険な疫病の典型であると想定されていた症例の個体から単離された そのウイルスは単離された時点で、ヒトとフェレットに対して病原性があった;それはマウスに対しては病原性がなかった。

後の研究に照らしてみて、我々は、以下を合理的に確信可能である。それが鶏胚尿膜腔で生育しなかっただろうし、それが確かに漿尿膜に病変を生じなかっただろうし、そしてそれがたぶんヒト赤血球を凝集させたが、ニワトリ赤血球は凝集させなかっただろうと。

フェレットでの何代かの継代後、それはマウスに鼻腔内感染させられた。そこでは、何度かの継代後、それはかなり突然致命的な肺硬変を生じさせる能力を発現した。

マウスに適応させた型のそのウイルスは、1936年ハムステッド[Hampstead]からメルボルン[Melbourne]へと送られた。そこで、それは12日目のニワトリ胚漿尿膜へ感染させられた。

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最初は、疑う余地のない病変はなにも生じなかったが、10回の継代後、明らかな増殖病巣が観察された。これらはさらなる継代によってより明瞭に発生するようになった。そして20回目と30回目の継代の間で、胚が影響を受け始めた。

40回目の継代までには、胚は、脳と筋肉における全体的な出血性病巣を伴って、必ず60時間以内に死んだ。 この株、その後不定期の尿膜腔継代とドライアイス中で保存したものがWSE株である(Burnet & Lush 21)。

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もう一つの彼が作り出したウイルス株ははNWS株と呼ばれた:

その後、スチュアート-ハリスが、同様の材料(原株)から出発して、WSEの型の変異株を漿尿膜継代によって得ることができることを確認した。そして、その後感染物質を胚の脳からマウスの脳に移すことに成功した

単にそこで11回の継代を生き延びるだけで、そのウイルスは徐々により悪性となった。そして、ついにマウスを高力価で急性脳炎の症状とともに死亡させるに至った。 

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このような100回のマウスの脳での継代の後、その株はメルボルンに送られ、尿膜腔に移されたものが、我々の株NWS(Stuart-Harris's " Neuro-flu "566)に相当する。 これらの株の間でのいくつかの主な違いを表Ⅰに示した。そのプロセスの詳しい分析なしでは、独断することはできないが、しかし、病原性の主要な変化のそれぞれは、いくつかの突然変異の結果であるとの所感は非常に強い。


なぜバーネットが、致死的なウイルスを作り出すことにそれほど取り付かれていたのかを文書化しておくことは重要である。

バーネットは、彼が第三世界の国々での人口過剰とみなしていたものについて心配して(気をもんで)いた。英国の新聞The Ageは、バーネットが東南アジアの「人口過剰な」国々に対して使う生物兵器を開発することをオーストラリア政府に要請したことを報告している:

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世界的に有名な微生物学者サー・マクファーレン・バーネット、オーストラリアの最も偉大な医学研究科学者として崇拝されるノーベル賞受賞者は、ひそかに、その政府にインドネシアと他の東南アジアの「人口過剰な」国々に対して使用するための生物兵器の開発を促していた。 (訳者蛇足:インドネシア等でのトリインフルエンザとはなんでしょうか?)

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その実態は、オーストラリア国立公文書館によって外務貿易省からの抵抗にもかかわらず機密解除された最高機密ファイルの中に含まれていた。

サー・マクファーレンの1947年のある秘密報告書では、食用作物を標的とし、伝染病を拡げる生物化学兵器を開発する必要があると推奨している。

(...)

「オーストラリアの状況に対し具体的には、人口過剰のアジアの国々によって脅かされている侵略に対する最も効果的な軍事反撃は、生物的・化学的手段による熱帯作物の破壊と熱帯の条件下では拡がることが可能であるがオーストラリアの条件下では拡がらない感染病の散布へと方向付けられるだろう。」と、サー・マクファーレンは述べた。

(...)

サー・マクファーレンはまた、生物兵器戦争に特別な関連を有するような生物科学の分野を研究することを大学に奨励するよう促した。

(...)

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以下は訳者による抜粋追加です。

1950年に英国を訪問して、英国の化学兵器や生物兵器の研究活動を調査した後、サー・マクファーレンは、その委員会で述べた。「敵集団の間での疫病の開始は通常戦争をしかける手段としては棄てられる。なぜならそれはその使用者にも跳ね返ってくるからである。」

「低衛生のある国では、例えば水の汚染によるある外来の腸内病原菌の導入は、広範な散布を開始させる可能性がある。」、と彼は述べた。 (訳注:日本でのO157はどうなんでしょうかね?)

「適切な蚊の運搬体によって、ある国への黄熱病の導入は、制御手段が確立される前に、一つの無力化する疫病を築き上げるかもしれない。」

その小委員会は推奨した。「生物兵器を用いた東南アジアとインドネシアの食糧供給への攻撃の可能性を小規模研究グループによって検討すべきである。」と。

(...)

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続く


元記事は

The history of vaccination as a method of biological warfare David Rothscum  Saturday, September 19, 2009
http://davidrothscum.blogspot.com/2009/09/history-of-vaccination-as-method-of.html (今回は和訳その2です)


新幹線事故:ボルト4本付け忘れ パンタグラフ交換の際
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100202k0000m040056000c.html

トヨタのリコール、米・カナダで集団訴訟
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100202-OYT1T00626.htm





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by oninomae | 2010-02-02 21:59 | バイオハザード・ワクチン  

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