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CFRの誕生と全体主義との初期のつながり by ジェームス・パーロフ 4 CFRとドイツ

CFRとドイツ

ヴェルサイユ条約によって課せられた苛酷な賠償金支払いに資するため、ドイツは法外な量の紙幣を発行し、それが史上最も破滅的なインフレの一つの動因となった。それは非常に激しいインフレだったので一億マルクで一箱のマッチも買えなかった。

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こうした状況における利潤の可能性が国際銀行家の本能を誘った(彼らはこの状況を促進するため、パリ平和会議において彼らの影響力を通じていろいろと動いていた)。

一九二〇年代初期の『フォーリン・アフェアーズ』の論文はドイツの賠償計画の改訂を要求した。一九二三年にCFRはこの問題に関する研究グループを発足させた。

ドーズ案[Dawes Plan)](一九二四年発効)および未成熟のヤング案[Young Plan](一九三〇年発効)は、ドイツの賠償支払い危機を解決するため採られた国際的方策であった。J・P・モルガンは両者に厳しかった。両案はそれを生んだそれぞれの委員会を率いた二人のアメリカ人銀行家の名を取って名付けられた。CFRがそれらの案に概念上どれほど貢献したかは議論の余地があるが、チャールズ・ドーズ[Charles G. Dawes, 1865-1951]、

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オーエン・ヤング[Owen D. Young, 1874-1962]

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両人は共にCFRメンバーであったことに留意しなければならない。ドーズは一九二七年に入会し、ヤングは創立会員であった。両案ともフォーリン・アフェアーズ』で歓迎され、何らの異議も出なかった。驚くには当らないが、ドーズ案はドイツヘの巨額の融資を要求した。キャロル・キグレー[Carroll Quigley, 1910-77]博士はその企てについて左のように述べている。

  「この方式は国際銀行家によって作られ、その結果としておこる他人の金のドイツヘの貸付けは、彼ら銀行家にとっては至極儲かるものであったことは留意する価値がある」 (22)

一九一六年から一九二二年まで英国首相であったデイヴィッド・ロイド・ジョージ[David Lloyd George, 1863-1945]が述べている。

「国際銀行家たちがドーズ賠償案の決着を指図した。・・・彼らは政治家、政治屋、ジャーナリストを一方に押しやって、彼らの容赦のない布告には上訴の余地のないことを知っている専制君主のような傲慢さで命令を出した」 (23)

しかしながらこの利益も尊大さも、新賠償計画よりも遥かに陰険な様相の前では影が薄かった。ドーズ案の下では、特に三つのドイツのカルテルが信用の受益者であった。この三羽烏がナチ戦争機構の工業的バックボーンとなり、ドイツにおけるアドルフ・ヒトラーの政権獲得の資金的バックとなったのである

この三カルテルのうち化学企業の染料工業組合(I.G.Farben)が傑出している。この染料会社は、ロックフェラー系のナショナル・シティ・バンクからの三千万ドルの起債を含んで、ドーズ案の下で注目に値する援助を受けた。同組合は世界最大の化学会社にまでなった。

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第二次世界大戦後の合衆国陸軍省による調査には次のように記されている。

  「同組合の彪大な生産設備と熱心な研究、それに巨大な国際提携網がなければ、ドイツの戦争遂行は思いも及ばなかったし不可能であった・・・」 (24)

この論は統計的にみて完全に裏付けられる。

たとえば一九四三年に同組合はドイツの合成ゴムの一〇〇パーセント、潤滑油の一〇〇パーセント、爆薬の八四パーセントを生産した(25)。さらには、ヒトラーの強制収容所で人間を皆殺しにするために使われた(引用注:とされている)劇薬チクロンBガスさえも製造した(26)。

染料工業組合はまた、一九三三年にナチに政権をもたらすために使われた選挙資金の四五パーセントを提供している(27)。

とりわけ不愉快なことは、アメリカの某々社が染料工業組合と荒っぽい取引を行ったこと、すなわちロックフェラー系スタンダード・オイル・ニュージャージーが同組合に二千万ドルの航空燃料を売ったことである(28)。同組合はドイツの電撃戦直前の一九三九年に、合衆国における同社の広報を担当させるため、アイビー・リー[Ivy Ledbetter Lee, 1877-1934](CFRのメンバー)を雇った。

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同社はさらにアメリカン・I・Gと呼ぶアメリカ子会社さえ持っており、その役員には、どこにでも顔を出すポール・ワーバーグ[Paul Moritz Warburg, 1868-1932](CFR創立会員)、

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ハーマン・A・メッツ[Herman August Metz, 1867-1934](CFR創立会員)、

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チャールズ・E・ミッチェル[Charles Edwin Mitchell, 1877-1955]がいた。

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ミッチェルは一九二三年CFRに加わり、ニューヨーク連邦準備銀行とナショナル・シティ・バンク両行の役員であった。アメリカン・I・Gの役員には数人のドイツ人もいたが、戦後そのうちの三人がニュルンベルク裁判で戦争犯罪に関して有罪と判決された。しかしアメリカ人は誰一人として起訴されなかった。

アメリカ人のドイツ・ファシズムに対するこの結びつきの話は、アメリカの大手報道機関からまるで疫病のように回避されてきた。 それでも最近になって本件に関していくつかの書が世に出た。それらのうち、
サットン著"Wall Street and the Rise of Hitler"はおそらく最も権威ある研究として残るであろう。


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ジェームス・パーロフ 権力の影 第3章 CFRの誕生と全体主義との初期のつながり p105-108 より


これで、以前の物語「JFケネディとホロコーストの秘密 by Clifford Shack」とうまくリンクしてきたような、そんな気がする今日この頃でした。



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アドルフ・ヒトラーとナチスの台頭は、主として染料工業組合(I.G.Farben)およびドーズ案によるものであった。


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エイブリル・ハリマン(チャーチルとスターリンの間)。富裕な資本家でありながら、ボルシェヴィキと緊密な融和を保った多数のCRFメンバーの一人。父親は日露戦争当時満鉄を手に入れようとした


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by oninomae | 2009-04-14 20:31 | イルミナティ  

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