H・G・ウェルズが描いた『新世界秩序』の世界 by ジム・キース


H・G・ウェルズが描いた『新世界秩序』の世界

新世界秩序という語は、国際主義者たちがわれわれに信じ込ませようとしているような、国際協力を漠然と示す標語なのでは決してない。実際には、新世界秩序とは、フェビアン主義者その他の共産主義者らが長期にわたって形成してきた計画書にすぎないのだ。その計画は、フェビアン主義者のH・G・ウェルズ[Herbert George Wells, 1866-1946] が書いた『新世界秩序』、『公然たる陰謀』といったノンフィクションの中で、明瞭に読かれている。

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(H・G・ウェルズ  イギリスの批評家・歴史家(1866~1946)。1895年、科学的空想小説『時測計』を発表し注目を集める。1903年フェビァン協会に入ってからは社会主義を奉じ、その理想に基いた著作を発表。『世界文化史概説』『実験的自伝』など。)

新世界秩序側の者たちは、アメリ力その他を構想通りに作り変えるのならソ連を解体させても構わないではないか、といっているのだ。

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今の新世界秩序の方針の予兆と思えるものが、一九五一年から五二年にかけて行われた「軍事政府予備軍」の訓練にみることができる。これはV・オーバル・ワッツ[Vernon Orval Watts]博士が一九五五年に書いた『国連・計画ずくの独裁[United Nations: planned tyranny]』という本に記されている。ワッツはこのように説明する


「一九五一年、力リフォルニア州フォート・マッ力ーサーその他の根拠地で、かなりの数のアメリ力軍部隊が軍事政府予備軍としての訓練を開始した。その目的が何だったのかについては、一九五一年と五二年の二年間に行われた彼らの実地訓練にみることができよう。

一九五一年七月三一日、彼らは力リフォルニア州の九つの市を侵略し手中に収める模擬訓練を開始、最初の突撃が始まった。九都市とは、コンプトン、力ルバーシティー、イングルウッド、ホーソン、ハンチントンパーク、ロングビーチ、レドンドビーチ、サウスゲート、トレンスである。だが、この侵攻部隊はアメリ力の国旗を持たなかった。彼らは国連の旗を掲げて登場し、士官らは国連を代表しているといったのだ。

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部隊は市長、警察署長を逮捕し、あとでこの人々が投獄されていることを示す写真が新聞に出た。次に、士官たちは、ハンチントンパークで国旗掲揚の式典を行い、アメリカの国旗を降ろして、代わりに国連の旗を揚げるという行為に出た。

一九五二年四月三日、他の部隊がテキサス州ランパサで同様のことを実施した。彼らは市を制圧し、教会を閉鎖、教員たちに権威を振りかざして各教室に衛兵を配置、強制収容所を設け、人身保護令のきかない一方的裁判をしたあとで職員らを収容した。

このテキサス侵攻を報じて、ある新聞はこう書き立てた。『だが、生徒一人と兵士二人が、これがただの模擬実験であることを忘れたときに、ただの演技が本当の話になりそうになった。"俺は、誰が何といおうと絶対に立たない!"と一七歳のジョン・スネルは顔を真赤にして叫んだ。落下傘部隊の一人がスネルの顔から数センチのところにまで自分のライフルを突きつけて、こう怒鳴った。"これを顎にくらいたいか。立て!"と』

侵略者たちは、市民が処罰されることになる数々の違法行為を記したポスターを貼った。その一つには、こう書かれていた。

国連政府への敵対的、有害あるいは不遜な性格の印刷物あるいは著作物を発行もしくは回覧させる者、その意図をもって所持したる者』


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すべてのアメリ力人士官が支持し守るよう誓わされている合衆国憲法の、言論の自由の条文を思い返してみたい。このような国連の宣言文を準備し、容認し、告示する者たちは何を思い巡らしているのであろうか

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国連の旗の下で行われた三度目の逮捕劇は、一度目から一年以上経過した一九五二年八月二〇日に、ニューヨーク州ウォータータウンで実施された。これは、先の力リフォルニアとテキサスでの逮捕劇と同じパターンに従ったものだ。これが、多くのアメリ力国民の求めている『世界政府』の姿なのだろうか

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ジム・キース 超暴露 人類のゆくえ(原著1994、林陽訳1996.1) 第8章 p239-245より

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Cathedral of Saint John the Divine, New York  wiki

Sinister Sites – St. John The Divine Cathedral
http://vigilantcitizen.com/?p=241  他

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松本サリン事件から15年 犠牲者悼み献花式 2009年6月27日 12時19分 ( 2009年6月27日 12時26分更新 )
http://www.excite.co.jp/News/society/20090627/Kyodo_OT_CO2009062701000343.html

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松本サリン事件から15年を迎え、献花式で手を合わせる小林豊さんの母房枝さん=27日午前、長野県松本市
 
8人が死亡した松本サリン事件から15年を迎えた27日、猛毒サリンがまかれた長野県松本市の住宅地で、犠牲者を悼む遺族や市民らが参加し、市民団体の主催で献花式が開かれた。信州大医学部の学生だった安元三井さん=当時(29)=の母雅子さんや市民の代表らが献花。午後から、遺族やサリン事件の弁護士らが「オウム真理教による」(「」は引用者)一連の事件や報道などを検証するシンポジウムや講演会が開かれる。



「松本市への出発は27日昼ごろの予定だったが、サリン注入に手間取り、同日夕に上九一色村を出発した。途中で日が暮れかかり、新美被告と故村井幹部が話し合った結果、裁判所の勤務時間中にサリンを噴霧することが不可能になったとして、目標を裁判官宿舎に変更した。 午後10時頃、松本市に到着し 、駐車場で岐部哲也被告が作った偽造のナンバープレートを貼り付け、ビニール袋の防毒マスクを準備した。その後、たばこの煙などで噴霧場所を探して宿舎西役37メートルの駐車場に移り、故村井幹部は噴霧時間を10分間に決め助手席で遠隔操作した。逃走する際、ワゴン車は駐車場入り口の石柱に衝突し、左側面をすった」(検察冒頭陳述  1995年1月23日 毎日新聞より)



「長野県松本市で昨年6月に起きた猛毒のサリンを含む有毒ガス事件で、事件当夜、不審な4人組が現場付近で目撃されていたとの情報が、長野県警の捜査本部に寄せられていたことが分かった。・・・調べによると、4人組の目撃は、事件の起きた昨年6月27日の午後9時前後場所は松本市開智2丁目の路上で、有毒ガスの発生現場とみられる第一通報者の会社員方南隣の池付近から、南西へ250メートルほど離れている。 大型乗用車の車内に2人がおり、その車のそばに銀色っぽい宇宙服のようなものを着た2人が立っていたという。 捜査本部は、車外の2人が着ていたのは防護服で、現場で薬品を調合してサリンを製造し、容器を持ち去った可能性もあるとみている。」(1995年3月24日 朝日新聞) 


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1995年3月30日朝8:00頃、国松孝次警察庁長官は狙撃された
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by oninomae | 2009-06-27 04:06 | NWO・番号付動物農場・警察国家  

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